2008年04月03日
田中家 〜広重の東海道五十三次に描かれている神奈川宿(横浜)の老舗高級料亭、坂本龍馬の妻もいた〜
【田中家のプロフィール】
世界的な評価も高い、日本が誇る浮世絵師、安藤(歌川)広重。
広重の代表作『東海道五十三次』はあまりにも有名ですが、この絵は、日本橋を出て3番目の宿場である神奈川宿を描いた作品です。
(東海道五十三次の宿場は日本橋を出発して、 1.品川宿 → 2.川崎宿 → 3.神奈川宿・・・)
実はこの、広重の描いた『神奈川 台の景』の絵のなかに、今回ご紹介する「田中家」の前身の「さくらや」が登場しています。
この絵では見にくいのですが、坂をのぼったあたりに「さくらや」が実名で看板も描かれています。当時の「さくらや」は、いわゆる腰掛茶屋で、その後、「さくらや」から「下田家」となり、それを晝間弥兵衛が買い取って、「田中家」と名を改めて旅籠料理屋を開いたのが1863年。
「田中家」にはハリス(日米修好通商条約を締結した領事)やら高橋是清やら大村益次郎やら歴史上の人物が訪れた話には事欠きませんが、もっと面白いのが、坂本龍馬の妻おりょうの話
おりょう(楢崎龍)は、龍馬の暗殺時には別の場所にいたため難を逃れ、その後、龍馬の姉の坂本乙女の元に身を寄せるがそりが合わず放浪の旅に出ます。やがて、おりょうが辿り着いたのが、この「田中家」。 田中家で仲居として働いたのは2年ほどだったそうですが、それはそれは人気があったそうです。
現在の「田中家」を率いるのは、6代目の晝間喜一(ひるまよしかず)氏。
広重の絵では、海を見下ろせる絶好のロケーションですが、今は、広範囲にわたり埋め立てられるなどしたため、広重の絵のように「田中家」のある場所(旧東海道)から海を見ることはできません。
広重が絵を描いたのとほぼ同じ場所から写真をとったのが、
上の写真です。
【田中家の行き方】
昔の東海道五十三次の神奈川宿というのは、現在でいう横浜市神奈川区で、横浜駅の近く。
横浜駅西口を出て、歩いて5分ほど。
最後ちょっと坂道(または階段)を上がります。
(←伝統を感じさせる趣のある建物。)
「昔は、このすぐそばまで海だったんだぁ。埋め立てって景色をガラリと変えてしまうのね」なんて、思いながら到着。
玄関に入ると、そこで、三味線を弾いている人がいます。
誰かと思えば、その方こそ田中家の女将。
部屋へは若女将が案内してくれました。
【田中家の部屋】
部屋は、滝川と同じく、吉兆なんかよりも広々しています。
都内のお店でちょっと窮屈に感じている方にはよいでしょう。
料理が始まる頃、女将が「もしよろしければ歴史についてお話を・・・」というので、「ぜひお願いします」とお答えしたところ、
出るわ出るわ、古い写真や、上で書きました広重の絵など、貴重な資料をたくさん見せていただきました。歴史調査・取材の方なども来られるそうで、素人の私が見ても、「へぇ〜、昔はこんなんだったんですねぇ」と感嘆の連続で、とても勉強になりました。
資料を解説してくれる女将の話し方が面白く、
「昔はこの周辺に58軒も店が並んでいて、芸者を何百人も抱えていたのに、いまじゃあ、うち1軒で、三味線弾くのも私1人・・・。まったく情けない話でねぇ・・・」
「昔はうち(田中家)も、この写真のとおり、大きな敷地と建物にたくさんの従業員を抱えて・・・、あ、ここに写ってるのが、おりょうね、おりょう。坂本龍馬の妻で、勝海舟の紹介でうちへ来たの・・・」
「でも、いま残っているの建物はここの部分だけで・・・、まったく情けない話で・・・」
話し出して3分くらいで、ああ、この方が、江戸時代から続く「田中家」を潰すことなく一生懸命支えてきた名物女将なんだな、っていうのがわかります。
【田中家の料理】
昼の1万円(税・サ別)のコース。
「田中家」の歴史と伝統の重さを知れば、もはや料理など、どうでもいいです。
奇をてらわないオーソドックスな日本料理で、さらにいえば、家庭的な色が強いなあと感じました。
1品だけ、「筍のおまんじゅう」という春を感じさせる印象深い品がありました。
その他は、冒険はしない、安心感のある品々だったと思います。
【田中家の印象】
広重の絵に描かれている店が奇跡的に残っていることと、残して受け継ぐ努力とご苦労をされてきた方々に敬意を表したいです。
古〜い歴史のあるお店でありながら、女将がとっても気さく。
接客時には、大黒柱として話術や三味線で客を惹きつける女将と、美しくにこやかな若女将とのバランスがとてもよいと感じました。
帰りは、門を出てちょっと歩いたところで、ちらっと振り返りましたが、見えなくなるまで若女将がしっかりお見送りしてくれていました。
雰囲気 ★★★★☆
味 ★★★☆☆
総合評価 85点
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世界的な評価も高い、日本が誇る浮世絵師、安藤(歌川)広重。
広重の代表作『東海道五十三次』はあまりにも有名ですが、この絵は、日本橋を出て3番目の宿場である神奈川宿を描いた作品です。(東海道五十三次の宿場は日本橋を出発して、 1.品川宿 → 2.川崎宿 → 3.神奈川宿・・・)
実はこの、広重の描いた『神奈川 台の景』の絵のなかに、今回ご紹介する「田中家」の前身の「さくらや」が登場しています。
この絵では見にくいのですが、坂をのぼったあたりに「さくらや」が実名で看板も描かれています。当時の「さくらや」は、いわゆる腰掛茶屋で、その後、「さくらや」から「下田家」となり、それを晝間弥兵衛が買い取って、「田中家」と名を改めて旅籠料理屋を開いたのが1863年。
「田中家」にはハリス(日米修好通商条約を締結した領事)やら高橋是清やら大村益次郎やら歴史上の人物が訪れた話には事欠きませんが、もっと面白いのが、坂本龍馬の妻おりょうの話
おりょう(楢崎龍)は、龍馬の暗殺時には別の場所にいたため難を逃れ、その後、龍馬の姉の坂本乙女の元に身を寄せるがそりが合わず放浪の旅に出ます。やがて、おりょうが辿り着いたのが、この「田中家」。 田中家で仲居として働いたのは2年ほどだったそうですが、それはそれは人気があったそうです。
現在の「田中家」を率いるのは、6代目の晝間喜一(ひるまよしかず)氏。
広重が絵を描いたのとほぼ同じ場所から写真をとったのが、
上の写真です。
【田中家の行き方】
昔の東海道五十三次の神奈川宿というのは、現在でいう横浜市神奈川区で、横浜駅の近く。
横浜駅西口を出て、歩いて5分ほど。
最後ちょっと坂道(または階段)を上がります。
「昔は、このすぐそばまで海だったんだぁ。埋め立てって景色をガラリと変えてしまうのね」なんて、思いながら到着。
玄関に入ると、そこで、三味線を弾いている人がいます。
誰かと思えば、その方こそ田中家の女将。
部屋へは若女将が案内してくれました。
【田中家の部屋】
部屋は、滝川と同じく、吉兆なんかよりも広々しています。
都内のお店でちょっと窮屈に感じている方にはよいでしょう。
料理が始まる頃、女将が「もしよろしければ歴史についてお話を・・・」というので、「ぜひお願いします」とお答えしたところ、
出るわ出るわ、古い写真や、上で書きました広重の絵など、貴重な資料をたくさん見せていただきました。歴史調査・取材の方なども来られるそうで、素人の私が見ても、「へぇ〜、昔はこんなんだったんですねぇ」と感嘆の連続で、とても勉強になりました。
資料を解説してくれる女将の話し方が面白く、
「昔はこの周辺に58軒も店が並んでいて、芸者を何百人も抱えていたのに、いまじゃあ、うち1軒で、三味線弾くのも私1人・・・。まったく情けない話でねぇ・・・」
「昔はうち(田中家)も、この写真のとおり、大きな敷地と建物にたくさんの従業員を抱えて・・・、あ、ここに写ってるのが、おりょうね、おりょう。坂本龍馬の妻で、勝海舟の紹介でうちへ来たの・・・」
「でも、いま残っているの建物はここの部分だけで・・・、まったく情けない話で・・・」
話し出して3分くらいで、ああ、この方が、江戸時代から続く「田中家」を潰すことなく一生懸命支えてきた名物女将なんだな、っていうのがわかります。
【田中家の料理】
昼の1万円(税・サ別)のコース。
「田中家」の歴史と伝統の重さを知れば、もはや料理など、どうでもいいです。
奇をてらわないオーソドックスな日本料理で、さらにいえば、家庭的な色が強いなあと感じました。
1品だけ、「筍のおまんじゅう」という春を感じさせる印象深い品がありました。
その他は、冒険はしない、安心感のある品々だったと思います。
【田中家の印象】
広重の絵に描かれている店が奇跡的に残っていることと、残して受け継ぐ努力とご苦労をされてきた方々に敬意を表したいです。
古〜い歴史のあるお店でありながら、女将がとっても気さく。
接客時には、大黒柱として話術や三味線で客を惹きつける女将と、美しくにこやかな若女将とのバランスがとてもよいと感じました。
帰りは、門を出てちょっと歩いたところで、ちらっと振り返りましたが、見えなくなるまで若女将がしっかりお見送りしてくれていました。
雰囲気 ★★★★☆
味 ★★★☆☆
総合評価 85点
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