2008年06月28日

決意

最近のことなんだけど、ようやく劇作の器用さに対して、人並みの自信を手に入れた。
その自信を手に入れるためにどれだけの道を費やしてきたか。
人の何倍もの時間をかけて手に入れたそれなので、過剰にいろいろしてみたいという気分でいる。
今は模倣の時間だから、いろんな演劇の話を聞いて、観ないで人づてに聞いて、それからイメージで作り直す。
なるべく自分らしくないように気をつけながら。

2007年11月29日

欅と恥

 教室に風は入らない。窓は開き、カーテンは暴れる。けれど教室に風は入らず、代わりに蝉の羽音が入ってくる。だから、教室はとても暑くて、また静かであった。
 教室には僕を含めて四人くらいであった。一人は次の授業の宿題をし、一人は本を読み、一人はノートに絵を描いている。僕は窓からグラウンドを見ていた。
 まだ僅かな時間だけれど、僕に仲間がいた時間などなかった。まわりには敵がたくさんいた。仲間がいないのは僕だけではなく、みんなそうだった。みんな敵に囲まれて生活していた。だから、誰一人として鎧を脱ぐことはない。鎧を脱げばどうなるか、簡単に想像がつくからだ。稀に愚図なヤツが鎧を脱いで無防備になる。
 グラウンドでは、健康な男子たちがサッカーをしている。ヘタクソなサッカーで、見ていてもつまらない。転んで怪我をしろ、と願っても、その願いは届かずに悔しい思いをする。
 グラウンドの奥まったところに背の高い欅の木がある。風でてっぺんからゆらゆら揺れているのが見える。その下で四人の不健康な男子と一人の鎧を脱いだ愚図がたわむれている。
 僕は途端に視力が落ちて彼らが何をしているか確認できなくなった。だけど、脳の中で鮮明な映像になる。
 欅の幹に追い詰められた愚図は、不健康に殴る蹴るの暴力を受けている。素敵な言葉の応酬が、これからも癒えることがない傷をつける。
 僕はそれを見て、くふ、と笑う。死ね、と願う。不健康たちがそれぞれスタンガンとバットとゴルフクラブとロープで愚図を囲む。殺せ、と願う。脳の中ではグロテスクな映像が流れている。
 サッカーではゴールが決まったみたい。誰も喜ばず、誰も悔しがってはいない。みんな疲れてしまっているのかな。
 雲は風に吹かれて形を変える。本当は僕らだって、それくらい柔軟になりたいか。そうなる必要もないか。
 僕はあの欅の下でレイプをした。い。小柄で丸っこいあの娘を、授業を抜け出して、スタンガンで脅かすのだ。

2007年08月03日

hae

とても高い塔なので、遠くからでも見ることのできる。
風が吹けば、その風の強さに応じて、ゆらゆら揺れるのだけれど、倒れるということはどうやらないらしい。
風のない蒸し暑い午後、私は仕事が一段落ついたので、甘いミルクティを飲んでいた。
私の飼っている猫のハエは、ミャーミャーと鳴き狂っている。
「どうしたんだい、ハエ」
と尋ねると、途端にハエは己の耳をふさいだ。
目を閉じ、そしてミャーミャーと鳴いている。
ドシーン。
あくまでも、想像の音である。
僕の頭に塔が倒れてきたのだ。
風もないのになぜなのか。
霊的な、あるいは政治的なものを感じる。
いや、ただ金属疲労で支えになっている部分が折れてしまったのかもしれない。
まあいいや、ちょうど遺書を書き終えたところだ。
それにしても、自分の可愛いペットの、いや唯一の友人であり唯一の家族である猫に対して、ハエなどと名付けるとは私はどうかしてたなあ。

2007年08月02日

青春の終わり

欠乏感の欠乏を感じるという、なんだか遠回りの焦燥を感じており、欠乏感がないのであれば、満ち足りていていいではないか、という声もおありであろうが、それがちっとも事情が違うのである。
どのように違うか、ちっとも満ち足りてなどいないのだ。
欠乏感があった頃は、中身は空っぽでちっとも満ち足りてはいなかったけれど、外気圧と内気圧がほとんど一緒、あるいは内気圧が少しだけ上回っており、僕の心はパンパンだったが、今現在、外気圧に耐えられる内気圧などなくて、くしゃっと僕の心はつぶれてしまっている。
そのおかげ空虚感などなく、寂しくないし苦しくもないわけだけれど、これが良いことかと問われれば、やっぱりちっともよくないのである。


2007年07月05日

青春

いつまでも、そんな段階で悩んでいる場合ではないのだ。
我が内なる青春を否定して、誰よりも早く大人になろうと試みたが、青春を否定した時点で何者にもなれず、いや、我が語彙にはないなんだかよくわからない怪物に成り果て、現在もそれが成長したものになっている。
青春とはなんだろうかと考えたとき、良き仲間と良き時間を過ごすというようなことが思い浮かんだが、しかし、良き仲間と良き時間を過ごすことができるのはティーンの間だけではない。
それに、私だって良き仲間と良き時間を過ごしたのだから、これは違うように思う。
ウィキペディアによると、『若く元気な時代。主に青年時代』と書かれていた。
近くにあった国語辞典にも似たようなことが書いてあったので、その通りなのであろう。
今、私は非常に驚いている。
青春と仲間とは全く無関係であったのだ。
たとえば、教室で友達もおらず、どれだけ寂しい時間を過ごしていたとしても、元気でさえあれば、これはもう青春なのだ。
たしかに、私の中学生高校生の時分は、あまり元気がなかったように思う。
では、若くても元気がなければ、これは一体なんという。
「青」という言葉が、若さを象徴しているのだろう。
「まだまだ私は青かった」みたいな揶揄があるのだから間違いない。
若くて元気がないのは、青なんちゃらである。
「春」に元気という意味があるのだろう。
「春」の逆とはなんだ。
「春」はエロい。
「春」とはなんとエロい響きを持った言葉なのだろう。