2007年09月
2007年09月20日
96:夢
オトトイ、父の夢を久ぶりに見た。隣には無表情な母の姿もあった。
父が生きていた頃、たまに「ポルター現象」の事を話題にしていた。
「同じポルター現象でも、紙なんかがカサッっていったり、小さなモノが、チョッと動いたりするんじゃなくて、ワシら親子の場合は、窓がスーッっと開いたり、フライパンのような重いモノがガシャーン!!って落ちるようなド派手な「ポルター現象」で、自己アピールをしよう!」って言ってたノニ、父は死んでからナニもおこしてはくれない。
まともに考えればソレが普通なのだが、我オヤジは何か起こしてくれそうな気がしていた。
父が死んでから、霊としても現れないし、ましてや夢にも登場されない。
ヒト月ほど経った時、私は初めて父の夢を見た。
夢の中の父は鳥カゴの様なモノに入ってすわっていた。
「何で出てこんの?期待して待っとるのに・・・。」そう言いながら父をみると、
機嫌悪そうに父が答えた。
「それじゃあ、スゴイものを見せちゃる・・・・。」
それで目が覚めた。
その日の朝、姉から「母が倒れた」と電話があった。
私は「ゾクッ!」とした。嫁さんには夢の一部始終を話したが、事後報告だったので彼女は信じたかどうかは解からない。
それでオトトイなのだが、又、久ぶりに夢を見た。
昨日の父はタイソウ機嫌が良いように見えた。傍らには無表情の母がチョコンとすわっていた。
「夢の中」の父が言う。
「ヒトミよ、お母さんはワシが呼んだんやけん、心配せんでエエデ。アイツ、寂しがりややろう、一人じゃナーモしきらん。だけん、ワシが呼んだと。」
夢の中で、ホッとしている自分がいた。
日頃、思っている自分の脳ミソがソンナ夢を、見させたと考えるのが普通であるが、なんか優しさに包まれている自分を感じて、安堵感が広がったのは事実である。
それから父が続けてこう言った「俺の部屋にピンクかオレンジのノートがある。ソレを見ときんしゃい。」
さっそく昨日、両親が住んでいたマンションに泊まりに行き、「ノート」を探した。
ソレはやはり、父の部屋にあった。
オレンジ色のコクヨのノートは、父の10年間の日記であった。
父が生きていた頃、たまに「ポルター現象」の事を話題にしていた。
「同じポルター現象でも、紙なんかがカサッっていったり、小さなモノが、チョッと動いたりするんじゃなくて、ワシら親子の場合は、窓がスーッっと開いたり、フライパンのような重いモノがガシャーン!!って落ちるようなド派手な「ポルター現象」で、自己アピールをしよう!」って言ってたノニ、父は死んでからナニもおこしてはくれない。
まともに考えればソレが普通なのだが、我オヤジは何か起こしてくれそうな気がしていた。
父が死んでから、霊としても現れないし、ましてや夢にも登場されない。
ヒト月ほど経った時、私は初めて父の夢を見た。
夢の中の父は鳥カゴの様なモノに入ってすわっていた。
「何で出てこんの?期待して待っとるのに・・・。」そう言いながら父をみると、
機嫌悪そうに父が答えた。
「それじゃあ、スゴイものを見せちゃる・・・・。」
それで目が覚めた。
その日の朝、姉から「母が倒れた」と電話があった。
私は「ゾクッ!」とした。嫁さんには夢の一部始終を話したが、事後報告だったので彼女は信じたかどうかは解からない。
それでオトトイなのだが、又、久ぶりに夢を見た。
昨日の父はタイソウ機嫌が良いように見えた。傍らには無表情の母がチョコンとすわっていた。
「夢の中」の父が言う。
「ヒトミよ、お母さんはワシが呼んだんやけん、心配せんでエエデ。アイツ、寂しがりややろう、一人じゃナーモしきらん。だけん、ワシが呼んだと。」
夢の中で、ホッとしている自分がいた。
日頃、思っている自分の脳ミソがソンナ夢を、見させたと考えるのが普通であるが、なんか優しさに包まれている自分を感じて、安堵感が広がったのは事実である。
それから父が続けてこう言った「俺の部屋にピンクかオレンジのノートがある。ソレを見ときんしゃい。」
さっそく昨日、両親が住んでいたマンションに泊まりに行き、「ノート」を探した。
ソレはやはり、父の部屋にあった。
オレンジ色のコクヨのノートは、父の10年間の日記であった。
2007年09月03日
95:宮川美保子永眠す
この人生、「驚愕するコト、多々あり。」と言うが、8月29日、母、宮川美保子が永眠いたしました。
8月13日、姉から電話があった。姉は、母が心肺停止状態であることを泣きじゃくりながら私に伝えた。「救急車は呼んだと?すぐ久留米に行くケン。」とだけ私は言って、家族と久留米に向かった。
病院に着き、医者から、「脳死の状態である事、機械で肺を動かしている。」と、いう説明があった。「この2,3日がヤマでしょう。」と言われた。
姉によると昨日、一緒に買い物に行ったという、しかし夕方頃から「気分が悪い」と言って、食事をあまり採らず、夜も眠られないで何度も(姉を)起こしに来たらしい。
それで次の日には早く、博多に帰ろうということになり、帰り支度をしていたら、心肺停止状態で倒れた、という。
医者のみるところ「かなり深刻な状態」であったが、「15日間」彼女の心臓は動いていた。
8月29日の朝、姉から「母が他界した。」と連絡がはいる。「遺体」を引き取りに久留米に向かう。葬儀場に着いてからは、「父」の時と同じ手続き進行をとった。
ただ淡々粛々とやることをやり、普段のように「冗談」もいい、「笑い」、「号泣し」、「精神ここにあらず状態」になり、「夢の中」のような、尋常でない精神の渦の中にいた。
父の死の40日後のことであった。
8月30、31日、母の意志で「密葬」の形をとり、親戚と家族だけで、葬儀を執り行いました。
事後になりましたが、ここに、ご報告いたします。
非礼お許しください。
宮川仁美、親族一同。
追伸:本日9月3日より「御用」は営業を再開します。
8月13日、姉から電話があった。姉は、母が心肺停止状態であることを泣きじゃくりながら私に伝えた。「救急車は呼んだと?すぐ久留米に行くケン。」とだけ私は言って、家族と久留米に向かった。
病院に着き、医者から、「脳死の状態である事、機械で肺を動かしている。」と、いう説明があった。「この2,3日がヤマでしょう。」と言われた。
姉によると昨日、一緒に買い物に行ったという、しかし夕方頃から「気分が悪い」と言って、食事をあまり採らず、夜も眠られないで何度も(姉を)起こしに来たらしい。
それで次の日には早く、博多に帰ろうということになり、帰り支度をしていたら、心肺停止状態で倒れた、という。
医者のみるところ「かなり深刻な状態」であったが、「15日間」彼女の心臓は動いていた。
8月29日の朝、姉から「母が他界した。」と連絡がはいる。「遺体」を引き取りに久留米に向かう。葬儀場に着いてからは、「父」の時と同じ手続き進行をとった。
ただ淡々粛々とやることをやり、普段のように「冗談」もいい、「笑い」、「号泣し」、「精神ここにあらず状態」になり、「夢の中」のような、尋常でない精神の渦の中にいた。
父の死の40日後のことであった。
8月30、31日、母の意志で「密葬」の形をとり、親戚と家族だけで、葬儀を執り行いました。
事後になりましたが、ここに、ご報告いたします。
非礼お許しください。
宮川仁美、親族一同。
追伸:本日9月3日より「御用」は営業を再開します。

