前回のコラムについて、「ベーダー卿」氏より、以下のコメントが寄せられた。

「混合診療解禁とは、これまで保険の適用のない治療を受けると、保険適用される治療の部分についても保険が適用されなくなっていたのをやめて、保険適用のない治療については実費を払い、適用される治療について健保の料金を払う改正案と理解しています。

 今の制度であっても新規の治療について保険が適用されないのですから、『命が惜しければ家を売って金を作れ』という状況は変わらないのではないでしょうか。」

  ベーダー卿のコメントには多くの誤解が含まれているのだが、その第一として、卿が、混合診療解禁論者のねらいを理解していないことを上げなければならないだろう。そもそも、彼らは「医療における公を減らして民を増やす」とする大原則の下、「公的給付抑制」と「ビジネスとしての医療で儲ける」という一石二鳥をねらって混合診療の全面解禁を主張しているのである。

 そのために、前回のコラムでも書いたように、「お金がかかる新規の医療を、逼迫する保険財政でまかない続けることはできない。だから、新規の医療については保険外として、お金を払った人だけが受けられるようにしよう」という論理を採用しているのである。

 さらに言うと、「ビジネス」として保険外診療で儲けたいという発想が前提にあるので、患者に対する請求額が「実費」で終わることはありえない。価格が統制されない「自由診療」となるので、患者の足下を見て「法外な」額をふっかけることが懸念されるのである(実際、皆保険制による価格統制がない米国では、一回の入院で治療費を何千万円も請求されることが珍しくない)。

 ここで、実用化が近づきつつある(体内埋め込み型)人工心臓を例として、混合診療解禁論者が好んでする主張を紹介しよう。

⑴人工心臓が実用化された場合、1台数千万円のコストがかかることが予測され、乏しい保険財政の下、適応がある心不全患者すべてに人工心臓を使っていただくことは不可能である。

⑵そこで、人工心臓は保険外診療として、お金が払える人だけに使っていただく。

⑶可哀想だけれども、お金が払えない人には、人工心臓の使用を諦めていただく。

 かいつまんでいうと、「保険財政という『リソース』が枯渇している以上、適応のある患者すべてに診療サービスを提供することはできない。だから、支払い能力のあるなしで、ある診療サービスが受けられるかどうかを決める」と主張しているのである。

 ところで、「重症心不全患者の命を救う」という点に関して、人工心臓は、心臓移植と医学的に代わらない価値を有する治療である。ここで、人工心臓と治療的意義が等価である心臓移植に対して、混合診療解禁論者の主張する論議を当てはめてみよう。

⑴心臓移植では、ドナー不足という決定的な「リソース」の不足があるため、適応がある患者すべてに心臓移植を受けていただくことは不可能である。

⑵そこで、心臓移植は保険外診療として、お金が払える人だけに受けていただく。

⑶可哀想だけれども、お金が払えない人には、心臓移植を諦めていただく。

 リソース不足故に医学的適応のある人すべてにサービスが供給できない状況において、「支払い能力のあるなし」でサービス受益者を決めるという論理は、人工心臓の場合にはもっともらしく聞こえたかもしれないが、治療手段を「心臓移植」と変えた途端に「世にも恐ろしい」主張となることがおわかりいただけるだろうか? 心臓移植の場合、「支払い能力のあるなし」でサービス受益者を決めるというやり方は、「臓器売買を認めよ」という主張と同義だからである。

 つまり、たとえリソースが絶対的に不足する状況があったとしても、その乏しいリソースを誰に振り向けるべきかの選択を「支払い能力のあるなし」で決めることは医療倫理的には容認し難いやり方といわなければならないのである。

 心臓移植の場合、「誰が移植を受けるべきか」というレシピエントの優先順位については、社会が合意するルールがつくられているが、他の治療においてリソースが絶対的に不足する場合も、これに準じて、社会が合意できるルールの下にサービス供給の優先順位を決めるやり方を考えるべきなのである。なぜなら、「支払い能力のあるなし」のみでサービス受益者を決める制度を採用した途端に、文字通り「命の沙汰も金次第」の状況が現出し、地獄図のような医療が展開されることとなるからに他ならない。

 さらに、混合診療解禁論者は、往々にして「混合診療が認められていないせいで患者が最新の良い治療を受けられない」という言い方をするのであるが、これは、「問題のすりかえ」といわなければならない。なぜなら、安全性と有効性が証明された治療についてはこれを速やかに保険診療に含めるのが原則であり、もし、患者が、エビデンスが明らかな治療を受けられない状況があるとしたら、それは「混合診療が認められていない」せいではなく、「必要な治療が保険診療に含まれていない」せいだからである。

 しかも、現在、日本には「特定療養制度」と呼ばれる制度があり、保険診療にまだ含められていない新規治療については、専門家による「お墨付き」を得たものに限って例外的に保険外診療として併用することが認められている。これとは対照的に、「混合診療全面解禁」論者は、安全性・有効性の証明の有無にかかわらず、なんでもかんでも保険診療と併用できるようにしようと主張しているのであるから、これほど乱暴な話もないのである。

 安全性と有効性が証明された治療を「価格が高いから保険診療に含めることはできない。お金の払える人だけに保険外で提供する」という制度を採用した途端に、医療へのアクセスが「基本的人権」であることをやめ、お金が払える人だけに認められる「特権」と化してしまうことを忘れてはならないのである。

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