山崎幹夫の映画リスト・経歴・上映歴

山崎幹夫の製作してきた映画作品の内容、スチール画像、簡単な解説、上映歴、上映チラシ画像などの資料を保管するための場所として使用します。
元々は自前のホームページ「ムエン通信」の中に置いてあったコンテンツなのですが、ホームページ作成アプリとして使っていたアドビGoLive6.0が使っているMacのOSのヴァージョンに対応しなくなったため、ホームページの更新が止まった状態になってしまったのでした。そのまま放置してしばらく経ちましたが「どうにかしないと」と思い、こちらのブログに移行することにしたわけです。
ただ引っ越しただけでは芸がないので、上映会のチラシの画像を資料として加えたり、思い出したことなどをコメントとして書き加えたり、作品のスチール画像もサイズの大きいものに差し替えたりしようと思います。
以下、もうちょっと詳しくガイドラインをば。
「プロフィール」にはある程度詳しく記述したプロフィール文章を載せます。文章の下部に数枚ポートレート画像を添付しました。
「作品リスト」はこれまで製作してきた作品をずらりとリスト表示します。作品名をクリックすると、個別の解説とスチール画像があるページに行けるようにしました。リストの作品名のアタマに●がついている作品は、理由は様々ですが、現在上映ができない状態にある作品です。
「上映歴」は数年ごとの年代別にページを分けます。さらにリンクが貼られているページに飛ぶと、チラシ画像と簡単なコメント(思い出話し)が記載されています。一番最初が1984年3月で区切られているのは、山崎幹夫の札幌在住と、それ以後(東京、東村山住み)を分けるためです。

有料で上映したことがある映画作品を「自分の作品歴」として以下、列記してます。
作品に付記してある西暦は、撮影編集した年ではなく、その作品が初めて有料の上映会で上映された年です。
番号の前に●の付いている作品は上映不能です。理由はそれぞれの作品ページに書いておきます。

番号/タイトル/分数/フォーマット/初公開年/備考

1/ポプラ並木の憂鬱/39/8mm/1979
2/M君の幸福な日々/20/8mm/1979
●3/フィルムは溶けてもスクリーンは溶けない/3/8mm/1980
4/非解釈/24/8mm/1980
5/短く優雅な入院生活/7/8mm/1980
6/ターミナルビーチX/47/8mm/1981
7/TBXノイズ編/8/8mm/1982
8/ダイナマイト・ロード/52/8mm/1982
9/海辺の記憶/5/8mm/1982
10/呼吸/3/8mm/1982
●11/CAMERA←→EYE/15/8mm/1982
12/ゴーストタウンの朝/46/8mm/1983
13/散る、アウト。/24/8mm/1984
14/世界はがらくたの中に横たわり/12/8mm/1984
15/陸路は夜の底に沈み…/19/8mm/1985
16/映像連歌/30/8mm/1985/10人の作家による3分ずつのオムニバス作品
●17/銀色の星/3/8mm/1985
18/泥のなかで生まれた/17/8mm/1986
19/往復/46/8mm/1986/山田勇男との映像往復書簡作品(共作)
20/うまうお/3/8mm/1986
21/極星/75/8mm/1987
22/りりくじゅんび/10/8mm/1987
23/でれっき/3/8mm/1987/パーソナルフォーカス参加作品
24/がむぜ1/20/8mm/1988/多人数参加ワークショップ作品
25/なまら1/30~50/8mm/1988/多人数参加ワークショップ作品
26/がむぜ2/約30/8mm/1988/多人数参加ワークショップ作品
27/じょっぴん/3/8mm/1988/パーソナルフォーカス参加作品
28/だはん2/約15/8mm/1988/多人数参加ワークショップ作品
29/あいたい/11/8mm/1988
30/往復ll/90/8mm/1988/山田勇男との映像往復書簡作品(共作)
31/がむぜ3/30/8mm/1989/多人数参加ワークショップ作品
32/VMの夢想/8/16mm/1989
33/3時に集まって/20/8mm/1989/7人の作家の共作作品
34/VMの漂流/9/16mm/1990
35/がむぜ4/約30/8mm/1990/多人数参加ワークショップ作品
36/VMの脈動/9/8mm/1991
37/くねひと/3/8mm/1991/パーソナルフォーカス参加作品
38/VMの地標/5/8mm/1991
39/猫夜/80/8mm/1992
40/破壊市を探して/15/8mm/1992
41/VMの間奏/8/8mm/1992
42/VMの不渋/10/8mm/1993
43/見捨てるほどのワタシはありや?/17/VTR/1993
44/6月15日の赤いバラ/3/8mm/1993/パーソナルフォーカス参加作品
45/往復lll/75/8mm/1993/山田勇男との映像往復書簡作品(共作)
46/VMの蜜猟/6/8mm/1994
47/100年後/56/8mm/1994
48//92/35mm/1994
49/VMの歩行/7/8mm/1994
50/8ミリの女神さま/4/8mm/1994/パーソナルフォーカス参加作品
51/トモちゃんインドへ行く/35/VTR/1995
52/夢のライオン/14/8mm/1996
53/虚港/80/8mm/1996
54/コージョルの鳩/3/8mm/1996/パーソナルフォーカス参加作品
55/V.M./80/8mm+16mm/1997
●56/グリザイユ/3/8mm/1997/パーソナルフォーカス参加作品
57/8ミリシューター論理狼/3/8mm/1998/パーソナルフォーカス参加作品
58/グータリプトラ/56/8mm/1999
59/往復lV/60/8mm/1999/山田勇男との映像往復書簡作品(共作)
60/夜にチャチャチャ/14/8mm/1999
61/モーロー牛温泉/3/8mm/2000/パーソナルフォーカス参加作品
62/食パンへぼ詩人/29/VTR/2000
63/毛髪悲喜劇/3/8mm/2001/パーソナルフォーカス参加作品
64/こぼれる黄金の月/9/8mm/2002
65/セル、眠っちゃだめだ/8/8mm/2002
66/あいたい<2002年版>/11/8mm/2002
67/遠くへ/16/8mm/2003
68/LetMeEndWithYou/12/VTR/2003
69/8ミリシューターDQNオヤヂ/3/8mm/2003/パーソナルフォーカス参加作品
70/無翼の朝と夜/70/8mm/2004
71/眠る永遠主義/35/8mm/2005
72/ロートレックの路地/10/8mm/2005
73/富士山へ飛ぶ夢を見るまで/26/8mm/2005
74/武蔵野ブラウン運動/11/8mm/2005
75/スターレーンをめぐる円周軌道/8/8mm/2005
76/予感/13/8mm/2005
77/表面科学の路地/10/8mm/2006
78/うずまきの彼方へ/16/8mm/2006
79/青果店裏の路地/8/8mm/2006
80/一夫多妻男の路地/9/8mm/2006
81/往復V/55/8mm/2006/山田勇男との映像往復書簡作品(共作)
82/8ミリシューター処刑宣告/3/8mm/2007/パーソナルフォーカス参加作品
83/銀河のどんぶり直し/55/8mm/2007
84/夜の心/14/8mm/2007
85/マルフク百景/13/HDV/2009
86/クラゲと亀裂/15/HDV/2010
87/1979/2010/15/HDV/2010
88/夜のてのひらの森/26/HDV/2011
89/赤バット娘/22/HDV/2011
90/遊星少年パピィの路地/12/HDV/2012
●91/うろつきズム論ノート/38/DVD/2012
92/もうすぐ夜がやってくる/25/HDV/2013
93/もうひとつの異国/20/DVD/2013
●94/1991年の北海道廃墟めぐり/28/DVD/2013
95/居酒屋張々の夜/15/DVD/2013
96/キリライダー/7/HDV/2013
97/水銀の心/22/HDV/2014
98/ディープスイーツ・ジュニア/17/HDV/2015
99/ディープスイーツ・シニア/45/AVCHD/2017
100/消滅点へ喉奥深く/22/HDV&AVCHD/2018

番号97は「ムエン通信」サイトでは『マーキュリーハート』100分になっていますが、まだ正式にはそのヴァージョンで上映したことはないので、ここでは連作短編最後の『水銀の心』を97番にしておきます。『マーキュリーハート』は『夜のてのひらの森』『赤バット娘』『もうすぐ夜がやってくる』『キリライダー』『水銀の心』をこの順番で繋げたもので、もともとオリジナル音楽が付いている『キリライダー』以外の4作品は、つけてあった音楽をエマーソン北村の音楽作品に差し替えてあります。

また大阪と京都で1998年頃に撮影した『Like A Heavenly Edge』50分はプロデューサーの意向によるものと思いますが、未だに公開されていません。公開した時にこの作品リストに付け加えることにします。

  1959年……0歳
東京都下の立川市で生まれる。育ったのは現在も住んでいる東村山市。

  1963年……3歳
力道山死す。あまり覚えてはいないが、おばあちゃんの膝に座ってプロレスを観戦していて力道山がチョップをはなつたびに、ワタシは畳の上にひっくり返っていたそうな。

  1964年……5歳
このあたりで小児結核を患う。昔の医療機械はとてもゴツくて、処刑されると勘違いして泣きわめく。

  1969年……9歳
ザリガニを採って遊んでいた近所の川が排水で汚染され、悪臭を放つようになる。
新宿の方では「ベヘーレン」という怪物が暴れているという噂を聞き、この世の終りは近いのではないかと思う。この時、なんとも言えない甘美な感情に襲われる。

  1972年……12歳
中学一年から代々木ゼミナールの日曜午前クラスに通う。午後に新宿で映画を観るための方便だったが、もったいないのでちゃんとやっているうちに受験勉強だけは強くなる。
この頃、家に8ミリカメラがあることに気づき、おもちゃのひとつとしていじくり始める。
また、クラブはバレーボール部に入る。一年先輩に髪を延ばしている人がいて、変だなあと思っていたら、ほどなくして芸能界にデビューしてしまった。なんとフィンガーファイブの真ん中の人だったのである。

  1974年……14歳
この頃から本格的に缶コーヒーを収集し始める。ちょうど戦後闇市的状況と言うか、缶コーヒーは無名メーカー各社入り乱れて百花繚乱の時期だった。
またこの頃「頭脳警察」目当てで出かけた日比谷野音で偶然「裸のラリーズ」を聴いていたりもする。

  1978年……18歳
北海道大学文類に入学。
興味の向くまま新左翼、演劇、文芸同誌などに顔を突っ込む。映画を観まくり演劇やライブもマメに足を運んだ。

  1979年……19歳
文芸同人誌のメンバーを中心に、映画をつくり始める。この頃、同人誌に載せた小説は「あまりに映像的」と評されたので、そんなら俺は映画をやろうと思う。

  1982年……22歳      
メキシコへ旅する。メキシコでは孤独仮面エルソリタリオを現地で観ることができて感動にふるえる。
映像製作・上映集団を形成すべく動き出す。そうして集まった徒党に「映像通り魔」と命名する。
自主製作映画の上映に加担するなかで、石井聰亙、長崎俊一、山本政志、山川直人、矢崎仁司らと出会い、またかわなかのぶひろさん、若松孝二監督らにもアジられて、やたら気合いが入っていたりした。山田勇男さんとも知り合う。

  1983年……23歳
6月。東京に戻って蔵前国技館でIWGP決勝戦を観戦。ホーガンのアックスボンバーで猪木失神。
ぴあフェスで自分の『海辺の記憶』とプロデュース・撮影をした森永憲彦の『PATINKO』が入選。
“映像通り魔”全道巡回上映を敢行。
『巻貝の扇』で銀河画報社と協力。

  1984年……24歳
2月、新日本プロレス札幌大会を観戦。藤原喜明の長州テロ事件勃発。興奮してついに激動の時代がやって来た、映画なんかチンタラつくっている場合じゃないと思うのだが、それでは何をしたらいいのか思いつかず、やはり映画をつくる。
3月、映像通り魔のメンバーが次々と退学するのを尻目に、ちゃっかり卒業する。
4月、東京へ戻る。大宮スケートセンターで第一次UWFの旗揚げ戦を観戦。
ぴあの映写技師を経てイメージフォーラムの助手となるが、父が病に倒れ、看病に専念する。が、あえなく病死。
これ以上映画にかかわっていては不幸になるばかりだと思い、映画の女神さまから逃れるべく、風俗、とりわけピンサロにのめり込む

  1985年……25歳
しかし長崎さんの『シナリオ 山口百恵の背信』に参加したのがきっかけで、再び映画をつくり始めてしまう。ところがスタッフのひとりが革マル派にテロられて重傷。

  1986年……26歳
この年より警察無線がじょじょにデジタル化進行。仕方なく、消防無線や自動車電話を傍受する。
また炭焼きさんに弟子入りして来たるべきパルチザン闘争に備えるため、木炭の作り方を習得する。

  1987年……27歳
『極星』完成。ユーロスペースで公開。
インド、ネパール、タイをブラブラ。タイではムエタイ(タイ式キックボクシング)を観戦。

  1988年……28歳
救急車が運転できるというので、病院の老人送迎サービスの運転手をするが、運転がヘタで病院に救急車をぶつけてしまいクビになる。
学童クラブという子どもの保育をするところで働く。ギターの練習を始める。

  1989年……29歳
けん玉に熱中する。一級の腕前になり、子どもたちに指導する。また、無線の免許を取得。コールサインも取得(現在はすでに失効)。

  1990年……30歳
一輪車に熱中。なんとか校庭一周できるようになれてとてもうれしい。アンダーグラウンド情報誌『ムエン通信』を発刊。

  1991年……31歳
パルコより依頼されて劇映画『プ』にとりかかるも、撮影途中で監督を解任されてしまう。
年末になって、来たるべきパルチザン闘争に備えるため、日本酒の自主製作にとりくむ。できた酒に『猫の舞』と命名。

  1992年……32歳
ファミコンのロールプレイングゲームに熱中。
秋には『猫夜』をようやく完成させ、公開。
また、乃木坂ラ・カメラでの上映会を開始する。

  1993年……33歳
3月、横浜アリーナで開催された女子プロレスオールスター戦を観戦。最後まで観たために終電に乗れずに苦労する。
『プ』の再開プランが立上がり、秋には撮影を再開。
また、初の単独著作『缶コーヒー風景論』が洋泉社より刊行される。

  1994年……34歳
『プ』完成し、イマジカにて初号試写。
7月、山田勇男監督の新作のシナリオハンティングのため、サハリン(樺太)へ行く。
秋から年末にかけて、住宅地図を参照して東京23区のあらゆる路地を探索。
単独著作第2弾『勇者のゆくへ★ファミコン無頼帖』が洋泉社より刊行される。

  1996年……36歳
「虚港」の制作に専念する。6月に完成して9月に公開。幸い好評で、そのあといろんなところで上映されることになる。

  1999年……39歳
湊谷夢吉のCDを完成。夏と冬のコミケに参加。前年に入籍した妻が妊娠したので、10月より同居することになる。

  2000年……40歳
3月に息子の丈(じょう)が誕生。保育のプロだったとはいえ、それは6歳から9歳まで限定のこと。新生児の扱いを学ぶ。

  2004年……44歳
単独著作3冊目になる『楽しく映画をつくる本』がワイズ出版より刊行される。

  2005年……45歳
ブログを始める。映像制作ノートブログと食べ歩きブログの2つをほぼ同時スタート。紆余曲折あったが、現在は前者は「山崎幹夫の各種センサー」として、後者はおもに武蔵野うどんに特化させた「ぐーたりの舌」として継続している。

  2009年……49歳
酔って自転車で帰宅する途中、たぶん意識を失って転倒、鎖骨を骨折する。今度こそ反省して深酒を控えるようになったが、母に「それじゃつまらないでしょ」と言われる。


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一番目と三番目の白黒画像を使うときは「撮影=首藤幹夫」とキャプション入れていただければ幸いです。

スクリーンショット マキ表
スクリーンショット マキ裏

那覇での浅川マキライブビデオ上映企画があり、その上映が20時と24時からの2回だったので「それなら間に1時間ぐらい自分の作品を上映させてもらえないだろうか」と打診して実現した上映。
3つのプログラムで6作品を上映したが、上映フォーマットはDVDで、無料上映として行った。

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2019年12月に同所で波多野哲朗さんが「個人映像の可能性」という講演を行い、このテーマで連続的に続けていこうということで第二弾を私が指名されたイベント。

1907a福岡
1907b福岡

札幌→東京→京都→浜松を巡回上映してきて、ラストは福岡で締める。

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1906b浜松


札幌→東京→京都と巡回上映してきた「映像ネットワークVIEWの時代」巡回4つ目が浜松の木下惠介記念館。私の『TBXノイズ編』は23日13時からのプログラムで上映。

京都1906a

京都1906b

札幌・東京と巡回上映してきた「映像ネットワークVIEW回顧プログラム」の京都上映。

とびうお1905

ラ・カメラ上映とかぶってしまったが、鈴木章浩・小口容子のお店である「とびうおキッチン」が閉店ということで企画された上映会。
鈴木氏が参加した『がむぜ4』を上映したいということで、本来はもっと参加者がいたのだけれど、どこかで上映した時にセレクションしてこの長さになっているバージョンをそのまま上映してもらうことにした。採用した参加者のうち、酒井知彦さんはもう連絡が取れない。最後に会った時は入院していてやせ細っていたので、おそらく亡くなったのだと思う。他に共通の知り合いがいないので消息不明なのだった。このひとはミニコミ『ムエン通信』の「多摩川情報」担当者だった人なのです。

ラカメラ1905a
ラカメラ1905b
ラカメラ地図

山田勇男さんの一時帰国によって1年2ヶ月ぶりに開催されたラ・カメラ上映。facebookで上映リクエスト(自薦可)を呼びかけたところ大西健児が名乗りを挙げたので加えたり、前年2018年の京都ルーメンギャラリー上映の後「見てもらいたい」と言ってきた宮崎くんの作品を新作も含めてラインナップ。また猫のチャコが前年末に亡くなったということで内村茂太作品も2作上映させてもらうことになった。
告知ハガキの文章は以下の通り。

まだ8ミリフィルムによる新作が生み出されていることに驚かれるかもしれない。え?もうとっくに8ミリは死んだのでは?と。いやぁまだまだ弾丸は残っているんですぜ。ドイツに住む山田勇男はバスに乗って8ミリフィルムを調達し、現像依頼をしていると言う。まさに血糊じゃない地の利。日本に住む大西健児と村上賢司のWケンジはどうやら期限切れフィルムをかき集め、自家現像という手段で8ミリフィルム作品を生み出しているようだ。まるで密造酒製造の趣だ。苦労して8ミリを使っているから評価して上映する訳ではない。彼らは確信犯だ。是非とも観客という立場で共犯気分を味わいたいと思う。しかしそんなふうに逞しい作家ばかりいる訳でもなく、内村茂太のようにシングル8の製造中止とともに作品製作をやめてしまった人もいる。そして2018年12月、内村作品の重要登場キャラでであった猫のチャコが亡くなったという報が入ってきた。追悼の意を込めて傑作『僕の新婚旅行』と最後の作品『日本のエーゲ海・内窓』を上映します。さてラ・カメラ上映初登場になる宮崎渉大は「略称・連続射殺魔」から始まる風景論映画の継承者だ。これまでいくつもの風景論映画があったが、それらを継承しつつ凌駕する力をビシビシ感じ上映させてもらうことにした。そしていつもいいタイミングで新作を発表する吉雄孝紀の最新作も今回もまた楽しませてもらおうと思う。(山崎幹夫)

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