金の力に物を言わせたり、27回も優勝しているんだぞと威張り散らしたり、俺たちは偉いんだぞと根拠もなくおごり高ぶったり、外野フェンスに読売新聞の(それも日本語の)広告幕をつけたり、選手の長髪や髭を禁止したり、毎試合7回表終了時に「ガッド・ブレス・アメリカ」を歌わせたり、・・・etc.私がヤンキースを嫌いな理由を数え始めたらそれこそきりがない。今回は、私がヤンキースを嫌う無数の理由の中でも、普通のアメリカ人ファンには縁のない(そして、おそらく想像することもできないであろう)「もう一つの理由」について説明しよう。

読者は、ハーバード大学教授、ヘンリー・ルイス・ゲイツについて覚えておられるだろうか? そう、昨年7月に「誤認」逮捕された事件で、オバマ大統領に「謝罪」させるきっかけを作った、あの黒人教授である。

そのゲイツ教授がPBS(米国の教育テレビに相当)のために制作したテレビ番組「Faces Of America」(4回シリーズ)が、今週完結した。ゲイツ本人が進行役を務め、メリル・ストリープ、ヨルダンのラニア女王、ヨーヨー・マ等有名人12人の家系・出自を徹底して調べることで、移民国家アメリカの成り立ちについて考えるのが番組の趣旨だった。

ゲイツの調査対象となった12人の先祖が世界中のありとあらゆる土地から米国にやってきたのは当然として、どの家系も例外なく「著しい不正義」の犠牲となった歴史を有している事実には今さらながら驚かされた。

イギリス圧制下のアイルランドを飢えに耐えかねて抜け出した移民の子孫(ナイトショー司会者スティーブン・コルベア)。白人に土地を収奪されたアメリカ原住民の子孫(作家ルイーズ・エルドリッチ)。ナチスの手を逃れてアメリカに渡ってきたユダヤ人の子供(映画『卒業』の監督マイク・ニコルス)・・・。

しかも、圧政や貧困から逃れ、やっと辿り着いたアメリカで彼らを待っていたのは、さらなる「著しい不正義」だった。初めにやって来たイギリス系移民が次にやってきたドイツ系を差別したのに始まって、アイルランド系、イタリア系、東欧系、アジア系、ヒスパニックと、「新移民を対象とした差別のリレー」が延々と続いたのである。

今回の番組でゲイツが調べた12人の有名人の中でも、私が一番感銘を受けたのは、1992年五輪のフィギュアスケートで金メダルを取ったクリスティ山口一家の移民歴だった。

父方の祖父山口タツイチが、佐賀は嬉野から21歳でハワイに渡ったのは1899年。サトウキビ畑での奴隷同様の重労働に耐えた後カリフォルニアに渡り、数十年をかけて自らの農場を所有するまでになった。

しかし、真珠湾攻撃後「敵性外国人」として家族全員アリゾナ州ポストンの強制収容所に入れられただけでなく、農場も手放さざるを得なかった(強制収容所に入れられたとき、山口の父ジムは5歳だった)。戦後一農夫の境遇から出直し、再び農場を所有するまでに再起するのだが、アメリカ市民権獲得を許可されたのは亡くなる4年前の74歳。人種差別故に日系一世の帰化を禁止した法律が廃止される1952年まで、帰化申請を待たなければならなかったのである。

一方、母方の祖父、ジョージ・アキラ・ドイは日系二世。米国市民であったにもかかわらず、敵性「外国人」として、有無を言わさず強制収容所に入れられてしまった。

米国への忠誠心を証明するために、他の多くの二世とともに出征を志願したが、ドイが配属された部隊は日系人だけで編成された442部隊ではなく、白人だけからなる部隊。日本人兵士は彼一人だけだった。

194563日、ニューヨークタイムズ紙に「Nisei is promoted (二世昇進)」という見出しで、ドイが少尉に昇進したことが報じられた(一兵士の昇進がニュースとなっただけでも驚きだが、当時「Nisei」という単語が英語として一般読者に通用したのである)。「ドイは、疑いなく我が部隊で一番優れた兵士」とする部隊長のコメントが付されていたが、敵性外国人の汚名をそそぎ、米国への忠誠心を証明せんと、とりわけ勇敢に戦ったであろうことは容易に想像される。

ドイがヨーロッパ戦線で戦う間も、妻子は、コロラドのアマチェ・キャンプに収容されたままだった。山口の母キャロルが生まれたのは19451月だったが、ドイは収容所で生まれた我が子の顔を見ぬまま戦場で戦い続けたのである(第二次大戦中、強制収容所で生まれた日系人は6000人に達したが、現マリナーズ監督ドン若松の父親もその一人)。

クリスティ山口の一家に限らず、戦時中アメリカに住んでいた日系人は一人残らず同様の「著しい不正義」を体験させられる羽目になったのだが、強制収容から40年以上が経った1988年、米国政府は日系アメリカ人に対する戦時中の強制収容を正式に謝罪、一人当たり2万ドルの賠償金支払いを決めた。

私はいま、米国で「移民」のまねごとをしているが、幸運なことに、外国人故の「不便」を体験することはあっても、第二次大戦中の二世達が味わわされたような「著しい不正義」を体験することはない。

彼らが体験した「著しい不正義」に比べたら私が味わっている些末な「不便」など比較の対象になりえないことはわかっているが、同じ子を持つ親として、ドイ等二世達が命がけで米国に忠誠を尽くした理由は、「自分はともかく子供達にはもっとよい人生を送らせたい」と願ったからではなかったかと思えてならない。

クリントン大統領は、第二次大戦中勇敢に戦った日系二世達を、「国からこれ以上はないほどひどい仕打ちを受けていたにもかかわらず、その国のために、これ以上はないほど勇敢に戦った」と賞賛したが、彼らの偉大さをこれ以上的確に評した言葉もないだろう。

さて、ここで話をヤンキースに戻すが、1945年から1964年までヤンキースのオーナーを務めたデル・ウェッブの本業は建設業。日本人強制収容所の中でも最大規模を誇るポストン収容所(山口の祖父・父の一家が入れられた収容所)の建設を請け負ったのはウェッブだったが、彼は、「戦争中、アリゾナの日系人収容所を工期よりはるか前に完成してお上の役に立てた」ことを生涯自慢の種にしたという(自慢する度にあの忌まわしい侮蔑用語を使ったであろうことは想像に難くない)。

私がヤンキースを嫌うもう一つの理由がおわかりいただけただろうか。