もううんざりなので、この話題は触れたくないのだが、「選挙で投票する」
ことについての責任ということを、腹におさめていられず、このブログに書いて、
少しの人でもいいから読んでもらうことで、自分が多少はスッキリするのではないかと
いう気持ちで、書く。

結論から言うと、「2014年の都知事選で、211万票を与えて、
舛添氏を当選させた有権者の責任は問われないのか」ということだ。
辞職に至る前の報道では、選挙で舛添氏を推薦した自民、公明(正確には、それぞれ
都連、都本部)の責任を問う声云々、ということが言われていた。
両党にすれば、舛添氏の政治哲学や地方自治についての考え方に賛同して推薦した
わけではないだろう。それは、当時の経緯を振り返ってみれば分かる。

猪瀬知事の辞職のあと、自民党は都知事選に向けて有力な候補者を選びあぐねていた。
(このあたりの事情は、当時の新聞やテレビニュースで報道されたことを
 私の記憶にもとづいて書いている。政界の裏事情に詳しい人間が、どこかの
 週刊誌で話したことを受け売りで書いているのではない)

そのとき、「舛添」という名前が、たしか自民党内部ではないところから出てきた。
そこで自民の中に、「舛添でいいのではないか」という反応が出た。
この時期の舛添氏が、そういう動きをどう思ったかは分からない。
彼は、その数年前に自民党を離党、除名処分を受けている。そういう自分に対し、
自民党が推薦、支持をしてくれるのか、最初はそう思っていたのではないかと
想像する。
事実、党内で公然と反対の声を上げる人たちがいた。

しかし、これも当時の、知事選が終わったあとの新聞記事で読んだ記憶があるが、
自民が独自に世論調査をした結果、「舛添なら勝てる」ということが見えた。
当然、自民は東京都連として推薦することを決め、党本部も、「勝ち馬に乗る」
ことになった。
党内にいるときに言いたいだけ言って、総選挙に負けて政権与党の立場から
落ちた途端、離党し、党として除名した人物を東京都の知事として推薦する、
この点ひとつとっても、前回の知事選に対し、あるいは都の行政というものに対し、
候補者の資質、人生観などは、自民党にとってはたいした問題ではなかったことが
わかろうというものだ。
そして選挙は行われ、舛添候補は211万をこえる票を得て圧勝し、都知事に就任した。
その前任者の猪瀬直樹氏が獲得した430万票という数字にくらべれば、
半分ではあるが、投票率もその選挙に比べて26%あまり下がっているから、
圧勝であり、東京都民の多くが「舛添知事」に期待したことは間違いない。

当時、この結果に対して、私は虚しさのようなものを感じていた。

何を考えているんだろう都民は。
舛添要一という男に何を期待するんだろう。
この人が、「口先だけの男」であることは、普通に新聞を読んだり、テレビの
ニュースを見ていれば、だいたい想像できるではないか。

厚生労働大臣を2年間、3代の内閣で続けてつとめているが、
この2年間で、何か「実績」と呼べるものがあるか。
医療、年金、労働問題、幅広い分野に及ぶ厚労行政のトップとして、
2年という時間は「時間が足りなかった」と言い訳するには長い。

最近、話題になった「待機児童問題」も、このころから母親たちの声が
上がっていたが、まったく改善されることなく、ここへきて、匿名ブログの
「日本、死ね!」で総理大臣が対策をとることになった、という状況。

当時、テレビニュースに出てくる舛添氏の言葉で印象に残っているのは、
「私が厚生労働大臣として…」「厚生労働大臣は私ですから」というもの。
だから喫緊の課題を解決するのだ、という意味でのセリフなのだが、
結果として、厚労行政の歴史に残るものはほとんどない、ことは
年金のことだけとっても明らかだろう。

知事選の公約で、保育所、介護施設のことを含めた「社会保障の充実」を
掲げながら、任期中の2年余りのあいだに、そういう施設を視察したことが
一度もなかったことが、ここへきて分かった。
何をかいわんや、である。

だから、普通に報道に接していれば、舛添という人物の知事としての
適確性に疑問符がついて当然だと思う。
それにもかかわらず、211万の都民が、「都知事にふさわしい」と
判断した。
もちろん、その中には「投票用紙には舛添要一と書くように」と言われて
何も考えず投票した、組織票と呼ばれる人たちもいるだろう。
だが、ここ最近のニュースでよく見かける、「知事選で彼に期待して投票したのに
裏切られた気持ち」と言ってはばからない一般都民の皆さま。

あなたは、何をもって、舛添要一は知事として期待できると考えたのですか。

知事就任後の、視察場所のこと、美術館はたびたび行くのに、介護施設には
まったく行かないというようなことは、報道されていなかったから、
知る由もないでしょう。
これは、知事担当の各マスコミの責任です。
みんな知っていても、ニュースにしない。なぜだろう。
メディアが、権力や権威に対して、モノ言わなくなっていると言われている昨今、
都庁記者クラブも、そうだったのかと言われても反論できまい。

TBSラジオで平日の早朝、生放送している「生島ヒロシのおはよう一直線」という
番組は、全国ネットだから各地で聞いている方もいると思うが、
知事選に出馬する前、参議院議員でもなくなった舛添氏は、
ときおり電話で出演したり、早朝の生放送のスタジオにきて出演したりしていた。

その後、知事になり、パーソナリティの生島ヒロシ氏が番組で言っていたが、
舛添さんに、電話でもお話を聞きたいとお願いしているのですが、
お忙しいようで、なかなかOKの返事をもらえない、と。
このことについて、同じく番組に時々出演している殘間里江子氏が、
やはり番組に電話出演したときに、
「舛添さんは、仕事がないときに、この番組に出させてもらったんだから
 ちょっとでも出るべきよ」と言っていたが、
そういう男なんだよ、と私は思ったことを覚えている。

最近、元夫人の片山さつき氏が、彼のことを週刊誌で言ったのか、
ワイドショーか分からないが、「他人は利用するための存在」と言ったようだが、
そういう男なんだな、と私は思ったのである。

新聞やテレビにとって、読者や視聴者は大事なお客様だ。
だから「選挙で投票した都民の責任」などということは決して言わない。
しかし、投票ということの持つ意味と、その結果がもたらすことに対する責任、
ということを、これを機会にきちんと考えるべきではないだろうか。

どうしても有名な候補者の得票が多くなってしまう、今日の選挙の実態。
「世論」というもののあいまいさ。
先日も、NHKニュースで世論調査の結果を伝えていたが、
「アベノミクスをある程度評価する」と回答した人が44%いたという。

その人に聞きたい。「アベノミクスがどういう政策か知っているのですか」
電話がかかってきて、NHKだが簡単な調査に答えてもらえませんかという。
いいですよと言うと、いくつかの質問をされる。
「アベノミクスってよくわからないけれど、知らないって答えるのも恥ずかしいし、
 ええと、じゃあ、2番で」「2番、ある程度評価する、でよろしいですね」

これがすべてだとは言わないけれど、こういうケースが決して少なくないことは、
想像できるのではないだろうか。
こうして「世論」が発表されていく。  
あれだけひどい、"自分が正しい”主義の首相の内閣支持率が、
どの新聞、テレビの調査でも40%かそれ以上ある、という現実。

権力者が、最も恐れる「投票」という、国民にとっての大きなチカラ。
だから権力を持つ者は、投票行為で自分に都合の悪い事態ができるだけ生じないように
いろいろ手段を講じる。
現政権がとったひとつの方法が、メディアを自分の側につけておく、という
やり方だ。もともと、「大メディア」が「反権力」であるなどということは
空想世界のことだ、ということは日刊ゲンダイが言う前から、心ある人は
気がついていた。
今や、国民の多くが「新聞は本当のことを伝えない」と思っている、とは
大げさな話ではない。

しかし、そういうテレビや新聞が、読者や視聴者の政治意識、
自分の現状や社会の状況に対する評価、意見というものに
大きく影響することは、間違いない。
だから現政権は、新聞、テレビに対し、有言無言の圧力をかけたわけだ。
有言の典型的な例が、総務大臣の「電波停止命令を出さないとは言い切れない」
という発言。 これに対してテレビ各局の反応は、情けないほど腰が引けていた。

「放送法」についての考え方が間違っている、などと言っている
ベテランキャスターがいた。
問題はそこではないでしょッと突っ込みたくなる。
放送行政を管轄する役所のトップが言うことではない。
しかし、テレビは業界あげて総務大臣発言を追及する、ということはなかった。
官邸の記者会見では、あらかじめ決められた質問が出され、
首相は、手元のメモを見ながら答える。
このような会見が民主主義の先進国で、あたりまえに行われている現実。

国連総会出席のあと会見した首相に、そこは官邸でなかったから、
「お仲間」の記者以外の外国人記者から、難民問題について、
日本としての考え方を尋ねる質問が出た。
予定になかった質問に、首相はとんでもない回答で応えた。
移民受け入れについて、今、わが国は「女性が輝く社会」を
目指していることもあり、国民ひとりひとりが活躍する世の中にするために
移民受け入れということは、すぐにどうこうという問題ではない、
という趣旨のことを言った。

「難民」と「移民」は、まったく別のものだ。
当時、世界中の国にとって大きな課題だったシリア難民問題について、
日本の首相が、何の意見も持たず、理解すらしていないのでは、という
ことを世界中にバラしてしまったのだ。

馴れ合いの関係で紡いできた権力とメディアのもたれ合い。
消費税率を10%にあげる際に、8% のまま据え置く品目が話題になった。
いわゆる「軽減税率」。
それが正式に発表されたとき、食料品などとともに、「宅配される新聞」
という品目が、唐突に出てきて、少し話題になった。
それまでの、こんな品目が入るのではないか、というテレビの報道では
まったくあがっていなかったから、目立ったということもある。

しかし、これは新聞協会が政府に対し、軽減税率の対象にしてほしいと
正式な申し入れをしたことを受けてのことだ。新聞業界が何も言っていないのに
政府が勝手に税率を据え置きましょう、と言ってくれたわけではない。
新聞、テレビが、このことをほとんど報道しないから、
国民が知らなかっただけである。
東京新聞は小さく伝えた。他紙にくらべてまだ良心があるということだろう。

欧米の先進国で、このような、業界として政府に「自分たちはオマケしてほしい」
などというお願いをするといことはあり得ないだろう。
それがメディアとして、致命傷になるというより、国民から見放されることになるのが
明白だからだ。
日本では、ひっそりとそれが行われ、政府も対象品目に入れるということで、
「おぬしら、わかっているな」と無言の圧力をかけたわけだ。

そのようなメディアがはびこる国の国民は、
歴史的にも「民主主義」を自分たちの力で獲得したのではなく、
敗戦からの新たな国つくりで、いわば与えられた民主主義として、
選挙権も、気がついたら手にしていた、という見方は、そう的外れではないと思う。

だから、「選挙で投票する」ということの重大さを身に沁みて理解している、
とは到底言えない。
猪瀬直樹という人物に400万をこえる票を与えたのも驚いたが、その人が
知事になってカネの問題で退いたあと、「今度はきちんと候補が信頼できるか
見極めよう」というのが、普通の考え方だ。

ただ、「朝まで生テレビ」や「TVタックル」などでの過激な物言いが
印象に残っていたから、なんとなくやってくれそうだと思って投票した、
こういうのを「学習能力がない」という。

人は何を言ったかではなく、何をしたかで評価される、こんなことは
今さら言うまでもないことだ。
いい大人が、そんなことさえ分からず、「期待していたのに裏切られた」と
恥ずかしげもなく言う。
舛添氏の公私混同は、突然始まったものではないだろう。
今回、明らかになったケチ、公私混同、高級ホテル宿泊が最初に問題に
なったときの開き直り、傲慢さ、これらはすべて、この人物にもともと
備わっていた性癖、人間の質というものだ。
それが一気に表に出てしまっただけである。

自分の母親を、介護を売り物にするための手段に使った。
ついに実の姉の"告発"も、その娘、つまり舛添氏の姪から
週刊文春に語られてしまった。
ここまでくると、知事の資質以前に、人間としての質が問われる。
知事になるまでのあいだ、以上のような人間性がまったく出ていなかったか、
そんなことはないと思う。

繰り返しになるが、私は、新聞やテレビのニュースを通じて、厚生労働大臣としての
働きを知ったり、週刊誌などで、多少のウラ話を読んだりしていただけだ。
そのなかで、この人物は信頼に足るというところから遠いところにいる、
と感じたわけだ。
多くの東京都民は、それが分からなかったのか。
またしても知事選をするのに50億円かかる、この無駄遣い、などという
声が出ているという。その選挙、211万の票が生んだものですよ。
あのとき有権者が、きちんと人物を評価して投票すれば、この無駄は
なくて済んだのですよ。
だから、都民にも責任なしとはとても言えないのだ。

7月31日投票、と決まったそうだ。
そしてまたしてもテレビ、新聞は候補者の名前をあげ始めている。
小池百合子、蓮舫、ついには丸川珠代…。
学習能力ゼロである。
選挙は小学校のクラス委員を選ぶのではない。もちろん、AKBならぬ
TTS(都庁舎)のセンターを選ぶものでもない。

もういい加減「名前が知られた人」というところから始めるのを
やめたらどうだ。
名前なんか誰も知らなくていい。行政のことに通じていて、決断力、
実行力があり、人の意見を聞くことができればあとはたいした問題ではない。
おっと、カネだけには清廉なこと、これ必須。

メディアは信頼できない。それならどうやって自分で判断するか、
あと1ヶ月以上ある。
都民の有権者は、じっくり考えなさい。それがトンデモ知事を生んでしまった
東京都民の責任をとる方法のひとつかもしれない。



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