一昨日まで、休暇でサンフランシスコを訪れていた。

滞在中、同性愛者のコミュニティで有名な「カストロ」の街を訪れた。映画『ミルク』(2008年、アカデミー脚本賞・主演男優賞獲得)を見た方ならご存知だろうが、1970年代末に、同性愛者の権利を守るためにサンフランシスコ市会議員となった後、非業の死を遂げたハーベイ・ミルクが居を構えた街である。

カストロの街に入ってまず目につくのは、中心地に翻る「レインボウ」の大旗である。レインボウ旗は、「LGBT運動」(LGBTはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字)のシンボルであるが、カストロの街のレインボウ旗は、幅7メートルはあろうかという、とりわけ巨大なものだった。旗の巨大さに、「性的嗜好に基づく差別は絶対に許さないぞ」というコミュニティの確固たる意思が、明瞭に見て取れた。

ミルクを顕彰する「ハーベイ・ミルク・プラザ」は、ちょうど、レインボウ旗が翻る真下の地点に設けられていた。在りし日のミルクの写真が10点ほど展示されていたが、ショーン・ペンが映画の中でどれだけ実物が持っていた雰囲気を忠実に再現していたかがよくわかり、「アカデミー主演男優賞を獲ったのももっとも」と納得した次第である。

ミルクは、同性愛者であることを公言して(英語では「openly gay」)公職選挙に当選した最初の米国人である。彼が初めて選挙に立った70年代初めは、同性愛者であるというだけの理由で、警官から袋叩きの目に遭っても不思議はないような時代だった。Openly gay の候補者が当選するなど、同性愛者の間でも信じる人が少なかった時代に、ミルクは、落ちても、落ちても選挙に出続け、1978年、ようやっと当選を勝ち取った。しかし、当選の1年後、スキャンダル故に退職したばかりの元同僚議員に、市庁舎内で殺されてしまったのは映画にも描かれたとおりである。

ミルクの死後30年、いまや、同性愛者が「カミングアウト」して自らの性的嗜好を高らかに宣言したとしても、誰も驚かない時代となった。とは言っても、未だに偏見や差別が根強く存在するのは事実であり、「カミングアウト」に多大の勇気を要することは、今も変わらない。それでも、多くの同性愛者が勇気を奮い起こしてカミングアウトできるようになったのは、LGBT運動の「殉教者」ミルクが、「時代の空気を変えたおかげだった」と言ってよいだろう。先週812日、オバマ大統領がその功績をたたえて、大統領自由勲章を授与した所以(ゆえん)である。

ミルクが「時代の空気を変えた」と書いたが、たとえば、私が住むマサチューセッツ州はニュートン市。私の娘が通った公立高校の校長もopenly gay だった(募金活動のための「教員隠し芸大会」では純白のスーツに身を包み、サタデー・ナイト・フィーバー、ジョン・トラボルタの物真似で生徒・父兄の大喝采を浴びたものだった)。さらに、ニュートン市選出の連邦下院議員は下院財務委員会委員長も務める民主党大物のバーニー・フランク。ミルクの死後約10年の1987年にカミングアウト、史上二人目のopenly gay連邦議会議員となった。

ところで、私も「カミングアウト」した経験を持っているからこそ言わせてもらうのだが、もし、いま、カミングアウトするかどうかを迷っておられる方がいらしたとしたら、勇気をふるってカミングアウトすることをお勧めしたい。というのも、「自らのアイデンティティを隠して暮らすことの疚しさ」ほど、精神衛生に及ぼす悪影響が大きな行為はないからである(もっとも、生命・身体・財産に大きな危害が及ぶような状況があるとしたらその限りではない)。

カストロの街を歩きながら、私は、40年近く前、中学3年生のときに、何も知らない級友達の前でカミングアウトした日のことを思い出していた。生まれてからずっと15歳まで通名(日本名)を使い、まるで日本人であるかのごとく振る舞っていた私が、社会科「自由発表」の機会を利用してカミングアウト、「在日」のアイデンティティを宣言した日のことを・・・。