去年公開された映画「日本沈没」で、潜水艦パイロットの小野寺が爆弾を持って海溝に潜り、命に代えて日本を救うのは、ただ恋人玲子のためであり、周りの人のためであるかどうかは描かれなかった。
一方73年に最初に映画化された時には、二人の恋愛も描かれたものの、小野寺はあくまでも日本を救うために行動している。

この点について、「前作は大きな社会問題があったのに対して、新作は小さな自分の物語に終始している。 これが、この30年の日本人の心性の変化を端的に物語っている」と諸富明大教授は分析している。

同様の傾向は04年のベストセラー「世界の中心で愛をさけぶ」も自分のあり方が、社会を介せず、いきなり世界に投影されるような物語であり、このような物語を指す「セカイ系」なる言葉も生まれた。

自己愛を膨らませ共同体に対して閉じている。そんな人のことを「おれさま」と「ぼくちん」
を組み合わせ「おれちん」と小倉京大助教授は名付けた。

同助教授によれば、靖国参拝を「心の問題」に帰した小泉前首相、 「人の心はお金で買える」といった堀江前ライブドアー社長、 「自分探しの旅」へ出かけたサッカーの中田英寿元日本代表が、日本の三大「おれちん」とのこと。

このまま「おれちん」ばかり増えれば、共同体が完全に壊れ社会が成り立たなくなるのではないかと心配される。
諸富教授は「個が生きるつながり」をキーワードに上げ「ミクシィ」なるソーシャル・ネットワーキング・サービスなど、ネットを活用した人間関係も否定しない。
一方弓山大正大学教授は「気づき、語り、変わる」と云う人の営みで、今はまず「語り」が必要、自分で認識したことを言語化し、他者へ働きかける。その小さな実践の積み重ねを信じるしかない」としている。

共同体の価値観を上から構築していくのか。それとも個人レベルの関係性を土台にしながら、価値観を共有していくのか。今年は日本社会がどちらに行くのかの分かれ道と小倉助教授は述べている。

自分は社会の中の1員であることを意識し、 社会(全体)を無視しないで全体の幸せも考え実行することが必要。 もっと身近な言葉で言えば自分の利益のために人を傷つけることはせず、人の役に立つことにも努めるということであろうか。

さて、今日は朝日新聞(07.1.17)の「モノサシ探し6」の「増殖するおれちん」の記事をもとにして「おれちん」紹介した。 
雑駁な紹介なれど、前記記事を読まれなかった方に、「おれちん」について考えていただける一助となれば、幸いである。

でも・・「おれちん」と云うと、男だけの事を指すように思えるが、イヤハヤ今は女性も同じなり! 「おれ」の代わりに「あたい」を使い「あたいちん」なのか?
「オレ様と同じようなるアタシ様 自己愛だけは男女均等」
 
尚、我は「おれちん」の素となる「ぼくちん」との言葉は何処から来たのかよくわからない。 「僕ちゃん」の「ゃ」を省略したものか、或いは天子の自称「朕」を用い、尊大にも「僕は朕」として「ぼくちん」が生まれたのか・・ご承知の方お教えいただければ幸い。

今日は雨、寒い冬の一日。
されど庭の梅の木を見るともう芽を吹き出し始めている。春は近い。
「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」・・菅原道真

尚、松と竹は冬の寒気に耐えて緑を保ち、梅は寒さの中、百花に先がけて花を咲かせることから、松・竹・梅を歳寒三友(さいかんさんゆう)」と云う。
尚、三友とは友としてふさわしい、正直な人、忠実な人、多聞(物知り)な人也。
「ぼくちん」の如く自己愛に膨らんでいる人は友にしたくないもの。
ホリエモンや中田は孤独で寂しそう。 いわんや同僚を抵抗勢力呼ばりした小泉に於いておや!

チャップリンによれば、生きていくために必要なものは「夢と勇気とほんの少しのお金」、これに加えて前述の三友がいれば、人生はハッピー happy!