昨年、新青森駅が開通してから東北はある種ブームになった感がある。
JR東日本・新青森CMの出来も秀逸なので一気に知名度が上がった。
その新青森駅の手前から続く「数字+戸」の地名、
七戸(しちのへ)、八戸、二戸(にのへ)という駅名に興味を持つ人も多いのではないか。
雑誌で紹介される際は、戸は馬を飼う集落の単位を表わすという説明をよく見かける。
ネットでチェックしてみると2つの説を併記しているものが多い。
ふたつとは馬の集落説と軍事的集落説だ。

この辺りには、「奥州藤原氏のクニ」で書いた通り異民族が生活していた。
彼ら蝦夷(えみし)を北へ北へと追いやるための前線基地が「戸」と呼ばれたようだ。
基地といえども敵地には違いないので、回りにぐるりと柵を巡らし敵の攻撃を防御していたらしい。
柵というとつい牧場のような曲線をイメージするが、当時の造りは四角四面でそれぞれに門があった。
軍事目的ならば、一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)まで整然と並ぶ理由は分かりやすい。
地名は岩手県北部の一戸から始り、三戸(さんのへ)から八戸までが青森県になる。
そして最後、九戸は再び岩手に入る。
余談になるが、九戸は豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた地でもある。
九戸政実(まさざね)の九戸城は難攻不落の城で秀吉・家康軍はなかなか苦戦したと記録されている。
ちなみに九戸城は現在の二戸市にあるから少しややこしい。
話を巻き戻すが、蝦夷が蝦夷(えぞ)へ追いやられると、9つの基地の使い道がなくなった。
この空いた戸に馬(南部馬)を放牧することにしたのは南部氏のようだ。
南部藩というと岩手県という連想が働きやすいが、出は三戸だ。
その後に南部氏が広大な知行(領地)を与えられたので、盛岡城を築いて引っ越したのだ。
現在、四戸(しのへ)という地名はなく、姓として残すのみだ。
1000年以上前からある地名のことに想いを馳せながらの旅もまた楽しいのでないだろうか。
**「地名語源辞典」参照**
JR東日本・新青森CMの出来も秀逸なので一気に知名度が上がった。
その新青森駅の手前から続く「数字+戸」の地名、
七戸(しちのへ)、八戸、二戸(にのへ)という駅名に興味を持つ人も多いのではないか。
雑誌で紹介される際は、戸は馬を飼う集落の単位を表わすという説明をよく見かける。
ネットでチェックしてみると2つの説を併記しているものが多い。
ふたつとは馬の集落説と軍事的集落説だ。

この辺りには、「奥州藤原氏のクニ」で書いた通り異民族が生活していた。
彼ら蝦夷(えみし)を北へ北へと追いやるための前線基地が「戸」と呼ばれたようだ。
基地といえども敵地には違いないので、回りにぐるりと柵を巡らし敵の攻撃を防御していたらしい。
柵というとつい牧場のような曲線をイメージするが、当時の造りは四角四面でそれぞれに門があった。
軍事目的ならば、一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)まで整然と並ぶ理由は分かりやすい。
地名は岩手県北部の一戸から始り、三戸(さんのへ)から八戸までが青森県になる。
そして最後、九戸は再び岩手に入る。
余談になるが、九戸は豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた地でもある。
九戸政実(まさざね)の九戸城は難攻不落の城で秀吉・家康軍はなかなか苦戦したと記録されている。
ちなみに九戸城は現在の二戸市にあるから少しややこしい。
話を巻き戻すが、蝦夷が蝦夷(えぞ)へ追いやられると、9つの基地の使い道がなくなった。
この空いた戸に馬(南部馬)を放牧することにしたのは南部氏のようだ。
南部藩というと岩手県という連想が働きやすいが、出は三戸だ。
その後に南部氏が広大な知行(領地)を与えられたので、盛岡城を築いて引っ越したのだ。
現在、四戸(しのへ)という地名はなく、姓として残すのみだ。
1000年以上前からある地名のことに想いを馳せながらの旅もまた楽しいのでないだろうか。
**「地名語源辞典」参照**