ゲイの資産運用と将来設計――死んだ後にはお金は必要ないから、お金を確保しつつ、お金以上に大切なことを考えたい

ゲイとして生まれたので結婚ができない身です。その前提にたち、老後の一人生活にそなえ、各種の金融商品で運用をすることを決めました。運用成果を書くとともに、生きることは何かを考えていくブログにしたいと思います。

運用収益は+14.9%(税引き後) 結局、「デイは体に悪いからしない」が自分の今の結論

今日も自分の中ではやってはいけない、デイの買い下がりをして
フィックスターズで−50くらいの損失を出した。
もう本当に自分が嫌になる。
ただ、今日はさすがに痛恨の一撃で、目が覚めた。
だからブログに書こうと思った。
自分を変えたいから。

デイの買い下がりして勝てれたときの爽快感、刺激を求めて、
自分の中での勝手な確信でやってしまう。

「買い下がりをしないデイトレならば、勝てるのではないか」

試してみるも、最初はうまくいっても、次第にリスク許容度が増え、
リスクを取るようになり
今日のように1日、2日で、−50くらいの損失になる。

今年の運用収益は運用資金の+14.9%。

ただ、記録しているだけでも、デイトレをすることでの今年の大負けは上記以外に
以下のものがあった。完全にアウト。

・アエリア -27
・ピーグリー −100
・ロコンド −50
・TOKYOベース -60
・うるる −35
・チャーム −40
・JAM −50
・アイフル −60
・フィックスターズ −50

合計で470近くのマイナス。

単純にデイトレをしなかったらどれだけの運用収益に貢献したことか、はかりしれない。

これがデイトレのこわさ。

一方でデイトレの勝ちなんてほんのわずかで
計算していないけど、1銘柄10~20がいいところ。

それもそんなに多くない。
どう考えても、デイトレはコツコツやってドカンをやるための方法でしかない。
自分にとっては。

それはデイトレをやる人は世界中に無数にいるので
情報格差の中で戦わないといけないからという点が一つ。

買い下がるという心理から逃げることができなくなるから
デイトレでは負けがかさむのだろう。

デイトレは自分の想定と違う時に
「いや、自分の考えは間違いない」とLCを遅らして買い下がるという罠にはまることで
とんでもない損失になる。

いったい、これは防げるのか。

これが目下の自分の課題。

自分の想定と違っても買い増ししない。ロスカットする。
ただ、これらはやはり、相場を見続けないとできない。
少なくとも朝の1時間くらいはこの勝負でとられ、
1日の間で相場に使う時間が膨大になってしまい、QOLはとっても下がる。
デイ銘柄を探すのにも結構な時間を費やす。
デイをやると時間を盗られ、刺激ほしさにもっともっとやりたいと思って、さらに価値的な読書とか、思考する時間まで奪われる。

そもそも6年くらいの経験の中で、
デイでの収益は+ではなく、大きなマイナスであることを考えると
デイをしない方が、結局、プラスではないか。

いやいや話が変わってしまったが、今、考えないといけない問題は、
「買い下がりをしないことを防げる」のかどうかだ。


例えば、ポジションは300までとし、それ以上は絶対に買い増さない。
こうすれば-5%までいっても、とられるのは最大15万。
LCを明確にして逆指値にするをルールとしたらどうか。場は朝の時間だけで、その後は見ない。

いけそうな気がする。

ただ、これ結局、スピーディを要求される取引で、
2、3をつみあげることくらいしかできない。時間は朝の貴重な時間を1時間はとられる。
相場をじっと見ることになるので、時間効率は非常に下がる。期待利回りが低い。
300ポジションをとってもおそらく、3、4の利益で終わる。一方ではマイナスは大きい。
そのためのエネルギーも使う。場の動きも気になるだろう。その結果、疲れる。

やはり、ポジション300でもデイ目的ではなく、落ちたら買い増しをするくらいのものをとって
見ない。これがもっとも効率がよいのではないか。

ゆっくりとプラス20%いくくらいのものを持っているのが一番安心感があり、心のエネルギーも使わない。

デイをしようと思えば、それだけ銘柄選びも気になるし、その上げ下げで緊張し、体は硬直し、目は疲れ、頭を使い、心のエネルギーも消費するし、
過度にアドレナリンが出てしまう

何よりも体に悪いということが大きいか。デイは。

一種の麻薬と一緒で、ゲーム中毒に似ている。

いろいろやはりブログで書いてみて、
デイをする大変さが分かった。

上がると思うものがあるなら、3、4日見れるスイングものにすること。これがもっとも結果につながる。
それでいこう。


こんな内容は、
ブログを読み返すと、もう5、6年くらい前から同じこと何度も書いている。
麻薬と同じだから、自分ルールを守って、脳が麻薬にやられるのを防ごうと。
運用は結局、デイをしなければ、麻薬状態にもならずに、時間の浪費も防げ、収益もプラスになる。

そのため、もう一度、決意しました。
自分に打ち勝つ。自分に負けない。
自分の弱さをコントロールする。自分を見つめる。

スイングのみにして、場は一切、見ない。
1日も場を見ないという日をひと月あたり何日できるか。
これからはそれを記録していき、
その達成度合いを確認することをゲーム感覚で楽しむようにしたいと思います。
その結果、おそらく、運用収益は上がるのではないかと思うからチェックしていきたい。
それにより、思考もすっきりして、ほかの生きる価値にエネルギーを注げられるはず。

信じることを強く疑うから行動できるという視点

最近、池田晶子の本をたくさん読んでいます。

彼女の人生の当たり前のことを徹底的に考え、それを言葉にしていく作業を見て、
あらためて、「分かることとは言葉にできること」なのだと思い知らされます。

ちんぷんかんぷんなことや、うやむやなこと、分からないこと、迷っていること――。

私の性質として、
いろいろなことが頭の中をぐるぐるまわって、結局、自分が何をしたいのか分からない。
そうした傾向があると、私自身がよく分かっています。

だから、人から「あなたは何がしたいの?」「何を言いたいの?」と言われると
とてもドキッとして、うまく返答できません。

ただ、やはり、優れた人は、言葉が明解。
政治家も優れて優秀な人は、言葉が正確であり、余計なことをはさまないし、要件をずばっと言えます。
これは人格が相当に陶冶され、言葉として磨きあげられた結果なのだと思います。
私は自分の頭を、自分の世界を表現するため、外に出すために
言葉にする挑戦をしたいと思います。

ブログを使って、考えていることを分かるために、「書く」訓練をしたいと思います。その意味で、久しぶりにブログに書いていきます。

前置きが長くなりましたが、
池田晶子の言葉に触れると、あらためて人生を捉えること、分からなかったことが分かることができそうな気がします。彼女は、「疑うことで信じることができる」ことが可能になるのが哲学の魅力であると
書いています。一方で、哲学と宗教の違いについて、
宗教がまず「疑う」のではなく、まず「信じる」ことが先にある点にあると主張しています。
この話は、信じることは考える(疑う)ことの後にくることが
「正しい」という池田晶子さんの主張だと思います。

ここに私は疑問を感じました。

信じることと疑うことは、どちらが先であるものなのか。

仏教には
「無疑曰信」という言葉があり、「疑いなきを信という」との意味です。
ただ、この言葉は、「疑うことをやめて信じること」と言っているのではないでしょう。
むしろ「疑いをなくし」という主体的な行動の中に、信が生まれるという視点を提供しているのだと私は感じます。

そもそも
生死とは何か。自分がどこから来て、どこに行くのか。
こうした根源的な問いは、考えて分かるという行動以前に、
人間にできることは、まず、自分の頭では分からない世界がある、力があると「信じること」を先にして、考えることではないかと思うのです。

池田晶子さんだって、疑い考えることで信じることができると「信じている」から考える行動が取れる訳です。信じていなければ、考えることすらできないはず。
だから、人間にとって実は、信じる信じないは選択できる問題ではなく、
選択できることは信じていることを強く信じるか、弱く信じるかの二つなのでしょう。

強く信じるためには考えることが必要。
その考えるとは頭の中で論理立てて考えることと同時に、実際に行動する中で感じることの両方が必要なのではないか。

哲学者の小林秀雄が書いています。

「正常に考えれば、実行家というものは、みな懐疑派である。精神は、いつも未知な事物に衝突していて、既知の言葉を警戒しているからだ。先ず信ずるから疑う事が出来るのである。与えられた事物には、常に精神の法則を超える何ものかがある。実行という行為には、常に理論より豊富な何ものかが含まれている。さような現実性に関する畏敬の念が先ずあるのである。だから強く疑う事が出来るのです、最後の一つ手前のものまでは」

つまり、「常に精神の法則を超える何ものかがある」と信じるがゆえに、「現実性に関する畏敬の念」をもち、既知の言葉という今現在の自分の認識を強く疑うことができる、考えること、行動することができる。
行動するとは、強く信じるものがあるからできるのだと。 未知なるものがあると信じるがゆえに、行動せずにはいられないのだと。

最後に分かりづらいくいなってしまったが、今回書きたかったのは
信じるか信じないかというのは、選択できない問題ではない。

おぼろげながら誰も信じているものがある。その基盤の上で生きている。
だから、強く信じるか、弱く信じるかのどちらかである。

自らが信じてているものが正しければ、その信が強まった分、世界が見え開けるのだろう。
強く信じるためには、考えることが必要。考えることなしに、信じていることを強く信じることはできない。それができてしまうのは盲信というしかない。

第一興商

最近、やっぱり気になっている会社が第一興商なので、
ポジションを取ることにしました。

第一興商の現在の株価は4615円

投資可能資産の5%ほど買いました。

買値は平均で4680円程度です。

PER20倍前後でジャスダック市場であることを考えると
現在の株価は、かなり割高の水準です。

なぜ、買う決断をしたかというと、
3つ理由があります。

①同社はカラオケのDAMの配信が有名ですが
まだ業界占有率が50%ちょっとであり、
今後も伸びる可能性があることと、
海外展開もすればさらに伸びるのではないかという点です。
海外展開するのかはわかりませんが、
同社のカラオケの採点記録にみるようなリーディングカンパニー的な役割は
今後も継続できるのではと思います。

②株主優待と配当合わせると利回りは5%程度で、かなり高い点も魅力的です。

③ライブDAMはとても若者に人気で、他社のJOYSOUNDなどを完全に圧倒していると考えられます。
このライブDAM配信事業はストックビジネスですから、カラオケという文化が残っている以上は
継続的に収入が入ると見込まれますから、なお安心できます。

以上、3つの理由で買いました。
今後も下がれば、投資可能資産の15%程度程度まで買うつもりです。
上がれば、少し、売り上がります。

自分の分析が当たるか、慎重に見ていきたいと思います。
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