2017年08月20日

古代史がみせる女性天皇誕生の謎

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最近図書館で借りてきて読みすすめている本に、日本の歴代女帝(女性天皇)について書いている2冊がある。邪馬台国時代の女王とされる卑弥呼、豊与の二人を別にすれば、6世紀〜7世紀頃に出現した女帝は10代・8人であり、それ以後には江戸時代まで皆無なのだそうであります。

それが、小泉純一郎内閣の頃には女性天皇の是非をめぐって各論が真剣に交わされていたのだが、現在ではその議論は沈静化しているのだが、現皇室の将来像をめぐって、現在も「女性宮家」創設をめぐっての議論は続いている。

6世紀末の聖徳太子が摂政を務めた「推古天皇」が女性天皇の始まりなのだが、その頃の女性天皇が次々と即位した、その裏にある状況と、小泉内閣の頃に真剣に検討された女性天皇を巡る状況とは大きく変わっていたようで、今日では実に笑うに笑えない事情が当時はあって、8人もの女帝が出現していたように思える。

当時はけっして即位に相応しい男性皇族が存在してなかった訳でもなく、むしろ、男性皇族による皇位継承争いを回避する為に、リリーフ役として女性天皇の出現があったようであります。
その詳細にご興味のある方は「女帝誕生の謎:関裕二著」を参照ください。  
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2017年08月15日

日本の中流階級に無くて欧米にはあるものとは

post,Abe

しばらく間があいてしまった。今日は8月15日の終戦記念日であり、先の大戦終結から72年が過ぎた。終戦の年に3才だった私は75才となっており、幼時に受けて記憶の始まりになっている空爆から、ほぼ戦後日本の歩いてきた道を余さず見てきている自分としても、常に何かを発信して行く役目のようなものを背負って生きているような気がしている。

毎朝読んでいる日本経済新聞の最終ページに毎日載る「私の履歴書」というコラムがある。このコラムを書くひとは一人一ケ月間の割で毎日連続でご自分の生い立ちから現在までの履歴を詳細に書いていて、大体は世間で功成り名を遂げた有名人が書いている。

このコラム「私の履歴書」を今月・8月は自民党代議士で現・副総理の役に就いている「高村正彦氏」が担当していられる。今回の写真だと安倍総理の左隣りに立っているのが高村さんなのだが、もう随分と前から外相などの閣僚を歴任された山口県出身の人であります。

記事によればこの高村正彦さんの誕生日は昭和17年3月15日生まれだそうで、わたくしとは一日違いの縁であります。少林寺拳法に練達していて、75才にして尚、気力も体力も溢れているそうで、弁護士出身の明晰な頭脳と健康なお身体は、まだまだこれからの日本政界に必要な政治家として大輪の華を開いて頂きたい思いだ。

話題は若干横道に入るが、この高村正彦さんのような後期高齢者に入っても尚お元気で第一線で活躍していられる人も多いのだが、一方では、早い人なら60代や70才を超えた辺りで老け込む人もかなり多く居てられる。これは男女の区別なく、「老け込む」と言うのは「身体の耐用期限が切れるのか?」、循環器系統の疾患を抱えるようになってしまうとか、足腰に異常を感じるようになって日常生活に困難が生じる人は多い。

大体同じような人の一生を生きて来て、70が来ようが80才になっても尚お元気な人と、早くから老け込む人との差は何処から生じるのか? を考えてみよう。

戦後日本が高度経済成長といわれていた頃から暫くして、多くの働く多くの日本国民は「自分は中流の生活が出来ている」と言う「中流意識」に浸っていたと思う。
「家も建てた」「くるまも買えた」「子どもには高等教育を受けさせた」「会社では課長と呼ばれるようになった」「生活に困らない給料・ボーナスをもらうようになった」とか。その要因は様々だが、大体は多くの国民が感じて意識していた感覚なのだった。

日本国内基準では、「当時の中流意識」の基準点はそんな処だったと思う。のだが、その「中流意識の中身」を欧米の列国と比較するのを怠っていたように思うのだ。

欧米列国中流階層の日常生活と、日本のそれを比べて、日本の言う中流階層の生活に無くて、欧米列国の方にあるモノに気付かなければ、この「早くから老け込む日本人高齢者問題」、は解決しないだろう。
それは一言で言えば「余暇の過ごし方」とでも言うか、「毎日の生活の中に必ずスポーツとかの身体を使う時間が組み込まれているか?」、と云うことだろうと思う。それも若い頃からの習慣として。

前出の「高村正彦副総理」の場合、学生時代からの少林寺拳法が好例と言えるのだが、現在の日本でも75才を超えるご高齢で活躍していられる方々は大抵若い頃から何かのスポーツを欠かさずやっていられるとかしていて、身体のケアを欠かさないのが必須だろう。

ちなみに、わたくしの知る米・中流の女性は85才でも尚、毎年3000メートル級の山をトレッキングしたり、プールで泳ぐ、海に出てヨットを操る、とかの生活を楽しんでいられる。

それでも先日の報道によれば、日本人の平均寿命は男約81才、女性87才で世界2位だそうだが、それは高齢者医療環境がもたらす数値であり、健康寿命と云う見方をすればそれほどでもないだろうと思う。










  
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2017年08月08日

素人の株式売買で失敗の巻

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この一週間ほどテレビの天気予報を賑わした迷走台風5号だったが、いざ当地へやって来るのか?と思わせておいて進路を東へ振って、当地は大きな被害は免れたようだ。典型的な雨台風だったようで、進路に当たった各地では河川の増水などで氾濫が心配されている。
被害に遭われた各地の方々にはお見舞い申し上げると共に、一日も早い復旧を祈念申し上げます。

台風一過の今朝は比較的気温が低く、爽快な雰囲気の朝だった。6時前から一時間ほど例によってノルディックポールをもって自宅付近の田舎道を5キロほど歩いたのだが、途中で風に乗ったミスト状の霧が舞って、折からの朝日を受けた西空にしばらくの間タイコ橋状の虹が見えた。

久し振りに株式市場の話題を振ると、先週は日本の殆どの上場会社が第一四半期(1Q)決算を発表していた。
ほとんどの企業は今期もアベノミクスがもたらす好況が続いていて、日経平均株価もそれなりに2万円をキープする線で落ち着いた動きをしているのだが。

わたくしも「ふるさと企業」を応援する意味で保持している株が少しだけあるのだが、その株の値動きを先週の決算発表からウォッチしていると、週明けの昨日は寄り付きから激しく切り上げているのに気付いた。
普段は200円前後の株価が一時は20%も上げて、さらに激しく上下して250円にも迫る勢いがあった。

わたくしとしたら、盆も近いし帰省して来る大学生の孫に夏休みの小遣いも渡さなければならないし、ここでちょっと一儲けとばかり、250円の指値をして売りを出した。
見ていて、上下は激しく繰り返すもののすぐには250円に届きそうもないので、売りを出したままにして昼寝をしてしまった。

午後も4時近くになって「あれはどうなったか知らん」と、チェックしてみると、その株は一時の喧噪状態のあとはスタート時の200円をも大きく割り込んで終わっていた。

「あの激しく上下していた売り買いの交錯状態は何だったのや?」の思いだけ残して、結局は売り損ねてしまったのだった。「売り損ねて損をした」と思うか、それとも「また後日にチャンスを持ち越した」と見るかはその人次第だが、 株の取引はその時の相場だけが頼りの緒戦は水モノであります。





  
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2017年08月07日

囲碁対局の楽しみ

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今回の写真はこの6月に市施設の「星の子館」の会議室を利用して開催した「囲碁教室・一日研修会」の集合写真なのだが、このメンバーの中には今年初参加した人が二人いる。

その一人は顔中ひげだらけでその性格も豪快で、この人が入会された時には「ひげが怖いわ」と、冗談を言う人もいたのだが、段々と馴れてくると「仲々愉快な人で」、今ではすっかり人気者の一人なのであります。

あと一人の人は「仲々知られた女性棋士」で、棋力も二段くらいの力がある、この写真に写っている女性5人の内では一番の打ち手であります。

先の木曜日はこの公民館囲碁教室の定例会が公民館であって、14名のフルメンバーで賑わった。その日はやや遅刻して公民館へやって来たこの女性は私の前へやって来て、「お願いします」と言われて対局が始まった。

対局手合いは2子局でありますが、二段となると、隅の定石なんかは全部アタマに入っていて、こちらも全力で掛からないと勝負にならないのだった。
一手と言えども無駄な手はない、誠に理詰めの応手が続いて終盤に入ってからのヨセで勝負が付いたのだった。

対局後の感想戦をやっているところへ、この教室最強のFさんが横から口を挟んで「序盤ではクロが有利でシロはどの石か獲られてクロ勝ちとなる」と読んでいたが、あんた何処で誤魔化したん? と冗談とも言えないことを冗談にして言われた。

「誤魔化したとは聴こえがワルイ、わたしは本手・ホンテと理詰めの碁を打っただけや」と、言い返したものの、真剣に打った対局と言うのは対局後も誠に楽しみな感想戦は面白いものであります。

局後にテレビで見るプロのように始めから終わりまでの全手を覚えているわけでもないのだが、勝負を分けるポイントとなる局面を再現して検討する感想戦は、また勝負を度外視してまた楽しいものであります。


  
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2017年08月04日

「角をためて牛を殺す」であってはいけない

post,Abe

正確には昨日午後の皇居での認証式をおえて第三次安倍改造内閣が発足している。
今回の写真はその土台を支える自民党首脳の面々で、このところ右肩さがりであった内閣支持率回復に向かって結束する姿をうつしている。

いつの頃からか、安倍内閣は「安倍一強」と言われるようになり、この5年間の安倍総理の実績ばかりが目立つ姿があった。
多くの国民としたらその安倍さんに対して「森友学園」とか「加計学園」の問題は何処に疑惑の焦点があるのか?何が問題なのか?理解出来ない期間が長かったように思う。

執拗な野党の国会質問とか、例えば「朝日新聞」のような反体制色の強いマスコミの捏造する安倍批判記事と東京都議選で小池のモタラシタ都民ファーストのクズ議員共の大量当選という(これも不良マスコミに踊らされた都民たちの失態なのだが)自民党批判カゼを朝日・毎日など等のマスコミが巧みに利用して国民を扇動したから、このところの内閣支持率は36%までに下がっていた。

朝日新聞を中心とする野党系の新聞に至っては、はっきりと安倍内閣打倒を謳って、一連の安倍批判を繰り返しているのだが、この安倍内閣発足いらいの安倍総理の為している仕事と日本の現状を考えれば、国内経済や国際外交面で、現在の安倍晋三の存在は際立って大きい。

2012年の安倍政権発足までの10年間は、「毎年のように顔が替る日本の総理大臣」は世界で嘲笑の的であったのだが、安倍さんになってからは現在までに5年間、さらに2年延長もある。安定した総理の顔は自由主義世界に於ける「日本の誇り」であり、米・英・仏・独・伊・印・加・ロ・ほか世界のあらゆる国の首脳たちと素顔で話せる世界の認めるタレント振りは日本国の貴重な財産と言って言い過ぎではないと思う。

一方日本国内経済面での実績は、発足当初からこの5年間「アベノミクス」という経済政策が正鵠を得て、株価は二倍となり、国内企業はこの間好景気に沸き、超完全雇用を達成して、国の税収は25パーセントも増加する等、経済は好循環がつづいているのであります。

今回発足の第三次改造安倍内閣では、自民党の比較的若い層の大臣が大勢誕生しているのだが、いずれも実力にこと欠かない自民党の人材の厚さに裏打ちされた顔ぶれであります。がんばって欲しい。

日本の古いことわざに「角をためて牛を殺す」というのがありますが、モリ・カケ問題なんかのツマラナイ事柄で安倍晋三と言う人を政界から葬ってはいけないのであります。

安倍内閣には上に書いたように、この5年間の立派な業績があり、これによって日本国民は多大な余禄を受けている筈であり、これを勘案すれば、「くだらないマスコミなんかの流す批判中傷デマ」、に惑わされてはいけないと思う。






  
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2017年08月01日

人生の終末10年を寝たきりで過ごさないためには

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この最近は此処に書くブログの更新も滞り気味で、毎日読みに来られる読者諸氏には誠に申し訳けない思いなのだが、これにはちょっとした理由がある。
相変わらずと言うか、わたくしは毎朝元気に四時半頃には起床していて、以前と変わりなく前のコンビニへ行って、最近はコールコーヒーを買って来て、それを飲みながら1時間余かけて朝刊紙を精読している。

夜明けがやや遅くなった最近でも五時半頃には夜も明けているのだが、太陽はまだ東の山の陰であるから、私宅付近はまだ山かげで静まっている。

つい2週間ほど前までは新聞を読んだ後はブログの作文に掛かって2時間ほどが過ぎていた。のだが、それまでは毎夕方に1時間ほど掛けて近くの田舎道を5キロほど歩いていたのだが、本格的夏の到来と共にその歩きを早朝の冷気で涼しい時間にやる事にしている。これも毎年のことなのだが、大体9月末頃まではそれがつづく。

今年はそれに少し新しい事象が出来ている。この3月末の自治会総会でわたくしが今年度自治会三役に推されてそれを受けたものだから、4月からの新年度自治会副会長として体育・福祉部門を担任させられている事だ。
自治会の体育振興施策として、町内に「歩こう会設立総会」を催行したのは5月に入ってからで、これは15名の参加者があって発足したのだが、それ以来その立ち上げに四苦八苦している。

隣町で活動している「ノルディックウォーク愛好会」のご協力を得てノルディックウォークに取り組むべく、わたくしも家内と一緒にノルディックポールを新調している。

町内の皆さんに勧める以上は私も「実践躬行」して、ある程度の結論をださなければならない、と考えてわたくしはこの10日ほど前から、毎朝新聞を読んだあと一人で6時頃からポールをもって「ノルディックウォーク」を1時間続けて郊外を廻って町内の児童公園まで返る。

時間を合わせて家内が7時には自分のポールをもって児童公園に来るから、そこでその日集まった町内の方々と一緒に公園内をノルデッィクウォークして約30分ほど過ごしている。
それから汗を拭きながら家に返って朝食となるのだが、まあこれが最近のブログ更新の滞りの要因であります。

最近急速に少子高齢化の坂を転がり落ちるように住民の老齢化が進む町内住民でありますが、ノルディックポールを持っても持たなくても何キロでも歩き続けられる脚力のあるわたくし等は別にしても、大体70才くらいになると、「ひざが痛い」「腰が痛い」「体力がない」「循環器病の後遺症」とかで「医者通い」をされる人はまだマシな方で、次第に家に籠り勝ちになる人は多いのであります。

わたくし、町内歩こう会設立趣意書を起草したときには、この家に籠り勝ちの人にもう一度外に出て活動する場を作ったつもりだったが、その実は、歩行困難などに陥る前のまだまだ若い年齢からスポーツに勤しむなどして身体を鍛えて行くよわうにしなければならないと思う。

その為には、だだ、「生活が苦しい、忙しいから寸暇を惜しんで働く」、と言う日常生活ではなくて、忙しい日常生活の中にも、「しっかりとスポーツ等の身体を鍛えるプロク゜ラムを組み込んだ日常生活」、でなくては豊かな人生計画とは言えないと思う。

日本人の平均寿命も男性81才、女性87才の時代なのだが、それも終末の10年間は歩行困難で家に籠りきりと言う生活にならない為には、若い頃からのしっかりした生涯スポーツ計画が必要であります。

  
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2017年07月29日

辞任劇を演じた蓮舫と稲田前防衛大臣のちがい

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つい先日まで民進党で代表をしていた蓮舫氏が自ら代表から下りた。「辞任」といえば聴こえはいいが、早い話、死刑執行人のいない首切りだったようだ。
この蓮舫が民進党代表選に圧勝したのは約一年前だった。その代表選では「わたしが代表になれば支持率の10%やそこらはすぐ上がる」、と臆面もなく口にしていたのだが、それも無手勝流発言で、ご自身のかってのイメージで、それは旧民主党が政権の座から転落と同時に「何も出来ない蓮舫」に変貌していた事に気付いてなかったのだろう。

それでも一年前の代表選に勝って代表に就くや、幹事長に元総理の野田佳彦をかつぎ出した処までは、やや期待できる気分にはさせていたのだが、「何も出来ない蓮舫」には変わりなかったようだ。
東京都議選では民進党議席はついに「5」となってしまい、この分では東京選挙区の蓮舫自身の参議院⇒衆議院への鞍替えすら不安視されるまでに落ち込んでいる。

政界では、この蓮舫の辞任と時を同じくして稲田防衛相も辞任している。この人の防衛大臣辞任に付いてはちょっと気の毒に感じている処もある。 いくら文民統制の時代と言っても、生粋の軍人である制服組を相手に対等以上に渡り合える人ではないのは明らかだった。

稲田大臣は東大法科卒の弁護士資格をもつ議員3期目とは云え、負担の多い防衛省のトップに就くには、国家防衛の専門知識と、それを組織に徹底させるノウハウに裏打ちされた押しの強さに欠ける面はあった。
東京都議選での選挙応援演説での失言なんかは、平和日本の象徴的発言として「ほほえましい」感じさえして、別段それが辞任の理由には値いしないだろうと思う。
むしろ、この発言にカミついて稲田防相に辞任を迫った民進党の蓮舫を中心にしたグループこそ不適切であります。



  
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2017年07月24日

甲子園高校野球とインターハイの思い出

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夏、高校野球の甲子園大会の県予選が今の時期に全国各県で繰り広げられている。その勝ち負けの詳細は地方紙をみれば詳しく載っているのだが、この大会の歴史は戦前の全国中等学校の頃からに数えれば今年あたり第100回の大台にのるのかも知れない。

わたくしが高校3年のときに全国高校バドミントン選手権大会(インターハイ)が会津若松市であって、その時の記念写真が今回の写真なのだが、それは1959年の夏のことだった。

このインターハイという大会は現在も野球とかバレーボールなどに限らず、あらゆる競技で行われていて、現在、「夏の甲子園大会」と俗に呼ばれている高校野球も言い換えれば、「野球のインターハイ」の別称に過ぎない。

この「インターハイ」という言葉の語源を書くと「All Japan Inter Highschool Chanpionship Meeting 」ということで、全国高校のNО.1を決める大会なのであります。従って、この大会に出るには希望者は誰でも出られる訳ではなく、その競技の高校総体県予選大会に出て、そこで、団体種目は県1位のみ、個人競技は県1,2位の人の2人のみに出場権が与えられる。

現在は国民のスポーツも随分と盛んになって、「全国」と名の着く大会は年間には何回となく行われているようだ。
「全国高校選抜大会」とかいう大会もあるようだし、一般の社会人では「全国実業団・・・・・」とか「全国社会人・・・」とか、さらには「全国年齢別・・・・・」とか挙げればキリが無いのだが、はじめに書いた「インターハイ」だけは高校スポーツの、その年の真のNО.1を決める大会として、昔も今も行われている。

わたくし達が会津若松インターハイに行った1959年は、甲子園の高校野球は第40回の記念大会だった筈で、当時、野球の強豪校でもあったわが母校はその年も甲子園に行っていて、同じインターハイで会津若松に居た私たちは、母校の甲子園の宿舎に宛てて電報を打って激励し合ったものだった。

その電報の主文は「カテ、かて、勝て」と、ひたすら勝利を目指せと激励した電文を送ったのを思い出す。
そのとき、打電のために行った会津若松の郵便局にあった記念切手を一枚買って返ったのだが、その切手は、当時ご成婚記念切手が発行されていた、皇太子・美智子妃(当時)の切手で、一枚@30円だった。ちなみに当時の普通封書は@10円だった。その切手は現在でも切手帳にのこしている。





  
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2017年07月21日

梅雨明け十日・夏の登山の思い出

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どうやら当地方でも梅雨明け宣言が出てこのところ「梅雨明け十日の猛暑」がつづいている。この時季は夏山のシーズンでもあり、年間を通じてこの梅雨明け十日の期間は最も天候が安定していて、夏の登山には適している。
わたくしも50年余むかしの若い頃には毎年この時季が来るのを待ち焦がれて北アルプスなどに出掛けたものだった。

夏の登山は冬のスキーと共に若い頃から熱中していた趣味だったのだが、登山の方は上の子が中2、下の子が小4の時に家族4人で伯耆大山に登ったのが最後で、それ以来、高い山には登ってない。
それでも北アルプスのベースになる上高地へ家内と2人で出かけたのは5年前だったか、50年余むかしとあまり変わってない上高地の夏を懐かしく楽しんだものだった。

新田次郎著だったかの「小説:氷壁」が映画化されたりして、当時も若者のあいだでは登山ブームと言ってよいほど上高地には大勢の人で賑わっていたのだが、昭和37年だったか、私たちは会社の若者3人で北アルプス・表銀座コースへ出かけた。

このコースは現在でも大勢の登山者でにぎわっているのだが、中房温泉から登り始めて一日のぼって「燕岳」で燕山荘に泊めてもらい、2日目は槍ヶ岳まで尾根歩きして、鎗東鎌尾根から鎗ガ岳山荘泊まり、3日目はひたすら鎗沢を下って日暮れ頃に上高地へ降りたのだった。

予定ではその日に松本へ出て、その夜汽車で帰路に付く計画だったが、その日の上高地が釜トンネルの事情でバスが出ないのだった。
バス停でたむろしていた大勢の下山客はその夜の宿を求めて三々五々散って行ったのだった。

わたし達は昼間に下った道を再び徳沢園まで戻って、やっと宿泊出来て、夕食と風呂に入る事ができたのだった。夜9時は廻っていた。
それらは昔懐かしい思い出で、わたくしとしたら現在でもこの時期の夏山なら行ける自信とヒマはあるのだが、当時同行していた友の一人は4年ほど前に亡くなっているし、家内は登山が出来るほどの体力は無いようだしであります。

この4月から自治会体育の推進役に就いて、「歩こう会」というサークルを立ち上げている。現在までに「ノルディックウォーク講習会」を2回開催して広めているのだが、皆さん、この両手にポールを持って歩くのが定着すれば、或は、将来的には山登りに出掛けるお元気な人も出て来られるかも知れない。

  
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2017年07月17日

「隣の芝は青い」という格言は本当であります

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きのうは日曜日で、年間4回行われる町内一斉環境整備の日だった。朝7時30分〜8時半までの1時間で各世帯1名以上の人で手分けして町内各所の草取りとかはき掃除等とか、公民館内の清掃をした。

わたくしも自治会三役のてまえ、人様よりも早く行って準備などに汗を流したのだが。
時間が来て集まってこられる人様は各自各様で、全体的にはご婦人が多いのだが、中には勇ましい出で立ちで来られるご主人もいてはる。

ゴム長靴をはいて首には汗ふきタオルを巻いていて、如何にもよく仕事をしてくれそうな服装なのだが、このような場合、首にタオルを巻いている人が汗が流れるほど手足を動かして仕事をされる事はない、と考えて先ず間違いはない。「作業=汗が出る=首にタオル」、と連想がはたらくアタマの持ち主さんは、このような勤労奉仕作業ではまた、巧みにそれを免れる極意もお持ちになっていられる、と思っておけば腹は立たない。

公民館の前の児童公園もこの日の整備範囲だから、当日の割り当てに当たった人は児童公園に入って落ち葉掻きや草引きやゴミ拾いをしたのだが、この3年ほど前に自治会長は何を血迷ったか、この児童公園全面(約400坪くらいある)に芝生を植えたのであります。

露地の公園だったのを全面に芝を植えたのだから、それも自治会長は殆ど独断専行してやってしまったのだから、後で、「誰が芝刈りや水やり、雑草対策などの手入れをするのや?」と、芝は普段の手入れが大変な事を知っている町民は自治会長を吊し上げたようだった。(わたくしはそこら辺の詳細は全く知らない)

吊し上げられた自治会長はその時は「芝の手入れはわたしがやります」との言質を取られてその場は納まったようなのだが、そのせいか、この公園の芝を刈るのは自治会長の仕事になってからもう3年目になる。
毎年3〜4回の芝刈りと、毎年、芝の天敵とも言えるクローバーが生えて群生するのだが、その対策も自治会長の仕事になっているようだ。

さらに雑草は夏になると毎年勢いを増して、その種は翌年の春にはまた芽を出すしで、自治会長には永遠に会長を続けて頂かなくては、その職責を全うした事にはならないのだろう。
今回の写真のように「隣の芝は青い」という格言は本当なのであります。

 (写真は米・ワシントン州ベリンガムのコミュニティにある豪邸)

  
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2017年07月15日

青木功のわがゴルフと私のスイング改造

第26回武庫ノ台H27秋

わたくし仕事を定年退職して以来15年間、再就職する気もなく、ゴルフだけはしっかりやって来たのだが、ドライバーの飛距離だけは年齢とともに落ちて、一時は150ヤードくらいしか飛ばなくなっていた。
2年ほど前から、それまで行っていた練習場を替えて、家から3分も掛からない近くの池にある練習場へ行くようになっている。

そこで気が付いたのだが、そのちかくにある練習場で打っている皆さんの打球を見ていると、同年代の高齢者の方の殆どは歳に関係なく250ヤード近くも楽々と飛ばしているのを見せられた。私がドライバーでやっと飛ばす150ヤードくらいは、皆さん7番アイアンで楽々と飛ばしているのだった。

そこは水上の練習場だから距離標識が実際とは一割くらい近くに立っているのだが、それを割り引いても皆さんの打つボールは飛んでいる。
わたくし、それまでは「ゴルフは飛距離じゃないさ」、ともっぱら曲がらないボールを打つ練習に目標を置いて、コントロール主体のドライバーを心がけていたのだが、練習場で見る皆さんの250ヤード飛んでも曲がらない打球を見せられると、信じられない思いで心は騒いだ。

近くで練習している人に私のスイングを見てもらってアドバイスを受けたりもしたのだが、それもあまり効果なくて、ドライバーをXXIОのデカヘッドに買い替えてもみた。これは案外に効果があって、芯に当たれば10ヤードくらいは延びたと思うし、比較的球筋も安定して来た効果があった。普通にスイングしても150の標識は超えるようになっていた。

練習に行ってドライバーで打つ割合が次第に増えて、60パーセントくらいはドライバーで打つようになっていたし、次第にフルスイングする感覚が掴めたように、眼いっぱいのフルスイングの練習を続けた。その分だけ球筋は安定しないのだが、兎に角「当たれば飛ぶ」という感覚が嬉しい時期だった。
しかし、それでコンペに行ってもスコアはどうしょうもなく大たたきが続いたのだが。

2年ほど前にプックオフで100円で買っていた「青木功のわがゴルフ」と言う指導書が買っただけの積読状態であるのに気付いて、ホンのひと月ほど前からそれを読み始めて、ベッドの上で毎晩1時間くらいのペースで読んだ。
以外にもそこには自分のスイングの欠点が書いてあって、それはアドレス時の姿勢を正すことの必要に気付かされた。
ボールを置いて、クラブを持って立つ位置と、ひざを曲げて前傾姿勢してボールにアドレスした姿勢で、頭のうしろから下へ背筋からおしりの線を回転軸にしてテークバック・トップ・ダウンスイング・フォロースイングのボディーターンをする。という事で、ボディーターンは腰だのひざだの肩だのは考えず、回転軸を中心にただ腕だけで振る感覚で、素人さんは充分だろうと青木功は書いている。

それまで長年わたくしのやって来たスイングは、ただ腕だけで左から右へボールを強く打つ事に専心していたわけで、「回転軸中心にしてボディーターン」と言う感覚に欠けていたのだった。
クラブヘッドからシャフト、両腕も一直線状に長竿を左から右へ振るようにしてボールを打っていたのだった。
現在はグリップの所でシャフトと腕とは150゜くらいの角度が付いている。

このスイング修正で前回の練習では芯に当たれば180ヤードの標識を超えるのも見られたから、あとはボールを芯で捉える確率を高めるだけであります。これは気分的にも30才くらい若返る事を意味しているのかも知れないし、これからの練習次第だろうと思っている。





  
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2017年07月12日

閑話休題

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旅行や仕事の出張などで各地へ出かける事はよくあるのだが、その思い出を脳内に留めるのにはその時に食べた食物の味覚と一緒に記憶すると、それは美味しい味にせよ不味かった記憶にせよ、生涯忘れる事はない。

「あそこへ行って食べたあれは旨かったなぁ」でも、また「あの時のあれは実に不味くて、今でも舌に残っている」と言う具合に、人間の舌にのこる味覚というのは鮮烈な記憶として何時までも忘れることは無い。

もっとも現在日本各地へ行って食べれる「Japan food」というのは大抵は外れと言うのはなくて、和洋・何を食べても殆どは美味しいのだが、これは近年、海外から日本へ押し寄せている外人観光客を夢中にさせている現状からも知れるだろうと思う。

テレビのバラエティーを見ていると、大阪へ来た外国人が口にする、「お好み焼き」とか「たこやき」でも美味しいと言ってくれるのだから、「日本には不味い食べ物と言うのは存在しない」、とさえも言えるのではないか?と思えてしまう。

それでは日本人が海外へ出かけて口にする現地のレストランのお味はどうか?という事になるのだが、これはもう場所がロンドンにせよニューヨークにしても、美味しいと思えるようなお味に出会うのは極めて稀であると思う。

「現地で本場の味覚を味わう」ことになるお酒やコーヒー等の飲み物を別にすれば、日本食に優る味というのは期待しない方がいい。
ロンドンへ行って中国料理、とか、ニューヨークへ行って韓国料理、カナダで食べる和食とかの異国料理にしても、それは日本人向けの料理にはなって無いから、日本で食べる異国料理とはちがう味がするものだ。

当地にあるホテルのレストランでオーストラリアの人と食べた日本酒と和食の食事中に、「How is taste?」、と訊いたら、「美味しいですよぅ!」 と返事があり、「なぜ日本食はこんなに美味しいのか?」、と言い、「ダシ」の作り方を聞かれる。
わたくしはそんな時は、「タジ」の作り方なんか知らないから、「I am not sure」と言うしかないのであります。
  
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2017年07月09日

わが町歩こう会も段々と目鼻が付いて来た

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新年度、この4月から計画して5月にわたくし発起人として立ち上げた、町内歩こう会の活動も段々と目鼻が付いて来て、きのうは第2回目の「ノルディックウォーク講習会」を開催した。
今回は講師の水野愛子先生とその補佐役である山本伯子さんと共に、わたくし友人夫妻で隣町の前田夫妻も応援に駆けつけてくれて賑やかな会でありました。

一方、受講生であるわが町の住民にも段々と口コミで拡がって、前回は6名の参加であったのが、2回目の今回は15名の方々が参加して、講師陣4名も加えて20名の団体で午前中2時間ほどの講習会だった。

この「ノルディックウォーク」というのは、スキーのストックのようなポールを両手に持って腕を振って歩くのだが、足腰が弱っている人の歩行を補助するだけの機能のみならず、普通の人がやってもその運動量が40%くらい増加する効果がある。

今回、わたくしもこのポールを一揃え新調して、それを持って皆さんと一緒に歩いたのだが、確かにそれは言えていると思った。身体の腕や胸や背筋への加重が明らかに増す感じであるし、出る汗の量が違う。

このわが町歩こう会の活動は、とかく家に引き籠りがちの人々を外に出て頂いて、再び活動的町民に再生して、将来的にはグランドゴルフやゲートボール、ママバレーとかテニス等のスポーツを楽しめるよう、人の繋がりを作って頂くのが目的で始めているのであります。

きのうもウォーキング実技講習のあと、ふたたび公民館へ入ってもらって、冷たいお茶を飲みながら今後の進め方に付いて話し合うオリエンテーションをして解散した。



  
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2017年07月07日

東京都議選はAKB・ジャリタレ人気投票とは違うだろう

民進党蓮舫党首

7月2日㈰ には東京都議選があって、折からのくだらないマスコミが吹かせていた風に乗った「小池百合子と都民ファースト」を中心とする反自民の議席が過半数を制したという。
これまたお粗末の一語に尽きるあたまの持ち主の小池百合子に至っては、「次は国民ファースト」、だとかお粗末な言辞を口にしている様は何なんだろう?。

都議会と言えども議員=政治家なのだろうが、それを選ぶ選挙に「人気投票」をやってどうするのだ?
ここ数年前からテレビに登場している「ジャリタレ・グループのAKB48」がやっている人気投票で前田敦子がトップになったとかの実に下らない報道があったのはかなり昔の事だが、それと同じ感覚で議員を選んでしまう都議会選挙と東京都民はどこかオカシイ。

今回の都議選で過半数を占めた小池グループの新議員たちの殆どは、政治家経験も何もない素人集団ではないか。
「アホは何人集まっても所詮アホ」であり、何の役にも立たない、「議員としてはクズばかりの集団」を率いて行く小池百合子もそれに負けないお粗末な頭脳なのだから、この先どうして東京都政は立行くのだろうか?

かって2009年の国政選挙で、折からマスコミが吹かせた風に乗って政権を担当した民主党(現民進党)が演じた政権劇がどうだったか?
主演の鳩山由紀夫を先頭に、助演だった今回写真の蓮舫も所詮・アホの域を脱却することなく、ただ国益の棄損と国政の混乱を来しただけで短命に終わったではないか。

この2日には当兵庫県では知事選があって、今回もまた井戸敏三現知事が勝って5選を果たした。過去、四期に亘って知事職にあった井戸さんにはそれほどの瑕疵は無かったのだが、またそれほど特筆するような功績も思い付かないのが実情で、まあ「可もなく不可も無し」という人でありました。

兵庫県ではかって昭和30年代〜40年代初期に「坂本勝知事」の時代があった。もう50年以上昔の話しで恐縮であります。この坂本知事は2期務められて、その後、3期目の選挙には無投票で当選も一部では言われていたのだが、3期目は選挙に立つことも無く知事の座を後進に渡された。

その理由は「多選首長の弊害」という事で、この坂本知事は引退後に「流氷の記」と言うタイトルの手記を出版されている。
その中で「多選首長の弊害」に付いて説明されているのだが、日頃知事をやっていて、全吏員に如何に公平に対処しているつもりでも、そこは知事も人間であり、部下に対して「好き嫌いの感情が生じる」、のだそうであります。
それを防止するのには、初めから、「知事職は2期まで」、と固く決めていたそうでした。

今回の選挙に勝って5期目に入る井戸敏三知事には、その胸中をお訊きしたものであります。ただし、わたくしは今回の投票では、その坂本勝元知事の言葉もあって投票用紙には「井戸敏三」とは書かなかった。







  
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2017年07月05日

「上つ道」を歩く古代史は悠久であります

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古都・奈良の古道のひとつである「上つ道」を三輪山から歩いて纏向遺跡と箸墓古墳の辺りへ行ったのは一昨年の2015年の今頃だった。
あの時は晴天つづきで、その前々日から橿原御陵前のホテルに宿をとってあの辺り(明日香村全域〜橿原考古学研究所付属博物館とか)を文字通り一人で「足で歩いて廻って」、近鉄・大和八木の近くからJR桜井線にのって三輪へ出て、そこから「上つ道」を歩いたのだった。

その途中に「桜井市文化財研究所」というのがあって、そこを見学しようと訪れたのだが、その日はあいにくと休館日で閉まっていたのは残念だった。

三輪山から歩くと、纏向遺跡の手前に箸墓古墳の姿が際立つように位置している。この箸墓古墳は国内最初に造られた前方後円墳であり、推定では3世紀中頃に造られたとされる。
その日、そこで会話した地元のご婦人の口からも、「ここは卑弥呼の墓ですよ」、と言われたように、古くから「箸墓古墳」と呼ばれる「箸墓」の名の由来からしても「卑弥呼の死因」と伝えられている故事に合致している。

古代中国書に「東倭伝魏̪志・倭人の条」と言われる書物によれば、邪馬台国の女王・卑弥呼の没年は西暦・254年と推定されていて、この卑弥呼没年と箸墓古墳築造年代は極めて近い。

日本の古代史を知る書籍として「古事記、日本書紀」があるのは、日本人なら誰でも知る処だが、不思議なことにこれら「記・紀」にはこの「邪馬台国とか卑弥呼」に関する記述は一行も出て来ない。
そこには、国生み神話〜神武天皇に始まって現代の平成まで連綿とつづく皇国・日本があるのであります。

それでは、一昨年の今頃わたくし訪れた箸墓古墳の位置づけはどのようになっているか?と云えば、地元の伝承を別にすれば、この墓に眠る女性は「神武天皇から続く欠史八代の内の七代後の高霊天皇の媛皇女」となっていて、宮内庁管理の陵墓に指定されていて、単に「大市墓」と名付けられている。

「上つ道」がすぐ後ろを通る道を箸墓古墳から10分ほど歩くとJR纏向駅があるのだが、ここも今は無人駅になっていて、愛想がない。次の電車が来る時間を見計って、標識にある纏向遺跡の辺りまで行ってみたが、発掘当時は「邪馬台国の政庁か?」と騒がれた大型建物群遺跡も現在は埋め戻されているらしく、それらしい発掘現場は見られなかった。

一時間に一本くらいしか走ってない奈良行の電車も時間が迫る頃には「上つ道」を歩いて、纏向から乗る人もかなり居て、駅待合室は賑わっていた。JR奈良駅までは45分くらい掛かるから、その距離は、古代の都が飛鳥から平城遷都までの時間軸のように古代史は悠久であります。
  
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2017年07月04日

夏ゴルフは水分補給をお忘れなく

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きのうはゴルフだった。この近くでは名門コースと云われる「福崎東洋GC」で、朝の渋滞時間にかさなるから家から45分くらい掛かる所にある。
この同好会サークルも最近は入会希望者が相次いで、全体では25名のサークルになったそうだ。きのうのコンペはその内22名参加で、6組のコンペであった。

わたくし、スタートから好調で200ヤードはあったセカンドをスプーンで乗せたりした時は「あんたのハンデでは考えられない事だ、ハンデがちょっとオカシイのではないか?」と同組の人に言われたりしたのだが、その時に私は「いや、その内にツケを払わされるから」と、冗談で返していたのだが。

スタートから3ホールほどは何事もなく過ぎて、やがてツケを払わされる時が待っていようとはわたくしも予測してなかった。
480ヤードほどのロングホールまで来て、そのティーショットもセカンドのスプーンも難なくこなして、第3打の残り160ヤードほどをU7でグリーンを狙って打った球だった。
ボールはグリーン方向へは飛ばず、ひどく引っ掛けて右ラフの急な斜面に止まった。第4打、その時には私はまだ余裕があったのだが、急なつま先下がりの斜面でピンまで130ヤードの距離を打つクラブがなくて、カートまでクラブを取に返れば良かったのだが、それをしなかったのが失敗の元だった。

そこからダフリ、バンカー往復、4パットがあって、上がってみれば11打の大たたきだった。同組の人には「だからツケは払うと言ったでしょう」と冗談めかしては言えたけど、1ホールで11打は取り返しの利かないダメージでありました。そこから緊張の糸も切れてしまって、あとはただゴルフをしただけに終わってしまった。

コンペではショートホールは全部ニアピン賞の掛かっている、1オンしなけれ罰金制にしていて、そのホールで1オンしなかった人が払った罰金総額をニアピン賞として受け取れる。
昨日、わたしは2つのホールで4メートルくらいに付いて権利を残していたのだが、その内の1つのホールは後続組の人にかわされて、結局多くの人が乗せた、賞金の少ない方のホールが私のニアピンとなった。

夏ゴルフの宿命とは云え、きのうも暑い日だった。水分を補給しながらのゴルフだったが、それでも身体から失せた水分は多く、帰宅してからも水分補給を続けたのだが、それは今朝になってもまだ身体はまだ水分を欲しがっている。




  
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2017年07月01日

くるま社会の発展と地球負荷軽減傾向

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環境汚染と地球温暖化が言われる中でもジワジワと進行する発展途上国のくるま社会化は止まらない。現在世界で一番くるまが売れているのは中国だそうで、「そこへ売り込まなければ乗り遅れる」、とばかり世界中の自動車メーカーは中国の自動車市場目指して殺到しているようだ。

今から20年くらい前までは中国の天安門広場前は自転車の隊列で溢れていたもので、当時の識者は「もしこの国の13億とも言える国民がくるまに乘るようになると、地球上のCO2が増えて地球人類は滅びるのではないか?」などとの憂いを発していられたように思う。

その頃の識者の憂いは今日一部分は的中し、またそれは杞憂にすぎなかった部分も一部にはある。今日中国大都市部の大気汚染は酷いらしいし、その成分であるPМ2は遠く日本の空をまで汚している。

わたくし達は1999年にイタリア各地を観光旅行で廻ったのだが、ローマはともかく、13世紀ルネッサンス発祥の街であるフィレンチェでは街中にある芸術・美術品の劣化防止のため、外部車両は街中へ乗り入れる事は禁止され、観光バスやトラックなどは全部街はずれの所で停止させられて、観光客もそこで降ろされていた。

それから暫らくして、日本でも大都市の自動車公害が言われるようになって、当時東京都知事だった石原慎太郎知事は東京都内へのディーゼル車乗り入れを禁止したのだった。もっとも、東京の場合は美術品保護のためではなく、人に対する公害防止を目的としたものだった。
これはディーゼル車の排ガスに含まれるNОXが問題視され、それは喘息や肺がんの原因に上げられていた。

一昨年だったか、ディーゼル車の排ガス数値改ざん問題がアメリカで発覚して、ディーゼル車メーカーのVW社の経営は揺らいだ。ディーゼル車特有の排ガス問題は浄化装置の発達によって解決できるとされて、ディーゼルエンジンの優位性を宣伝して大きく伸びていた欧米では、それに代わってEV(電気自動車)の開発が進んでいる。
もっとも、このEVにしてもバッテリーを充電する元の家庭電源の電気は現状では化石燃料が主となるのだろうから、総括的にみれば、これは地球に対する負荷軽減問題の解決とはならない、そこには日本メーカー得意のハイブリッド車や、将来的には燃料電池や水素自動車の開発が待たれるのだろう。

いずれにしても13億の中国や12億のインド、更にアフリカ等の途上国がくるま社会に向かって突っ走っても、これらくるま社会の将来に新技術開発が伴うのなら、この問題は単に杞憂にすぎないのかも知れない。

 (写真はフィレンチェ・ウフィツィ美術館蔵のヴィーナスの誕生)








  
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2017年06月30日

「初版・古寺巡礼:和辻哲郎著」を読む

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図書館へ行くと宗教に関する本を所蔵している棚があって、その棚にあった「古寺巡礼:和辻哲郎著」という本を借りて読んだのはもう10年も前だったか?
その本は今からもう100年近くも前に出版された、随分と古びた本だった。が、その内容は随分と読み堪えのある内容だったが細かい事はすっかり忘れてしまった。

和辻氏がまだ学生時代の昭和初年頃に友人2,3人と奈良を旅行して、その旅行記として書いたものを出版されたもので、戦前の出征する兵隊さんや若人たちに随分と読まれて版を重ねたらしい。
それはまた、版を重ねる毎に内容が少しづつ改訂されていたらしくて、戦後の昭和21年版からは新かな遣いに改められている。

最近わたくし図書館へ行って、10年ほど前に借りたその本を探していたのだが、その本は無くなっていて、同名の「古寺巡礼」でも「瀬戸内寂聴尼著」など、ほかの人の書かれた本ばかりであった。それら他の人の書かれたものは「観光案内のような寺院紹介の内容」になっていて、どうしても「和辻哲郎の古寺巡礼」を、それも「初版の古寺巡礼」を読み直してみたくなっていた。

この5月末頃に図書館のパソコンで検索すると、「初版・古寺巡礼:和辻哲郎」でヒットするのがあった。それは本館の城内図書館に所蔵されていたので取り寄せてもらったのだが、それは以前借りて読んだ古い本ではなくて、2012年初版の文庫本サイズだった。

読んでみると、内容は「初版」だった古い本と同じであり、この「初版・和辻哲郎の古寺巡礼」は現在でも多数の愛読者が居て、この2012年に至ってまたこの出版に至ったらしい。
ただし文庫本サイズだけに活字が随分と小さくて、わたくし等の老眼が読むには拡大鏡が要るくらいだ。

今回の写真はこの本にも詳しく描写されている「奈良・唐招提寺」の参道風景なのだが、この天平の甍に付いても随分と描写が細かい。ほか、法隆寺ほか奈良にある古寺の殆どの寺院を和辻哲郎一行は廻っていて、古来日本の誇る仏教美術を和辻氏独特の感性で描写している。
ちなみに、「美術」という学問とは「建築」「工芸」「絵画」「彫刻」の全てを対象とする。

  
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2017年06月28日

今朝の朝刊紙より

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「平成の土光敏夫」はついに出現しないまま、蠹貅任蝋棒邯充卍垢硫爾撚饉匆鯊里箸覆襪里?
このところ毎日のように朝刊紙に話題を提供している「東芝メモリ社売却」となるのか。現下の経営危機にある東芝という会社を救う唯一の方法として考えられた、このせんない親のための「孝行娘身売り策」なのだが、今やそれさえも親の自由には出来ないのが実情らしい。

今朝の日経紙には「東芝危機は何故おきた?」との大見出しで、これに関する特集記事が1ページに亘って組まれている。

1960年代にもこの東芝は経営危機に見舞われていて、その時は、当時の石川島播磨重工業(現・IHI)から土光敏夫氏を再建社長に迎えて、その危機を乗り越えている。
その経営危機に至らしめた当時の「岩下文雄社長」とその一派は席を追われる事・カラスの如くして、土光新体制となった「新生・東京芝浦電気(当時)」は不死鳥の如くよみがえったのでありました。

当時、「めざしの土光」といわれたように、土光社長は土光家の夕食ルポで、テレビカメラの前で「めざしを齧って見せた」ように、徹底した合理主義で経営改革に臨んでいられた。

この東芝はまた1987年にも傘下の「東芝機械(株)」が起こした「ココム違反事件」があって、当時東芝社長だった「渡里杉一郎」は親会社としてこの責任を執って潔く辞表を出して辞任している。

渡里社長が潔よく責任を執った事によりこの事件は決着をみたのでありますが、東芝経営陣の表から姿を消した渡里元社長のその後を知る人は少なかったと思う。

それから約30年後に出来した今回の経営危機でまたそのお名前を見てしまったのは、ご本人にとって幸いだったか不幸だったかは分らない。(渡里杉一郎氏も相当のご高齢になられるだろうから)
渡里杉一郎元社長はその後も東芝本社ビル最上階の一室に相談役として居られたそうでありました。

今回の東芝経営危機では、傘下だった米・WH社の存在が言われているが、その要因となったここ10年間くらいの東芝経営陣の経営判断の適否が問われているのだろう。
その経営陣選任にあたっては相談役というポストにある人の役割は如何なものであったろうか?

ここ2,3年に起きた東芝の経営を巡るゴタゴタと、その経営陣一連の対処能力をみていると、何んだかそのような気がして仕方ないのであります。








  
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2017年06月26日

小学校カリキュラムに英語を加えるとは

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小学校のカリキュラムに英語を加えて、日本も本格的に小学生から英語を学ばせる方針に変えるそうである。
それには教える側の教師の能力の問題もあるのだろうし、教わる子供にしてもそれに対応できる子供はいいとしても、とても付いて行けない子にとっては、だだ退屈な英語の時間をすごすだけの事で、この改革は成功するとは限らないと思う。

今回の写真はアメリカ人の英語教師から会話英語を習っていた、ちょっと若い時代の記念写真なのだが、戦後すぐの時代に義務教育を終えたわたくし世代は、一定の歳になって必要性に目覚めて会話英語に取り組んだのだが、それでも日常会話くらいは何んとか出来るし、米など・海外旅行も何度か出かけて行ってこなせるようにはなっている。

問題は、英会話のようなものは自身の必要性に応じて習えばよい訳であり、小学生の時代から本人の必要性も自覚も何も無いのに、唯詰め込むだけのカリキュラムを増やすのは如何なものかと思うのであります。
それに小学校時代から英語を学ぶとすれば、それは当然受験競争にも反映するのだろうから、またそこに親は受験対策としての熟通いをさせる事になるのだろうから、子ども達の負担は一層増すばかりだろう。

拙宅の近くに小5になる男のお子さんが二人いてるのだが、この子達も既に熟通いを始めているようだ。
その二人のお子さんを見ていて感じるのだが、その一人は最近スケートボードに凝っていて、学校から帰ってからスケボーに乗って遊び、熟通いをしている。そのスケボーを腰をグイグイと使いながら走らせるテクニックは相当のものである。

その隣の家の子はちょっとひ弱な感じの小5なのだがスケボーはやらないで、もっぱらゲーム機を手にしている。この二人は同じ塾に通っているらしいのだが、学校の成績はどうやらこの子のほうが出来るらしい。

この性格も身体つきも家庭環境も違うご近所の子二人を見ていて、将来どちらの子が伸びるのか?と思って見ていると仲々興味津々なのであります。
わたくし思うのは、どちらも「小学校から熟通いなんかさせるなよ」「それは親の気休めに過ぎないムダな投資だよ」、と言う事で、それは親にアドバイスしてやりたくても、とても出来ない事なのであります。






  
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