2014年08月15日

東山慈照寺(銀閣寺/京都府京都市左京区)

東福寺駅に戻り、京阪電車に乗って、三条駅まで。三条大橋のたもと、三条通川端ということになるが、地名としては「三条京阪」が一般的である(厳密にいうと、三条通と川端通の交叉点は「三条大橋」交叉点で、「三条京阪」交叉点は、その1個東方の交叉点の名称になっている)。
「土下座像」として有名な高山彦九郎の御所遥拝像を見つつバスに乗り、銀閣寺道まで。
そこから人でごったがえす、銀閣寺への道を進む。夏休みであることに加え、明日は五山の送り火。銀閣寺は、いわゆる「大文字山」を後背に背負う。
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銀閣寺は、正式名称を「東山慈照寺」といい、臨済宗相国寺派大本山である相国寺の境外塔頭寺院である。金閣寺や清水寺と並んで、京都の観光地の代表格であることは言うまでもない。ユネスコの世界遺産にも指定されている。
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総門。
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銀閣寺垣がたてられた参道。

銀閣寺は、もともと浄土寺という天台宗のお寺が応仁の乱で焼けた跡地に、室町幕府8代将軍の足利義政が山荘を築いたことが起こりである。8年にも及ぶ造営期間には、応仁の乱で疲弊した京都の人々は多大な負担をこうむったとされるが、義政はこの山墅を気に入ったようで、造営中から、常御所に移り住んだ。
義政の死後、その菩提を弔うべく、延徳2年(1490)に東山殿を寺とし、相国寺の末寺として創始されたのが寺としての嚆矢となる。寺名は、義政の法号「慈照院殿喜山道慶」から来ている。
このようなところから、開基は足利義政で、開山(勧請開山)は、夢窓疎石である。
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木の奥には、庫裏・方丈への玄関がある。
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夏の夕、浴衣着の人もちらほらと。
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唐門の花頭窓。
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銀沙灘(ぎんしゃだん)。銀閣寺のハイライトのひとつである。
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こちらは銀沙灘、向月台、そして銀閣。
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東求堂前の庭園。禅寺の様式が取り入れられており、義政の世界観を体現している。
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庭園は、錦鏡池を中心とする回遊式庭園。
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洗月泉。
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東求堂。文明18年(1486)の建立で、銀閣とともに、東山殿時代から残る数少ない遺構のひとつ。もともとは足利義政の持仏堂である阿弥陀堂で、江戸時代に現在の本堂である方丈(ご本尊は宝冠釈迦如来坐像)ができるまでは、東求堂が仏殿であった。国宝。
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庭園の東方は小高い丘になっており、寺域を一望にする事ができる。
右手に、東求堂、方丈(本堂)、庫裏、書院、銀沙灘を挟んで、左手に銀閣。
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こちらから見えるのは、衣笠山の方角だろうか。
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こちらは吉田山の方角であろう。
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銀閣。長享3年(1489)上棟の木造2階建てで、正式には観音殿。国宝。
銀閣の名は、江戸時代に入って、同じ相国寺の境外塔頭である鹿苑寺金閣に擬えて言われるようになったとされ、実際に銀箔が貼られたことはない(貼る計画はあった、という説はある)。
銀閣の初層を「心空殿」、上層を「潮音閣」と称する。「心空殿」には地蔵菩薩坐像と千体地蔵菩薩立像が、「潮音閣」には観音菩薩坐像が安置されている。
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御朱印は、拝観入口のわきにある御朱印所にて。
なお当寺は、神仏霊場巡拝の道第109番(京都29番)札所である。
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御朱印帳もお頒かちいただいた。1000円。
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銀閣寺の御朱印には、当て紙として書いてある内容の説明があるが、英文入りというのはさすがは世界遺産らしい。


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