これまで、

(1)状況別得点期待値を考慮したとき、「敵にアウトを進呈して走者を得点圏に進める」という犠牲バントの根底にある「思想」は賢くない、
(2)しかし、「思想」がアホであるのとは裏腹に、バントを試みた後に出来する状況は、平均すると当初の目論見を上回る「幸福な」ものとなる(例えば、無死一塁から一死二塁とすることを目的としてバントをした場合、敵のエラーを誘って無死一・二塁となったりするので、結果として生じる事態は、平均すると一死二塁よりは「幸福な」物となるのである)、

ことを論じた。

しかし、ここで強調されなければならないのは、以上の議論は、「すべての事例をひっくるめたデータ=平均値」に基づいたものであることである。

そもそも、ビル・ジェームズが「汝、バントするなかれ」とご託宣を下した根拠は得点期待値のデータ(=平均値)にあった。換言すると、彼のご託宣は「すべてをひっくるめれば正しい」という限定条件付きで扱わなければならないのであり、野球という複雑なゲームで起こり得る千差万別の状況すべてに無差別に適応しうる原則と考えてはならないのである。

なぜなら、平均的でない投手や打者が絡む場合、犠牲バントという作戦を試みる価値は、「平均」からぶれて当然だからである。さらに、「平均からぶれる」状況を作りうる要因はマウンドにいる投手や打席に立つ打者の力量に限らない。打者のバント技術、打者の走力、走者の走力、次打者の打力、・・・etc.と、犠牲バントを「試みる価値」に変動を与え得る要因を考え出したらきりがないのである。

前回紹介したセイバーメトリクス本『The Book: Playing The Percentages in Baseball』で、著者達は、無死一塁の状況でバントを試みる価値に変動を与えうる要因を一つ一つ詳細に分析している。個々の要因について、データがあるときはその解析で、データが不十分である場合はコンピュータ・シミュレーションを駆使することで、以下の結論を導いているのである。

ここで、記述を簡略化するために、彼らの結論を矢印で示すが、↑は「試みる価値大」、↓は「試みない方がよい」、→は「してもしなくてもあまり変わらない。しかし、作戦を敵に容易に読まれないようにするためには、ときどきしておいた方がよい」と解釈していただいてよいだろう。

エース同士が先発するなど、得点が入りにくいと考えられる試合の序盤:↑
平均的得点が入ることが見込まれる試合の序盤:→
得点が入りにくい試合(接戦)の終盤:↑
平均的得点が入ることが見込まれる試合(接戦)の終盤:→
敵チームがバントを予測している場合、一般に:↓
打者の打力が平均よりかなり劣る場合、敵チームがバントを予測していても:↑
打者の打力が平均の場合:→
打者が強打者の場合、敵がバントを予測していないのが普通であり、エラーを誘うなど「おまけ」の効果が見込まれるので:→
得点が入りにくい状況の試合では、打者の打力にかかわらず:↑(強打者の場合、通常、守備側がバントを予測していないことが普通なので「おまけ」の効果が生じうる)
次打者のタイプ。出塁率が同じなら、四球が少ない打者が控えているときほど:↑
打者のバント技術が上手で走力も優れている:↑

・・・etc,ときりがないのだが、要は、「バントを試みる価値に変動を与える要因はあまたあり、ジェームズが言うように『汝、バントするなかれ』と一般化することはできない」のである。

マイケル・ルイス著のベストセラー『マネーボール』で、アスレチクスのGM、ビリー・ビーンが、監督の犠牲バントの指示に烈火のごとく怒るシーンが描写されているが、MLBにおいては、当時、セイバーメトリクス派のGMが率いるチームで、「犠牲バントをしない」ことを金科玉条として作戦を立てることが流行った。

『マネーボール』が出版されたのは2003年だが、バントをしないチームの代表の一つが、テオ・エプスタインがGM(2004年就任)に就いた直後のレッドソックスだった。当時、レッドソックスがどれだけバントを嫌っていたかをコラムに書いたことがあるが、自分の判断でバントを試みた選手が、そのせいでマイナーに落とされたほどだったのである。

レッドソックスの専属解説者ジェリー・レミー(セイバーメトリクスなどかじろうともしない「スモールボール」派のタイプ)は、エース同士が好投している試合で、フランコーナ監督が頑として選手にバントを指示しないことに呆れて、「相手のエースが好投しているときに、ヒットが3本続いて点が入ると考えるなんてクレージーだ!」と叫んだことがあるが、私は、レミーの意見に賛同せざるを得なかった。

ジェームズは「汝、バントするなかれ」とのたまったが、それはあくまでも平均値に限定した際に「真理」となるのにすぎないのであり、野球という複雑極まりないゲームにおいては、「すべてのアウトが等しい価値を持つ」と思ったら大間違いなのである(すでに、本シリーズの第一回で、「得点が入りにくい状況」では、「敵にアウトを進呈する」ことにプラスの価値が生じうる可能性について議論した)。

ちなみに、投手が好投している試合で走者が出たときのレミーの口癖は、「make something happen」である。「バントでも、盗塁でも、ヒットエンドランでも、結果はどうあれ、何かを試みる。エラーを誘うかも知れないし、ぼてぼてのゴロが二塁をカバーするために動いた野手の後ろに転がってヒットとなるかも知れない。だから、何かをしろ。漫然と打って出るばかりでは、敵守備を慌てさせることはできない」と主張するのであるが、「スモールボール」派の考えを代表する主張と言ってよいだろう。

以上、今回は、

(1)野球というゲームでは、犠牲バントを試みる価値が大きい状況が出現しうる、
(2)監督は、犠牲バントをするかどうかについて、「試みる価値」に変動を与え得る多くの要因を考慮した上で判断しなければならない、
(3)ジェームズの「汝、バントするなかれ」とする戒めは、すべての状況に一般化して適用できる原則ではなく、状況によっては「スモールボール」の作戦が賢い物となる、

ことを議論した。

最後に、私が「日本式スモールボール」を全面的に是認したと勘違いされても困るのであえて言及するが、「無死一塁になったら杓子定規にほとんどいつも犠牲バント」したり、WBCの原監督のように「一死一塁で三番打者に犠牲バント」させたりするような作戦は、当地では「スモールボール」派の野球関係者でさえも理解できない「クレージー」な戦術と見えることを断っておこう。