よく、「ラジオは映像がないぶん、想像力を働かせて聞くから、そこがいい」
というようなことを言う人がいるが、
ふだん、結構ラジオを聞いているほうだと思う私は、そんな面倒なことをしていない。
「へえぇ」という話、笑っちゃう話、しみじみと心に沁みてくる話、そういうものが
聞けて楽しいから聞いているのだ。

しかし、今回、取り上げるNHK FM「夜のプレイリスト」を聞いて、思わず想像してしまった。
何を想像したかというと、秋吉久美子の高校生時代である。
この番組は、月曜から金曜の毎日深夜0時から1時間、
1週間を通してひとりの出演者が、自分が好きなミュージシャンのアルバムを、
毎夜1枚ずつ、5日間で5枚紹介しながら、その音楽や、自分との関わり、エピソードなどを話す、という番組だ。

2月1日からの週は、女優の秋吉久美子が担当で、自らの若き時代に
大好きだった音楽を語り、その中で、高校生活の日々を話した。
これが、オジサン世代にはちょっとたまらんトークであった。

2日火曜日に彼女がピックアップしたのは、レッドツェッペリンの3枚目のアルバム「Ⅲ」。
番組冒頭、「今晩は、秋吉久美子です」という最初の声が、そのトーンが、
ピタッと深夜という時間にはまっていて、この人は、それが分かっていて、この発声を
しているのではないかと思うくらい、スーッとこちらの胸に入って来た。

その時点で、これはいい番組だ、と私の中の何かが勝手に決めつけて、
その予想は裏切られることなく、冬の夜のひととき、気持ちのいいノスタルジーに
浸れたし、翌日も、その翌日も、寝てしまった場合の保険として録音予約をして、
しかしちゃんと起きていて、いろいろな感慨にふけったり、昔見た映画のことを思いだしたりしながら、70年代の空気に包まれたのだ。

さて、最初の挨拶のあと、今夜紹介するアルバムについての簡単な説明があり、
このへんは、台本を読んでいるというのが分かるという話し方だったが、
そのアルバムが発売されたのが1970年、というあたりから、
フリートークで、あの、彼女独特の、舌足らずというか、「秋吉調」といってもいい
不思議な魅力の話術が展開され始める。
「私自身、"70年代の子”かなって思う。 その時代の思想や文化に影響を受けて、
それが自分の土台かなってところはあります」
そう言って、秋吉久美子は、今から40年前のころの自分について話し始めた。

中学の入学試験にトップで合格し、しかしながら、入学後、彼女の言葉を借りれば、
「思春期のこころの移り変わりのなかで成績も落ち、
 まあそれはそれで、ちっとも反省もせず、ドキドキもせず、ある日担任の先生におどかされ、
 お前成績下がっているぞって言われてびっくりして、また一番で卒業したみたいな」

彼女が進学した福島県の女子高は、昔、女学校であったという名残りか、
「清く 正しく 美しく」という校訓が、教室の黒板の上に掲げられていたという。
周囲の同級生は「聡い子たち」ばかりだった。
そのなかにあって、秋吉久美子は授業には興味を持たず、「放課後の高校生」だった。
そして、放課後の好きな居場所は、「屋上」と「図書館」それに「繁華街」だった。
その繁華街のジャズ喫茶にひとりで入り、ジャズ喫茶にもかかわらず、
ツェッペリンをリクエストして、悦にいってた、いわば変わり者、秋吉久美子の高校生活は、授業が終わると屋上に行き、夕陽を眺めながら人生を考え、図書館に行って本を読み、日が暮れると繁華街に出かけて行き、ジャズ喫茶で「コーヒー」とは言わず、「モカ」と注文する、そんな日々だったという。

ここからあと、彼女が問わずがたりに語った、数分間のその中身を文字おこししてみる。

「女子高のなかでは孤独な存在だったんですけど、まあそれなりに同級生たちとも
仲良くしてたというか、ただ自分的世界はみんなとは違うなあというか、
こう、ちょっと温度差は感じてました。
みんな、基本、各中学校から集まった、いい子たちの学校でしたので、
将来は、まあ市役所に勤めたりとか、それから学校の先生になったりっていう、
そういうタイプの人たちばかりで、とても暮らしやすかったんですね。

みんなで面倒みてくれたし、鉛筆研いでくれたり、それからノート貸してくれたり、
いじわるじゃなかったし、みんないい人ばっかりだったし、
だけど熱く音楽を語り合ったりとか、そういう人たちはいなくて、
みんな受験勉強をしていましたし、2年で普通クラスを全部終えちゃうんですね。
で3年目は、受験勉強に集中するっていうのがプログラムだったんで、
そのなかで私のクラスは出来の悪いほうだったとは思いますが、
ゴメンネみんな・・・、そのころにツェッペリンの「移民の歌」を聞きながら、
やあ、人生ってこんなもんじゃないはずだっていうふうに思ってたし、
どこかに移民しなきゃって思ってるような、まあ、図書館では、
うーん、ドストエフスキーを読んだりとか、哲学書を、キルケゴールを読んだりとか、
意味分かんないなあ、誰か教えてくれないかなあと思ったりとか、
誰か友達いないかな、こういうの一緒にしゃべりたいなあとか思いながらも
まあ受験勉強のさなかっていうのが私の青春だったし、
そのなかで、あの、他校の男子生徒は、遅れてきた学生運動とか、そういうのを熱く
語ったりしていて、なんかこう自分の、久美子流ロマンて言うんですかね、
それは誰のものとも共有しがたいもので、本を読み、ロックを聞き、
深夜ラジオを聞き、図書館に浸り、受験勉強はせず、っていう感じの、
やるせなく、また熱く、そして自分の王国のキングだったような、
そういう高校生でした。
それが「移民の歌」の思い出であり、またツェッペリンが自分の青春の
バックグラウンドだったなっていう感じがします」

以上のことを、立て板に水という調子ではもちろんなく、かといって
一つひとつの言葉を慎重に選びながら、という感じでもなく、
やはり、「秋吉調」という言い方がピッタリだと思う語り口で話したのだ。

おそらく、編集もほとんどされていないし、台本があるわけでもない。
秋吉久美子がレギュラーのラジオ番組を持ったら面白いのではないか、
つい、そんなことも考えてしまった。

それはともかく、彼女と同じく、60年代から70年代にかけて
高校生活を送った者としては、
「深夜ラジオ」や「遅れてきた学生運動」という言葉に共感をおぼえ、
放課後の校舎の屋上で、ひとり夕陽を眺めている高校生の秋吉久美子を
想像したのである。

秋吉久美子と私の出会いは、映画「旅の重さ」だった。
高橋洋子主演、斎藤耕一監督の、この映画にワンシーンだけ出た彼女は、
今でも、その瞬間のことを思い出せるほど印象的だった。
主役オーディションで2位だった、というのはあとで知った。
「旅の重さ」もまた、その主題歌、吉田拓郎の「今日までそして明日から」が
ラストシーンに流れた瞬間の感動とともに忘れられない、青春の思い出の作品の
1本だ。
その映画がデビュー作と言っていい秋吉久美子は、その後、
「赤ちょうちん」「妹」という、当時のヒット曲に便乗した日活青春映画路線作品で
ヒロインを演じ、人気女優への道を一気に駆け上がる。

そのストーリーは今は忘れてしまったが、今回のラジオの番組で、
彼女自身が言った「70年代の子」という表現が、まさにどんぴしゃりの
秋吉久美子が輝いていた、ふたつの映画だったように思う。

ラジオ番組「夜のプレイリスト」で、その翌々日、彼女は1994年、サンフランシスコの
アートカレッジで映画の編集の勉強をしていたころの話をした。
これもまた、面白い、とても興味深い話だった。
そして最終日の金曜日には、かつてバックパッカーとして2ヶ月間のインド旅行をしたことを話した。
紹介したアルバムは、ドアーズの「ハートに火をつけて」。

NHK FM「夜のプレイリスト」は、放送の翌週の午後6時から再放送がある。
きょう12日の6時は、秋吉久美子の「ドアーズ篇」が放送される予定だ。

時間がある方は、ぜひ聞いていただきたい。
「セブンティーズの子」秋吉久美子の姿を、ちょっとだけだが垣間見ることができる。


クリックお願いします。⇓

人気ブログランキングへ