2018.7.1
  の続き
ということで生野駅から安国の集落まで歩いてきました。
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安国駅前の再開発事業がは1991年に完了したということです。そして小さな集落だけど駅前にセイコーマートがあって神様に見えました。
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国会議員の先生方には超党派でこちらの安国神社にも参拝してほしいところです。
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ちなみに神社の真正面に安国駅が見えます。
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神社の敷地の傍らには馬頭観音(馬頭観世音)と乳牛マーク付きの「乳牛感謝の碑」がありました。
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「酪農讃」の石碑。今も昔もこの辺りは酪農が盛んの様です。
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神社の隣には「やすくに公園」がありました。どうやらこの先に「安国公園野外ステージ」があって、今年も7月15日に第11回安国野外音楽祭が開催されたということですが、この時は「いかにも使われて無さそうだな・・・」とここから先に進まず。
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神社の敷地からこのいかにも使われていないテニスコートと遊具を見て満足してしまいました。それにしても使われなくなったテニスコートって色々な所で目にしますね。
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ということで再び安国駅です。綺麗に清掃された広めの待合室でセイコーマートで買った弁当を食べるという、至福の時を過ごさせていただきました。ここから11時30分発の特別快速きたみに乗って、お次の目的地丸瀬布到着は12時2分でした。
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北見⇔旭川が特急だと3時間のところ、この特別快速きたみは3時間半となかなかの韋駄天振りを発揮します。1両編成だったので結構な乗車率ではないかと思っていましたが、悲しいほどに空いていました。
続く
丸瀬布駅はかなり広い構内を持つ駅でした。丸瀬布は明治後期から大正初期にかけて開拓が始まった様で、昔は多くの引き込み線があったのでしょう。
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茶色っぽい建物は駅舎というよりも「丸瀬布生涯学習館」という図書館がメインでした。
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待合室の案内図を見ると、駅と湧別川の間に商店街と国道333号線があって、公共施設もそこに集まっている様です。
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丸瀬布町は2005年に生田原町・遠軽町・白滝村と合併して遠軽町になったので、この看板はその前のものですね。合併後の遠軽町は東西47km・南北46kmにも渡り、全国の市町村の中でも8番目の大きさです。そしてこの地図見てると丸瀬布はほとんど森ですね。
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こちらは駅前のマルキ通り。お昼時のためか、制服姿のOLっぽい人が別々に4.5人歩いているのを見かけましたが、それ以外は静かな駅前でした。
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大きな呉服屋さん。今の丸瀬布は上下線合わせて12本(特急含む)しか停まりませんが、昔はそれなりに栄えていたのでしょう。
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ここは元々何だったのでしょうか?何となく医者っぽいです。
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定めたなら教えて欲しい。
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修理メイン。
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現地の看板を見ると、国鉄丸瀬布駅にあった貯木場に木材を運ぶために、昭和3年から武利意・上丸瀬布森林鉄道の木材輸送が始まったということです。最盛期の線路総延長は84キロにも及んで、昭和37年まで続いたそうです。
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こちらにも呉服屋さん。
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酒屋さんもありました。
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wikipediaによると、1932(昭和7)年から1952(昭和27)年にかけて、丸瀬布駅と鴻之舞を結ぶ索道「鴻丸索道」による物資輸送が行われていたということです。丸瀬布から道道305号線を北に20キロほどいくと鴻之舞鉱山があるので、ここ丸瀬布は木材と鉱山の合わせ技でにぎわったということでしょうか。
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湧別川にかかる水谷橋の脇に橋脚らしき物がありました。えんがる歴史物語によると、「1958(昭和33)年に水谷橋、永久橋化渡橋式」と記載があったのでその前の遺構でしょうか。
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もうひとつの橋、中央大橋からみる丸瀬布駅。
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そしてホームから見える丸瀬布総合支所がまるで悪の要塞です。
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ここから遠軽町営バスでお隣の瀬戸瀬駅に向かいます。遠軽丸瀬布線が14時20分出発だったので、丸瀬布で過ごした約2時間のうち半分はベンチでうたた寝してました。

   に続く
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今回の旅の行程
1日目:
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4日目:
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5日目:
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6日目:
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番外編




終わり