2017年10月20日

世界を騒がせている虚偽品質保証の会社

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会社による製品の品質虚偽記載事実を表明して、トップによるおわび表明までしている会社がマスコミから叩かれている。
この会社の製品は全世界500社くらいが自社の製品に組み込んでいて、それを知らされて戸惑っているらしい。
それも自動車・航空機・鉄道車両から一般の機械製品まで影響は広範で、もしこれが致命的欠陥があって、くるまが事故を起こしたり飛行機が安全に飛べない等の危惧があるなら、この会社は取り返しのつかない事をしでかした罪でその責任に応えなければならないと思える。

この不正行為が明るみに出た最初のマスコミ報道には、こう言った不正に至る過程には、会社の品質管理規定に「トクサイ」と云う制度があって、それが原因で今回のような事態に至った、と云う細かい指摘もされていた。

一般にモノを作る会社には必ず品質管理保証を司る「品質保証部」という独立部署があって、この品質保証部というのは会社内では製品部や営業部、設計部、生産部などのあらゆる部署から独立して設けてある筈で、製品が保証基準に満たない場合は、この品質保証部長の業務として出荷差し止めとするのがふつうの会社だろう。
この品質保証部長に与えられている権限は、会社内の他の部署が何と言おうと拒否できる権限であります。

通常、この品質保証部の下部組織として「検査課」などがあって、各部品段階から加工寸法や材質や前工程の検査記録のチェックをしていて、不良品を次行程へ送らないよう眼を光らせているだろう。

ところが、モノを加工したり製作するのは「人間のする事」だから、そこにミスは付きものであるし、また加工中に材料の欠陥(イモノの巣)などが見付かる事はよくある事であり、また、加工する作業員のミスによって、加工寸法が許容範囲を逸脱している等は日常茶飯事の事であり、それはその都度、検査員による検査が加わって、「再度補正加工」とか「廃棄」とか、場合によっては、「トクサイ」に廻って関係部署の判断を仰いで処置することになる。

この「トクサイ」という制度について詳述するなら、トクサイと云うのは「特別採用」の略で、何処のメーカー各社にもある制度だろうし、けっして非難されるような制度でもないと思う。

その原因を作った(ミスをした)部署の長は「特採検討願い」を起草して関係各部署へ廻して判断を問い、最後に品質保証部長が各部署の判断を参考にして、その採否を決断する制度であります。ただし、そこで品質データを書き換えたり捏造するなどは論外だし、場合によっては事前に顧客の承認をとる場合もあるだろうと思う。
まあメーカーと言われる会社には極めて常識的な制度と思っていてよい。



  
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2017年10月18日

京都行その2

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先日の土曜日に京都へ行って南禅寺域にある料亭での夕食会に陪席して来た、と書いていたのだが、当日のかかりを私も分担して支払ったわけではないし、今回わたしは、「あくまで陪席」させて頂いて、絶品の京料理を一緒にごちそうになった。

今回写真の向かって左側に主賓のMatt先生がいられて、始まりから終宴までの約2時間ほどの間、緊張の連続だった。 もちろんMatt先生は日本語は全然で、すべて英語による会話となるし、だからと言って何もしゃべらずに、ただ食べるだでは座が白けるからそう云うわけには行かない。そこで飛び交う会話を理解して相槌を打つとか、こちらからもタイミング良く話題を振って、なごやかに食事が進むように気配りもいる。

私としたら乏しい会話力で対応するしかないのだから、こちらから振る話題としたら、「今までMattやご家族と何度か会って食事を一緒にしたりしているから、その時の思い出ばなしを話す」 と、互いに共通の話題となる。

このMatt家とわが家とのお付き合いは1978年だったか、このMattの両親(父親のJimも大学教授)がインドへ赴任する途中に弟のDannyを連れて来日されて、我が家へ3泊して広島とかの観光をされた時から始まっている。

その後、母親のMarieとMatt夫妻とその娘二人(当時4,5才)が姫路へ来て、その時には皆さんを姫路城とかへ案内して、市内のレストラン:福亭で夕食会に招待している。その時Marieはわが家へ2泊し、Matt夫妻は京都のホテルへ返ったのだが。

そして3年ほど前には成人した娘二人をつれて京都へ遊びに来たのだが、その時にも四条河原町近くの料亭で歓迎夕食会を家族ぐるみで披くなど、数えればきりが無いし、それまでには私達も2回渡米(1996・2011)してシアトルの家に立ち寄って泊めてもらったり、観光案内してもらったりしている。

今回、京大の招きで来日したMattだったが、以前と較べると若干お歳を重ねられたか?という感じだが、それは顔のひげが若干白くなっている事から感じる。以前はもっと黒いひげだったように思う。
若い頃の天才少年は、現在は国際地球環境学者として人生を歩んでいられるのだが。



  
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2017年10月17日

水力発電所の優位性はすごい

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先日の土曜日の午後に単身京都へ行って、アメリカから京大の招きで来日していた大學教授のMatt先生を主賓として開かれた夕食会に陪席して来たことは前に書いた。
その節、当初の予定では地下鉄東西線の蹴上駅から北へ行った仁王通りに面した所にある「蹴上発電所」を訪れて、出来れば発電所を見学できるならさせて頂くつもりだった。

ところがその日、土曜日午後も遅く、発電所の門は何処も閉まっていて、所内に入る事は出来なくて残念だった。 ただ、門の脇の塀に外からでも見えるように掲示されていた「蹴上発電所の概要」が分るように配慮されていて、わたしはその掲示板を読み、カメラを向けたのが今回の写真であります。

この水力発電所は琵琶湖の水を京都市内へ引いている疎水を利用して水車を廻して発電するシステムでもあり、掲示板によると最初は明治初年頃の建設で第一期工事の発電機は「米・GE社製」という説明だった。
わたしがこの発電所に興味をもったのは、「その発電機を製作したのは何処か?」 という事と、その出力はどのくらいか? また現在から約150年も昔に造られた発電機器が見られるなら一度見てみたいという気持ちがあった。

その後、この発電所は何回か改装されていて、その都度発電機も大形になっており、この掲示板にあるように第3期の改築では日本の日立製が採用されていて、その出力も7500kVAになっている。最初の1号機はGE製で1800kVAくらいだったか、それから較べると約4倍の出力になっている。

実機が見学出来なかったのはまことに残念でしたが、わたくしがこのような古い発電機に興味を持つのは、「発電機の設計」は私の主たるライフワークであったからで、現在でも明治時代の発電機は犬山の明治村へ行けば見ることが出来るのだが、その後の発達史を知るには出来るだけ多くの製品を見るに越したことは無い。

余談ですが、わたしが若い頃(20才台)に主務設計を手掛けた水力発電所が大屋町の近くに一つある。戦後会社始まって以来初めての水力発電所として関西電力から受注して設計・製作して完工したのが昭和40年代初めの頃で、出力1300kVAの単輪・横軸ペルトン水車で廻る発電機であります。

驚くことに、あれから50年余が過ぎてこの発電所は現在も大した故障もなく廻り続けている事で、竣工当時は管理人が常駐していたのだが現在は無人発電所化されていて、わたくし退職した当時に懐かしくなって訪れた時も水圧鉄管から流れ落ちる轟音と、谷川へ流れ出る水音と発電機の唸り音のほかは何も無い山奥の風景でした。 
今朝の朝刊紙では関西電力の老朽原発2機を廃炉とする方針を決定した、と発表されていた。この原発は現在も停止されているのだが、再起動には巨額の費用が掛かるらしく、それに一応運転寿命とされる40年間を経過しているそうで廃炉にするらしい。さらに廃炉にはまた巨額の費用も掛かるらしく、原発のメリットとされていた発電コストは真偽のほどが怪しい。

それに較べれば再生可能エネルギーとしての水力発電は機器寿命の面や環境問題でも原発は言うに及ばず、太陽光や風力よりも格段に優れていると思う。







  
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2017年10月15日

きのうは午後から京都行きだった

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きのうは午前中の町内歩こう会行事に参加して、校区内にある東公園へ出かけた。9時に集合した11人は三々五々くるまに分乗して3キロほど東にある公園へ出かけてノルディックウォークを楽しんだ。
この広い公園では近くの少年サッカーチームによる練習試合が行われていて、総勢100人くらいの豆イレブンたちの上げる歓声で満ちていて、その広いサッカー場を遠巻きするように一周約500メートルほどの歩行路を歩いた。

町内歩こう会はこの春わたくしが立ち上げてから、約半年を経過して順調に育っており、先月から4名の加入者があって、現在は総勢13名のメンバーが楽しくノルディックウォークに取り組んでいる。
新規入会者がつづくと云うことはこの活動が評価を得て町内に認知されつつあると思っているのだが、まだまだ補助金も少なくて会計は苦しい。

きのうは午後から京都へひとりで出かけた。JR新快速で80分くらいで京都へ着いたのだが、京都駅で市営地下鉄・烏丸線に乗り換えるのに時間が掛かり、更に烏丸御池で東西線に乗り換えて蹴上に着いたのは3時も廻っていた。

きのうの京都行は午後6時からの夕食会に陪席するのが目的だった。その会場となるレストランは蹴上から近い南禅寺の寺域内にある「桜観苑」という店なのだが、そのレストランは「湯どうふ・順正」の前から細い路地を100メートルくらい入ると玄関があるのですぐ分った。仲々の高級料亭でありました。

6時からの夕食会には時間があったので、久し振りにゆっくり歩いて南禅寺をひと廻りした。広い境内のあちこちに寺坊があるのだが、なにせ大勢の参拝者で賑わっていた。わたしも500円払って三門へあがって、むかし石川五右衛門が「絶景かな・絶景かな・・・・・・・・」と言いながら見たという京都盆地を見下ろしたりして時間をつぶした。

一回りして順正の前まで戻ったがまだ時間があったので、順正の売店の前の床几へ掛けて茶を飲み、前の参道を通る観光客を眺めていた。外国人カップル(欧米人)が多いのだが、そこには中国人はあまり見掛けなかった。最近の中国人たちは京都観光からもっと田舎の方へシフトしているのだろうと思える。

昨夜の夕食会の主賓は「旧知の米人・Matt先生」で、この人はアメリカで大学教授をしている環境学者なのだが、昨年は国際環境会議が東京であって来日したのだが、今年は京大からの招きでこの二週間ほど京都に滞在している。わたくしはこの人とは家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いていて、きのうもお互いの家族の近況などを話題にして和やかな夕食会だった。

宴も果ててMatt先生をホテルに送って、わたくしは京都駅へ出て帰った。帰宅したら日付が替る前で、きのうは長い一日が終わった。夜9時を過ぎても京都駅は大勢の人でごった返しており、新幹線も満席だった。

 (写真は町内秋祭りの神輿巡行)







  
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2017年10月13日

「対北朝鮮石油禁輸」の制裁が意味するもの

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ひと頃には明日にも第三次世界大戦が勃発するかのか?と一部の人には心配されていた米朝関係だが、国連決議で、「北にたいする石油供給を止める」というカードを突き付けたのが効いたか? その後やや静観しているかに見える。

最近図書館で借りて読んでいる本に、戦前の聯合艦隊司令長官だった「山本五十六」 を書いた半藤一利の著書があるのだが、この太平洋戦争に突入するキッカケとなった真珠湾奇襲作戦に名を残しているこの人の、一般に知られざる部分を知ると、最近の北朝鮮が如何に間違った指導者の元でまちがった道を進んでいるのかがよく分る。

元々、親米英の海軍で「対米英不戦を唱えつづけた山本五十六」 がなぜ真珠湾奇襲作戦の立案におよんで、聯合艦隊司令長官としてその作戦を指揮したか? そしてその作戦は完全に成功したのは皆さんご存知の通りでありますが、事そこに至るまでの対米交渉に大きく影響したのは、日独伊軍事同盟などの国際関係や、日本国内多くの軍人・政治家・が関与しているのであります。

あの太平洋戦争突入のキッカケとなったのは対米交渉で示された最期カードであった、「対日石油禁輸」 であって、今日の北朝鮮に出されているカードと同じでありました。
これは現在の対北朝鮮とアメリカとの関係は見方を変えれば、「戦前のあの時と同じような局面にある」わけで、けっして油断のならない局面に来ていると思える。

開戦まえに、もし日米戦ったら? を訊かれた「山本五十六は」次のような言葉を吐いているのは有名で、それは、「初めの半年や一年は随分活躍してみせるが、それが二年、三年となるととても勝ち目は無い」 と、山本が予見していた通りに進行したのも皆さまご存知の通りであります。

現在の北朝鮮がどの程度の国力と戦力を保持していて対米交渉におよんでいるのかは私も不詳だが、もし米朝戦わば、その結末は誰が考えても「北は蟷螂の斧」でしかないだろうし、戦前の日本軍が真珠湾奇襲のあとどのような結末に終わったか、くらいの事はいくらバカ殿とは云え、北の将軍さまも承知しているだろう。

  
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2017年10月11日

わが町の秋まつりをやって

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今年も恒例の秋まつりが終わった。自治会が出来て50年とは云え、まだまだ新興住宅地の域を脱してないわが町だから、写真のような子供神輿を曳いて町内の路地をくまなく廻って行く。

神輿には町内子供会の子が2人ずつ乗って、囃し声と共に太鼓を打つから本格的といえば本格的な雰囲気をもった神輿であり、更に処々拍子木の早打ちと共に差し上げて太鼓の乱れ打ちが見られるから楽しい。

今年は一日目の宵宮は午前中小雨が降っていたが、午後1時過ぎにはそれもあがって太陽が顔を出して、一気に雰囲気は盛り上がり、となり町にある神社へ出かけた。交通量の激しい県道を500メートルほど通るから所轄の警察署への届けをしてあるから駐在所のおまわりも出て警備もしてくれて、また自治会からも手旗をもって交通整理をする係りが出ている。

30年くらい前までの頃には100人を超える子供で盛り上がっていたこの祭りも、児童数の減少と共に次第に規模の縮小を余儀なくされて縮小均衡を繰り返していたのたが、今年の自治会三役会のこの件に関する決定は「出来るかぎりの復活をしてやろう」と決まって、皆さんの協力を得て今年は格別の盛り上がりを見ることが出来た。

二日目の本宮は朝9時からの練り出しで町内の路地を隈なく廻り、各家庭のお年寄りは門前に出てお喜びのご挨拶と共に多額の御花を頂くことが出来た。
午後からは神社へ行く途中で隣町の公民館へ寄ってお接待の茶菓を頂く等、となり町役員さんとの交流もあって盛り上がった。

神社では正装の神主さんが迎えてくれて、代表三役の玉ぐし奉奠とか、神主さんの祝詞も頂いて、更に隣町の神輿との練り合わせまでして退出した。

日暮の5時頃までかかって神輿の蔵入れとかテントの撤収などの片づけを終えて、各位一度帰宅して汗を流してさっぱりと着替えて、ふたたび公民館へ集まった。
この祭りに奉仕して下さった約60名の方々と子ども達約20人(児童たちは別室)での慰労懇親会は盛り上がって、最終は12時前まで続いたそうでした。







  
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2017年10月09日

「ちょっと旅に・・・・」の始末

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「ちょっと旅に・・・・・」 とか言って気楽にでかけてからもう10日目にもなる。確かに旅には出たのだが、行先は北陸・富山で、わずか数時間の列車に乗ったに過ぎない。
それも新幹線・在来特急のサンダーバードで金沢へ・更に北陸新幹線はわずか30分たらずで富山へ着いた。

出発した10/1日の午前中は町内の秋まつりの準備で「神輿の蔵出し」に付き合っていたから、スーツケースを曳いて家を出たのは正午を廻っていた。
それでも日暮れ頃には富山駅から歩いて2分ほどのところにある「カナルパークホテル」に着いた。このホテルは駅北口にある14回建ての、結婚式場も併設している全150室ほどのシティーホテルだ。

今回の旅はこのホテルに三連泊の予定で、そこから歩いて10分ほどの近くにある富山赤十字病院に入院中の孫を見舞ったのだった。
この孫は今春大学を出て会社へ入って働いているのだが、この夏から社命で中国・大連へ出張していて体調を崩して帰国していたのだが。

帰国して一週間ほどは町医者に掛かって診断を受けていたが一向に体調が回復しないので、紹介状をもらって日赤で精密検査を受けた結果、即入院となっていた。
結局わたし達はこの孫の退院まで見届けて返ったのだが、毎日病院へ顔を出すのは午前中で、午後からはヒマで時間を持て余してしまった、

日暮の頃には街へ繰り出して「富山湾の魚介」と地酒に舌鼓をうつのだが、なにしろ富山のまちは新幹線開通以来の観光ブームはまだ続いているようだ。鮨屋も居酒屋も決して安くはない、一見の観光客を目当てにメニューは出来ていた。その一例としては、地元蔵元の燗酒一合が1000円を超えるのを知ってオチオチ酔ってなんかいられなかった。
それでも富山湾の魚介は流石で、「しらうお」や「のどぐろ」の鮨など、珍しさもあってよかった。

日赤病院から歩いて10分ほどのところに「富山県立美術館」がある。全面ガラス張りの3階建てなのだが、折からの企画展を開催していて、入場券@1300円を買って入った。
ルノアールやピカソなどの泰西名画もあったし、平山郁夫とか岸田劉生などの名画もあったが、その名画は今回の企画のために寄せ集めている作品が多く、ここでも「立派な入れ物は作ったが所蔵品はまだこれから」と云う、多くの日本美術館が抱える悲しい物語がみられる。

帰路は「高山本線・特急ひだ」で名古屋を経由したのだが、この列車でも指定席ほとんどの客は中国人で、そのうわさに聞くインバウンド客の物凄さを知った。富山から乗ったその中国人旅行者の殆どは、途中の飛騨高山とか下呂で降りたようだった。今どきの中国人旅行者は2〜3人連れの個人旅行であり、田舎の鄙びた温泉などへ足が向いているようだった。

今回の休載原因であった「旅」からは4日深夜には帰宅していたのだが、それから今朝までの5日間は町内秋祭りの準備に忙しく、一昨日・昨日の宵宮・本宮があってやっと今朝からは普段の生活になった次第であります。





  
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2017年10月01日

しばらく旅に出ます

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わたくしこと、しばらく旅に出ますので記事の更新を休みます。また復帰しましたらよろしくお願い申し上げます。  
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2017年09月29日

小池百合子都知事の非常識ぶり

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もう一度だけ都知事の小池百合子について書くことにする。今朝の朝刊紙の一面にはこの写真のように大写しの小池が安倍さんの横に並んで載っている。
比較的保守系の記事に徹する日経新聞でさえも、今回の解散総選挙で急遽「民進党」との野合した小池・希望の党を「自民党・安倍さんの対抗馬」として競わせたいのか? 一般のマスコミが風を吹かそうとして選挙の毎によくやっている構図がここでも見られる。

小池にしてみれば今回の選挙もやるからには政権選択選挙と位置付けてやりたいのだから、各マスコミのやるこの配慮は小池にとっては嬉しかろうが、此処でいくら小池の写真写りがよくても、ただそれだけの事で、本質的に写真写りのよい女と云うのはその中身は薄っぺらであり、それは前民進党主であった「蓮舫など」とか「社民党にいる福島瑞穂とか」でも確証済みであります。

ただ問題は、「選挙権者である国民のみなさま」がこの認識を持ち続けていられるか? と云うことであります。
かって、09年の選挙では、それまでの55年体制から決別して、またその時にマスコミの吹かした風に乗せられて民主党を選択してしまって、日本国民は大迷惑させられた経験を思い出さなければなりません。

またそれは昨今の小池がテレビ等で話している政策論の内容にもある、例えば、「景気回復の実感が乏しいから消費増税はするべきでない」 と云うような、「バカとしか言いようのない事」を口にする女なのであります。

現在の日本景気を判断する指標の一つに、「失業率」というのがあるのだが、直近の数値は持ち合わせてないが、現在はほぼ、「完全雇用が達成されている」 状態であり、こんな非常識な小池百合子という女は、「あんたは何処の国の人や? あの対馬の先に生まれ故郷があるのか?」とでも言ってやりたいものだ。

一般的に野党議員やその経験者たちと付き合うと、非常に非常識なことをもっともらしい自説として口にされるから驚くのであります。
わが町で現在自治会長をされている人は元県会議員を四期も務めていた、西高ー有名国立大学出の民進党所属なのだが、最近この方と会話していると、「あんたそれでよく議員が務まったなぁ?」 と思わされることが多々あるのであります。それでいて俺はこの近郷では一番の大物だとの、そのプライドだけは大変なものであります。

「希望の党」もただ余り者のクズを集めるだけでなく、もっとマシな人材にマシな教育をしてやらなければ、「失望の党」として正体曝露するだけに終わるのだろうね。






  
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2017年09月26日

「希望」と云う言葉は好きだけど「希望の党」は支持しない

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きのうは秋晴れ・吹かずで絶好のゴルフ日和のなか、加西市にある播州東洋GCまで出かけてゴルフコンペに出ていた。わたくしの成績は大たたきもあってもひとつ纏まらなかったが、連勝複式のウマも同枠の人の頑張りがあって的中して機嫌よく帰宅した。

横になって見ていた家内の見ているテレビに眼をやると、安倍さんが衆議院解散総選挙に打ってでるニュースをやっていた。
それに呼応するかのように東京都知事の小池百合子は都知事のまま国政新党を立ち上げて、その代表となる会見をしたニュースもあった。その様子が今回の写真で、新党の名はなんと、「希望の党」とするようだ。

小池が都知事選に圧勝してからほぼ一年が過ぎるのだが、東京はこの一年、小池が知事になって以来、「褒められるような良い事が何かあったか?」 築地市場にしても豊洲新市場にしても、また2020オリンピック計画にしても「ただ混乱させた上に何の成果も無い」 「修復困難なぶち壊しただけ」でこの一年が過ぎたではないか。

その小池が、今度は国政新党を立ち上げて、その党首になって二足のわらじを履くのだそうだ。元々、都知事だけさえも満足な仕事が出来ない者に二兎が追える筈もなく、「希望の党」などとは、ただ国民を欺くだけに終わるのは予測に難くないだろう。

今回の写真を見ても、マスコミが精一杯気をつかって印象良く撮ってもこの程度のイメージで、元々写真写りの良さ以外には何の能力も取り柄もなく、ただイメージ選挙で都知事に就いただけの女に、これ以上国民を愚弄して欲しくはない。

新党の党名としている希望の党の「希望」と云う単語の出典については、このブログの読者諸氏にはご存知でありましょうが、敢えてそれに少し触れさせて頂く。

ギリシャ文明発祥の地の神話に出てくる「神・ゼウス」が天界から一人の女性を地上に降臨させたのだが、その名を「パンドラ」と云い、このパンドラはゼウスから「けっして開けてはいけません」と言って与えられた「箱」を開けてしまったのでした。

「箱」の中から飛びだしたものは、世の中にあっては「悪い事柄ばかり」。それも「犯罪」「病気」「不正」「貧乏」「ほか」、世の中には無い方がいいものばかりで、これは後世「バンドラの箱を開けたような」と形容されていて、あまりに酷いものばかりが目に付く表現の形容句として使われている。
ただ、最後にこの「箱」から出て来たカードが唯一、「希望」というカードで、人類はこの「希望」を頼りにして生きているとされているのであります。

今回の小池新党の名の由来も多分ここら辺から採っているのだろうが、元を糺せば「小池百合子がバンドラと云う女性のような女」ではないのか? 謂わば「小池はマッチポンプ」をやっているのに過ぎず、とても東京都民や、新党の目指す日本国民を導くような政治家ではないだろう。 
わたくしは「希望」という言葉は好きだけど、そのイメージを悪用しようとする「希望の党と言う名の政党」は支持しない。
まあいずれ国民はこの新党に失望して、「希望の党」は「失望の党」となり、そこに寄り集まったクズ議員共は霧散して終わるのだろう。


 

  
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2017年09月23日

午後の時間がゆっくりと過ぎるスローライフ

御机わらぶき大山

気持ちのよい秋の晴天がつづいている中、この木曜日・21日も公民館囲碁教室を終えて帰宅した。この夏の暑さから大抵の夏の午後は昼を食べてからは2時間くらいは昼寝をしていたのだが、この日は天候にも誘われて久し振りにバスで市街へ出た。

通常のバス料金はわたくしの住む町からだと片道@410円なのだが、後期高齢者になってからは@50円で行けるカードが支給されている。
この日街へ行くからにはイーグレ地下展示場で行われている写真展とか美術展へも寄って来る事にしているのと、駅前のABC−MARTでスニーカーを一足買うことにしてバスに乗った。

バスを大手前通りで降りて、ヤマトヤシキの脇からみゆき通りを歩いてイーグレへ入った。事前に調べもしないで行ったのだが、ラッキーにもこの週は4つの展示室で絵画とか写真展をしていた。「Art Way 絵画教室展」「内海敏夫遺作展」「兵庫国画会グループによる第16回国展」さらに「第9回コールデン写真クラブ展」と、4つの展示はどれもレベルの高い作品展だった。

適当に混んでいる会場だったが、更にラッキーなことに「ゴールデン写真クラブ」の受付で記帳したら喫茶店のコーヒー割引券が出て、城前にある家老屋敷の喫茶で@430円のコーヒーが@250円で飲めると云う。
イーグレから家老屋敷までは歩いて5分くらいだから、渇いたのどを潤すには格好の有難いサービスだった。

家老屋敷を出て駅東側に新しく出来た商業ビルにある「ABC−MART」を目指して大手前通り沿いに歩いた。城観光から駅へ向かう大勢の観光客に混じって歩くのも、地元の人間としては妙な気分だが、歩いてみると、最近の大手前通りは歩道が広くなって随分と歩き易くなっていた。

かってはみゆき通り商店街には沢山あった履物やの店も殆ど廃業する等して少なくなり、今では靴一足買うにも全国チェーンの大手で買うようになった。
これまで履いていたスニーカーは「ABC−MART」・広畑店で買ったのだが、@4000円ほどの安物だったせいか?、一年ほどで底が傷んで足にマメが出来るようになって、今回買い替えることにしたのだ。

店頭には沢山のスニーカーを展示してあり、値段も安い物からスニーカーとは云え1万円を超える物まで、各メーカーのブランドが揃っていた。値段・デザイン・形・色・重さ・履いた感じを検討して選んだ結果、出来るだけ軽い感じで歩ける高級品に決めた。一足1万円を超えた買い物だったが、買い物に対する満足感のあるショッピングだった。
4時も廻った時刻のバスは混んでいて、わが町まで45分も掛かったが、バスに乗ってのんびりと市街へ出て買い物をして帰るのも久し振りで、午後の時間がゆっくりと過ぎて行くのを感じたことでした。

  
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2017年09月17日

「国が壊れるということは・・・・・」今朝の日刊紙より

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わたくしが読んでいる日刊紙は日本経済新聞なのだが、この新聞は前日が休日になる、「日・月曜日の紙面」はニュースが無いらしくて、つまらない記事が多くて読むものがない。

これが毎週繰り返されて、普段のウィークデーの紙面なら1時間は充分掛けて読むのだが、今朝は30分も掛からずに最終ページの「文化面の32ページ」までめくった。
普段はこのページの常設コラムである「私の履歴書」と「交遊録」を読んで終わるのだが、今朝はそのページの「文化」をテーマとした投書記事に「作家・池澤夏樹のエッセーが八段に亘って載っている。

作家・池澤夏樹の文を読むのは初めてだが、その内容はプロの作家にしか書けない、内容の深いものだった。
この夏池澤氏はイギリスへ仕事で2度行かれたそうで、その時、ロンドン・ヒースロー空港まで送迎に来てくれたタクシー運転手と交わした会話が今回のエッセーのテーマで、読んで面白い。

この運転手はスーダンを母国とする人で、池澤氏は「スーダンへ1978年に行ったことがある」と言ったことから会話が弾んで、運転手は「1978年はあの国が一番良かった頃だ」から始まって、スーダン国のその後の浸惨を滔々と語ったそうだ。

詳細ご興味のある方は是非今朝の日経紙を一読して欲しいと思うのですが、そのエッセーの最後の方にある以下の文は言い得て妙である。

「国が壊れると云う事は、これを会社に置き換えれば思い当たる例は世間にいくらでもある」として、更に、「大資本で、歴史もあって、評判もいい名門企業が首脳部の愚策のために崩壊する。社員たちは路頭に迷う。この運転手の語るスーダンと同じことだ。これは多分池澤氏は(株)東芝の現状を想定していると思える。

わたくしは今朝のこの文を読んで、先日、喫茶店で元勤務した会社後輩のK君と久し振りに会って交わした会話を思い出した。
それはこの運転手の言った「1978年頃あの国が一番良かった頃だ」と全く同じフレーズがK君との会話にあった事だ。
私「70年代の後半は会社が一番良かった頃だった」。K君「何故?」。 私「生え抜きの名社長・重役の元で全社員一致団結して働けていて、会社の業績も良かった」こと等、滔々と私はしゃべったと思う。

其の後、1985年の円高・造船不況等による経営不振からくるリストラ後の親会社からの天下りによる支配を余儀なくされて、辛酸をなめた話しだった。
それは運転手が池澤氏に語ったスーダンという国の実情を理解するには極めて解り易くする話しだろうとわたしは思う。


  
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2017年09月16日

「首脳」とか「〇〇氏」とかの敬称はまちがっている

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今回の写真のこの人も「首脳」といってもよいのか? その相手とされる米・トランプ大統領はそれでも選挙で選ばれた国民の代表なのだから違和感は何もないのだが。
今朝の日刊紙によれば第一面の左半分のコラムの見出しに大きな活字で「米朝、譲らぬ両首脳」とあって、両者の写真を載せている。

ためしに広辞苑をひらいてこの「首脳」というところを探すと、「集団や組織の中心、またはその中心に立つ人」を意味するのだそうだ。

その意味ではこの北の将軍様もその内の一人なのだろうが、わたくし思うところ、「それはどこか違うと思う」。元々この文字から受けるイメージとはどこか合わないのだ。
ふつう、通常の場合、「集団や組織の中心に立つ人」と云うのは、「能力に優れているのは必須だし」、その上「人としての人格にも優れている事」が求められるのではないだろうか?

なのにこの北の国の将軍様のやっている事といったら滅茶苦茶ではないか。
隣国の迷惑も省みず核実験は繰り返すし、他国の領国越しにミサイルを繰り返し発射するは、その一方で自分の言い分を認めるよう脅迫を繰り返し、場合によっては太平洋の向こうにある大国へ核爆弾を打ち込む事まで脅迫のカードとしてチラつかせているのだ。

わたくしの知るこれまでの世界史上、この手の者がこのヤリ方で自分の主張を貫徹して遂げて大成した例は無い。
世界中の穏便な地球市民は現在この男の増長ぶりに呆れて静観をつづけているのだが、やがてその堪忍も緒が切れて、「断」を下すときが来るのだろう。

願わくは、賢明な朝刊コラムニストなら以後この男のことを、「首脳」などと呼ばずに、あえて敬称を付けるなら「首領」とでもしてやって欲しい。
「首領」とでも表現すれば、それでも意味合いは「首脳」と変わらないのだろうが、その集団や組織は悪事に手を染めている団体の意味合いが強くなるから、この男のやっている事と合致して相応しいと思う。


  
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2017年09月12日

ギリシャの「知将・テミストクレス」のこと

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古代ギリシャの「武将・テミストクレス」が居たのはいつ頃の事だったか? 昨夜寝ていてふとその事があたまに浮かんで仲々寝付かれなかった。

その「テミストクレス」は古代ギリシャを、対ペルシャ軍との戦いに悉く勝利に導いた常勝将軍として今でも名をのこしているのだが、皆さんの記憶していられる代表的故事としては、「マラトンの戦い」で奇跡的勝利を納めた時、伝令を40キロ余の道を走らせてその勝利を本国に伝えたという故事によって、近代オリンピックにマラソンと云う競技が生まれた。 そのペルシャ戦役でギリシャ軍を勝利に導いたのが「テミストクレス将軍」と云うことだった。

一年ほど前に読んだ、「塩野七生著:ギリシャ人の物語」にその辺りは詳しく書かれているのだが、「マラトンの戦い」があったのはBC・いつ頃だったか? わたくし忘れてしまっているのに気付いている。

昨夜寝ていて、どうしてこの「テミストクレス」があたまに浮かんだのか? それがどうしても思い出せないのだが、最近の日本スポーツ界の活躍からの連想で、「常勝日本=名コーチの存在=テミストクレス?」と繋がったのかも知れない。

「テミストクレス」当時のギリシャ軍は「ポリス」という都市国家による連合軍だったので、軍備、兵力共まだまだ弱小軍団にすぎなく、一方強大な軍備、兵力を誇るペルシャ軍に対しては殆ど勝ち目はなかったのだが、そこへ現れたのが「知将・テミストクレス」と云う、判官贔屓の好きな日本人の感覚を刺激する物語なのであります。

さて、今日の現実的問題として鬱陶しいのは北の核とミサイル問題なのだが、強大な軍備を持つ米・トランプ大統領と国連の場で北制裁を協議する連合国はこの弱小国・北に対して有効な一手を打てるのだろうか?

言っておくが、あの北の将軍様を「テミストクレス」などと混同してはいけない。あれは「タダのお騒わがせ・デブ」に過ぎない、「いずれ消えて行く独裁者」であります。
今から約2500年も前に「民主政」が敷かれていた古代ギリシャの「テミストクレスとは似ても似つかないバカな三代目」と云うことだろう。



  
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2017年09月10日

歩こう会通信No.7

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この春、自治会の体育として立ち上げた「歩こう会」で先日行った、「桜山公園を歩く」という催しのひとコマを写した写真が届いた。
このシーンはメンバーによる準備体操をしているところだが、この日は比較的涼やかな日和で快適だった。

桜山公園と云う市営のパプリック公園は周囲を山に囲まれた、それでいて広い芝生広場の周囲に、巾5メートルくらいの歩行路にはアンツーカーが敷かれて、ノルディックウォークするには非常によく出来ている。この歩行路を一周すると約750メートルくらい歩くことになり、中にはそこを走っている若者もいてる。
当日はその芝生広場のコート2面でグランドゴルフをしているグループもあって、みなさん仲々楽しそうにやっていられた。

我々のグループはそこで思い思いにご自分の体力に合っただけのウォークを楽しんで、芝の中に建っているあずまやで休憩しながら時間を過ごした。
最後に全員でぐるっと廻って出発点にもどり、そこでストレッチをして桜山公園をあとにした。

帰路の途中にある喫茶店へ立ち寄って「茶」をする余裕もあって、一層のコミュニケーション向上を図れた。
例えば、その日参加メンバーさんの出身地とか幼少の頃の思い出話を語ってもらうとか、またそれに対する会話も拡がって、愉しい時間だった。
町内へ帰還したら昼の12時で、先週土曜日の午前中を歩こう会で過ごしたことでした。





  
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2017年09月08日

あなたの楽しみは何ですか?

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しばらく旅行に行ってない。贔屓にしている旅行社からは毎月のように分厚いカタログを送ってくるのだが、今となっては仲々、「行ってみようか」と云うプランが見付からない。この旅行社のパックで行った直近の旅行からでも、もう3年近くにはなる。それが今回の写真である、「鹿児島・桜島」をバックにして撮った一枚であります。

それでも今年7月号にあったプランに、「おわら風の盆・2泊3日」というのがあって、「越中八尾の風の盆は写真ではよく見るが、実際に行って見たことはないし行こうか」と家内の賛同もえて予約申し込みもしていたのだ。

それに、この「風の盆」というテーマを八尾の町を舞台にしたテレビドラマを、昔「東芝日曜劇場」だったと思うが、見た事が頭に残っていて、そのドラマは「女優・梶芽衣子」の好演もあって、わたくしの風の盆に対する期待は膨らんでいた。

その上、今年の春に大学を出て社会人となった上の孫が、こともあろうか?この富山県のそれも八尾町で勤務しているとの情報もあって、「孫と一緒に風の盆を見るのもよかろう」と楽しみにして9月2,3日の来るのを待っていた状態だった。

8月中旬になってから旅行代金を振り込む直前になって、この八尾にいる筈の孫に連絡すると、「今、中国の大連に来ている」との事で、「いつまでそこに居るのや?」と訊くと、「会社の事情で分からないけど多分10月までだと思う」と言われた。

9月2,3日の風の盆を見に行く旅行の話もしたのだが、「それはまた来年もあるから」と云う話になって、八尾町へ行っても孫の顔も見られないのなら、今年は止めとくかと云う事になってしまった。

きのうは木曜日で、公民館囲碁教室があった。休学中の一人を除いて14名で繰り広げている対局表も9月の最終月に入って消化は順調なのだが、今回は突出した成績の人は居なくて混戦模様であります。
わたくし、昨日は対局回数の少ない順に、先ず新川さんと6子局を打った。いくら段級差が6つあると言っても6子のハンデは重く苦戦だった。
終盤のヨセに入ってかなり寄り付いた感じだったが、それでも相手に1目のこっていて、相手の快勝だった。

二戦目に西川(1級)さんと打った。4子局でいつも苦戦していて、前回は中押し負けを喫した記憶がある。
中盤から終盤にかけての劣勢は如何ともし難く、今回も負けを覚悟して仕掛けた「生死の掛かった劫争い」の末、相手が劫材の大小を読み違えてくれただけ儲かって逆転勝ちに持ち込めた。
誠に厳しい対局だったが、その分だけ愉しめた囲碁対局だった。






  
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2017年09月05日

空には鰯雲、初秋の風景であります

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9月に入った、今年はもう残暑というような気候ではなく、静かに秋が始まっている。きのうはゴルフの会があって姫路市でももう加西市に近い白鷺GCまで行って、一日ゴルフをしていたのだが、「熱い」と感じる気候ではなかった。今年はもう、「秋ゴルフ」のシーズンに入ったと言ってもよい快適なゴルフ日和だった。

夏・土用の頃に今年は11枚の暑中ハガキを書いて友人たちに送っていたのだが、その内8枚の返信があった。
暑中ハガキと云うのは年賀ハガキのように定例の決まりもんくの文面は書かないから、大抵は手書きで、日頃のちょっとした生活感を交えた文面を書いて返信くださるから、読んでいて親近感も多く愉しい交信が出来るように思える。

本来なら年賀ハガキだってこの書中ハガキのような内容の文でやりとりするべきなのだろうが、年賀の場合は虚礼廃止と言われて久しいが、まだまだ虚礼の部分も多くあるのだろうと思う。

もっとも、今年暑中ハガキを送ってたのは年賀ハガキの約1/5ほどに過ぎないたった11枚だけなのだから、その相手は年賀の場合とちがって、厳選しているから誰にでも送っているわけではない。滅多にお会いしない遠くへ住んでいる人が多いのだが、皆さん現在でもそれなりにはご活躍していられる人なのだ。

先日の土曜日、町内で今年立ち上げた、「歩こう会」の皆さんで当日都合の付く方7人でくるまに分乗して市内西部にある、「桜山公園」へ出かけた。
皆さんノルディックウォークをなさる方で、桜山公園の外周歩行路(一周750m)を廻ったのだが、初めて行ったにしては好評だったと思う。

桜山公園ではその日も多くの来園者がいて、歩行路を歩く人・走る人、また中の芝生広場でグランドゴルフをしている人や、小さい子連れの若い家族連れなどが思い思いに歩いていられた。

約1時間ほど歩いたりあずまやで休憩したりして帰路に付いたのだが、その日帰り道にある喫茶店へも皆さんで立ち寄って一層親交を深める会話に花を咲かせて過ごした。
ちなみに桜山公園はこの町から約10分余で行ける距離にある市営のパブリック広場であります。



  
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2017年09月02日

民進党代表選の結末に思う

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どうやらコップの中の嵐と云うか、いや、コップよりももっと小さい入れ物で争っていた首領選挙が終わったようだ。
今回写真は今朝の朝刊紙にあったモノから拝借したのだが、言わずと知れた民進党とかの、一応は国政の野党第1党の言われる、「賞味期限は確実に過ぎている面々によるセレモニー」が今回あったらしい。

その左から、「前代表だった蓮舫」、「今回選ばれた新代表の前原誠司」、そして「今回選挙に負けて新代表にはなれなかった枝野」であります。その各氏の浮かべている表情は何やらにこやかに手など振っているが、それは一体誰に向かってパフォーマンスしているのだろうか?

推測する処、多分家で帰りをまっている家族に向かってやっているとしか思えない。「枝野」なんかは今回選挙に負けたのだから、「その悔しさを表に出して悔し泣き」でもしている顔が相応しいのだが、所詮今回の選挙は遊び半分の、「真剣味の乏しい、しょっぱい争いに過ぎなかったのだろう」と思える。

最近の各政党で行われる各種選挙を見ていると、例えば党代表を決める選挙で敗けた者をその後の人事で処遇して一定の要職に就ける風習が見られるのは、誠に困った風習だろうと思うようになった。
これはラグビー等の試合で言われる「ノーサイドの精神」と云うのだそうだが、戦い終えて相手を称える、と云う事だろうが、これはラグビーなどスポーツの場合はやぶさかでは無いが、こと政治とか議員社会でこれを言うのはどうかと思う。

選挙でも対立する相手と一つのポストを賭けて争うと云う以上は、もっと全精力を賭けて真剣に戦って、その結果負ければその場からは去る(引退する)くらいの覚悟をもってやってもらわないと見応えも無いし、国民の関心を呼ばない。
負けてもへらへら笑っていて、新体制でまた何かのポストを与えられてそれまでと同じ録を食んでいるようでは
民進党には今回も進歩も革新も何も期待出来ないだろう。




  
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2017年08月30日

英・グラスゴー世界選手権優勝の奥原希望を称える

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先ごろ、英・グラスゴーで行われていたバドミントン世界選手権大会で日本女子シングルスの第一人者・奥原希望(日本ユニシス)がプサルラ(インド)に2−1のフルセットの末競り勝って優勝した。
この試合の相手プサルラは昨年のリオ五輪の銀メダリストなのだが、リオでは奥原は準決勝戦で0−2で敗れていたのだが、今回の大会ではその敗戦を糧として作戦を考えて臨み、フルセットの末にそのリベンジに成功して今回の金メダルに結び付けた。

179センチと長身のプサルラを相手に159センチと小柄な奥原は徹底的に相手を動かして、相手体力の消耗させる作戦で臨み、「相手の足が止まる」のを待った。
この「足が止まる」という表現はバドミントン、それもシングルスゲーム独特の感覚であり、「相手の足が止まる」と云う状態は接戦の末に競り勝った、そのゲームの勝者にしか言えない独特の感覚であります。

今回奥原のゲームは試合時間が1時間50分と、気の遠くなるほどのロングラリーが続いたゲームだったそうだが、バドミントンのシングルスゲームではよくあるケースなのであります。
その長時間戦いつづける体力を涵養するには普段のトレーニングの基本にランニングが欠かせない訳であり、長時間フットワークに狂いが生じない脚力と共に、スタミナを維持する強力な心肺機能があって、更にその上に、競技(バドミントン)の技術面と相手に対する作戦能力が無ければ勝てない競技であります。

今回の奥原希望優勝で新聞に載った奥原談話を要約すると以上のような話になるのだが、近年のオリンピックや世界戦での日本選手活躍の陰には、日本バドミントン協会がここ20年くらい進めて来た「ジュニアの強化策」による処が大きいと思う。

今回の世界選手権大会でも日本選手で上位の実績を残した選手は多いのだが、その中には今回の奥原希望につづく多くの若い選手層は充実しており、今後も非常に楽しみは多い。















  
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2017年08月27日

紙に書いた記録は半永久的にのこる

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今年の懸案事項のひとつであった十三回忌法要を昨日済ませた。わが家の子・孫と縁戚関係者12人に参列して頂いてわが家を会場にして行ったもので、故郷のお寺さまに来て頂いて、約1時間の読経のあと墓参、そして新舞子の料亭での供養膳を和やかに頂いて絞めとした。

特にこの日の為に帰省した孫2人は今朝、それぞれの任地へ返って行ったのだが、その一人は今年春に大学を出て新社会人として現在は中国・大連で仕事をしているのだが、今回は休暇をとって帰国していた。
この子はまた明日のフライトで大連へ返るそうで、先ほど駅まで送って行った。

今回の法会に合わせて帰国して顔を見るまで、何処でどんな仕事をしているのかだれも知らなかったのだが、社命で大連へ渡ってから3ヶ月にしかならないのだが、その間の苦労はともかく、長足の進歩には驚いた。
「鉄は熱い内に打て」と云う諺もあるが、なにより「若さに優るモノは無い」とも言える対応ぶりで、昨日の供養膳の席でも皆さんの注目を集めていた。

今回の法会の祭壇の奥床へ架けた「お曼荼羅」を一目見たお上人は振り返って「このお曼荼羅は?」と言葉みじかに言われた。
これは宗派独特の形式に従って書いてある菩薩のお名一覧の軸なのだが、今回の軸には「正保二年」の年号が入っている、とても古いモノだった。
この「正保二年」について調べてみると、現在から370年ほど昔の、江戸時代初期・徳川家光将軍の頃らしいのが分って驚いた。

お上人は読経に入るまえにこの軸について少し時間をとって話されて「記録と云うのは紙に書いて残すと、この軸のように半永久にのこり、現在進歩したと言われる電磁による記憶媒体だと、それは永久には残る補償が無い」という話をされた。

一時は時代の主流として普及するかに見えた電子図書も、その後普及が進んだと聴かないのは、あるいは同じ事が言えるのかも知れない。
わたしも読書は「紙の本によるをモットーとして」、今まで電子図書を手にして読んだ事は無いし、今後もそうありたいと思う。


  
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