けさ、3月12日の東京新聞の最終面に、仙台市在住の作家、伊集院静氏が
「忘れてはならない日々」という文章を寄稿している。
それが、あまりにも素晴らしいので、全文を転載させていただく。

ひとりでも多くの人に読んでもらいたいから。


忘れてはならない日々

今でも、時折、思い出す光景がある。あの日、3月11日の夜、私たち家族は
夕暮れから夜にかけて続いた大きな余震に、このままでは家が崩壊すると、
何度も皆が庭に出た。激しい揺れと、不気味な地鳴りに似た音を聞きながら、
余震が去るのを待った。やがて余震がおさまった。奇妙な音に空を見上げた。
満天の星の中をいくつもの流星が横切った。落ちるように見えるものもあれば、
上昇するように見える星もあった。
―天に行くのか…。
 思わずそう感じたのは、手動式のラジオで我が家から、それほど遠くないところの
海岸におそるべき数の人影が横たわっていると聞いて驚愕していたからである。
「こんなに美しい夜空なのに、どうして?」
家人の声に、私は怒りがこみあげてきた。
―私たちが何をしたというのだ。この大地は誰のものなのか。


 先月、被災地を家族と見て回った。
 震災直後は、船が、家屋が、こんな奥までと驚いた。3年前は、瓦礫が、泥土が、
見上げる塔のようにあった。
 今は宮城県南三陸町では、いくつもの台形の土地の中に、最期まで避難放送を
していた若い娘さんがいた防災対策庁舎の鉄の骨組みだけが残り、
その隙間から早春の青空が見えた。その青色は美しく澄んだ春の色だった。

北上川沿いへ行くと、石巻市のいくつかあったはずの街並みも平らな土地になり、
小学校の壊れたままの校舎とそれを見守るように天使の像と慰霊碑があった。
子供たちと先生が聞いていたであろう北上川のせせらぎの音を風が運ぶ。
沈黙と、祈るしかすべがない。小学校跡には音楽教室の窓にも入っていたであろう
川音だけが流れていた。日和山から見下ろした町にはまだ家も人影もなかった。
  声を出す間もなく津波にのまれて行った人々の想いは、今どこにあるのか。
沈黙の土地のむこうに青い海原が太平洋にひろがり、沖へむかって漁船が進む。
海はもう戻って来たのか。そんなはずはない。まだ多くの犠牲者が眠っている。
それでも人々はゆたかな海を信じて営みをはじめている。
―太古よりゆたかな海流と奥羽山脈の恵みを与えられてきた。この春の海の
美しい色彩は何なのだろうか。

声に振りむくと、神社の階段を高校生が駆け上がる。白い歯が見える。
希望を見つめる肉体がはずむ。福島では新生の学校が生まれたと聞いた。
岩手では木を植えはじめた人々がいるという。鉄道レールを舗装したした道を
走るバスも見た。川岸に打たれた鉄の岸辺も見た。高台の家屋も、建築中の
集合住宅も見た。仮設の商店街の賑わいにもふれた。
  なのに政治家が、テレビのキャスターが平然と語る"復興"という言葉が、
計画が、絵空事に思えるのはなぜだろうか。政治を信じていないわけではない。
被災した人々と同じ人間がなすことなのだから。歴史上、未曽有の国の予算が
注がれたのになぜなのだろうか。
  製紙工場から真っ白な煙が空に昇る。働く何人ものたくましい人々の顔を
想像する。歩みがすでにはじまっているのはたしかなのである。

夕暮れになり、一番星が北の空にかがやいた。まだ帰らぬ人を待つ、
家族を想う何万人の人たちが、今夕、星を仰いでいるのだろう。
  5年目の春を迎えた。天上へ行った人々。海の底に、土の下に眠る人々。
哀しみだけを想うのをやめなくてはならない。どんなに短い一生でも、
そこには四季があったという言葉がある。笑っていた日を想うことが、人間の
死への尊厳ではないか。太古より宿命とも思えるこの国の天災を、人々は
乗り越え、祭りの歌声、子供たちの笑顔をゆたかな自然とともに築いてきた
のだ。
  美しいものとむごいものが隣り合わせているのが私たちの生命としたら、
さあ今日から美しいものを信じて、自分の足で歩きはじめよう。



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