2010年05月21日
オルテガの「大衆」
社会は常に少数者と大衆という2つの要素からなるダイナミックな統一体で、大衆とは、特別な資質を備えない人々の総体であり、特定の階層を指すのではなく、「平均人」のことである。
2010年04月22日
ご挨拶
レオの保護者として担任の松永先生にご挨拶。
とても感じの良い先生だった。
東京の両親から子供を預かっている身としては、色々と責任を背負わなければいけないことは日に日に自覚してはきてるが、こうやって先生と話をすることで、あぁ本当にマズいことになったらレオの両親に顔向けできんなと痛感。
名ばかりの保護者としてしてではなく、将来をを見据えた上で方向性を逸脱せぬよう本人としっかりとどう向き会っていいのかが難しい。
ま、小さな子供とは違い、ある程度自分で考えて自分で動いてくれる年頃だということは大いなる助けではあるが。
とても感じの良い先生だった。
東京の両親から子供を預かっている身としては、色々と責任を背負わなければいけないことは日に日に自覚してはきてるが、こうやって先生と話をすることで、あぁ本当にマズいことになったらレオの両親に顔向けできんなと痛感。
名ばかりの保護者としてしてではなく、将来をを見据えた上で方向性を逸脱せぬよう本人としっかりとどう向き会っていいのかが難しい。
ま、小さな子供とは違い、ある程度自分で考えて自分で動いてくれる年頃だということは大いなる助けではあるが。
2008年11月03日
七つの大罪
・傲慢
・嫉妬
・憤怒
・怠惰
・強欲
・暴食
・色欲
自分は全てに当てはまるような気がする。
「憤怒」は他に比べて少し薄いかもしれないが。
・嫉妬
・憤怒
・怠惰
・強欲
・暴食
・色欲
自分は全てに当てはまるような気がする。
「憤怒」は他に比べて少し薄いかもしれないが。
2008年10月25日
嘘と真実
政治家は嘘を語り、作家は嘘で真実を語る。
嘘が蔓延しているこの世の中で嘘を付くことは悪なのだろうか。
人間が本能的に嘘を付くのは自己保身に尽きるだろうが、このヒステリックな世の中で自己を保持する、つまりアイデンティティを喪失しないがために嘘というのは必要不可欠なツールのような気がする。
罪と一緒で他人に見破られない限りは、その嘘は嘘という事実を帯びない不思議なマジック。
嘘と鋏は使いよう。
正しくその通りで、使い方によっては自分の武器とも仇ともなる諸刃の剣。
切れ味はそんなに良くないが。
嘘が蔓延しているこの世の中で嘘を付くことは悪なのだろうか。
人間が本能的に嘘を付くのは自己保身に尽きるだろうが、このヒステリックな世の中で自己を保持する、つまりアイデンティティを喪失しないがために嘘というのは必要不可欠なツールのような気がする。
罪と一緒で他人に見破られない限りは、その嘘は嘘という事実を帯びない不思議なマジック。
嘘と鋏は使いよう。
正しくその通りで、使い方によっては自分の武器とも仇ともなる諸刃の剣。
切れ味はそんなに良くないが。
2007年09月21日
Doors
If the doors of perception were cleansed, things would appear as they truly are infinite.
知覚の扉が清まると物事の真実の姿が限りなく見えてくる。
ウィリアム・ブレーク
知覚の扉が清まると物事の真実の姿が限りなく見えてくる。
ウィリアム・ブレーク
2007年08月14日
ジェンガのように崩れるわ
ジェンガのように組み立てるのに時間は掛かっても崩れるのは一瞬。
崩れると分かってて抜いたジェンガのブロックを手に持って呆然と立ち尽くす。
崩れると分かってて抜いたジェンガのブロックを手に持って呆然と立ち尽くす。
2007年07月27日
CPS論争
ちょっとメモ帳代わりに理論を書き連ねてますが、まぁ興味がある人はもっと掘り下げて書籍でも読んでみてください。
ここに載せてる文自体は落書きに等しいので、読んで理解できないって嘆かないでください。
書いてる本人も理解できてませんからw
CPS論争とはコミュニティの権力構造における議論で、権力エリート論と多元主議論が柱になる。
権力エリート論ではでは公衆社会が衰退し、大衆社会化が進むみ、一部の権力エリートによってコミュニティーが支配されるという理論である。
大衆社会化がおこると、組織の巨大化によって頂点の権力集中と底辺における諸個人の分断化・無力化が発生する。これにより集団の不均等化と一体化した権力エリート層の台頭が起こる。
特徴としては、権力の頂点と底辺を結びつける自立的な政治組織の衰退と国家行政機関の拡大がおこり、また恒久的な軍事的脅威の見せかけの中で、軍の統制力の強化が進行するようになる。
このようにして軍部と企業の利害が一体化し軍事的資本主義へと変化するのである。
つまり、権力エリートを構成する政府、大企業、軍部の3つのタイプが地位の相互互換性によるネットワークの構築を行い、重要な政策決定を独占するようになる。
それに加えマスメディアの独占と、それによる大衆操作も行われることになる。
この評価方法として用いられているのが声価法であり、地位がそのまま権力に結びつくのではなく、評判が影響力という点で権力となりうるとしているのが特徴である。
アプローチとしては対象となるコミュニティーの職能団体、市民団体、企業、公共団体、行政組織、社交界のリーダーと目される人々のリストを作成し、それらのリスト内の人々の情報通の判定者による評価を行う。
これにより絞り込まれた上位リーダー間における相互選択することによって誰か権力者なのかを決定することができる。
しかし権力エリート論には、権力の所在に関する検証の問題がある。
つまり、体制内部で意見の対立があった場合に、いつでも、ないしはほとんどの時において支配エリートの選択した見解がその体制の公式見解として採用されていることの検証が必要である。
他にも大衆操作に関する検証として、メディアを通じた世論操作の有効性は所与として仮定できない。
対する多元主議論は、政治的資源の多元化が権力エリートの政治的な影響力を低下させるとともに、新たな政治的資源として有権者の間における人気が登場してきたことによって多元的な構成をとる社会においては、そのような社会経済的な側面のみから権力の形成をとらえるのは困難とする理論である。
これらの評価方法としてはイッシューアプローチが用いられる。
これは影響力の現実的過程を明らかにするために用いられる。
まず都市再開発、公教育、政党立候補者指名という3つのイッシュー領域を選定し、これらの領域それぞれに政策形成および政策過程に参与したリーダーをリストアップする。
そしてこれらの各領域間のリーダーの重複性を確認することによって評価される。
しかし多元主義における方法論上の問題は、イッシュー領域の選択基準のあいまいさや決定の対象とならない重要な政策問題があることの可能性を無視している所にある。
ここに載せてる文自体は落書きに等しいので、読んで理解できないって嘆かないでください。
書いてる本人も理解できてませんからw
CPS論争とはコミュニティの権力構造における議論で、権力エリート論と多元主議論が柱になる。
権力エリート論ではでは公衆社会が衰退し、大衆社会化が進むみ、一部の権力エリートによってコミュニティーが支配されるという理論である。
大衆社会化がおこると、組織の巨大化によって頂点の権力集中と底辺における諸個人の分断化・無力化が発生する。これにより集団の不均等化と一体化した権力エリート層の台頭が起こる。
特徴としては、権力の頂点と底辺を結びつける自立的な政治組織の衰退と国家行政機関の拡大がおこり、また恒久的な軍事的脅威の見せかけの中で、軍の統制力の強化が進行するようになる。
このようにして軍部と企業の利害が一体化し軍事的資本主義へと変化するのである。
つまり、権力エリートを構成する政府、大企業、軍部の3つのタイプが地位の相互互換性によるネットワークの構築を行い、重要な政策決定を独占するようになる。
それに加えマスメディアの独占と、それによる大衆操作も行われることになる。
この評価方法として用いられているのが声価法であり、地位がそのまま権力に結びつくのではなく、評判が影響力という点で権力となりうるとしているのが特徴である。
アプローチとしては対象となるコミュニティーの職能団体、市民団体、企業、公共団体、行政組織、社交界のリーダーと目される人々のリストを作成し、それらのリスト内の人々の情報通の判定者による評価を行う。
これにより絞り込まれた上位リーダー間における相互選択することによって誰か権力者なのかを決定することができる。
しかし権力エリート論には、権力の所在に関する検証の問題がある。
つまり、体制内部で意見の対立があった場合に、いつでも、ないしはほとんどの時において支配エリートの選択した見解がその体制の公式見解として採用されていることの検証が必要である。
他にも大衆操作に関する検証として、メディアを通じた世論操作の有効性は所与として仮定できない。
対する多元主議論は、政治的資源の多元化が権力エリートの政治的な影響力を低下させるとともに、新たな政治的資源として有権者の間における人気が登場してきたことによって多元的な構成をとる社会においては、そのような社会経済的な側面のみから権力の形成をとらえるのは困難とする理論である。
これらの評価方法としてはイッシューアプローチが用いられる。
これは影響力の現実的過程を明らかにするために用いられる。
まず都市再開発、公教育、政党立候補者指名という3つのイッシュー領域を選定し、これらの領域それぞれに政策形成および政策過程に参与したリーダーをリストアップする。
そしてこれらの各領域間のリーダーの重複性を確認することによって評価される。
しかし多元主義における方法論上の問題は、イッシュー領域の選択基準のあいまいさや決定の対象とならない重要な政策問題があることの可能性を無視している所にある。
2007年07月26日
アリソンの3つのモデル
・合理的行為者モデル
何らかの問題に対して問題を正しく理解し、必要な解決策の選択肢やその結果を全て理解していて最善のものを選ぶ。
つまり完全合理性に基づいた理論と言える。
しかし現実での説明をするとなると無理が出てくる。
つまり政策の選択しや結果を完全に予測・理解するのは無理があり、また選択肢の結果が自分にとって何が1番良い結果なのかをはっきりと理解しておかなければない。
人間は合理的であるが、選択肢や未来の予測については限界が生じる。
・組織過程モデル
何らかの問題に対して分業化された組織で満足度基準を指標に選択肢を選ぶ。
つまり限界付けられた合理性に基づいた理論と言える。
現状という事実前提と現状のあるべき姿の価値前提という決定前提に沿って動く。
この組織における決定前提と個人の価値基準を擦り合わせる標準作業手続き(SOP)を行うほほど、円滑に行動ができる。
そして将来のことに関しては不確実性が多いため、短期的フィードバックで目の前にある問題を優先的に解決するため、不確実性を極力回避できる反面、組織内の学習ではドラスティックな変化がなくルーティーン的な変化するため、あまり変化が見られない。
そして分業化された組織という必ずしも1枚岩ではないので、部署によって矛盾した策を出すこともある。
・政府内政治モデル(官僚政治モデル)
政府を単一のアクターとして見てない点では組織過程モデルと似ているが、政府内部の決定において差異がある。
利益や地位を有する一定の地位の公職者たちが自分の立場に基づいて、自分に有利になるように決定を行う。
つまり階級のヒエラルキーの上部の人間たちによるかけきひが行われ、このかけひきの妥協の産物が決定だと言える。
プレーヤーによって立場が異なり全員が平等ではなく、格差がある。
この格差を決定付けるものは人生の経験から得た価値観やパーソナリティーだけではなく、ほぼ地位が立場を決定する。
合理的行為者モデルは政府を抽象化し、単一のアクターと見るのに対し、他の2つは政府を組織として見ている。
組織過程モデルと政府内政治モデルではルーティーンに基づき政策は妥協の産物という考え方は同じである。
また各公職間の交渉から始まるという点でも同じである。
ただし政府内の考え方や動き方は違う。
組織過程モデルでは中央による調整とコントロールがあったことによってトップダウンは起こりにくかった上に政府指導者も各省庁が用意した選択肢から決定してたために、地位によって政策決定における優位性は無かった。
また合理的行為者モデルと政府内政治モデルの共通点は、政府だけではなく各アクターのレベルまで掘り下げて考えているところである。
各モデルを通じて事実を見ると、概念レンズというバイアスを通して各モデルだけの強みだけが見えてしまう。
それぞれのモデルによって見え方が違い、よく見える部分とよく見えない部分があることを理解しておかなければならない。
何らかの問題に対して問題を正しく理解し、必要な解決策の選択肢やその結果を全て理解していて最善のものを選ぶ。
つまり完全合理性に基づいた理論と言える。
しかし現実での説明をするとなると無理が出てくる。
つまり政策の選択しや結果を完全に予測・理解するのは無理があり、また選択肢の結果が自分にとって何が1番良い結果なのかをはっきりと理解しておかなければない。
人間は合理的であるが、選択肢や未来の予測については限界が生じる。
・組織過程モデル
何らかの問題に対して分業化された組織で満足度基準を指標に選択肢を選ぶ。
つまり限界付けられた合理性に基づいた理論と言える。
現状という事実前提と現状のあるべき姿の価値前提という決定前提に沿って動く。
この組織における決定前提と個人の価値基準を擦り合わせる標準作業手続き(SOP)を行うほほど、円滑に行動ができる。
そして将来のことに関しては不確実性が多いため、短期的フィードバックで目の前にある問題を優先的に解決するため、不確実性を極力回避できる反面、組織内の学習ではドラスティックな変化がなくルーティーン的な変化するため、あまり変化が見られない。
そして分業化された組織という必ずしも1枚岩ではないので、部署によって矛盾した策を出すこともある。
・政府内政治モデル(官僚政治モデル)
政府を単一のアクターとして見てない点では組織過程モデルと似ているが、政府内部の決定において差異がある。
利益や地位を有する一定の地位の公職者たちが自分の立場に基づいて、自分に有利になるように決定を行う。
つまり階級のヒエラルキーの上部の人間たちによるかけきひが行われ、このかけひきの妥協の産物が決定だと言える。
プレーヤーによって立場が異なり全員が平等ではなく、格差がある。
この格差を決定付けるものは人生の経験から得た価値観やパーソナリティーだけではなく、ほぼ地位が立場を決定する。
合理的行為者モデルは政府を抽象化し、単一のアクターと見るのに対し、他の2つは政府を組織として見ている。
組織過程モデルと政府内政治モデルではルーティーンに基づき政策は妥協の産物という考え方は同じである。
また各公職間の交渉から始まるという点でも同じである。
ただし政府内の考え方や動き方は違う。
組織過程モデルでは中央による調整とコントロールがあったことによってトップダウンは起こりにくかった上に政府指導者も各省庁が用意した選択肢から決定してたために、地位によって政策決定における優位性は無かった。
また合理的行為者モデルと政府内政治モデルの共通点は、政府だけではなく各アクターのレベルまで掘り下げて考えているところである。
各モデルを通じて事実を見ると、概念レンズというバイアスを通して各モデルだけの強みだけが見えてしまう。
それぞれのモデルによって見え方が違い、よく見える部分とよく見えない部分があることを理解しておかなければならない。
2007年07月22日
黒岩 涙香
ついでに黒岩涙香も。
あくまで現代におけるそれぞれの人物の内容と評価であって、個人的な意見は入れてません。
そこらへんは書くと色々とあるのでパスしておきます。
まぁおいおい書いていきましょうかね。
黒岩涙香は明治時代において新聞を大衆のものとするために活動を行ってきた人物である。
明治初期における新聞界の状況は、日刊新聞が日本で初めて発行されたものの、旧幕臣によって発行されていたがために新政府に対して批判的なスタンスで政談が中心であった。
しばらくすると政府や特定の政党、資本家の機関紙化の様相を呈して、一般民衆が読者の中心とは言えないものであった。
そのような中、黒岩は万朝報を発行し、大衆にとって必要な情報と娯楽を新聞を通して提供していた。
万朝報は政治的側面での民権拡張ではなく新聞という文化的側面を使って民権拡張を図っていくことを目論んでいた。
そのため、政府や権力者に対しては批判的な立場であり、娯楽的または世俗的な形で民衆に分かり易く説明することを目指した。
その中でも娯楽本位の紙面作りを行い、大衆の世俗的な関心に訴えかけるような報道紙面を作った。
具体的には新聞小説やゴシップ報道、今では当たり前となっているスポーツ記事の採用などが挙げられる。
新聞小説では幕藩政府や資本家が権力を一手に握っていた当時の日本社会への批判を暗喩したような内容を展開していた。
ゴシップ報道では実際に大衆が与えられてきた権力者に良い様に作られた情報ではなく、実際の権力者の腐敗を暴露するという目的があった。
特筆すべきは娯楽記事でありながら大衆迎合という形に留まっていないことである。
連載小説では内容のクオリティーの高さを重視し、読者に媚びてレベルを下げるという行為は一切しなかった。
また、紙面作りにおいては有能な人材を登用し、彼らに自由に書かせることで娯楽記事を含めて紙面の質の高さを保とうとした。
また、富裕層や上流階級が大衆向けの新聞を作ること、つまり大衆向けに紙面のクオリティーを落とすと低俗な行為という認識を持っていたが、黒岩自身はそれは低俗な実践(クオリティーを落としているという考えにはない)と捉えてはいなかった。
つまり従来までの新聞というものが持つ一方向的な情報発信ではなく、一般大衆の要求に応えることによって新聞、マスメディアの質の向上あるいは、大衆との相互作用によって思想や言論が進歩していくとの考えていた。
また大衆娯楽としての民衆文化にうずもれた遊びやゲーム(将棋、五目並べ、百人一首)などといったものこそ本来の娯楽として未来に伝えていかなければならないという信念のもとに、それらの内容を紙面に掲載し、民衆文化が持つ魅力を再評価しなおすきっかけになった。
大衆文化=低俗であり、上流階級の文化=高い価値という社会的地位によって文化価値を決定するという支配的文化観を崩壊、変革させた。
黒岩の文化観は、当時の支配的な文化観とは全く対立しており、思想や言論を推し量る指標として、インテリにではなく大衆にどれだけ受け入れらるかで決定していた。
黒岩の新聞の大衆化という思想や実践に着目していみると、万朝報は文化面での民権拡大、大衆との交流を通じての言論や思想の進歩、既存の文化の批判、変革という意味合いを持っていた。
あくまで現代におけるそれぞれの人物の内容と評価であって、個人的な意見は入れてません。
そこらへんは書くと色々とあるのでパスしておきます。
まぁおいおい書いていきましょうかね。
黒岩涙香は明治時代において新聞を大衆のものとするために活動を行ってきた人物である。
明治初期における新聞界の状況は、日刊新聞が日本で初めて発行されたものの、旧幕臣によって発行されていたがために新政府に対して批判的なスタンスで政談が中心であった。
しばらくすると政府や特定の政党、資本家の機関紙化の様相を呈して、一般民衆が読者の中心とは言えないものであった。
そのような中、黒岩は万朝報を発行し、大衆にとって必要な情報と娯楽を新聞を通して提供していた。
万朝報は政治的側面での民権拡張ではなく新聞という文化的側面を使って民権拡張を図っていくことを目論んでいた。
そのため、政府や権力者に対しては批判的な立場であり、娯楽的または世俗的な形で民衆に分かり易く説明することを目指した。
その中でも娯楽本位の紙面作りを行い、大衆の世俗的な関心に訴えかけるような報道紙面を作った。
具体的には新聞小説やゴシップ報道、今では当たり前となっているスポーツ記事の採用などが挙げられる。
新聞小説では幕藩政府や資本家が権力を一手に握っていた当時の日本社会への批判を暗喩したような内容を展開していた。
ゴシップ報道では実際に大衆が与えられてきた権力者に良い様に作られた情報ではなく、実際の権力者の腐敗を暴露するという目的があった。
特筆すべきは娯楽記事でありながら大衆迎合という形に留まっていないことである。
連載小説では内容のクオリティーの高さを重視し、読者に媚びてレベルを下げるという行為は一切しなかった。
また、紙面作りにおいては有能な人材を登用し、彼らに自由に書かせることで娯楽記事を含めて紙面の質の高さを保とうとした。
また、富裕層や上流階級が大衆向けの新聞を作ること、つまり大衆向けに紙面のクオリティーを落とすと低俗な行為という認識を持っていたが、黒岩自身はそれは低俗な実践(クオリティーを落としているという考えにはない)と捉えてはいなかった。
つまり従来までの新聞というものが持つ一方向的な情報発信ではなく、一般大衆の要求に応えることによって新聞、マスメディアの質の向上あるいは、大衆との相互作用によって思想や言論が進歩していくとの考えていた。
また大衆娯楽としての民衆文化にうずもれた遊びやゲーム(将棋、五目並べ、百人一首)などといったものこそ本来の娯楽として未来に伝えていかなければならないという信念のもとに、それらの内容を紙面に掲載し、民衆文化が持つ魅力を再評価しなおすきっかけになった。
大衆文化=低俗であり、上流階級の文化=高い価値という社会的地位によって文化価値を決定するという支配的文化観を崩壊、変革させた。
黒岩の文化観は、当時の支配的な文化観とは全く対立しており、思想や言論を推し量る指標として、インテリにではなく大衆にどれだけ受け入れらるかで決定していた。
黒岩の新聞の大衆化という思想や実践に着目していみると、万朝報は文化面での民権拡大、大衆との交流を通じての言論や思想の進歩、既存の文化の批判、変革という意味合いを持っていた。
小林 一三
小林一三は最も尊敬する経営者の1人ですが、今まで産業開発や会社経営という切り口でしか捉えていなかったものを、改めて都市開発や都市政治という切り口で見直してみると面白い側面が発見できたので、少し走り書きをば。
しかしこういう落とし穴があったのは小林一三を経営者としてしか見ていなかったから。
彼には都市形成を成し遂げた偉大な事業家という側面を持ち合わしていたので分かっていながらあまり重要と捉えていませんでした。
まぁ文章がまとまってないのはご愛嬌でw
小林一三は阪急グループの創始者であり、近代の都市空間やライフスタイルを構築した1人である。
東京では三島通庸や井上馨が山形県庁街の整備やレンガ街計画、鹿鳴館の建設など官僚主導で都市開発を進めて行く中で、小林一三は民間企業として都市開発を先導していったと言える。
小林は都市や都市の住民のあり方に関して政府が関与すべきでないとし、都市開発は民間主体となって自由に進めていくべきとの考えを持っていた。
やはり美観重視の都市開発を行った結果が失敗に終わり、現実主義や機能主義的な都市開発が主流となった中で小林は自身の持つ箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)を軸にして様々な都市開発を展開していった。
中でも職住分離の現実と自身の当時の路線である梅田〜宝塚の乗客を獲得するために沿線の宅地開発を進めていった。
当時の池田周辺は農村地であり、住宅街ではなかったがここを開発し、池田室町200戸をホワイトカラーをターゲットに売り出した。
これらの戦略が成功したのは、ホワイトカラ層ーが本来描いていた思いと小林の鉄道の乗客数を増やしたいという思惑が合致したからである。
というのも従来の居住のための空間であった大阪都市部が労働や生産の空間へと変わりつつありある中で、工業化と人口集中により居住環境の悪化という現実からくるものである。
ホワイトカラー層はこれに対して住環境の良い郊外に逃げたいという願望がった。
これにより、私鉄の沿線に住んで大都市に通勤するという現在のライフスタイルが確立された。
また他にも阪急百貨店という初のターミナルデパート創設により、従来の百貨店の特徴であった交通の便の悪さや富裕層が中心の百貨店という存在を、阪急の乗客をそのまま取り込むことによって大衆化したことが挙げられる。
また宝塚歌劇団を創設し沿線での娯楽施設の開拓による乗客および娯楽施設の来場者獲得に乗り出したことや、朝日新聞社と共同で高校野球を豊中球場で開催して、その客に阪急を利用させることなどで阪急の乗客だけではなく様々な都市開発を行ってきた。
これらは阪急電鉄の特定時間における一方向の乗客(朝ラッシュは宝塚→梅田、夕ラッシュは梅田→宝塚)だけではなく双方向での乗客の獲得を目指してシャワー効果を狙った戦略といえる。
小林の何よりの功績は消費活動を楽しむという近代的ライフスタイルを関西の都市市民に根付かせたことである。
戦前まで政府主導の都市開発では、娯楽の余暇の重要性を看過していたが小林は戦前であれば風紀を乱すとして抑圧されていた娯楽というものを上手く取り込み、消費者の消費行動を楽しむという行為に結び付けていた。
小林一三は職住分離と余暇生活という2つの歴史的意義を持った近代生活形態を阪急電鉄を持って成し遂げた。
しかしこういう落とし穴があったのは小林一三を経営者としてしか見ていなかったから。
彼には都市形成を成し遂げた偉大な事業家という側面を持ち合わしていたので分かっていながらあまり重要と捉えていませんでした。
まぁ文章がまとまってないのはご愛嬌でw
小林一三は阪急グループの創始者であり、近代の都市空間やライフスタイルを構築した1人である。
東京では三島通庸や井上馨が山形県庁街の整備やレンガ街計画、鹿鳴館の建設など官僚主導で都市開発を進めて行く中で、小林一三は民間企業として都市開発を先導していったと言える。
小林は都市や都市の住民のあり方に関して政府が関与すべきでないとし、都市開発は民間主体となって自由に進めていくべきとの考えを持っていた。
やはり美観重視の都市開発を行った結果が失敗に終わり、現実主義や機能主義的な都市開発が主流となった中で小林は自身の持つ箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)を軸にして様々な都市開発を展開していった。
中でも職住分離の現実と自身の当時の路線である梅田〜宝塚の乗客を獲得するために沿線の宅地開発を進めていった。
当時の池田周辺は農村地であり、住宅街ではなかったがここを開発し、池田室町200戸をホワイトカラーをターゲットに売り出した。
これらの戦略が成功したのは、ホワイトカラ層ーが本来描いていた思いと小林の鉄道の乗客数を増やしたいという思惑が合致したからである。
というのも従来の居住のための空間であった大阪都市部が労働や生産の空間へと変わりつつありある中で、工業化と人口集中により居住環境の悪化という現実からくるものである。
ホワイトカラー層はこれに対して住環境の良い郊外に逃げたいという願望がった。
これにより、私鉄の沿線に住んで大都市に通勤するという現在のライフスタイルが確立された。
また他にも阪急百貨店という初のターミナルデパート創設により、従来の百貨店の特徴であった交通の便の悪さや富裕層が中心の百貨店という存在を、阪急の乗客をそのまま取り込むことによって大衆化したことが挙げられる。
また宝塚歌劇団を創設し沿線での娯楽施設の開拓による乗客および娯楽施設の来場者獲得に乗り出したことや、朝日新聞社と共同で高校野球を豊中球場で開催して、その客に阪急を利用させることなどで阪急の乗客だけではなく様々な都市開発を行ってきた。
これらは阪急電鉄の特定時間における一方向の乗客(朝ラッシュは宝塚→梅田、夕ラッシュは梅田→宝塚)だけではなく双方向での乗客の獲得を目指してシャワー効果を狙った戦略といえる。
小林の何よりの功績は消費活動を楽しむという近代的ライフスタイルを関西の都市市民に根付かせたことである。
戦前まで政府主導の都市開発では、娯楽の余暇の重要性を看過していたが小林は戦前であれば風紀を乱すとして抑圧されていた娯楽というものを上手く取り込み、消費者の消費行動を楽しむという行為に結び付けていた。
小林一三は職住分離と余暇生活という2つの歴史的意義を持った近代生活形態を阪急電鉄を持って成し遂げた。
2007年07月21日
アルツハイマー発言
柳沢厚労相の「女性は子供を産む機械」発言、松岡農水相の事務所費不正計上&官製談合疑惑&自殺、久間防衛相の「しょうがない」発言。
そしてきました我らが麻生外務相の「アルツハイマー」発言。
麻生太郎らしいですねw
麻生さんは嫌いじゃですし、まぁ今回のことはそこまで批判する必要はないと思うのですが、これによって安倍帝国はすでに崩壊してると言っても過言ではないのに更に追い討ちをかける状況に。
しかし麻生太郎なんて思ったことをすぐ口に出す爆弾ってのは分かりきってることで、内閣関係者もマークして牽制かけておかなきゃならんのにこの有様とはw
選挙の公示の時期にこれだからもう自民党は…
まぁ今回の選挙戦は面白そうですが、ジリ貧の自民党がどこまで立て直せるか。
もういっそのこと自民、民主まるごと消えてくれたらいいですがね。
他にも公明は創価だしイラネ。
共産はアカだしイラネ。
社民はふざけた女ばっかだしイラネ。
そんなこと言ってると国民新党やら新党日本みたいなカスしか残らん。
しかし演説を聞いていると、理想論とは言え、新党日本の田中康夫がまだ1番もっともなこと言ってるような気がするんですが。
しかしウチの選挙区には新党日本の候補はおりません。
どんマイケルw
そしてきました我らが麻生外務相の「アルツハイマー」発言。
麻生太郎らしいですねw
麻生さんは嫌いじゃですし、まぁ今回のことはそこまで批判する必要はないと思うのですが、これによって安倍帝国はすでに崩壊してると言っても過言ではないのに更に追い討ちをかける状況に。
しかし麻生太郎なんて思ったことをすぐ口に出す爆弾ってのは分かりきってることで、内閣関係者もマークして牽制かけておかなきゃならんのにこの有様とはw
選挙の公示の時期にこれだからもう自民党は…
まぁ今回の選挙戦は面白そうですが、ジリ貧の自民党がどこまで立て直せるか。
もういっそのこと自民、民主まるごと消えてくれたらいいですがね。
他にも公明は創価だしイラネ。
共産はアカだしイラネ。
社民はふざけた女ばっかだしイラネ。
そんなこと言ってると国民新党やら新党日本みたいなカスしか残らん。
しかし演説を聞いていると、理想論とは言え、新党日本の田中康夫がまだ1番もっともなこと言ってるような気がするんですが。
しかしウチの選挙区には新党日本の候補はおりません。
どんマイケルw
2007年07月20日
2007年07月12日
お人よし
クソったれ!どいつもこいつも…
俺は何が1番の問題か考えた
俺がお人よしだからだ。
自分を殺して相手に接しても、結局は自分にストレスという形で跳ね返ってくるだけだ。
そうだ、明日から牛乳に相談だ。
結局はこういうオチかよクソ!
笑ってんじゃね〜よ。
俺は怒ってんだよ。
俺は何が1番の問題か考えた
俺がお人よしだからだ。
自分を殺して相手に接しても、結局は自分にストレスという形で跳ね返ってくるだけだ。
そうだ、明日から牛乳に相談だ。
結局はこういうオチかよクソ!
笑ってんじゃね〜よ。
俺は怒ってんだよ。
2007年06月29日
朝鮮総連中央本部不正登記問題
結局、緒方元公安調査庁長官が詐欺容疑で逮捕された。
これで朝鮮総連は仮装売買の共謀者から被害者に。
ここまで一瞬にして、アクターの立場が180゜変わるとどうもキナ臭さが残る。
前までは不良債権による総連中央本部の差し押さえを逃れるために総連と緒方容疑者が共謀して不正登記したという見方だったのが、その総連の弱みを利用して緒方容疑者が総連中央本部の土地を騙し取り、総連は騙し取られたという形に変化した。
ここでキーポイントになるのが金の流れ。
緒方容疑者は金を支払う意志があったのか?
総連は売る意志があったのか?
今回の詐欺容疑での逮捕に筋は通っていますが、どうも総連絡みの何か見えない力を疑わざるえない。
これで朝鮮総連は仮装売買の共謀者から被害者に。
ここまで一瞬にして、アクターの立場が180゜変わるとどうもキナ臭さが残る。
前までは不良債権による総連中央本部の差し押さえを逃れるために総連と緒方容疑者が共謀して不正登記したという見方だったのが、その総連の弱みを利用して緒方容疑者が総連中央本部の土地を騙し取り、総連は騙し取られたという形に変化した。
ここでキーポイントになるのが金の流れ。
緒方容疑者は金を支払う意志があったのか?
総連は売る意志があったのか?
今回の詐欺容疑での逮捕に筋は通っていますが、どうも総連絡みの何か見えない力を疑わざるえない。
2007年06月25日
メルトダウン
暑い。
何も考える気がおきない。
脳ミソが溶け出しそうで、まさにメルトダウン状態。
何か酸っぱい物が欲しいね。
何も考える気がおきない。
脳ミソが溶け出しそうで、まさにメルトダウン状態。
何か酸っぱい物が欲しいね。
2007年06月20日
忙殺
忙殺というのは言い訳でしかない。
優先順位の高いものから処理していき、優先順位の低いものは忙殺しても構わない。
何故ならマストではないないから。
マストでないものに忙殺という言い訳は必要なく、たいがいの忙殺という言い訳は優先順位が間違っているか明らかなキャパ越えでタスクをこなしているかのどちらかである。
前者は単なる要領の悪さ、後者はスケジューリングの不徹底。
どちらもイージーなミスとはいえ、やりがちなミス。
いつも時間がないとボヤきつつも実際タスクを書き出してみると少ないというのはよくあること。
時間を無駄に使ってるからモアタイムが欲しいだけで、コンパクトに詰め込めばいくらでも余剰時間は生まれるはず。
だって大学行ってバイトしているだけの大学生なんだから。
優先順位の高いものから処理していき、優先順位の低いものは忙殺しても構わない。
何故ならマストではないないから。
マストでないものに忙殺という言い訳は必要なく、たいがいの忙殺という言い訳は優先順位が間違っているか明らかなキャパ越えでタスクをこなしているかのどちらかである。
前者は単なる要領の悪さ、後者はスケジューリングの不徹底。
どちらもイージーなミスとはいえ、やりがちなミス。
いつも時間がないとボヤきつつも実際タスクを書き出してみると少ないというのはよくあること。
時間を無駄に使ってるからモアタイムが欲しいだけで、コンパクトに詰め込めばいくらでも余剰時間は生まれるはず。
だって大学行ってバイトしているだけの大学生なんだから。
2007年06月18日
作用と反作用
作用があれば必ず反作用が発生する。
しかし作用は明解かつ目に見えやすいもののために見落とすことはなかなか無いが、反作用の存在に気付かないことは意外に多い。
誰もが反作用を見誤らなければ、世の中の悲劇は随分と無くなるかもしれない。プレッシャーも名の如くプレスされ、重圧という作用が働く。
プレッシャーを跳ね退け、そのプレッシャーを原動力に変える反作用を自分が持っているのか自信はないが、やるだけやってみないと分からないということだけ言っておこう。
しかし作用は明解かつ目に見えやすいもののために見落とすことはなかなか無いが、反作用の存在に気付かないことは意外に多い。
誰もが反作用を見誤らなければ、世の中の悲劇は随分と無くなるかもしれない。プレッシャーも名の如くプレスされ、重圧という作用が働く。
プレッシャーを跳ね退け、そのプレッシャーを原動力に変える反作用を自分が持っているのか自信はないが、やるだけやってみないと分からないということだけ言っておこう。
2007年06月17日
知識循環型社会
知識循環型社会とは、この世界における日常であり、知のインプットとアウトプットの循環現象である。
先人がアウトプットしたものを自分へインプットし、自分の解釈で噛み砕き更に自分の知を上乗せしたものをアウトプットする。
それを後世の人間がインプットするといったように知は常に循環を繰り返す。
インプットとアウトプットを効率的に出来ない人間の知はそこでストップし、その肉体と共に知は墓場へといざなわれる。
これが出来ていない人間、偏見かもしれないが巷に溢れる何のポリシーも持たないニートやフリーターといったヒエラルキー社会の底辺に属する人間の知は、ほとんどが歴史とともに風化運命にある。
つまり、いつの時代でも歴史というものが時代の勝者によって書き綴られてきたように、知も一部のヒエラルキーの上層部の人間によって構築されているのかもしれない。
どんな世の中においても知の不均衡は存在する。
高い知識領域から低い知識領域へ知が流入する。
この知の流入に伴って金銭の授受が発生し、商売というものは成り立っている。
つまり知が横一線の状態であれば商売は成り立たないと言っても過言ではない。
極論を言うとすれば全員が全員、車の知識があれば整備士は不要な訳で、誰もが鍵を無くしても自力でロックを外せるのであれば鍵屋は必要ない。
高度な知を提供する代わりに金銭を受け取るという構図は現代の世の中においては当たり前である。
しかし今日の社会において、この知の不均衡は二極化され、知を持たないヒエラルキー社会の底辺に属する人間は、早い話死ぬまで搾取される側である。
ここで知のヒエラルキーの上層部にいる人間というのは、どのような人間か具体的な説明をすると、高度なブラックボックスを持っている人間である。
人間は誰しも自分の中にブラックボックスを持っており、そこに様々なテーマを入力すれば答えが出力される。
人それぞれが独自のブラックボックスを持っているため、入力は同じでも出力されたものに関しては千差万別と言える。
このブラックボックスを生成する上で、勉強というのは非常に必要不可欠な要素であり、義務教育でアウトラインとなるある程度の回路がが完成し、高校や大学で更に回路に磨きがかけられる。
より緻密な回路を持つ人間の方が、インプットした知からアウトプットする知は更に高度なものになる。
単に学校での勉強の内容は、実社会において必要な勉強ではなくブラックボックスのワークフローを生成するための訓練だと考える方が妥当である。
こんなことを言ってもインプットとアウトプットが出来ている人間は少ないであろうし、自分がどれだけインプットしなければいけないのか、できるのか。
アウトップットできるのかを推し量る指標を持っている人間も少ない。
無知の知というものは、ある程度自分が経験や勉強をしてきたことにより得るものであり、何もしない状態であれば自分が無知ということに気付くことさえない。
まぁ自分がヒエラルキーの底辺にいる認識はあってもそこから這い出せない人間よりかは、自分のポジションが理解できていない人間の方が幸せなのかもしれない。
先人がアウトプットしたものを自分へインプットし、自分の解釈で噛み砕き更に自分の知を上乗せしたものをアウトプットする。
それを後世の人間がインプットするといったように知は常に循環を繰り返す。
インプットとアウトプットを効率的に出来ない人間の知はそこでストップし、その肉体と共に知は墓場へといざなわれる。
これが出来ていない人間、偏見かもしれないが巷に溢れる何のポリシーも持たないニートやフリーターといったヒエラルキー社会の底辺に属する人間の知は、ほとんどが歴史とともに風化運命にある。
つまり、いつの時代でも歴史というものが時代の勝者によって書き綴られてきたように、知も一部のヒエラルキーの上層部の人間によって構築されているのかもしれない。
どんな世の中においても知の不均衡は存在する。
高い知識領域から低い知識領域へ知が流入する。
この知の流入に伴って金銭の授受が発生し、商売というものは成り立っている。
つまり知が横一線の状態であれば商売は成り立たないと言っても過言ではない。
極論を言うとすれば全員が全員、車の知識があれば整備士は不要な訳で、誰もが鍵を無くしても自力でロックを外せるのであれば鍵屋は必要ない。
高度な知を提供する代わりに金銭を受け取るという構図は現代の世の中においては当たり前である。
しかし今日の社会において、この知の不均衡は二極化され、知を持たないヒエラルキー社会の底辺に属する人間は、早い話死ぬまで搾取される側である。
ここで知のヒエラルキーの上層部にいる人間というのは、どのような人間か具体的な説明をすると、高度なブラックボックスを持っている人間である。
人間は誰しも自分の中にブラックボックスを持っており、そこに様々なテーマを入力すれば答えが出力される。
人それぞれが独自のブラックボックスを持っているため、入力は同じでも出力されたものに関しては千差万別と言える。
このブラックボックスを生成する上で、勉強というのは非常に必要不可欠な要素であり、義務教育でアウトラインとなるある程度の回路がが完成し、高校や大学で更に回路に磨きがかけられる。
より緻密な回路を持つ人間の方が、インプットした知からアウトプットする知は更に高度なものになる。
単に学校での勉強の内容は、実社会において必要な勉強ではなくブラックボックスのワークフローを生成するための訓練だと考える方が妥当である。
こんなことを言ってもインプットとアウトプットが出来ている人間は少ないであろうし、自分がどれだけインプットしなければいけないのか、できるのか。
アウトップットできるのかを推し量る指標を持っている人間も少ない。
無知の知というものは、ある程度自分が経験や勉強をしてきたことにより得るものであり、何もしない状態であれば自分が無知ということに気付くことさえない。
まぁ自分がヒエラルキーの底辺にいる認識はあってもそこから這い出せない人間よりかは、自分のポジションが理解できていない人間の方が幸せなのかもしれない。
価値転換
価値転換とは今までの価値観が崩壊して、新しい価値観が生成され置き換わる。
今までにも産業革命、大正デモクラシー、太平洋戦争敗戦といった様々な価値転換が起こってきたが、この今の平凡に見える世の中でも沢山の価値観が置き換わっている。
いつの世でも普遍の価値を持つ万物の理は除いて、人間の持っている価値観などいとも簡単に崩れ落ちるものだと。
自分が正しいと思うな。
価値観のぶつかり合いは生きていく上で必要不可欠なもの。
日常というものは自己利益と社会福祉の葛藤であり、その中にも様々な価値観のぶつかりが生じるはずである。
このようなことを毎日、意識して過ごすと簡単に崩れない自分だけの価値観を持って生きていけると信じている。
今までにも産業革命、大正デモクラシー、太平洋戦争敗戦といった様々な価値転換が起こってきたが、この今の平凡に見える世の中でも沢山の価値観が置き換わっている。
いつの世でも普遍の価値を持つ万物の理は除いて、人間の持っている価値観などいとも簡単に崩れ落ちるものだと。
自分が正しいと思うな。
価値観のぶつかり合いは生きていく上で必要不可欠なもの。
日常というものは自己利益と社会福祉の葛藤であり、その中にも様々な価値観のぶつかりが生じるはずである。
このようなことを毎日、意識して過ごすと簡単に崩れない自分だけの価値観を持って生きていけると信じている。