セイバーメトリクスの祖、ビル・ジェームスが、「野球の十戒」を書いたことがある。他の九戒は一つも覚えていないのだけれども、戒めの一番目は「汝、バントするなかれ」だった。

ジェームズにかかると、バントは野球における最大の「罪」となってしまうのだが、セイバーメトリシャンがなぜバントを毛嫌いするのかというと、その根底にある理由は、守備の評価(4)で紹介した「状況別得点期待値表(The Run Matrix)」にある。以下、2008年のシーズン全体での実測値を再掲する。

                     アウト数
者    0             1            2    ‐
なし        0.521      0.279      0.108
一塁        0.900      0.528      0.227
二塁        1.150      0.695      0.335
三塁        1.499      0.969      0.346
一・二塁   1.530      0.919      0.464
一・三塁   1.769      1.159      0.481
二・三塁   2.006      1.422      0.589
満塁        2.306      1.586      0.799

たとえば、無死一塁で犠牲バント、走者をスコアリング・ポジションに進めて一死二塁とする戦術を考えてみよう。

無死一塁での得点の期待値は0.900であるのに対して、一死二塁の得点期待値は0.695。犠牲バントが成功した後、得点期待値が0.205下がってしまう(=得点が入りにくくなる)のである。

以下、同様に、犠牲バント前後の得点期待値の変動を記す。

無死二塁(1.150)→犠牲バント→一死三塁(0.969
無死一・二塁(1.530)→犠牲バント→一死二・三塁(1.422
一死一塁(0.528)→犠牲バント→二死二塁(0.335

いずれの状況においても、犠牲バントが成功した場合、「犠牲バントをする前と比べて逆に得点が入りにくくなる」結果が生じることがおわかりいただけるだろうか?

ジェームズにしてみれば、「なぜ、わざわざ得点が入りにくくなる状況をつくりたがるのか。バントするなど狂気の沙汰」と思うからこそ、「汝、バントするなかれ」が、十戒の「いの一番」に出てくるのである。

というわけで、「犠牲バントが成功した場合、一般に得点期待値が低くなる」のだから、守備側の監督は敵の犠牲バントが成功したら、「状況が悪くなった」と苦虫をかみつぶすのではなく、逆に万歳をして喜ぶべきであるし、反対に、攻撃側の監督は、犠牲バント成功を喜ぶのではなく、「なぜバントの指示なんか出してしまったのだろう」と、自分のアホさ加減を呪わなければならないのである。

かくして、セイバーメトリシャンの間では、「走者を進めるために敵にアウトを進呈する戦術は愚の骨頂」ということは「常識」となっているのだが、実は、この「常識」を無批判に一般化することにも問題があるので説明しよう。

確かに「走者を進めるために敵にアウトを進呈する戦術」が一般的に愚かであるのは間違いないのだが、以上の議論は、すべての状況をひっくるめて「平均」した上での議論であることに注意しなければならない。愚かさの度合いが状況によって変わってくることは十分に考えられるし、状況次第では犠牲バント戦術が正当化され得る可能性さえあるのである。

ここで、議論を進めるために、1961-1977年、17年間の「状況別得点期待値表」を示す。

                      アウト数
走者      0            1            2   ‐
なし         0.454      0.249      0.095
一塁         0.783      0.478      0.209
二塁         1.068      0.699      0.348
三塁         1.277      0.897      0.382
一・二塁   1.380      0.888      0.457
一・三塁   1.639      1.088      0.494
二・三塁   1.946      1.371      0.661
満塁         2.254      1.546      0.798

上に示した2008年の得点期待値表と比較して、一般に各状況における得点期待値が低い傾向にあることがおわかりいただけるだろうか? 1961-1977年は、今よりも「投高打低」の傾向が強かった(=得点が入りにくかった)時代であることが反映されているのである。

ただ、注意深い読者はお気づきだろうが、二死三塁、二死一・三塁、二死二・三塁の得点期待値は「投高打低」のはずの1961-1977年の方が高く、二死のチャンスで得点を上げることにかけては昔の方が上手だった傾向がうかがえ興味深い。しかし、今回のテーマからははずれるので、この点については深入りしない。

さて、話を元に戻して、投高打低時代における「犠牲バント戦術」が得点期待値に与える変動を見てみよう。

無死一塁(0.783)→犠牲バント→一死二塁(0.669
無死二塁(1.068)→犠牲バント→一死三塁(0.897
無死一・二塁(1.380)→犠牲バント→一死二・三塁(1.371
一死一塁(0.478)→犠牲バント→二死二塁(0.348

犠牲バント戦術の得点期待値減少を2時代で比較すると以下のようになる。

バント前の状況   1961-1977年   2008
無死一塁                   0.114         0.205
無死二塁                   0.169         0.181
無死一・二塁             0.009         0.108
一死一塁                   0.130         0.193

1961-1977年の方が、犠牲バントによる得点期待値の減少が小さいことがおわかりいただけるだろうか?

何が言いたいかというと、「犠牲バント戦術」の価値は、「得点が入りやすいか入りにくいか」の状況によって変わり、特に「得点が入りにくい」状況においては、その価値が上がるのである。

今回は、投高打低時代と打高投低時代の二つで比較したが、「得点が入りにくい」状況としては、たとえば、エース同士が投げ合う試合、著しく気温が低い環境での試合、メッツの本拠地シティ・フィールドのような「pitcher friendly」な球場での試合などが考えられ、こういった状況においては犠牲バント戦術の重みが増すのである。

犠牲バントは、「走者を進める」というプラスを、「敵にアウトを進呈する」というマイナスと交換する戦術である。得点が入りにくい試合では「走者を進める」プラスの価値が増す一方で、「敵に進呈するアウト」のマイナスの価値は元々低い(=バントをしなくてもアウトを取られる確率が元々高い)。犠牲バント戦術の価値は、「得点の入りやすさ」という変数の関数となっていることがおわかりいただけただろうか?

ところで、以上の議論は、走者を進めるために敵にアウトを進呈するという、犠牲バント戦術の背景にある「考え方」の当否について論じたものである。しかし、野球というスポーツの面白さは、物事が計画通りに進むとは限らないことにある。犠牲バントにしても、ねらった通りの結果が出ないので、話は大きく変わってくるのである。

今回は、犠牲バントが成功したと仮定した場合の得点期待値の変動に基づいて、「アウトを敵にプレゼントして走者を進める考え方は一般的には頭が悪い」ことを強調したが、次回は、犠牲バントを試みた後、実際に何が起こるのかという観点から、バントを「試みる」価値について論じる。

(この項続く)