先日、読売新聞にシルバー川柳の入選作として下記の句が掲載されていた。
「赤い糸 夫居なぬまに そっと切る」
この句を読んだ後のことだが、川柳の会に入っている家内の女友達から「男性会員が少ないのでご主人に是非入るように頼んでくれ」と家内が頼まれたとの事で、「入りなさいよ!」と家内がわが尻を叩いてきた。
その背景には、我が夫婦も年を取るに従い夫婦の外出度は次第に逆転していき、今やその実態は下記の通りである。
「年経るに 家内は家外 われ家内」
それ故、家内は自分が気兼ねなく外出するためにも、吾をなるべく多く外に出したいのかも知れない。 尚、我が家の近くの公民館で行われている種々サークル活動も「男の料理教室」と云うように男性限定の会でなければ、殆どの会は女性が圧倒的に多いとのことで、シニアーの家庭の実態は「妻は家外、亭主が家内」との状況になってきているように思えるのだが。
さて、冒頭で川柳のテーマーとなっていた「赤い糸」に話を戻すと、我が家の場合、
「赤い糸 何時の間にやら 鞭に化け」
と我の尻をたたく鞭に変化したようだ。 そして前述の尻叩きについての今回の結果は?・と聞かれれば、その川柳の会の見学に行くことを約束させられたのである。
さて、今回の如く川柳に誘われても、「俳句をやっているから、川柳までは手が回らない」と出来れば格好よく断れればよいのだが、残念ながらそうは行かないのだ。
もう10年も前であろうか、近くの高等学校で俳句の入門講座(日曜日5回開催)を開くとの事なので参加した。 それからもう10年も経ったゆえ、普通ならそれなりに少しは上手になっているのだろうが、そうは行っていないのだ。 実は、この講習会の後に、俳句の同好会に入り続ければよかったのだが、そうしなかったためである。
何故そうなってしまったのかを、当時の拙い俳句を用いて少し説明しよう。その俳句入門講習会で提出したのが下記の句々である。
「友逝くや 落葉震わす 鐘の音」
「菊の香や 笑みて焼香 曾孫達」
「犬よりも 歩調速める 夜寒かな」
「肉筆の 一言嬉し 年賀状」
「携帯や 車窓の紅葉 見向かれず」
これらの句を今思うと、吾は自然ではなく、人に惹かれて詠んだ句が多いようだ。即ち、吾の多くの句は、俳句の基本と云われる自然の写生ではなく、人間模様や社会風刺、即ち川柳的だったようである。
ところで、俳句を学び始めたのに入門の講習会だけでやめてしまった決定的原因は、前述の最後の句への先生の添削である。
吾の元句 「携帯や 車窓の紅葉 見向かれず」
先生添削後の句 「携帯電話 車窓の紅葉 伝えくる」
吾の句は、観光バスからの素晴らしい車窓の景色をみることなく、携帯電話に夢中になっている人の情景を詠んだつもり(!)だったのだが、吾の表現が拙いこともあって、先生は全く別の意味にとらえ添削されてしまったのだ。
勿論先生が添削した句の方が美しい紅葉の情景が目に浮かび、句としては良いとの事は十分に理解できるのだが、俳句の良し悪し以前に、自分の感じたこととは異なる句になってしまったことに戸惑ってしまったのだ。
自分の感性に近い先生に習わないと、習い続けても楽しくないのではと思い、入門講習会後のその先生主宰の俳句同好会に入ることなく学ぶことをやめてしまった為である。
これはNHKの俳句王国や新聞の俳句投稿欄で見られるように、句に対する評価が選者で異なり、選者と句の作者の相性がよくないと選ばれないことからも窺い知れよう。
結局、引き続き学ぶなら相性の良い先生に習いたいと思ったのだが、その後そのような先生を探すよう努めることもせず、俳句の学びは結局それっきりになってしまったのである。
だが、それは矢張り言い訳で、俳句には季語をはじめとして色々な約束事があるが、独学でそれらを勉強する意欲が、即ち俳句への熱意が足りなかったためである。 いや、熱意とともに才能のなさに気付かされたためでもある。
以上俳句と川柳について一寸わかったようなことを書いたが、俳句も川柳も下手の横好きであろうが、嫌いでないので気持ちが向いたときは、俳句か川柳かと気にすることなく、心の向くままにつくり楽しみたいものである。
尚、冒頭で述べた川柳の会に入会し、そこで面白そうな句を見出したら、また紹介することとしよう。
最後に、俳句川柳との句の道は、句ならぬ、苦にならずに楽しめるように、今後少しは勉強して行かねばと思ったところで、今日はこれまで。
「赤い糸 夫居なぬまに そっと切る」
この句を読んだ後のことだが、川柳の会に入っている家内の女友達から「男性会員が少ないのでご主人に是非入るように頼んでくれ」と家内が頼まれたとの事で、「入りなさいよ!」と家内がわが尻を叩いてきた。
その背景には、我が夫婦も年を取るに従い夫婦の外出度は次第に逆転していき、今やその実態は下記の通りである。
「年経るに 家内は家外 われ家内」
それ故、家内は自分が気兼ねなく外出するためにも、吾をなるべく多く外に出したいのかも知れない。 尚、我が家の近くの公民館で行われている種々サークル活動も「男の料理教室」と云うように男性限定の会でなければ、殆どの会は女性が圧倒的に多いとのことで、シニアーの家庭の実態は「妻は家外、亭主が家内」との状況になってきているように思えるのだが。
さて、冒頭で川柳のテーマーとなっていた「赤い糸」に話を戻すと、我が家の場合、
「赤い糸 何時の間にやら 鞭に化け」
と我の尻をたたく鞭に変化したようだ。 そして前述の尻叩きについての今回の結果は?・と聞かれれば、その川柳の会の見学に行くことを約束させられたのである。
さて、今回の如く川柳に誘われても、「俳句をやっているから、川柳までは手が回らない」と出来れば格好よく断れればよいのだが、残念ながらそうは行かないのだ。
もう10年も前であろうか、近くの高等学校で俳句の入門講座(日曜日5回開催)を開くとの事なので参加した。 それからもう10年も経ったゆえ、普通ならそれなりに少しは上手になっているのだろうが、そうは行っていないのだ。 実は、この講習会の後に、俳句の同好会に入り続ければよかったのだが、そうしなかったためである。
何故そうなってしまったのかを、当時の拙い俳句を用いて少し説明しよう。その俳句入門講習会で提出したのが下記の句々である。
「友逝くや 落葉震わす 鐘の音」
「菊の香や 笑みて焼香 曾孫達」
「犬よりも 歩調速める 夜寒かな」
「肉筆の 一言嬉し 年賀状」
「携帯や 車窓の紅葉 見向かれず」
これらの句を今思うと、吾は自然ではなく、人に惹かれて詠んだ句が多いようだ。即ち、吾の多くの句は、俳句の基本と云われる自然の写生ではなく、人間模様や社会風刺、即ち川柳的だったようである。
ところで、俳句を学び始めたのに入門の講習会だけでやめてしまった決定的原因は、前述の最後の句への先生の添削である。
吾の元句 「携帯や 車窓の紅葉 見向かれず」
先生添削後の句 「携帯電話 車窓の紅葉 伝えくる」
吾の句は、観光バスからの素晴らしい車窓の景色をみることなく、携帯電話に夢中になっている人の情景を詠んだつもり(!)だったのだが、吾の表現が拙いこともあって、先生は全く別の意味にとらえ添削されてしまったのだ。
勿論先生が添削した句の方が美しい紅葉の情景が目に浮かび、句としては良いとの事は十分に理解できるのだが、俳句の良し悪し以前に、自分の感じたこととは異なる句になってしまったことに戸惑ってしまったのだ。
自分の感性に近い先生に習わないと、習い続けても楽しくないのではと思い、入門講習会後のその先生主宰の俳句同好会に入ることなく学ぶことをやめてしまった為である。
これはNHKの俳句王国や新聞の俳句投稿欄で見られるように、句に対する評価が選者で異なり、選者と句の作者の相性がよくないと選ばれないことからも窺い知れよう。
結局、引き続き学ぶなら相性の良い先生に習いたいと思ったのだが、その後そのような先生を探すよう努めることもせず、俳句の学びは結局それっきりになってしまったのである。
だが、それは矢張り言い訳で、俳句には季語をはじめとして色々な約束事があるが、独学でそれらを勉強する意欲が、即ち俳句への熱意が足りなかったためである。 いや、熱意とともに才能のなさに気付かされたためでもある。
以上俳句と川柳について一寸わかったようなことを書いたが、俳句も川柳も下手の横好きであろうが、嫌いでないので気持ちが向いたときは、俳句か川柳かと気にすることなく、心の向くままにつくり楽しみたいものである。
尚、冒頭で述べた川柳の会に入会し、そこで面白そうな句を見出したら、また紹介することとしよう。
最後に、俳句川柳との句の道は、句ならぬ、苦にならずに楽しめるように、今後少しは勉強して行かねばと思ったところで、今日はこれまで。