御朱印・長野のお寺

2013年05月18日

諸宗山回向院で善光寺出開帳・その2(東京都墨田区)

御朱印愛好の人にとっては、東京にいながら善光寺の御朱印をいただけるというのは、今回の出開帳のひとつの目玉だろう。
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善光寺の御朱印。右肩に「出開帳」の印が捺されている。
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善光寺の御詠歌「身はここに 心は信濃の善光寺  導き給へ 弥陀の浄土へ」の御朱印。

このほかに、善光寺本堂の御朱印もあり、善光寺だけで3つの御朱印がいただけていた。書き手は3人おられたが、行列ができているのでフル稼働!
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御朱印帳も各種取り揃えてご用意。
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まだこのあいだもらったばかりだというのに、黒バージョンの御朱印帳をいただいてしまった。善光寺本堂を象ったデザインで、通常より、若干細長い。1700円(御朱印代別)。


諸宗山回向院で善光寺出開帳・その1(東京都墨田区)

出開帳(でがいちょう)とは、
 普段拝することのできない寺院の本尊などを地方に出張し、一定期間拝むことができるよう祀ること。江戸時代に回向院で行われた善光寺の出開帳は大変な人気を誇り、中でも空前の賑わいをもたらした安永7年(1778)では、60日で1,603万人の参詣があったとも云われています。(太田南畝『半日閑話』)

以上は、回向院の「東日本大震災復幸支縁 善光寺出開帳両国回向院」ホームページの説明である。

というわけで、4月27日から5月19日の日程で、信州・善光寺から、両国の回向院へ、善光寺の出開帳仏(ご本尊自体は前にも書いたように絶対秘仏)がやってきた。
ちょうど仕事が忙しく、難しいかな・・・と思っていたのだが、最終日の1日前、何とか時間が取れ、はせ参じた次第。

両国の駅前に降り立つと、国技館・江戸東京博物館へ向かう広場で、被災地の物産や、出開帳してきている善光寺のある長野の名産品などが販売されるマーケットが開かれている。私もここで、陸前高田市の松の木からつくったストラップや、がんばっぺしという合言葉の入ったトートバッグ、長野の八幡屋磯五郎の七味唐辛子などを買い、また、出開帳の入場券を求める。
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 出開帳を知らせるたて看板。
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 門前から人で賑わっている。
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参拝券をもぎってもらい、境内に入ると正面には大きな白木の回向柱が立つ。45センチ角、高さ10メートルの杉の木の柱は、陸前高田市で復興住宅建設に際して伐られたもの。
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柱に皆が触るのは、回向柱と出開帳仏の善光寺如来さまが綱で結ばれているからで、柱に触れることにより、如来さまとの仏縁を結ぶことができるのである。
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前回お参りの際にも書いた力塚。勧進相撲でゆかりの深い回向院ならでは。揮毫は、徳川家達公爵。
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本堂。ちょうど三陸のお寺のお坊さまの法話が行なわれているところだった。また、本堂の3階では、高村光雲作の善光寺仁王門の仁王像の原型となっている木造金剛力士像など、善光寺の文化財が展示されていた。
出開帳仏である一光三尊阿弥陀如来様は、本堂の右手にある念仏堂の1階に、2階には、被災地からの仏さまが並んだ。また、お戒壇めぐりも念仏堂で。
出開帳仏さまでは、善光寺住職の大本願上人・鷹司誓玉尼公上人によるご法要も執り行われていた。その反対側には、仮設のテントが建てられ、お茶が点てられていた。ところ狭しと大賑わいである。

さて、本堂の入口左手にできている行列が御朱印の行列。黒っぽい服を着ている女の人が、「御朱印最後列」の札を持って行列を整理していた。この時間は、かなり行列が短いが、もっと長い時間帯もあった。
そうなると、行列だ、ということで、なんだか分からずにとりあえず並び始める人もいるし、並んでから御朱印ってなんですか?と訊ねてくる人もいるし。くだんの整理係の女性も、善光寺の宗派を聞かれて困っていた。
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まずは、回向院の御朱印を。


2013年03月09日

善光寺大本願(長野県長野市)

大勧進とともに、無宗派の善光寺の護持に当たっているのが、浄土宗大本山である本坊・大本願と14坊である。
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 大本願は、前述のように浄土宗の大本山であるが、大きなお寺にはめずらしく、尼公上人が住職をつとめる尼寺寺院であり、善光寺上人として、大勧進の貫主とともに、善光寺の住職を兼帯している。標柱背後に見える5本筋に現れるとおり、門跡寺院でこそないものの、皇室にゆかりのある女性が上人をつとめてきた格式ある寺院である。
現在の上人である鷹司誓玉上人も、旧五摂家・公爵家の一族出身であり、昭和天皇三女・和子内親王の夫・鷹司平通氏(いずれも故人)のいとこに当たる。
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 立派な山門。
戦国時代、当地・信州も、武田信玄と上杉謙信の川中島の合戦を中心に、戦乱の巷と化した。
この間、善光寺のご本尊は、武田勢により甲州で庇護されたとも(現在の甲斐善光寺)、上杉勢により越後直江津で守られたとも(その跡地にできた寺が、十念寺(浜善光寺とも))される。その後さらに、時代の有為転変にしたがい、ご本尊は、織田信長により岐阜へ、徳川家康により尾張へ、豊臣秀吉により京へ、と遷され、信州に戻ったのは、慶長3年(1598)年のこと。京を発したのは、秀吉薨去の1日前であったという。
このような”流浪”のあいだ、大本願の尼僧たちは一貫してご本尊につき従ってこれを守り、大勧進の僧たちは、本尊なく荒れ果てた寺地に残って、この地を守り続けたのだそうだ。
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大本願の本堂にあたる本誓殿。ご本尊は、善光寺一光三尊阿弥陀如来で、平成8年11月に総檜造りの本堂として再建された。
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 御朱印は、授与所にて。閉所が早いらしく、すでに御朱印係の女性は筆を片付けておられたが、快く対応してくださった。
ちなみに、こちらの授与所では、「ひとにぎり地蔵」という、陶製の長さ10センチほどの細長いお地蔵さまをお授けいただくことができる。これはお地蔵をひとにぎりすることにより、パワーや落ち着き、安らぎなど得ることができるもので、メディアでも取り上げられ、なかなかの人気であるようだ。

このようなかたちで、善光寺山内を駆け足ではあったが、お参りをさせていただくことができた。
帰りの新幹線の車中、友たちと亡き友の思い出話に花を咲かせつつ、改めてお導きとの思いを新たにした。 

善光寺大勧進(長野県長野市)

善光寺は、先に書いたように無宗派の寺院である。

これはお寺の成り立ちにかかわりがあるのであって、ご本尊である一光三尊阿弥陀如来は、欽明天皇(推古父・厩戸王子孫)の西暦552年に、百済の聖明王から贈られたもので、現存する日本最古の仏像(絶対秘仏なので、実見することができず、実存も確認はできないが)とされる。
この像は、本田善光が、皇極天皇の代に現在の地に遷し、勅願により、お寺が開かれている。善光寺の名は、この本田善光の名から、採られているわけである。

このように、日本の仏教が各派に分かれる以前の創建である善光寺は、宗派の別なく宿願が可能とされているのである。
ただし、善光寺自体は、無宗派であるが、その護持は、2つの宗派が行なっている。正式にいえば、2つの宗派に属する本坊と子院が行なっている。

そのうちのひとつが、天台宗に属する善光寺本坊・大勧進である(お寺のHPは→こちら)。
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 ちょいと逆光になってしまっているが、立派な構えの大門である。天台宗に属する子院・25院を束ねる本坊であり、天台宗の大本山となっている。住職は、「貫主」と呼ばれ、善光寺の住職を兼帯する。
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護摩堂。不動尊を中心に愛染明王、元三大師の尊像を奉安されている。不動尊は、一説には日本三大不動のひとつにも数えられ、厄除不動尊として、その霊験が知られている。

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 大勧進の本堂にあたる萬善堂。ご本尊は善光寺如来。開山の本田善光と、妻の弥生、子の善佐の像も安置されている。
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 御朱印は護摩堂左手にある授与所にて。 

定額山善光寺(長野県長野市)

大学時代の友人よったりで、信州・長野を訪れた。

と書くと、いかにも楽しそうな旅のように聞こえるが、大学時代、仲間としてしたしく付き合った、友人がみまかったため、そのお悔やみに伺ったのである。

お弔いに伺うことができなかったが、訃音を知ってからすぐに冬の時期にかかってしまったので、春まだきのこの時期をえらんで、伺わせていただいた。

お連れ合いは、大学を終えて長野に戻ってから、知り合った人なので、私たちは面識がなかったのだが、生前、友人が私たちのことを話してくれていたようで、 色々なエピソードを知っておられ、遠来のわれわれの弔問を丁寧に受けてくださった。

お連れ合いの誠実な人柄に触れ、そんなお連れ合いと幼いお子さんを遺して逝かねばならなかった友人の無念を思うと、私たちも本当に悔しい。

1時間ほどの滞在でお宅を辞去し、長野駅に戻る。
昼ご飯は、信州なので当然、そば。
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食事が済んでも、新幹線の時間まではまだ間がある。
お悔やみの途次に不謹慎めくが、善光寺さんまで足を延ばそう、ということになる。
日常の多忙の中で、なかなか顔を合わせる機会のない4人が、日帰りとはいえ、新幹線で長野の地まで足を運ぶ小旅行が、亡き友の引き合わせ、お導きであるとすれば、遍く諸人の信仰帰依を集めた善光寺さんへ足を運ぶことになるのも、これまた友のお導きであろう。
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というわけで、無宗派単立寺院たる善光寺である。(お寺のHPは→こちら
バスを降り、宿坊の立ち並ぶ石段道を上がっていくと、仁王門が現れる。
江戸中期の宝暦2年に建立された仁王門は、善光寺地震(1847)などの災厄によって、二度にわたって焼失。現在のものは、大正7年に再建されたもので、門に安置されている仁王像や三宝荒神・三面大黒天は、高村光雲・米原雲海の手になるものである由。
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国の重要文化財に指定されている山門(三門)。
江戸中期・寛延3年(1750)の建立で、屋根は、平成大修理において、大正時代に施された檜皮葺きから、建立当時のさわらの板を用いた栩葺きに戻された。
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 あまりにも有名な「鳩字の額」。
江戸中期の天台座主・輪王寺門跡宮である公澄入道親王の染筆であり、善光寺の3文字の中に鳩が5羽隠されているといわれ、色々な看板や、門前の信号の地名表示にもこの文字が用いられたりする。善の字は、「牛に引かれて善光寺参り」という古諺を具現して、牛の顔に見える、ともされる。
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御百度参りの数取り。全国津々浦々の寺社に、御百度石のある例は多いが、数取にはなかなか出会わない。
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鐘楼。嘉永6年の再建で、中に吊るされている梵鐘は、寛文7年鋳造の重要美術品である。南無阿弥陀仏の六字にちなみ、檜皮葺の屋根は、6本の柱で支えられている。現在でも、昼間の時間帯には、1時間ごとに時を告げる「現役」。
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本堂。
ご本尊は、絶対秘仏の一光三尊阿弥陀如来。いわゆる「御開帳」の際に公開されるのは、御前立ちのご本尊であり、過去から未来にわたって、ご本尊自体は、善光寺の僧職を含め、目にしたものはいない。
現在の本堂は、江戸中期・宝永4年(1707)の再建で、間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約26メートル。国宝に指定されている。内部のお戒壇めぐりはあまりに有名である。
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御朱印は、本堂手前にある授与品所の、建物外にある「勧募窓口」にて。
なお、当寺は、日本百観音(西国三十三ヶ所・坂東三十三ヶ所・秩父三十四ヶ所)の番外札所となっており、3霊場をすべて回った後の結願は、善光寺で行なわれる。
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御朱印帳も頂戴した。4種類ある御朱印帳の中で、淡黄に桜花をあしらい、鳩字の額と本堂のフォルムをあしらったタイプのものをお頒かちいただいた。
善光寺②
裏面。
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1ページ目には、ご本尊(といっても御前立ちのものだろうが)の御影が。


2012年08月08日

北向山照明院常楽寺北向堂(北向観音/長野県上田市)

家族が日帰りで信州へ出かけた。
私も都合があえば、休みをとって出かけたいところだが、あいにく、お盆前後までは、仕事が忙しく、それもかなわない。

そこで、可能ならば・・・と、2つのおみやげを頼んだ。

そのひとつが、北向観音の御朱印。
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北向観音は、天台宗のお寺であり、現在は、金剛山常楽寺が本坊として管理しており、別所三楽寺(安楽、常楽、長楽の3ヶ寺。北向堂はもともとは長楽寺を本坊としたが、江戸・元禄年間ごろまでに長楽寺は廃絶し、現在の常楽寺を本坊とするかたちに遷った)のひとつ、ということになる。

「北向」の名の謂れは、善光寺と北面して正対していることによる。善光寺が来世の利益を図るものであるのに対し、北向観音は現世の利益を図るもので、善光寺のみの参詣では”片参り”となってしまう、とされることによる。

坂東三十三ヶ所霊場番外札所、中部四十九薬師霊場2番札所、信濃三十三観音霊場客番札所、塩田平札所めぐり客番札所と、数々の札所を兼ねることから、多くの人の信仰を集めている。
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北向堂。善光寺本堂と同様の「撞木造り」であり、「裏善光寺」とも称される由縁を裏付ける。
札所本尊は、千手観世音菩薩である。
(写真は、私が以前にお参りしたときの写真。堂宇だけを写した写真を探したのだが、どうしても見つからず、本人の希望により、容貌・容姿を加工した写真を掲載した。お見苦しき点はご容赦を。)
 
境内には、上田市指定文化財となっている、愛染かつら(樹高22メートル)がある。北向観音のご霊木で、一説には、小説家・川口松太郎の名作「愛染桂」は、この木から着想を得た、という説もある由。
 
本坊の常楽寺は、北向堂からは、少し離れたところにある。私は未訪だが、安楽寺ともども、大変すばらしいお寺であるとのことだ(常楽寺住職だった半田孝淳大僧正は、平成19年、256世天台座主に任ぜられ、今年には全日本仏教会の会長に就任している。また、浅草寺の清水谷孝尚貫首は、実弟である)。

また、近傍に存する塩田平には、前山寺、生島足島神社などの社寺、戦没画学生の遺作等を展示した無言館など、足を運びたいスポットが目白押しである。 

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 おみやげにしたいのが、観音様の裏参道にあるみやげ物店「かしわの葉」で売られている、だるままんじゅう。
別所温泉指折りの湯宿「かしわや本店」の経営するみやげ物店で、 宿のお茶請けとして出され、みやげ物として販売されている、オリジナルのこのまんじゅうを、宿泊客以外でも、この「かしわの葉」で購うことができる。すばらしく美味いまんじゅうで、私は大好きである。

もちろん、別所温泉のお湯もよし、である。泊まっても、かしわや本店をはじめ、よい宿が多いし、日帰りでも、現代的な立ち寄り湯「あいそめの湯」をはじめ、素朴な公衆浴場「石湯」「大師湯」「大湯」など、よいお湯も堪能できる。