ワールドシリーズ(WS)の移動日となった10月25日、カブスの新球団社長、テオ・エプスタインの就任発表が行われた。MLB機構は、普通、WS開催中にファンの気をそらすような重大発表はしないよう指導しているのだが、レッドソックスGMだったエプスタインのカブス移籍がメディアで報じられてから久しかったこともあり、「移動日なら」と、WS中に正式発表を行うことを特例として許可したのだった。

 記者会見で、エプスタインは、「野球は、歴史や伝統があるほど、そしてファンが熱心なほど面白い物になるし、その上で勝つのが最高」と、熱弁を振るったが、レッドソックスではGM就任初年に「ベーブ・ルースの呪い」を打ち破って86年ぶりのWS制覇をもたらした実績があるだけに、その言葉には説得力があった。

 エプスタインは「歴史と伝統」という言葉を使ったが、 彼の意図するところをもっとあからさまに解説すると、「(長い間負け続けてきた)歴史と伝統があるほど勝利の価値は重い」という意味になるのは言うまでもなく、1908年以降、1世紀以上WS優勝から遠ざかっているカブスのファンが、エプスタインに「救世主」としての期待をかけるのも無理はない。

 私も、優勝できなかった時代からレッドソックスを応援してきた者の一人として、カブス・ファンの心持ちは容易に推察できるのだが、ほぼ四世代(!)にわたって負け続けてきた体験が、ファン心理に特別な影響を及ぼさないはずはない。

 レッドソックス・ファンも、カブス・ファンも、「絶対に勝った」と有頂天になった直後、奈落の底に突き落とされる体験を何度も繰り返してきたのだが、奈落の底に突き落とされる度に、その影響がPTSDとなって心の底に暗い澱を沈ませるのである。そして、暗く、重い澱が心の底に淀んでいるために、どんなに状況が有利に見えても、「something bad is going to happen(何か悪いことが起こるに違いない」という不安から逃れることができない体になってしまっているのである。その結果、球場全体を「something bad is going to happen」のオーラが包み込むために、往々にして、本当に「何か悪いこと」が起こってしまうのである。

 つい最近の例としては、2003年の「スティーブ・バートマン事件」が有名だが、この事件が起きたのは、2003年、ナ・リーグ選手権シリーズ第6戦のことだった。マーリンズに3勝2敗と王手をかけて臨んだこの試合、カブスは、8回表一死まで3対0とリード。1945年以来、58年ぶりのWS進出を目前としていた。しかし、ここでファウルフライの捕球を最前列に座ったファンが妨害、アウトが取れなかったことがきっかけとなって、マーリンズの大逆転が始まってしまった。

 結局カブスは、この回、8点を奪われるのだが、点差が開くにつれてファンの怒りは、捕球を妨害したスティーブ・バートマンに集中、球場全体に「アスホール(くそったれ)」の唱和が始まっただけでなく、彼に物をぶつけたり、なぐりかかったりするファンが続出した。結局、身の危険を心配した球団職員が試合途中にバートマンを連れ去ったのだが、その後、彼は、まるでFBIの「Witness Protection Program(証人保護プログラム。マフィア等に対して不利な証言をした証人の身の安全を守るために、新たなアイデンティティの下で人生を再出発させる制度)」に入ったかのように、世の中から姿を消してしまった。

 バートマンの話を始めると長くなるので、ここで、話を今年のWSに戻すが、エプスタイン就任発表の翌日に行われた第6戦、レンジャースは、「あと1ストライクで優勝」という場面を2度も迎えながら、2度ともカージナルスに追いつかれてしまった。

 第一の場面は、7対5でリードした9回裏。二死一・二塁でデイビッド・フリースに同点三塁打を許してしまったのだが、右翼手のネルソン・クルーズが前もって一歩後ろで守っていたら(さらにいえば、もっとまともな右翼手だったら)捕れていた打球だった。

 「あと1ストライク」で追いつかれた二回目は延長10回裏。表に主砲ジョシュ・ハミルトンが2点本塁打を放ち、9対7とリードしたのだが、カージナルスは下位打線。8番ダニエル・デスカルソ、9番ジョン・ジェイの後、1番は投手のジェイソン・モット。しかも、控え野手はすべて使い切っていたために代打を送ろうと思ったら「投手の中で比較的打てる選手」を使う以外になかった。レンジャース・ファンが「今度こそ勝った」と有頂天になったとしても、不思議はなかったのである。

 しかし、「容易に打ち取れる」と見ていた8番、9番に連打が出ただけでなく、打ち取れていたはずの投手の打順で送りバントを決められ、レンジャースは一死二・三塁のピンチを迎えることになってしまった。四番のランス・バークマンの中前打で同点に追いつかれた時点で、勢いは完全にカージナルスに移ってしまったのである(カージナルスは、11回裏フリースのサヨナラ本塁打で第6戦の勝利をもぎ取ると、第7戦も圧勝した)。

 レンジャース・ファンにしてみれば、チーム創設51年目にして初めてのWS優勝まで「あと一球(=これで勝った)」という場面に二度も連れて行かれながら、二度とも奈落の底に突き落とされてしまったのだから、そのショックの大きさは想像に余りある。「優勝の祝杯用に」と、テレビ観戦しながら、シャンパンを冷やして待っていたファンもいたに違いないのだが、いま、そのシャンパンはいったいどうなったのだろうか?

 レンジャース・ファンにとって、初優勝の美酒に酔う代わりに、重いPTSDが残ることになったのだが、昔、同じ病を患ったことがあるレッドソックス・ファンとしては、「Welcome to the club!」と言う他はない。

 それにつけても、これまで、レンジャースは、チーム創設から半世紀も経っているというのに、ややもすると「歴史」とか「伝統」とかいう言葉とは縁のない、「二流」のチームと見られてきた。しかし、今回の第6戦の悲劇的敗戦で、レンジャースは、晴れて、カブスやレッドソックスにひけをとらない「歴史と伝統」を持つチームへと昇格した。

 就任時の会見でエプスタインも言ったように、「野球は歴史と伝統があるほど面白い」のだから、レンジャース・ファンには、負けたことを慰めるとともに、来季以降の野球の面白みがグレードアップしたことを祝福したい。

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(10月27日、姉妹サイト「李啓充 MLBコラム」を更新、「WS第5戦 知将ラルーサ、継投失敗の『ポストモルテム』」をアップしました。なお、講演・原稿等のご依頼は本サイトのコメント機能をご利用下さい)