2012年01月14日

般若山長寿院観音寺(埼玉県飯能市)

小岩井の里を出て、名栗街道を飯能市街へ向かう。

途中、お菓子のお店「大里屋本店」に立ち寄る。
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買い求めしは、こちらの銘菓「四里餅」。大福もしくはあんびん餅といったらわかりやすいだろう。
その昔、名栗川を下る筏師たちが、この餅を食べて、 しり餅をつくことなく川を下った、というのが命名の由来である由。看板にして人気の商品で、閉店までに売り切れることも多いそう。粒あんとこしあんの2種類がある。 


東進してきた名栗川が右にカーブし、入間川と名を変えるあたりは、「飯能河原」といい、夏はバーベキューのメッカとなる。ちょうどこのあたりが、飯能市街と郊外の境目になり、特に冬場は、このあたりが天候の替り目にもなる。
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  その飯能河原を見渡す位置にあるのが、次に訪れる観音寺である。観音寺は、真言宗智山派のお寺であり、奥多摩新四国八十八ヶ所の64番札所、武蔵野三十三観音の24番札所、高麗坂東三十三観音の10番札所といくつかの札所を兼ねている。また、武蔵野七福神のうちの寿老人が祀られている。
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 本堂。御本尊は、如意輪観音さま。
御本堂の傍らには、お大師さまの像が建ち、四国八十八か所のお砂踏み場もある。
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文昭院殿=6代将軍・徳川家宣の霊前に献ぜられた石灯籠。
奥州三春藩主・秋田信濃守輝季が献じたもので、芝・増上寺の家宣廟にあったが、戦災に遭った家宣廟跡地を西武グループが買収し、ここに遭った石灯籠を現在の西武ドーム付近に移動(家宣廟跡は東京プリンスホテルに)。そこに西武球場ができる際に、近隣のお寺に希望により配布されたのだという。
観音寺には、このほかにも同じような石灯籠が2基あるし、他のお寺にもかなりの広範囲に残されているようだ。
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木造の素朴なつくりは、福寿殿。庫裏とつながっている。
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こちらのお寺で、ひときわ目を引くのが、この白い象の像。もとは鐘楼だったが、戦時中に釣鐘を供出。そのあとに、この像が置かれるようになったというのだが…。いつもわきの道を通るたびに、不思議に思っていたゾウ(爆)。
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御朱印は、庫裏にて。何も言わずにお願いしたら、七福神の寿老人の御朱印になった。お正月だから、七福神の御朱印を求めてくる参詣客が多いのだろう。
 
こちらのお寺は、幕末の「飯能戦争」の際、幕府方の「振武軍」が立てこもり、また、さきの戦争の終結直後には、若い陸軍将校が敗戦の責を負って自刃する場所に選ぶなど、歴史の節目に舞台となっているお寺である。

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