February 15, 2012
大和撫子七変化
こんばんは。
今日はブログを書くつもりは無かったのですが、最近余りにストレスが溜まりすぎているため、ストレスのはけ口として一本書かせて頂きます。
決してバレンタインにチョコが一個も貰えなかったとか、お気に入りのコンビニのお姉さんにフラれたからとか、そういう理由からではありませんが、今日のはかなり毒づいているんで、不快を感じた方はすぐに読むのを止めて下さい。お願いします。
最近本当にイライラしています。自分でも良くないなというのは分かっているのですが、感情というのはコントロールできそうでできないもので、つい他人の悪態を突いてしまうときがあります。
今の日本の状況を考えると、恐らく皆イライラしているのは一緒とは思うのですが、私のストレスの原因は明らかに職場環境にあります。
まだ決断する前の段階でこういうことを言うのは決して宜しくないのですが、最近仕事時間中ずっと辞めるタイミングを考えています。恐らく夏くらいには、いや、ひょっとしたらもう少し早い段階で何かしらの決着を着けるかもかも知れません。体調のこともあるのでまだなんとも言えないのですが、、、。
もちろんこういう状況になってしまったのは私の自業自得でありますので、会社や周囲に不平不満を言うことはできません。全ての原因が私にあるのは承知しております。
しかし最近思うのです。ダルビッシュが「能力があるのに自分に甘い人、だらしない人、 目標に向かっていこうとしない人、そういう人が大嫌いなんです。イライラする。」と言い放ち、遂には行きたくないメジャーに行く決断をしてしまったのは、こういう気持ちだったからかもしれんなあ、と。
恐らくこれを会社の人が聞いたら「ロクに仕事もしていないお前が言うな!」と激昂されるのは目に見えておりますが、まあそれに関しては否定するつもりはございません。
ただ、間違ってるかどうかは別として、今の時点で私がそう感じているのは事実であります。
私が最近特にイラつくのは女性です。
もちろん例外はいますが、うちの会社の女性には魅力的な人がほとんど居ません。割合にすると2:8、いや、1:9くらいかも知れません。
「レベルの低い会社にいい女は集まらない」というのは私の持論ですが、ここ数年の内に女性の質がかなり劣化しているように感じます。恐らくこれは私の会社だけの話では無いのではないでしょうか?
話が大きくなってしまい恐縮なのですが、日本は今デフレと対極化の真っ只中です。周囲を見渡すと、それに準じるかのように人間の質も対極化及びデフレ化しているように思えて仕方ありません。
つまり全般的に質は下がっていることに加え、明暗がはっきり分かれてきているということです。
例えば私はとある街のガールズバーによく顔を出すのですが、そこには可愛い子が揃っています。
もちろん接客業ですのでそれなりに容姿のいい子を揃えているのかも知れませんが、決してそれだけではありません。
彼女たちは、さして高くもない給料(時給1500円程度)で毎日夜通し立ったまま酔っぱらいの相手をするという超ハードワークをこなしています。
それに加え、常に笑顔と気配りを絶やさずに飲み物を作ったりテーブルを片付けたりと秒単位の仕事をテキパキとこなします。時間が空いていれば店の前での呼び込みを自主的に行います。かくもそれが当たり前かのように。(無論全員が全員そうではありません。中にはなかなか出来ない子もいます。)
これは店舗や諸先輩ガールズの教育が行き届いている結果なのかも知れませんが、私はそれを見て、アルバイトの身でありながらなんて当事者意識が強い子達なんだろうと感心してしまいます。
私はこういう女性達は素晴らしいと思います。些細なことに非常に良く気がつきますし、何より自立しています。「自分の金は自分の力で稼ぐ」と。
ガールズバーに限らずそういった女性達は至る場所で見られます。飲食店・サービス業の店員、コンビニの店員、スーパーのレジ係など、皆現場の人間は必死で働いて、生活のための金を稼いでいます。世界中の観光客が「なぜこんなに安い給料でそこまで丁寧に仕事をするのか?」と驚嘆の声を上げるほど質の良いサービスを創り出しています。
それに比べて我が会社を始めとするとする中堅・大企業のOL達の体たらくぶりは何たることでしょう?
皆時間通りに通勤電車に揺られ、後は椅子に座ってさえいれば勝手に給料が入ってくると言わんばかりに座席で胡座をかいています。
一応パソコンの前に座って何やらキーボードをカチャカチャ言わせてはいますが、一体何を創り出しているのか傍目からは全く見えません。
かと言って女性に求められている細やかな気遣いや心配りがあるかといえばそれも無し、とても男性社員と同じ給料だということを自覚しているとは思えないほど甘えが過ぎています。おまけに自分が楽をしたいがために上司や同僚に取り入ることだけは一人前で、何かあれば自分で闘う気があるのか無いのかやれセクハラだ、パワハラと騒ぎ立てる。これではその辺のぼったくり詐欺と何が違うのかサッパリ分かりません。
、、、と、まあほとんど仕事もしていない身でこんなことを言えるはずもなく、オフィスでは悶々とした孤独な毎日を過ごしているのですが、結局今のダメな日本社会を作り上げているのは世の女性達なのだということを女性はもっと痛切に感じなくてはいけないと思います。
男っていうのは所詮女のために生きているのです。
女が甘やかせば甘やかすほど男っていうものはダメになっていくのです。
自分が楽をしたいため、チヤホヤされたいため周囲の男を甘やかす・男の失態を見て見ぬふりをする
⇒ダメな男の誕生
⇒ダメな亭主の誕生
⇒足りない愛情を埋めるために息子を溺愛
⇒ダメな息子の誕生
⇒ダメなまま成長
⇒ますますダメな男の誕生
世の中こういう連鎖になっていて、すべては自分に跳ね返ってくるのです。
その辺のところを世の女性、特にOLには改めて考えて頂きたい、と思う今日この頃なのでした。
あ〜言いたいこと言うとスッとしたような、しないような、、、。
気分を悪くした、そこのあなた、ゴメンしてね。^^

(Fabian Perez 「THE BARTENDER」)
February 05, 2012
為すべきことはやりましょう
こんばんは。
あなたの思いを文章によって伝える、言葉のテクニシャン=goroです。
本日もよろしくお願い致します。
さて、数日前から後頭部の頭痛が治まらない中、今日はいったい何を書こうか考えていたのですが、明日にも日本が沈没しそうなこの暗い雰囲気を少しでも明るくするためにはやはりこの話題しかないのかな?ということで、人が生きる上での最大のエンターテイメントであり、最も大切な事に焦点を当ててみたいと思います。
もうお分かりだと思いますが、そう、それは男女の秘め事、即ち「SEX」です。
人間には生理的な三大欲求があると言われています。「食欲」「睡眠欲」そして「性欲」です。
そのうち「食欲」と「睡眠欲」は生命に関わる問題として非常に良く話題にされていますが、三番目の「性欲」については、一般的にはあたかもタブーであるかのように疎かにされているような気がしてなりません。
そこで敢えて今日は書かせて頂こうと思うのですが、私はこの「性欲」こそ、実は生命の根幹に関わる最も大切な欲望であると確信しております。
街を歩いていると、若く、健康的な男女が、男はギンギンに、女はムンムンのフェロモンと分泌させながら闊歩しているのを目にします。彼らは実にたくましい生命力に溢れています。
それが中年になり、年老いていくにつれ、次第に生命力は衰えていきます。そしてそれに比例して性的魅力も半減していきます。
ただ中には、例えばデーブ・スペクターやみのもんたのように、多少年老いても肌がツヤツヤして、見るからに艶っぽい熟年の方もたくさんいらっしゃいます。
実際にそういう方にインタビューそしたり生態を観察した訳ではありませんので言い切ることはできませんが、私が想像するにこういう方々は間違いなく日頃「満たされたSEX」をたくさんしていると思われます。
つまり、「性欲」を満たすということは、生命を維持するためには欠かせないマストな欲求なのです。
恐らくここまでは皆さん異論の無いことだろうとは思われますが、問題はここからです。
「しかし男は風俗なんかで金払ったらやれるかも知れないけど、女はどうすんのよ?」
と、女性の皆様から世の不公平への怒りの声が飛んでくると思いますが、それは違います。大変失礼ながら、質問の方向が全く的外れでございます。
男にとっても、生命に関わる本当の「性欲」とは、決して風俗なんかで満たされるものではありません。
私も若い頃、何回か行ったことはありますが、あんなものはベッドの上で一人で行うマスターベーションと然したる違いは無いのです。
生きる上で必要なSEXというのは、脳内ホルモンが出まくる最高の興奮状態、つまり「エクスタシー」を感じることのできるSEXなのです。
そしてそれは、男女間の確かな信頼関係と心の繋がりが無ければ決して得ることはできません。
よしんば男性が金に者を言わせ、女性を我が物にしようと何回寝たとしても、そこに「金」という代償がある限り、それは単なるビジネスであり、心の交流ではあり得ません。
そういうSEXでは冒険心による興奮状態は味わえたとしても、性的なエクスタシーは決して味わえないのです。
ではそのエクスタシーを得るには一体全体どうすりゃいいの?という話なのですが、やはりそれは人間関係においての基本中の基本、ドキドキ・ワクワク「恋」をするしかないのです。
そこでまた世の奥方から新たな質問が生まれることが予想されます。
「でも、恋ったってアンタ、結婚してたら恋したってどうにもなんないじゃないのよ。それに長い間結婚生活を送っていたら、そんなもの無くなっちゃうわよ。」
とばかりに。
その質問には、私が一刀両断で明快に答えて差し上げましょう。
「そんなもん、結婚してても遠慮せずすりゃいいんです。」
と。
ここで誤解しないで頂きたいのですが、私はどこかの馬鹿な俳優みたく、浮気や不倫を推奨しているわけでは決してありません。
しかし、結婚したら他の男女とSEXしてはいけないとはいったい誰が決めたのでしょう?
私には「結婚」という人間が自分達を幸せにするために作ったルールで自分達を必要以上に縛り上げ、挙句の果てに不幸になってしまうというのは非常にナンセンスに思われて仕方が無いのです。
「お前は結婚してないからそんなことが言えるんじゃ。」
と、こんどは殿方からの罵声が聞こえてきます。
確かにそうかも知れません。もちろん私が結婚していたら、こんなこと思っていたとしても大っぴらに言うことは無かったかも知れません。
ただ、我々、特に男が知っておかなくてはならないというのは、男と女は根本的に違うということです。
これまで飲み屋で口説き落とした実績が皆無の私が言うのもなんですが、私には酒を飲みながら、ココぞという時に使う決め台詞があります。
「男は考える。そして女は感じる。」
これは皆さんもぜひ使って頂きたいのですが、この一言で男女関係の全てが説明行くといっても過言では無いでしょう。
旧約聖書の『創世記』によれば、
女性の始祖「エヴァ」は神の創った男性の始祖「アダム」の肋骨から誕生した。
そしてエヴァは地上の中で最も狡猾な蛇にそそのかされ、禁断の実であるリンゴを口にしてしまったため、知恵(恥)を知ることになり、そこに男女が発生した。
そしてアダムには生きるため生涯の労働を、エヴァには苦痛と欲求のため、男を渇望し、男に支配されるという運命を神から与えられることになった、
とのことです。(goro大約)
ここに書かれてあることがどれだけ真実であるかは分かりませんが、私が実に象徴的だなあと思うのは、女性がもともと男性の体の一部であったということはつまり、女は男のことは何でもお見通しだということです。
しかしながら、自分の内臓(内骨?)の一部であるにも関わらず、それが一体何なのかさっぱり分からないのは男です。
何が言いたいかというと、男は女について何一つ分かっていないが、女は男の行動は全てお見通しだという事実を世の男達は知らなくてはいけないということです。
女は自分の事を生まれながらにして知り、感じとっています。そして接する男が、どんな男かというのも全て潜在的に感じとっています。
そして、とあるエロゲームの名言を借りると、「全ての女は生まれながらにして女優」です。
この男はきっと浮気するだろうな、いつか私のことを捨てかねないだろうなというのも知った上で男と付き合っていても、素知らぬ顔をしてそれを悟られぬよう努めます。
そしてじっと男を観察しています。
男が浮気をするときは、必ずバレていると思って間違いは無いでしょう。
女は鈍い男と嘘をつく男が殊更嫌いです。男が女に嘘をついた瞬間、正確には嘘が暴かれた瞬間、女は即刻その男に三行半を叩きつけ、その関係は修復不可能となります。
そして全てそれは女が生きる上ではじき出した、計算卓上の出来事です。
ですので、結婚している男性が他の女性に恋をするときは、その覚悟を持った上でしないと、大変な悲劇が待ち受けるこになるでしょう。
では女の浮気はどうなのか?
創世記にもあるように、女は基本的に男に支配されることを望んでいます。と、いうより男に支配されてなくてはなりません。
さもなくば女は「暴走」するからです。
エヴァが神から禁じられていた知恵の実を食してはならないというルールをいともあっさりと破ったように、女性には世のルールとかそういう類のものは通用しません。
あるのは自分の感性だけです。ですので、一旦間違えた方向に走りだすと、自分ではどうにも止めようがありません。
それを防ぐために男は女が暴走しないよう、常に上手くコントロールしてやらねばならないのです。
女性もそれを分かっているため、なるべく理性で自分を抑えつけようとします。そして我慢します。
しかし、ここで私が思うのは、果たしてそんな我慢する必要はあるのかな?ということです。
もちろん、やたらめったらの暴走は世の秩序を維持する上で問題アリなのですが、ある程度我慢したらもう自分の意思に従って好き勝手すればいいんじゃないのかな?とも思っちゃったりするわけです。
なぜなら、そもそもそれはコントロールできなかった男の側の責任であって、女性の責任では無いと思うからです。
むしろその男性に役割を果たしていないという自分の罪を気づかせるためにも少しは暴走した方がいいかも知れません。
と、まあ若干書きすぎた所もあるかも知れませんが、とにかく男女の仲というのはいつまでたってもある程度の緊張感は保っておかないと上手くいかないんじゃないか?ということを今日は言いたかったのです。
ま、とにかく皆さん、人生は短いのですから、より良いSEXライフを堂々と楽しみましょう!
そんな仲さえ無縁の私に言われるのは全くのお門違い言われれば、そりゃまあそうなのですが、、、。

(
新世紀エヴァンゲリオン) January 22, 2012
さて、伸るべきか反るべきか?
ど〜も〜。毎度毎度のgoroで〜す。
日曜のどことなくアンニュイな昼下がり、皆さん如何お過ごしですか?
一昨日は大寒ということで、東京でも大雪が降り、身も心もすっかり凍てつきましたが、私は更に財布の中まで大寒となり、正に三重苦の逆境に喘いでおります。
さて、もう昨年の話になりますが、先日Facebookの書き込みで、友人からこんな記事が紹介されていました。
「死ぬ前の後悔、ベスト5」(goro まとめ・意訳)
1位:もっと自分に正直に生きればよかったなぁ、、、。
2位:そんな一生懸命働かんでもよかったんちゃうかなぁ、、、。
3位:正直に感情表に出しときゃよかった、、、。
4位:友達とずっと繋がっときたかったなぁ、、、。
5位:自分の幸せ、もっと真剣に考えとくべきやったわぁ、、、。
人生は「選択」の連続です。そして「あなたの」人生です。
幸せになるために、もっと意識して、賢く、正直に生きたっていいじゃない。
これは私と同世代の米国人の女性(独身・多分クリスチャン)からの紹介でしたが、私もそうだなあと思い、改めてシェアさせて頂きました。
この記事を読んで私なりにいろいろ考えてみたのですが、一つ心にひっかかったのは、
「でも人はなぜ死ぬ直前の後悔をそんなに嫌がるのだろう?」
ということでした。
うちの親父もよく「人生に悔いを残すな。」と言います。
私もそれはそうだろうと思います。
しかしよく考えてみると、別に死ぬ間際に後悔したって、そんなの一瞬、長くても数日我慢すりゃいいだけなんだから、別に気にせず 好き勝手生きればいいんじゃん?とも思うわけです。
例えば、別に自分に嘘ばっかりついていても、それで毎日楽しかったり、快楽を手に入れ欲望を満たすことができるんならそれもいいんじゃないんですか?むしろそっちの方がお得なんじゃないんですか?と。
が、しかしそれならわざわざ親切にこんな記事を書いて教えようとしてくれるはずもないよなあ、と、更に深く考えてみると、なるほど意味が分かりました。恐らく死ぬ間際に後悔するということは、その時だけ後悔するということではなくて、本当はそれより前からずっと後悔し続けているという意味なのです。だから恐ろしいのです。
本当はそうしたい、そうすれば人生がもっと明るくなり、楽しくなると分かっていたのにそうしない、そうしなかった。つまり「一歩踏み出す勇気」が無かったためにずっと重しを背負った人生を生きる羽目になってしまった。
こんな事ならさっさと足枷を外しておけばよかった、、、。きっとそんな後悔なのです。
私はまだ「死ぬ間際」を体験していないのですが、その思いには目を背けたり逃げることができないものであろうということは分かります。そう考えるとやはりできるだけ最後の瞬間に悔やみたくない人生を送りたいものだと改めて思い直し、自分に発破を掛ける次第であります。
ところで、先程何気なく「一歩踏み出す勇気」と書きましたが、私の経験上これは簡単そうで難しく、難しそうで簡単です。
私も若い頃は(今もそうですが)、「無謀」を「勇気」とよく勘違いしたものでしたが、どんな場面においても、間違えた方向に足を踏み出すと当然痛い目に遭います。場合によっては命をも落としかねません。
しかし、そこで躊躇していても行き着く先は後悔しか無いのですから、最終的にはやはり前に足を踏み出すしかありません。人生は選択の連続ですが、「留まっている」という選択肢は無いのです。
つまりより良い人生を送るためには、できるだけ正しい方向に足を踏み出すということが重要になります。
しかし人間は神様ほど賢くは無いため、本当に正しい方向というのは分かりません。むしろ「正しい」って何?と考えだすと、途端に道が暗闇に変わります。
、、、とまあ、こんな意味があるのか無いのか分からないことを突き詰めて考えていくと、人に残された選択肢は自ずと限られてきます。結局「与えられた道を歩むしか無い」と。
道の分岐点に差し掛かったら、「こっちの方が楽しそうだな」とか「こっちの方が先行き明るそう」とか自分が感ずる道を進めばいいだけの話なのです。
もし本当にどっちに進めばいいか分からないという分かれ道に出会ったら、その時は一度自然の囁きに耳を傾けて、それから改めて自分に聞き直せばいい。それだけの話なのです。
この風吹き荒ぶクソ寒い中、負けじとミニスカートで元気に街を出歩く金髪の小娘達を見て、私はつくづくそう思うのであります。
〜道〜
メッセージ from アントニオ猪木
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
ありがとう!

(写真:Studio By the Sea 北島清隆氏 Webより勝手に拝借m(_ _)m)
January 09, 2012
42歳へのお年玉
皆さん、少し遅くなりましたが新年おめでとうございます。
正月疲れを癒すにはもってこいの三連休。いかがお過ごしですか?
さて、私は下手ながらも囲碁をやっているせいか、最近なんでも物事を二極化して考えてしまう傾向があります。
おととい、碁会所に行くため電車に座って吊り革広告を何気なく見ると、雑誌「婦人公論」の広告が下がっていました。
私はこの雑誌は読んだことがないのですが、新年らしく、派手に坂東玉三郎が歌舞く表紙につい目に止まったのだと思います。
しかしそこで驚いたのは雑誌に登場している主な人物が皆そろって、私が日頃ちょっと苦手だな、あまり二人きりでは飲みに行きたくないな、と思っている人達だったことです。
ちなみにザッとあげてみると
瀬戸内寂聴
養老孟司
茂木健一郎
林真理子
黒木瞳
姜尚中
柴門ふみ
俵万智
蓮舫
・・・などなど。
もちろん全員が全員とは言い切れませんが、なぜ私の嫌いな人達がこんなに連々と群をなして大挙しているのでしょう?これは偶然にしてはちょっと出来過ぎだなと感じた私はそのまま電車の中で理由を考えました。
なるほど、答えはすぐに見つかりました。
まず「黒と白」「善と悪」「陰と陽」「北斗と南斗」など、万物には全て光と影があるということからスタートしました。次に、さすれば人間も大別すれば二つに分けることが当然できるのでは?と考えました。
ではどこで分かれるのか?と考えたのですが、それは恐らく
他人より自分を優先させる人
自分より他人を優先させる人
で分かれるのだろうということに気づきました。
これは検証をとることは不可能なので証明はできませんが、つきつめていくと、どこかで半々となって綺麗に分かれるのかもしれません。
まあこれは皆気づいているか、感じていることだと思いますので大した発見では無いと思うのですが、私自身の中では今まできちんと整理されてなく、「あ、そうか。なるほどな」と思うことができたため、新年早々良いお年玉を貰った気分になりました。
その後いつも行っている新宿の碁会所に行き、毎度のように先生に六石を置いて打って頂いたのですが、我ながらなかなか快心の囲碁が打て、先生にも褒めて頂くことができました。
さて、今年はどんな一年になるのやら。なんだか楽しみなような気がします。
ムフッ。 (*´ー`*)

(
北斗の拳 武論尊・原哲夫) December 24, 2011
金狼の遺言
皆さん、クリスマスおめでとうございます。
前回今年で最後と書きましたが、昔横浜アリーナでジェームズ・ブラウンがコンサートのアンコールに応えてくれなかった時の一抹の淋しさを思い出し、皆様のご要望に沿ってもう一本だけ書かせて頂きたいと思います。どうかクリスマス・プレゼントと思ってお受け取り下さい。
会社に長く勤めていると、どうしても出世する人と出世しない人に分かれてきます。
私も出世とは縁がないのですが、日本は大企業になればなるほど学歴が重視される傾向にあるように見えます。
それはそれで一つの真理かも知れないのですが、私はあまりその傾向が好きではありません。
なぜなら間違っているからです。
日本での大学最高峰は東京大学と言われています。実際どうかは分かりませんが、恐らく優秀な方がたくさん集まっていると思います。
私の中学・高校時代の同級生だった「山ちゃん」ことY下君も東京大学の経済学部に行かれました。
山ちゃんは中学の時からロリコン趣味だったり、ちょっっと変態で女性にはもてませんでしたが、とても勉強ができ、決めたことには何でも全力でとりかかるナイスガイでした。
確か中学3年の時、来るべき体育祭の1500m走のためだと思うのですが、毎日放課後一人でグラウンドを黙々と走っている彼を見て非常に感心したのを覚えています。
高校を卒業してから会ってはいないのですが、噂では日銀に入行し、大変立派になられているようです。
さて、話を戻すと今回私は特に同級の自慢話をしたい訳ではありません。
山ちゃんのように恐らく東京大学には人間的にも能力的にも魅力に溢れた人材がたくさんいると思います。
しかしだからと言って「東京大学=エリート=無条件で出世」というパターンはどう考えてもおかしいのです。
更にここは敢えて言わせて頂きたいのですが、実際今の東京大学に入ることなんていうのは「大したことではありません」。
こういうことを書くと恐らく東大生の皆様からは「じゃあお前入ってみろ。」と言われることでしょう。
その問いには、私は胸を張ってこう答えます。
「じゃあお前、今の会社辞めて自費でアメリカの大学(大学院では無い)を卒業してみろ。」と。
恐らく彼らのほとんどはクビを縦にはふらないでしょう。
なぜなら日米如何に関わらず、今更大学に会社を辞めて入り直すほどの価値は無いと思っているでしょうし、実際そうだからです。
一見論理のすり替えの様に見えるかも知れませんが、実はそうではありません。つまりこういうことなのです。
東大に行く、行かないなどというものは所詮選択肢の一つであり、ほとんどの人はそれを選ばなくても十分幸せな人生を生きていけることを知っているから行かないだけなのです。東大を目指す人達というのは恐らく勉強が好きで得意な人が多いのでしょうが、そういう人達が自分達で勝手にゲームを楽しんでいるだけで、ゲームに参加しない人にとっては全く関係の無い話なのです。
それをあたかも会社に入ると「俺は東大を卒業した選ばれた人間だ」とか、「俺は頭がいいんだから出世して当然なんだ」とか勘違いしてくる輩がでてきたり、周りもそれに同調してしまうから始末に終えないのです。(もちろん多くの東大生はそう思っていないと信じたいですが)
東大を出ているいないに関わらず、その人が出世するに値する人間かどうかというのは、その人間を八百屋に連れていけばすぐに分かります。
八百屋を初めとした自営業の方にとっては、学歴なんて自分の人生に全く関係ありません。ですので八百屋のおばちゃんは、東大を出た人であろうが中卒の人であろうが分け隔てなく平等に扱います。そこで「僕東大出てるんです」と自己紹介したところで、「へえ〜すごいねー、で大根何本?」で終わってしまうでしょう。本当に尊敬できる人間ならば「あんたいい男だわねえ、大根一本サービスしたげる。」となるのが自然の流れでしょう。
しかし例えゲームでも一生懸命努力して激しい競争を勝ち抜いてきたのだからやはり尊敬に値するのでは?と思われる方も多いと思うのですが、それは確かにそうです。彼らは立派です。しかしなんでもかんでも立派という訳ではありません。参加したゲームで優勝したという「それ相応分」だけ立派なのは確かです。ただし程度の違いはあれども皆生きる上でその位の努力はしているのですから、相応分以上持ち上げるべきではありませんし、余計な利得権益を与える必要もありません。ましてや無条件に組織のトップにさせるなんてのはもっての他です。モノポリーやポーカーの大会で優勝した人間が必ずしも人を惹きつけるだけの魅力があるとは限らないのと大して違いはありません。
だいたい学校で教わる勉強なんてものはたいして難しいものではありません。なんせ他の人が考えついたものを真似してるだけなのですから。
本当に難しくて苦しいものというのは、全く何も無い所から始めるというところにあります。
多くの絵描きが悩み、苦しむのは真っ白いキャンパスに筆をつける前に存在するのです。
多くのギャンブラーが一番頭を悩ますのは、無数にあるパチンコ台の中で、いったいどの一台を選ぶかということなのです。
その苦しみを乗り越えてこそ、初めて人の気持ちが分かるようになるし、先導者としての資格ができる。私はそう思うのです。
私が多くの企業の人事担当者に声を大にして言いたいのは、組織の上に立つ人を選ぶときは自分の感性を信じろということです。上層部や他の社員の安易な同意を得るために、どこで嘘ッ八が混ぜられたか知れたもんではない一般的な常識やモラルを信じるなということです。
例えその感性が間違っていたとしてもいいのです。なぜなら間違っていたならそれは一番最適な方法で自然が淘汰してくれるのですから。事実私だって淘汰されかかっているのです。それでいいのです。
最後に、先日元プロレスラーの上田馬之助氏がお亡くなりになられました。
1996年、高速道路で10トントラックに追突された上田さんは頚椎を損傷し、奥様の看病の元長い闘病生活を送られていました。
今年2月号の雑誌「紙のプロレス」で「金狼の遺言」として氏を特集した記事が掲載されており、その号をたまたま購入していたため、その中から一言だけ紹介させて頂いて今年を締めくくろうと思います。
「誰が一番強いかって?長生きしたヤツが一番強い。」
それでは皆さん、今度こそよいお年を〜。(^^)/~

(株式会社エンターブレイン 「紙のプロレス」 2011年2月5日号)
December 18, 2011
FATE
前回のコメントでもっと書いて欲しいという要望がありましたので、お言葉に甘えて今年最後の一本を書かせて頂きます。
私は俗に言う「運命」というものは存在すると思います。しかし、運命から目を逸らすために進むべき道を閉ざしたり、運命を言い訳にして歩むことを止めてしまう人が居るのも事実です。人間はやはり自分の運命に立ち向かわなくてはならない、私は常々そう思うのです。
こういうことを突然書くと、
「ついにコイツもイカれてしまったか、、、。」とか
「コイツひょっとして覚醒しちゃったのか?」とか
「コイツはもうすぐ死ぬんじゃないか?」
と思われる方も居るかも知れませんが、そんなことはありませんし、死にもしません。大丈夫です。(多分)
「デジャブ(既視感)」という言葉があります。初めてのはずなのに、既に体験したことをもう一度見ているかのような感覚で、皆さんも一度か二度は経験したことがあると思います。
最近、このデジャブの反対の感覚のようなものを感じることがあります。これから体験することが先に見える気がするのです。
もちろん、実際に見えている訳では無いのですが、そんな感覚に襲われることが時々あります。
これを書くと自分でも「遂にオカシクなったのかな?」と思うことがあるのですが、自分なりにその原因を分析してみると、二つ思い当たる点があります。
一つは年を重ねるにあたっていろんな経験を積み、それである程度の勘や予感が働くようになったのかな?ということ。
もう一つは自分で予めこれから起こることのパターンを無意識のうちにいろいろ考えており、たまたまそれに当て嵌まったというだけのことでは?ということ。
恐らくこれが組み合わさってそういう感覚になっているのでしょうが、一つ分からないのはなぜ自分がそのパターンを準備できたかということです。きっと何か原因はあるのでしょうが、たまに気持ち悪いほどドンピシャにパターンがハマる時があり、そういう時は本当に気持ち悪くなって吐きます。
程度の差はあれ、きっと皆様にも似たような経験があると思いますが、もし体験談があればぜひ教えて下さい。
一緒にオカルトの世界に飛び込みましょう。
(ちょっと本気ですが、半分以上冗談です。^^;)
最後に、いつものように一曲紹介して今年を締めくくりたいと思います。
それではみなさんよいお年を〜!!
「FATE」
作詞:尾崎雪絵
作曲/編曲:稲田昌宏
歌:孫策伯符(浅野真澄)
波乱(あらし)の前の静けさ
熱い気持ちこみ上げる
期待がふくらみ過ぎて
破裂しそう
はだけてゆく情熱と
めくれあがる欲望が
汗の飛沫(しぶき)飛び散らせ
暴れだすよ
歴史の風に煽られ逆らうよりも
この手で未来(あす)を選びたい
くせになるような激しさに心奪われてゆく
感じさせてよ壊れるくらいにもっと
傷つくことは怖くない強く変われるなら
闘うことは生き続ける証(あかし)
何のためにここへ来て
誰のためにどこへ行く
今はまだ答えなんて
なくていいよ
試されるのはいつでも心の弱さ
真の強さを知りたくて
くせになるような快楽に全て奪われてゆく
感じさせてよ狂わすくらいもっと
痛みを超えてまた一つ生まれ変わりたいから
闘うことを止められない運命(さだめ)
くせになるような激しさに心奪われてゆく
感じさせてよ壊れるくらいもっと
傷づくことでまた一つ優しくなれるのなら
闘うことは愛のための証(あかし)

(
一騎当千 塩崎雄二) December 01, 2011
寒さ所以の一曲
抗うことのできない時代の流れによって、私のブログもその役割を終えようとしています。
今まで他愛もないことを面白可笑しく書いてきたつもりですが、いつ幕を降ろしてもいいようにそろそろ人生について真剣なことも書いていきたいと思っています。
最近、いろんな時に頭の中でよくかかる曲があります。
特に意識している訳ではないのですが、会社で煙草をふかしている時など、きまってメロディラインとサビの部分が過ぎります。
昔から電車の中でよく聞いている曲なのですが、今まではずっと聞き流しの状態でしたし、歌詞もあまりよく覚えていませんでした。
それがある日、なぜか突然何回も聞き直したくなり、歌詞もちゃんと理解したくなりました。
何回かリピートして改めて聞いてみると、朝の通勤電車の中にも関わらずとても満たされた気持ちになり、突然涙が溢れてきました。
それに加え、今までなぜこの唄が自分に響かなかったのか理解できたのと同時に、遅まきながら今になってようやく意味が分かりかけたことを少し嬉しく思えました。
その後数日が経ち、たまたま友人のFacebookに掲載されていた東北地方の何気ない雪景色のスナップ写真を見た瞬間、なぜかこの曲が頭の中に浮かぶと同時に、具体的という訳ではありませんが、何かたまらなく愛おしい気持ちに包まれました。
そして、少し、ほんの少しですが自分が生きている理由というか、自分がこれからどう生きるべきかということが分かったような気がしました。
これを読んだ人のほとんどは「こいつは何を意味不明なことを言っとるんだ?」と思われるかもしれませんが、ぜひ次に紹介する詩を読んでもらい、僅かでも同調してくれる人が居てくれるとこんな嬉しいことはありません。
そういう人とはぜひ雪の舞い散る夜にでも、屋台で熱燗を酌み交わしたいものですなあ。
「嘆きの淵にある時も」
岡林信康
果てない雪に立ち尽くして
歩むことさえ かなわぬまま
望みも今は 雪に埋もれて
全てのものが 死に絶える時
季節の流れ瞳こらし
命の言葉聞き取るなら
重たい雪の下ではすでに
息づく緑ささやくように
望みがこの大いなる
命の流れに沿うものなら
かなわぬ事がなぜあるだろう
実らぬことがなぜあるだろう
春に枯葉は舞い踊らず
秋に緑の芽はふかない
夏に裸の梢を知らず
冬に花びら咲くこともない
季節の流れに瞳こらし
命の言葉聞きとるなら
全てを委ねこの身を任す
たとえ行手が見えない時も
望みがこの大いなる
命の流れに沿うものなら
かなわぬ事がなぜあるだろう
実らぬことがなぜあるだろう
かなわぬ事がなぜあるだろう
実らぬことがなぜあるだろう
ちなみに、決して女学生の受けを狙うためにロマンチストのフリをして書いた訳ではありませんので(多分)、そこんとこはヨロシク!

(H.R.君のFacebookからお借りしました。^^)
November 20, 2011
勝負はいつも果し合い
今年の日本シリーズは緊迫したナイスゲームが続くなか、見事ソフトバンクが優勝を勝ち取りました。
私にとっては、日本シリーズというといつも思い出すのが1989年のジャイアンツ対バファローズ戦です。
野球ファンの間でも伝説のシリーズとして今でも語り継がれる名勝負なのですが、その主人公は紛れも無く近鉄の加藤哲郎投手でした。
当時予備校生だった私も、このシリーズだけは見逃せまいと毎日食い入るようにテレビを見ていたことを思い出しますが、とにかく名将仰木彬監督率いる猛牛軍団、近鉄バファローズの野性味溢れる顔ぶれが私好みでした。
投手陣は阿波野、山崎、小野、加藤の四本柱に抑えの吉井。
野手陣はトップから大石、新井、ブライアント、リベラ、鈴木、淡口、金村、光山
と、正しく闘う男の個性派集団でした。
特にペナントレース終盤のラルフ・ブライアント、ハーマン・リベラの活躍は凄まじく、試合はいつも何か殺気立ったものがありました。
東西対決となった日本シリーズはペナントの勢いをそのまま引き継いだ近鉄があっという間に三連勝。
絶対的エース阿波野を残しての王手に誰もが近鉄の日本一を疑わなかったのですが、そこに思わぬ落とし穴が待っていました。
それは飢えた野武士達の中でも一際血生臭さが漂う男、加藤哲郎の口から飛び出したのです。
「巨人はロッテより弱い。」
実際は「巨人の打線は(その年パ・リーグ最下位の)ロッテほど迫力が無かった」と先発した三戦目のヒーローインタービューでのアナウンサーの質問に“馬鹿”正直に答えただけだったのですが、加藤の負けん気の強い性格を知っていたスポーツ紙はその言葉を拡大解釈し(実際見ていてそう思っている様子はありありでしたが)、あたかも加藤が巨人を馬鹿にしているように書きまくったのでした。
この記事が燻っていた巨人の闘志に火を点け、そこから巨人は怒涛の四連勝。おまけに最終戦は再び先発した加藤から先制アーチを放った駒田が「バーカ!」と罵るなど、巨人ファンの溜飲を下げる見事なメイクドラマぶりに我々近鉄及び加藤哲郎ファンは思わず悲鳴を上げる結果となってしまいました。
その後、加藤は近鉄ファンからも「あいつがあんなこと言ったばかりに、、、」と恨まれる結果になり、再び檜舞台に立つこともなくいつしか球界を後にするのですが、それでも私はそんな不器用ながらも一本気な性格の加藤が大好きでした。
先日、友達との待ち合わせ時間を潰すために立ち寄ったネットカフェで週刊誌を読んでいたら、偶然そのシリーズのことが採り上げられていて、そこに加藤と駒田のインタビューが載っていました。
その記事の中で加藤は
「シリーズ中のデッドボールのうち、落合さんに投げたデッドボール以外は全部わざとぶつけていた。」
「なんで敬意を払わなあかんのや?こっちは真剣勝負してんねん。」
(※うろ覚えなので正確性に欠く可能性あり)
と堂々と言い放っていました。
こういった歯に衣着せぬ発言の多さから(加藤はその後、野球解説者も暴言でクビになっている様子)、近鉄のOB会にも顔を出せないでいる加藤選手ですが、その後駒田選手はちゃんと加藤選手を認め、お互い良き仲となっているようです。
私個人的には、プロ選手たるものこういった「殺し」の雰囲気はいつもどこかに持っていてもらいたいと思っており、ソフトバンクの森福投手などからはそういった雰囲気が感じられたのを非常に嬉しく思ったのですが、皆様は今回の日本シリーズから何を感じ取られましたでしょうか?
来年も緊迫感漂う日本シリーズをぜひ期待したいものです。
November 03, 2011
What kind of animal you are?
もう10年以上前になりますが、ある日一人で上野にある国立科学博物館へ「大恐竜展」を見に行ったとき、列に並んでいた外国人のTシャツに「What kind of animal you are?」`と書かれていたのを今でも時々思い出します。
東京に住んでいて毎日いろんな人と出会いますが、なるほど確かにいろんな種類の人間がいるものです。
頭脳明晰、勇猛果敢、身体能力も抜群で、異性からモテモテのライオンタイプの人。
頭の中身はともかく、外見はやたらゴージャスで常に人目を引く孔雀タイプの人。
普段大人しく何を考えているのか全く分からないが、時たま凶暴になるイグアナタイプの人。
本当は弱い自分を少しでも強く見せるために、滅多矢鱈に怒ったり刺々しいことを言うハリセンボンタイプの人。
エレベーターの中、強烈な臭いのおならだけを残してさっさと出ていくスカンクな人。
人間は身体的な特徴に加えて精神的な特徴によっても分類されるため、非常に多種多様のようです。
しかし人間以外の動物のようにそれぞれ種類によって外見が大きく異なれば良いのですが、人間は程度の差こそあれ外見がほぼ同じなため、一見ではこの人は何の種類かというのがよく分かりません。これが人間社会を非常に分かりにくい複雑なものにしています。
例えば動物が同じ種類の動物としか交尾をしないように、基本的に人間も同じ種類の人物に惹かれ、恋をします。しかし人間は大前提として「人間」という同一のカテゴリで括られているため、違う種の人とでも交尾することはできます。つまり、本当は同じタイプの人間を求めているにも関わらず、勘違いしたり騙されたりして自分とは違うタイプの人間と交わってしまうことが多々あるようです。
いざそうなってしまっても、結婚する前や子供ができる前に「あ、この人は自分とは違う種類の動物だ」と気づけばまだ救いようがあるのですが、経験が薄いとなかなかそれに気づかないため悲劇は往々にして起こります。今流行りの熟年離婚などその最たるものですが、それでも結局は人間もやはり動物。皆最終的には自分の本来あるべき姿に戻って行きます。
ただ人間が他の動物と違うのは、動物は環境の変化になかなか自分を対応させることができないのですが、人間は結構柔軟に周囲の環境に自分を適合させることができるという点です。地球上の生物が何万年もかけて環境と共に変化してきたように、人間も外見こそそのままでも、内面を進化させることができるのです。しかもそれは自然界の法則からすると驚異的なスピードで。
ですので、昔何かが違って別れてしまった恋人とでも、お互い進化して再び出会った時には同種になっており、今度はすっかり上手く行くというケースもよく見受けられます。
これが全く人間の面白いところです。
長い間恋人ができない私。ひょっとすると私は環境の変化が激しすぎて深海魚のようにグロテスクな亜種になってしまったのかも知れません。
やだなあ、、、。

(ハリセンボン。Webより無断で拝借。m(_ _)m)
October 29, 2011
今の気持ちをまた綴ってみました
こんばんは。芸術の秋ですね。
また詩を書きたくなったので、よければ読んでやって下さい。
〜一人相撲に負けました パート2〜
by goro
相変わらず一人相撲が得意です
なんとなく気になるあの女の娘
一目会いたくて
夜の公園
膝を抱えて座っていました
公園には哀愁ただようドラマが溢れていました
紫煙を燻らす疲れきったサラリーマン
顔に世の不満が滲みでているぼっちのOL
人目を忍ぶこともなく大胆に不倫らしき恋を楽しむアベック
酔いに任せて猥談に勤しむ男性グループ
背筋を丸めることもなく
元気そうな姿でリアカーを引きゴミ箱を漁るホームレス
まさに人生イロイロです
そんな人達を冷静に見ている自分を
遠くから眺めているもう一人の自分がいます
遠くの自分が自分に語りかけます
「おい、この寒空の中、お前はいったい何をしているんだい?」
今度は天国からジョブズの声が聞こえます
「Stay Foolishというのは単に馬鹿になれという意味じゃないんだよ」
すると丸坊主の桜の木々が呟きます
「お前の花は既に散ってしまっているんだよ」
はい。わかってます
そんなことは百も承知です
しかし考えれば考えるほど私はわからなくなってくるのです
自分がいったい何を望んでいるのかを
いったい何を望むべきかを
人間だって動物です
犬のように素直に生きて何が悪い?
うちのランちゃんなんて他の犬の尻の匂いばかり嗅ぎたがるのです
私だってそうあってなにが悪いのです?
人間が人間の尻の匂いを嗅ぎたがって何が悪いのでしょう?
もう何がなんだかよくわかりません!
・・・
グイッと飲んだ甘ったるい缶コーヒー
空腹の胃袋に刺さります
あらぬ妄想と空想が交差する闇の中
寒さにガタガタ震えながら
見えないシルエットを追い求め
気がつけば公園内は私一人になっていました、、、
クシュン!!

またまた登場ランちゃんで〜す!