東国花の寺百ヶ寺

2013年11月18日

五智山遍照院總持寺(西新井大師/東京都足立区)

都バスに乗り、西新井大師前のバス停で下車。
向かうのはもちろん、西新井大師の通称があまりにも有名な五智山遍照院總持寺。(お寺のHPは→こちら
真言宗豊山派のお寺で、関東三大師のひとつ。弘法大師の関東巡錫の際に、観音菩薩の霊託によって十一面観音を彫り、寺院を建てたのがその興りとされる。ときに、天長3年(826)のことと伝わる。
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 環七から、参道に入る。浅草寺の仲見世ほどではないが、いろいろなお店が立ち並び、楽しそう。
進んでいくと、山門が見えてくる。山門は、素木造りで江戸後期の造営と伝わる。両脇に金剛力士像が祀られている。
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一見三重塔にみえるが、これはいわゆる「さざえ堂」で、三匝堂と呼ばれる。お堂の一層目には阿弥陀如来像と八十八体大師像が(阿弥陀如来像は現在は本堂へ)、二層目には十三佛像が、三層目には五智如来像と二十五菩薩像がそれぞれ安置され、順を追って拝観することができたのだという。現在は内部は公開されていない。
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不動堂。その名のとおり、不動明王をおまつりしている。
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大本堂。ご本尊は、十一面観世音菩薩と弘法大師。もともとの本堂は、江戸後期の建築だったが、昭和41年に火災で焼失し、46年に再建された。立派な伽藍である。
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大本堂の左手奥にある池に沿って、奥の院、権現堂、如意輪堂などが配されている。

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御朱印は、大本堂裏の寺務所で2種類を頂戴した。お大師様とお不動様のものである。
ちなみに当寺は、関東八十八ヶ所霊場特別札所、関東三十六不動霊場の26番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場の37番・38番札所、荒綾八十八ヶ所霊場の1番札所、新四国四箇領八十八ヵ所霊場1番札所、武蔵国八十八ヶ所霊場1番札所に東国花の寺百ヶ寺 東京1番札所・・・と、古今とりまぜて、多くの札所となっている(ただし、ネット上の情報を見ると、お寺の側が現在は承知をしていない、という札所もある様子)。

現状では、関東八十八ヶ所と関東三十六不動、東国花の寺がメインといったところであろう。
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東武大師線・大師前駅へと通じる道路側の門。

東武大師線は東武伊勢崎線の西新井駅と大師前駅の1駅間を結ぶ全長1.0キロの路線である。

この大師前駅は、非常に立派な橋上駅であるのだが、自動改札はおろか、券売機などもない。窓口はあるが多客期を除いては閉まっている。有人改札のスペースはあるが、駅員はいない。
それではみんな無賃乗車ではないか、というと、そうではないのであって、西新井駅の東武伊勢崎線のコンコースとの連絡通路に改札や券売機があって、往来ともに、かならずこの連絡改札を通らなければならないのである。 つまり、大師前駅から乗った場合には出口で、西新井駅から乗った場合には入口で必ずお金を払う、ということになるわけである。

なお、この大師線は、もともと西新井大師の参詣客輸送だけを目的に開通させたのではなく、現在に至るまで離れ離れになっている東武伊勢崎線と東武東上線を西新井駅と上板橋駅で結ぶ、「西板線」開業計画の中で、用地確保が完了したこの区間を先行開業させたが、その後残り区間がさまざまな事情で沙汰止みになった結果残った、ということなのだそうである。 

2013年08月02日

正中山法華経寺・その2【刹堂~鬼子母大尊神堂】(千葉県市川市)

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刹堂。十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置。罪障消滅の道場として参詣する人も多い。今回はいただかなかったが、こちらでも御首題を頂戴できる。
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法華堂。文応元年(1260)と、法華経寺の中で、一番旧い建物である。国重文。
桁行五間、単層入母屋造で銅板葺。日蓮大聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置した、百日百座説法の霊跡である。また、こちらの堂の前にある四足門も、約700年前に鎌倉から移築したもので、国重文。
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 宇賀神堂。お寺の守護である宇賀徳正神をまつっている。こちらでも御首題をいただけるようだ。
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宝殿門。諸堂をつなぐ渡り廊下形式になっており、上層には鐘がおさめられている。
この奥に、国宝である日蓮大聖人真筆の「観心本尊抄」「立正安国論」をはじめ、重要文化財61巻など多数の日蓮大聖人真筆の書物を収蔵する聖教殿がある。聖教殿は、かの伊東忠太の設計に成る。
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日蓮宗大荒行堂。日蓮宗全体の僧が毎年11月1日より翌年の2月10日まで、100日間に及ぶ荒行を行なう堂である。修行中は、午前2時に起床し、日に7度の水行、そして読経などを修める。食事は、朝夕2回、梅干1個に白粥。
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鬼子母大尊神堂。大祖師堂とともに、法華経寺の中心をなすお堂のひとつ。
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手前側は、本院・大客殿となっており、廊下を伝って進んだ先に、鬼子母神堂がある。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されており、江戸三大鬼子母神のひとつとされる。
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 御首題は、本院寺務所で頂戴する。

なお、このほかに、大祖師堂となりにある妙見堂や、本院から少しはなれたところにある奥の院でも御首題がいただける由。 

2013年07月06日

妙満山大慶寺(群馬県太田市)

時間も大分詰まってきたが、あと1ヶ所と、世良田からは少し北寄りにある、大慶寺を目指す。大慶寺は、真言宗豊山派のお寺である。
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 仁王門。このお寺は、新田義重の女婿である鎌倉悪源太・源義平の菩提を弔うため、義重の娘で義平の妻である妙満尼が結んだ庵がその由来である。上州新四国八十八ヶ所霊場の35番札所であり、東国花の寺百ヶ寺の群馬2番札所でもある。傍らの自動販売機に「ぼたん寺」とあるとおり、牡丹のすばらしいことで知られ、時期になると、150種・3000株の花が人々の目を楽しませる。また、藤の花や桜もすばらしいそうだ。
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不動堂。平安末期の作と伝えられる不動明王がまつられている。こちらは、新田氏の守り不動とされ、新田三不動のひとつ、新田不動尊と称されている。そう、総持寺も新田不動尊、とのことであったが、こちらも新田不動尊。
このお不動さまは、妙満尼が、父・新田義重の像を彫ったところ一夜にして不動明王となったので「御影不動」とも、新田義貞の討ち死にを知って泣いたことから、「泣き不動」とも呼ばれるそうである。
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鐘楼。
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 本堂。ご本尊は、大日如来。上州新四国八十八ヶ所霊場の札所本尊でもある。
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御朱印は庫裏にて頂戴する。
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 今日の東毛ゴシュイン・ウォーカーはこれにて団円だが、ここまできたら上州名物・焼きまんじゅうを食べぬわけにはまいらぬとて、太田市の住宅地で今年開店したばかりという「万寿屋」というお店へ。こちらは同じ敷地内で同名の不動産屋さんが、さらには美容室も営まれているという多角経営ぶりである。
店では、餡入りの焼きまんじゅうをいただく。これは、どこでも食べられるわけではないので、なかなか貴重。美味しくいただいて、餡なしの普通の焼きまんじゅうは家への土産に買い求めた。

2013年06月22日

聖天山歓喜院長楽寺(妻沼聖天/埼玉県熊谷市)

行田天祥寺を出て、国道を走り継いで、熊谷市へ。市町村合併前は、妻沼町といっていたところだ。
群馬県へ抜ける国道407号を走り、旧妻沼町の市街地へ。ほどなく、駐車場の案内看板が出て、 「妻沼聖天」、歓喜院に到着。歓喜院は、聖天山歓喜院長楽寺と申し、東京浅草の待乳山聖天、奈良生駒の生駒聖天と並んで日本三大聖天に数えられ、その伽藍の結構から「埼玉日光」とも称された、高野山真言宗の準別格本山の名刹である。(お寺のHPは→こちら
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 脇参道に立つ石灯籠。
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 昔は川があったのか、それとも暗渠になっているのか?親柱には、「かんきはし(歓喜橋)」とあるようである。
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 聖天山の山号標。
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 正面の参道の入り口に立つ貴惣門。高さ18メートルの八脚門で、安政年間の造立。国重文。
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貴惣門内におわす持国天と毘沙門天。
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中門。脇参道から来ると、この門の前に出る。
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ご覧のように、中門には、さまざまな霊場札所であることを示す標示がされている。
・関東三十三観音霊場第16番
・関東八十八ヵ所霊場第88番
・東国花の寺百ヶ寺
・彩の国武州路十二支霊場午年
・幡羅新四国第13番
というごとくで、関東八十八ヶ所は結願札所となっている。
なお、埼玉県民でない方にご説明をしておくと、「彩の国」とは、平成4年に制定された埼玉県の愛称である。
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狛犬一対。
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仁王門。万治元年(1658)建立したが、明治24年の台風で倒壊してしまった。現在のものは、明治27年に再建されたもの。
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 山号の掲額。小松宮彰仁親王の染筆による。彰仁親王は、維新で還俗するまで、京都・仁和寺の門跡を務めていた。
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門に配された仁王像(金剛力士像)は、右が阿形、左が吽形。
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門横には、埼玉のお酒・力士の薦被りが積まれていた。
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 お百度石。
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 仁王門をくぐったところにある石舞台。庭儀法会を行うためのものだが、種々のイベントも開催されているようだ。
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お大師様をまつる大師堂。平成7年に建て替えられた。関東八十八ヶ所の結願所である。
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本格的な屋根を有する土俵。
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狛犬もう一対。
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御本殿。聖天堂ともいい、ご本尊の歓喜天御正体錫杖頭をまつる。ご本尊は国重文、御本殿は、平成24年に国宝に指定された。建造物としては、埼玉県内初の国宝指定である。
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御本殿・拝殿の彫刻。江戸中期の築である御本殿は、平成の大修理が行われ、造営当初の輝きがよみがえった。拝観料を払えば、本殿拝観も可能である由。
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鐘楼。
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平和の塔。昭和33年、戦没者の供養と世界の恒久平和を願って建立された多宝塔。
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御朱印は授与所にて。
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こちらは本坊の山門。
聖天堂と本坊の関係だが、もともと、鎌倉時代のはじめごろ、当地を本拠とした武将・齋藤別当実盛が、守り本尊である大聖歓喜天をまつり、これを土地の総鎮守とした。
これを聖天宮と称したが、この聖天宮の別当寺として歓喜院長楽寺が建立され、十一面観音を本尊としたということである。
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本坊本堂。門のところから写す。


2012年09月24日

霊雲山法華寺(埼玉県さいたま市)

武蔵第六天神社を出て、元荒川の西岸に戻り、住宅と田畑が点在する中を少し走ると、霊雲山法華寺に到着。
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標柱。臨済宗円覚寺派の現管長・横田南嶺師のお手による。
法華寺は、元は天台宗のお寺で、平安中期の開創と伝わるが、鎌倉時代に臨済宗円覚寺派となった。開基は足利尊氏と伝わり、その縁から、後醍醐天皇の綸旨や、尊氏の御判御教書などが現在も「法華寺文書」として、県の有形指定文化財に指定されている。
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 もうひとつ、寺名碑。「宗源」とあるので、元円覚寺派管長であった、朝比奈宗源師(テレビ時代劇「水戸黄門」や「大岡越前」の題字で知られる)のお手によるものであるようだ。
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お寺の入口、道路に面していっぱいに花をつける百日紅の木。主な花をアジサイとして、「東国花の寺」の埼玉9番札所になっているが、この百日紅だけではなく、他にも四季を通じて花が咲いているようだ。
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 2階が鐘楼になっている山門。この様式だと、狭山市の広福寺など、「龍宮造」の山門を想い起こすが、こちらの山門はだいぶ近代的な装いである。
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 木の香匂いたつがごとき本堂。2005年に改修された。ご本尊は、釈迦牟尼仏。
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 御朱印は、墓苑に面した管理事務所にて。東国花の寺の書き置き御朱印となる。御朱印料は400円。
事務所におられた方は、物腰の柔らかい方で、私の字ですみません、と謝りながら日付を入れてくださった。

2012年06月10日

東高野山遍明院徳星寺(埼玉県上尾市)

埼玉県のほぼ中央に位置する上尾市。そのいちばん西の、荒川河川敷のすぐそばにあるのが、徳星寺である。
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 山門。きらびやかではないが、木の味わいを強く感じることのできる、すばらしい造りである。

当寺は、天台宗のお寺であるにもかかわらず、「東高野山」を名乗っている。
そもそも、このお寺は、弘法大師空海の創建と伝わり、したがって真言宗に属してきたところ、今から450年ほど前に、上尾市の東隣にある伊奈町にある法光寺と、宗旨の入れ替えをしたのだそうだ。天台宗のお寺となっている今も、東高野山を名乗っているのは、その名残りであろう。

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 本堂。ご本尊は、阿弥陀如来。
当寺は、東国花の寺百ヶ寺埼玉7番、関東九十一薬師霊場の29番、関東百八地蔵尊霊場の3番札所になっている。
花の寺としては、6月中旬からのユズのほか、秋には彼岸花が境内に多数咲くとのこと。
また、弘法大師お手植えと伝わる大カヤは、樹高21.8メートル、幹回り5.5メートル、樹齢は7~800年とされ、埼玉県の天然記念物に指定されている。 
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 御朱印は、庫裏にて頂戴する。寺庭さんにご対応いただき、書き置きの薬師如来の御朱印をいただいた。
この寺庭さんが非常に気さくな方で、いろいろな話をした。ちょうど電話がかかってきたので、失礼して辞したが、そうでなければもう少し話を続けたくらいである。

この徳星寺に行かれたら、近所にある「榎本牧場」で、名物のジェラートを味わわれてみてはいかがだろう。 とても美味しいです。

2012年04月09日

大悲山塩船観音寺(東京都青梅市)

高速に乗って帰る前に、もう1ヶ所だけお参りをしてゆこうと、国道411号・滝山街道を通り、青梅市内に入る。
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丘陵地帯の山すそに、広大な寺域をそなえるのは、真言宗嵯峨派の別格本山・塩船観音寺である。
(お寺のHPは→こちら
なお、標柱には「国宝」の2字があるが、これは旧国宝保存法時代の国宝のことで、この旧国宝は、現行法に照らすと、重要文化財となる。
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山門。仁王門で、国の重要文化財である。
塩船観音寺は、関東八十八ヶ所の七十二番、東国花の寺の東京十三番、奥多摩新四国八十八ヶ所の五十九番札所を兼ねる。創建は、大化年間。塩船観音の名は、かの行基が名づけたという歴史と由緒のあるお寺である。
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山門をくぐって正面にあるのが阿弥陀堂。こちらもまた国の重要文化財である。
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薬師堂。
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石段を登れば、そこに現れるのが・・・
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立派な茅葺のたたずまいを見せる本堂。本堂・仁王門・阿弥陀堂ともに、室町後期の建築とされる。
ご本尊にまつられているのは、木造千手観世音菩薩立像。文永元年造の銘があり、寄木造りで高さは145センチ、ただし残念ながら、秘仏である。

境内はここからさらに奥に広がり、護摩堂や観音像、さらに5月にはいると、多くの人が見物に押し寄せる名物のつつじなど、広い境内は見るものに事欠かない。今回は時間の都合で、本堂までで失礼したが、一度ゆっくり時間をかけて境内を回ってみたいものである。
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ご朱印は、本堂反対側にある札場にていただいた。


金色山吉祥院大悲願寺(東京都あきる野市)

ショッピングモールの中でラーメンの昼食を済ませてから、都道7号を西進し、いままで見えなかったが左手を流れていた秋川が蛇行して都道とクロスする新秋川橋の手前で右折。

地名でいうと、横沢という集落の最初の信号を右折・・・というよりも、道は鋭角に右後方に曲がって急な上り坂でカーブし続け、元来た道からすると、ほぼUターンするような格好になる。道は狭い。途中、五輪塔が建っているが、これゆえにこの坂を「五輪坂」というのだそうな。
道はますます狭くなり、車一台がようやく渡れるほどの狭さで、JR五日市線を踏み切りで越える。すると、すぐ目の前に見えてくるのが、建久2年(1191)、源頼朝の命により平山季重により創建されたという古刹・大悲願寺である。
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大悲願寺は、真言宗豊山派のお寺で、多摩新四国八十八ヶ所霊場の59番、秋川三十四箇所の22番札所であり、武蔵五日市七福神の大黒天をまつり、東国花の寺百ヶ寺の東京10番でもある。主要な花は秋の白萩。江戸初期、実弟の15世住職を訪ねた戦国武将・伊達政宗が、折から咲く白萩の美しさを忘れ得ず、仙台から白萩一株を譲ってくれるよう望んだ文書を宛てたほどである(この文書、通称『白萩文書』は現存し、東京都の有形文化財に指定)。
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本堂への入口となる朱雀門(中門)。
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本堂。ご本尊は大日如来。元禄年間の造営で、東京都の指定文化財である。
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本堂と観音堂のあいだには、大きな桜の木が。山あいだけに、桜の開花は若干ゆっくりめのようだ。

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仁王門。観音堂へと通じる。
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観音堂。「無畏閣」と称し申し上げる。1794年建立。
ちなみに、無畏とは観世音菩薩の別称である。堂内には、国の重要文化財なる「阿弥陀如来三尊座像」がまつられている。平安末期の作と伝わる。
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ご朱印は、庫裏にて頂戴する。奉拝の上に捺された札所印は、新四国のもののようだ。

お参りを終え、駐車場に戻ると、小さな切り通し上になっている駐車場の端で、おじいちゃんと2~3歳くらいだろうか、小さい女の子がビニールシートを敷いて、日向ぼっこをしていた。静かな里山の風景。お参りをするということの愉しさを、改めてかみしめる。


2012年03月30日

医王山常福寺遍照院(駒形薬師/埼玉県行田市)

成就院でのお参りを済ませ、さきたま古墳公園のそばにある「田舎っぺ」さきたま古墳店で昼食。ここはいわゆる「武蔵野うどん」を供するお店。上尾から熊谷にかけて何点か展開している。

ここで食べるときの慣例で、肉ねぎうどんを注文。
とにかく、コシがあり、塩気すら感じる骨太な麺を、カツオがたっぷり利き、豚バラと短冊に切ったねぎの入った熱いつけ汁につけて、ワシワシ頬張る食感がなんともすばらしい。 
食べログの記事はこちらから。

食後、さきたま古墳の駐車場に車を止めて、少々休憩。拝観料を取るような大きなお寺ならいざ知らず、檀家寺に昼時にお邪魔しては、申し訳ないので、時間つぶしである。

県道77号を行田市街地へと進み、水城公園の南郊から、住宅地の細い路地をカーナビの指示通り走らせることほどなく、次の目的地、遍照院へ到着。
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医王山遍照院は、通称を「駒形薬師」と称し、行田救済菩薩霊場の発願札所、関東九十一薬師霊場の36番札所である真言宗智山派のお寺である。
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山門。
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本堂。ご本尊は、薬師如来と大日如来。
伝わるところでは、奥州藤原氏三代の藤原秀衡が、眼病を得た際、守り本尊の薬師如来に平癒を願ったところ、快癒し、薬師如来のお堂を建てようと志すと、夢枕に立った薬師如来が忍に有縁の地があると教えたため、家来をして薬師如来を運ばせた。現在の遍照院の地に来たところで、薬師如来を乗せていた牛が死んだため、仏縁をもって、この地に薬師如来をおさめる薬師堂を建てたのだという。
兵火と火災によって、現在に残るのは遍照院ばかりであるが、往時は薬師堂を中心に殷賑を極めた。遍照院は、薬師堂の別当であったようだ。
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花、薫る。
じつは、こちらは、東国花の寺埼玉12番の札所でもある。
秋の紅葉をはじめとして、四季折々に、参詣者の目を楽しませてくれるようだ。
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ご朱印は、庫裏にて。お庭では、寺庭さんがお相手をして、お孫さんと見える小さな女の子が遊んでいて、心がなごむ。


胎智山観音院満願寺(埼玉県行田市)

埼玉県行田市は、その昔、忍(おし)藩十万石の城下町であった。
領国の中心となると、必然的に古い寺社も多くなるものだが、この行田も案に相違せず、以前にも、式内社の格式を持つ前玉神社や、忍東照宮、行田八幡宮等に参詣したのは、バックナンバーをごらんいただければ、一目瞭然である。

というわけで、今回は行田市の寺社をめぐる。
行田市には、「行田救済菩薩十五霊場」なるお札所がある。平成4年にできた新しい霊場である。行田市域にあるとはいえ、いきなりすべてをまわれるわけもないので、今日はその中のいくつかを回ってみる。 

まず最初に伺ったのは、鴻巣市(旧川里村)にほど近い、 満願寺さんである。
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真言宗智山派のお寺で、行田救済菩薩の15番、結願の札所である。
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 と同時に、東国花の寺百ヶ寺の埼玉11番札所にもなっている。
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 行田市指定の天然記念物となっているしだれ桜は樹齢約600年。3月下旬に咲くのだそうだが、春の晩い今年は、まだまだ咲くには遠かった。
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 代わりに、というわけではあるまいけれど、まもなく4月というのに梅がまだまだ盛りであった。
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山門。
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 山門から見える本堂。
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 本堂。ご本尊は不動明王である。
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本堂の西側にある歓喜天社。当寺は、一名を「野村聖天」といい、妻沼・館林と並んで関東三大聖天のひとつに擬せられるほどに著名である。

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 御朱印は庫裏にて。
おりから、ご住職ご不在で、東国花の寺差し替え用の書置きでよろしければ・・・と、ありがたく頂戴する。

庫裏の玄関では、お檀家さんとご住職の奥様かお母上か、ご談笑中。いかにも檀家寺という風情で、こちらの心もすっかり和やかになった。

2011年11月13日

慈眼山円通寺(埼玉県川島町)

吉見観音を出て、田園地帯を南へ突っ切り、次に向かったのは、お隣・川島町にある円通寺。信貴山真言宗の別院となっている寺院であり、関東八十八ヶ所霊場の74番札所であり、東国花の寺の19番札所でもある。
(お寺のHPは→こちら
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山門。
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本堂。元禄時代の創建で300年以上の歴史を持つ古いお寺だが、 戦前から昭和63年までの約60年間、現在の住職が晋山して復興するまで無住であったため、お寺の構え自体はまだまだ新しい。
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御朱印は、納経所にて。今回は、あいにく御朱印を書ける方が御不在とのことで、ほどなく戻ると思うので、お待ちになりますか?といっていただいたが、御辞退して、書置きのものをいただいてきた。「馬頭尊」と書かれているようだ。
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書置きだったからということか、御影を分けてくださった。


岩殿山光明院安楽寺(吉見観音/埼玉県吉見町)

昼過ぎから思い立って、出かける。
最初に伺ったのは、百穴で有名な吉見町にある、岩殿山光明院安楽寺。通称の「吉見観音」で有名な、真言宗智山派のお寺である。坂東三十三ヶ所の11番札所であり、東国花の寺の埼玉5番霊場でもある。
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駐車場に車を止めると、参道で金剛力士像がお出迎え。像自体は、信徒さんの寄進による新しいもの。
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茶店もある参道の坂を、だらだらと登って来ると、眼前に、木立ちに囲まれた風格のある山門が見えてくる。
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標柱。行基が観音像を安置したのが始まりで、堂宇をひらいた開基は、坂上田村麻呂と伝えられる、歴史のあるお寺である。
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東松山の正法寺(岩殿観音)もそうだが、このあたりのお寺には、山寺のような風格があって、好きである。
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山門をくぐったところから、本堂を見る。
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石段の真下から、本堂を仰ぎ見る。
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本堂。本尊は聖観音菩薩。「パワースポット」ということで評判らしく、やたらと若い女性が多かった。
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本堂の裏手にある三重塔。県指定の文化財である。
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御朱印は、本堂左手の庫裏にある授与所にて。


2011年11月05日

慈眼山正法院(埼玉県久喜市)

家から車で10分ほどのところにある正法院へ出かけた。

埼玉県久喜市、合併前の地名でいえば旧菖蒲町にある慈眼山正法院は、真言宗智山派に属するお寺で、関東88ヶ所の81番霊場、東国花の寺埼玉10番霊場(ハナミズキやサルスベリなど)である。
御本尊は、不動明王。栢間厄除け不動として親しまれている。 
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薬医門。
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標柱。県道川越栗橋線からは、もっと大きな看板が目印である。
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本堂。左手には、できたばかりらしい文殊堂があった。
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というわけで御朱印も、文殊菩薩さまのもの。
ちょうど忙しそうだったので、書置きでよいので・・・とお願いしたら、いただいたのがこれだった。
まあ、霊場めぐりではないので、ありがたく頂戴する。
なお、八十八ヶ所であれば、ちゃんと御本尊の御朱印をいただけるようである。

2011年09月15日

青龍山吉祥寺(群馬県川場村)

御朱印をいただくようになったのを知った家人が、旅行のおみやげにといただいてきてくれた。

吉祥寺は、臨済宗建長寺派のお寺で、東国花の寺百ヶ寺(群馬11番)、新上州観音霊場三十三カ所(29番)のお札所にもなっている由。 
吉祥寺のHP→こちら
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表紙には「巡礼」の2文字が。外してあるが、汚れ防止のビニールのカバーがついている。
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1枚目には、御住職のお手か、「積善」の2字が(もちろん、印刷だろうが)。
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寺方初の御朱印。神社のものとは違う味わいがある。

ちなみに、 この吉祥寺という寺名は、東京・中央線沿線の地名のそれとは関係ない。
中央線沿線地名に関係のある吉祥寺というお寺は、駒込にある、曹洞宗の諏訪山吉祥寺である。
江戸・明暦年間、振袖火事(明暦大火)など数次の大火で、当時本郷にあった吉祥寺は、江戸郊外の駒込に移されることとなり、近辺が大名屋敷となることになったため、門前町も移転を余儀なくされた。
この際、門前町の民に対して、玉川上水の完成で開墾がすすんでいた五日市街道沿いへの移転・開墾が奨励されたのだが、移転に当たって、吉祥寺に愛着を持っていた旧住民により、吉祥寺村と名づけられることとなった。
したがって、現在の吉祥寺地域に、吉祥寺というお寺があったことはないのだそうだ。

↓この御朱印帳に御朱印をいただいた寺院・22ヶ寺↓
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