世界400を超える球場を渡り歩いた筆者が独自の視点で、世界の野球を紹介します。

オリックス・ブルーウェーブ(2001-04)

 オリックスの神戸での企画シリーズ、「T
hanks Kobe がんばろう神戸25th」に顔を出した。近年は例年のように1995,96年の連覇当時の復刻ユニフォーム試合を行っているオリックスだが、前回で述べたように「完コピ」というわけにはいかないようだ。取引メーカーが代わっている場合もあるし、また近年はユニフォームなりキャップなりに製造メーカーのロゴが相る場合もあるので(ついでに言うと広告も)、なかなか「当時」と全く同じものを再現することは難しいようだ。今シーズン、西武はかつての黄金時代のそれそっくりのユニフォームを採用したが、これは「復刻」ではなくサードユニフォームと言う位置づけだ。

 そういう意味では、神戸での試合(コロナで3試合だけとなってしまったが)すべてで直用する「ブルーウェーブ」のユニフォームは、もはや、オリックスにとって「第4ユニフォーム」(今シーズンのオリックスにはすでにサードユニフォームがある)的な扱いと言っていいだろう。

 

 キャップについてだが、やはり「当時モノ」より色が濃い。よくよく見てみると、選手のアンダーシャツは、どうやらいつもの濃紺のものを使用しているようだ。イベント試合で復刻ユニフォームなどを着用すると、どうしてもアンダーシャツの類もそれに合わせる必要が出てくる。ヘルメットは、当時と同じような青を使用しているので、今回の「復刻キャップ」は、意図的に濃い色を使っているようだ。

 

 と言うわけで、結果的には、今回の復刻キャップは1991-00年モデルよりその後、2001-04年モデルを「復刻」させたような色合いになっている。

 

 イチローが去った2001年、オリックスはユニフォームをリニューアルした。基本的な構図は同じだが、プルオーバーを前ボタン式に、前立ての紺色のラインが入った。

 そして、キャップの方は、正直パッと見は、前のモデルとほとんど変わらない感じだが、地の色が濃紺になり、BWのマークの縁取りの黄色が若干変わっている。

 

 「脱イチロー」のこのユニフォームとキャップだったが、多くのファンにとっては、「黒歴史バージョン」として印象に残っているだろう。オリックス球団は、ブレーブス時代を含め2000年までAクラスを保っていたが、この2001年、せっかくの新ユニフォームもむなしく前年に続き4位に終わると、仰木監督が退任、以後、最長で3シーズン(もっともこれも途中で「代行」などに交代することがもっぱらだったが)という短期政権が繰り返される「暗黒時代」に突入する。

 2004年、シーズン途中にオリックス球団は、大阪を本拠とする近鉄球団との合併を発表。これを契機にもう一組の合併も模索され、1リーグ制へのうねりが起こる。ファンと選手会の猛反対で2リーグ制の枠組みは死守されたが、両球団の合併は覆されることなく、2004年927日。当時はYahoo!BBスタジアムと呼ばれていた神戸の球場で奇しくもオリックス・ブルーウェーブ、大阪近鉄バファローズ両チームは最後の試合を迎える。この試合で、すでに球団から戦力外通知を受けていた元メジャーリーガで近鉄OBの吉井正人もマウンドに立ったが、彼がかぶっていたこの濃紺のBW帽には、涙粒を落とす、岡本太郎デザインの近鉄バファローズのマークが白インクで描かれていた。

 

 このキャップはこの時、入場者プレゼントとしてもらったものである。プレゼントは福袋みたいになっていて他にもいろいろ入っていたと記憶しているが、なにが入っていたかはあまり覚えていない。今なら、「当時もの」として売り物にもなろうが、当時としては、球団としては、不要な在庫ということで処分のつもりで配布したのだろう。合併によって複雑になってしまった球団の歴史が、後々「売りもの」になるとは、この時、オリックス球団は考えもしなかっただろう。

*Yahooニュースにて、オリックス・ブルーウェーブ復刻試合について記事を書いています。
あの震災から四半世紀。オリックス、「聖地」でブルーウェーブ復活

オリックス・ブルーウェーブ(1991-2000)
 今日からオリックス・バファローズは今シーズン唯一の神戸での3連戦に臨む。例年、ほっともっとフィールド神戸では10数試合の公式戦を行っているのだが、今年は新型コロナの影響でこの3連戦だけとなった。今年は、あの阪神淡路大震災から25周年ということもあり、神戸で実施予定だった8試合全てで、ここを本拠としていたブルーウェーブ時代の復刻ユニフォームでプレーする予定であったが、移動リスクを回避するため、日程を変更し、この3連戦だけのイベントとなった。

 

 1988年、昭和の終わりに名門阪急ブレーブスを買収し、平成の始まりとともにパ・リーグに参戦したオリックス・ブレーブスだったが、本拠地は身売り時の約束通り阪急時代の西宮球場を使用していた。しかし一方で、グリーンスタジアム神戸、つまり現在のほっともっとフィールドを準本拠とし、本社が神戸発祥の南海を買収した福岡ダイエーホークスとのホームゲーム13試合すべてをここで開催することも発表(実際は雨天中止分の1試合は西宮で開催)した。今から思えば、すでにこの時、神戸移転のレールは敷かれていたのだ。

 そして、2シーズン西宮を使用し、「義理」を果たしたあと、1991年からオリックスは神戸に本拠を移した上、ニックネームを「みなと神戸」を連想させる「ブルーウェーブ」に変えてしまったのだ。伝統ある「ブレーブス」を捨て去り、なんだか野球チームに似つかわしくない「青波」に改名したことには、私だけでなく、多くの野球ファンが「はぁ?」と感じだっただろう。阪急ブレーブスのファンだった私は、なんだか大切なものを奪われた気持ちだった。企業倫理から球団譲渡してしまうのは仕方ないにしても、選手、スタッフ、そしてファンのアイデンティティの核になるニックネームまで奪ってしまうとはどういうことだと、当時大学生だった私は、そうしたところでどうにもならないことはわかっていながら、憤ったことを覚えている。ライオンズだって、ホークスだって(ファイターズに関しては幼過ぎて記憶になく、ロッテはまだ「オリオンズ」だった)親会社が代わり、本拠地を移転してもニックネームはそのままだ。なのにオリックスはなんということをしてくれるんだ!

 当時東京に住んでいた私はこの年、神戸でブルーウェーブを目にしたが、不本意なリリーフ起用されたエースの佐藤義則が打ち込まれて逆転されたのを見て憤然と席を立った。

 

 そんな「ブルーウェーブ」のマイナスイメージは、ひとりの若者の登場によって、その数年後完全に払しょくされる。ご存知イチローだ。彼自身は翌1992年の入団なのだが、彼がメジャーへ旅立った翌年からブルーウェーブはユニフォームをキャップをマイナーチェンジしているので、このキャップのイメージはそのままイチローと重なる。

 

 1994年シーズンから指揮を執ることになった仰木監督の下、「イチロー」の登録名でブレークを果たした鈴木一朗に引っ張られるかたちで、1995年にパ・リーグ制覇を果たしたブルーウェーブは、1996年、地元神戸でリーグ連覇決め、そして長嶋・巨人を破って日本一に輝く。翌1997年から2年間、私は神戸で働いていたが、当時のブルーウェーブ人気は絶大で、子供たちの間ではタイガースをはるかにしのいでいた。なにしろ、タイガースファンのガキ大将が、「あいつ阪神ファンなんやで」とからかわれていたくらいだ。

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(日本シリーズ優勝を決めて場内を一周するオリックス・ナイン/1996年)
 

 このキャプは、そんな時代に、神戸ハーバーランドのショッピングモールにあったミズノで注文購入したプロモデルキャップだ。今でいう、受注生産のオーセンティックものだ。少ないボーナスをはたいて1万数千円出して作ったものだが、今ではこういう「本物」を多くのファンが好んで購入している。

 なので、質そのものは選手が使っているものと同じで、実にしっかりしている。これを手にして普段買っている千数百円の(当時はレプリカキャップの値段はこんなものだった)レプリカがいかにちゃっちいものか思い知らされたものだ。

 

 今回もせっかくなので被っていったが、残念ながら現代的な感覚ではちょっとダサい。当時、メジャーリーグブームも押し寄せ、あのニューエラの丸みを帯びたフォルムがかっこいいとされつつあったが、日本のプロ野球はまだまだ、昭和チックな角ばったフォルムが主流だった。とくに全面は正面のマークを際立たせるためか、つばに対して直角にそそり立っていた。

 ちなみにレプリカの「昭和キャップ」にありがちな、裏正面の「網」(18http://blog.livedoor.jp/gr009041/archives/22590970.html参照)はこれにはない。つくりがしっかりしているので、そんなものはいらないのだ。

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 1995年の阪神淡路大震災の年に優勝した当時のグリーンスタジアム(私的には私はこの名称をもっぱら使う)、ほっともっとフィールド神戸はオリックス球団にとっては「聖地」みたいなものだ。復刻ユニフォームが定番となった昨今、ブルーウェーブのユニフォームは毎年使用する定番となっているが、それに合わせてレプリカキャップも販売されている。しかし、それはどこか間抜けな感じがする。「BW」のマークが下にありすぎ、間抜けな感じがするのだ。そのあたりはここに実物がないので球団のHPページを見てほしい。

 おそらくフォルムじたいが、当世の丸みを帯びたものになっているので、「BW」マークのワッペンを縫い付けるのに正面下部でないとやりにくいのだろう。おまけに、「当時もの」と比べると色が濃い。このキャップのオリジナルは、オリックス球団発足時からの「オリックス・ブルー」(「青」と「紺」の中間色)を採用しており、「復刻もの」はむしろ、マイナーチェンジ後の濃い青になっている。ユニフォーム、キャップ研究の大家、綱島理友さんの『プロ野球ユニフォーム物語』では、身売り直後の「オリックス・ブレーブス」のキャップは「オリックス・ブルー」、イチロー時代のブルーウェーブ・キャップは「青」、マイナーチェンジ後のものが「オリックス・ブルー」とあるが、実際は、オリックス・ブレーブスと初代ブルーウェーブのキャップの地の色はほぼ同じ、「ポスト・イチロー」のキャップのそれが濃紺に近い。

 

 その「ポスト・イチロー」のキャップも、わずか4年の寿命に終わるのだが、それについてはまた稿を改めたい。

ベースボールキングにて、栃木ゴールデンブレーブスの岡田幸文コーチの記事を配信しています。
https://baseballking.jp/ns/column/246209
地元・栃木に「地域密着」…元ロッテの守備職人・岡田幸文のいま

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そこで、ここではそのインタビューの全貌を公開します。

――岡田さんは、クラブチームからプロ入りし、その後主力となったことで有名ですけれども、岡田さんがロッテに入団した時、すでに独立リーグは日本にありましたよね。

「あったと思います。自分はプレーしようとおもわなかったですけど」

 

――それはどうしてですか?

「なんでだろう。当時は、そもそも独立リーグって何?みたいな感じで見ていましたから」

 

――でも、プロには行きたいと思っていたんでしょう。独立リーグと言えば、プロへの登竜門だと思うんですけど。

「それは今だからでしょう。15年くらい前は、今より実業団もクラブチームも多かったですから。当時、クラブチームも実業団を上がった人もたくさんプレーしていましたしね。自分自身も、そこまでプロを見据えるっていうほどではなかったですね。絶対プロっていうよりも、大学中退して、バイト辞めて、それから足利クラブに拾ってもらったんで、ここでがんばろうって感じでした。当時は、絶対プロっていう、そこまでの気持ちはなかったです

 

――野球を続けることができたという意味で、足利クラブに恩返しっていうことですね。

「それで足利クラブってプレーしているときに、『スカウトが見てるよ』って言われて、じゃあもっと頑張ろうっていうことになりました」

 

――ロッテ時代の同僚に角中さんがいますよね。彼は独立リーグからプロ入りして大成功を収めた人ですけど、そういう彼を見て、独立リーグに対するイメージはどうでしたか?

「イメージですか。みんなプロに行きたい連中ですよね。考えたことはなかったですね」

 

――それで、栃木からオファーがあったときには、地元で野球に関わりたいっていうお気持ちだったんでしょうか?

「ロッテからの出向なんで、そういう気持ちもなかったですね」

 

――ロッテは、過去にも荘勝雄さんなんかも福井に派遣したりして、そういうことが多いですね。

「いい球団ですよ」

 

――それで実際独立リーグを見てどうですか?

「プロ志望の集団なんで、すごく熱を感じますよ」

 

――昔の自分と重ね合わせることはありますか?岡田さんは夢をかなえたわけですよね。でも、実際はなかなかそうはならない。そのあたりに指導者としてジレンマを感じたりすることはありますか?

「どうなんですかね。プロにもスカウトがいるわけで、各選手に何が足らないかというよりも、チームに当てはまらないと。どれだけいい選手がそろっていても、正直タイミングというか、運と言ってしまえば、それまでなんでしょうけど、彼らは結果を出し続けるしかないんですよ」

 

――要するに、獲る側の需要に合えば行けると。

「素質は十分な選手が多いことは、今日のゲームを見てもらえばわかると思います。レベルは高いですよ。でも、どうしてもそこでNPBに12球団ありますので、そこにどうはまるか。だからもうアピールし続けるしかないです。だから厳しいですよ」

 

――それは甲子園、六大学といった野球エリートと呼ばれる人たちと同じことしていたんでは、独立リーグの方がはまりにくいということでしょうか?

「うーん。僕はそういうイメージで見ていますね。結局ドラフト漏れの集まりですから。そこからNPBを目指す。だからこそ結果を出し続ける必要があるんでしょうね」

 

――そういうことは選手にも伝えるんですよね。

「言いますね」

 

――でもそれはかなりしんどいことですよね。そこでテンションが落ちることもあるでしょうし。

「そうですね。でも、そうなったら、それまでの選手ということですよ。でも、スカウトさんはたくさん来てくれます。今日はどの選手を見に来たとか言ってくれますから。特に今年は去年以上に足を運んでいただいています」

 

――選手はスカウトが来たことはわかっているんでしょうか?

「わかっていますね。僕らからも言いますので。そこでスカウトの目に留まるか」

 

――そこで目の色変える選手と淡々といつものようにプレーする選手いると思うんですけど。どちらがプロ向きなんでしょうか?

「普通にやってればいいでしょ(笑)。今までどおりやれば。そこで、スカウトがあるからよしっやってやろうって力が入るのか、普通にいつもどおりやるか、普通にやってもらいたですね。もちろんピッチャーなんかは、(スカウトが来てるって)言われて、よっしゃ、今日は強い球を投げてやろう、150キロ出してやろうっていうのはありでしょうけど」

 

――野手の場合は、常にいつも通りに、コンスタントにプレーする選手の方がプロ向きということでしょうか?

「スカウトが見に来たから、やるっていうのでは、(NPBの)143試合は戦えません。今日は頑張ろうとか、そういうのではないので。だからスカウトが来ても、今まで通り普通にやっていればいいですね」

 

――今、指導していて一番大事にしていることって何でしょうか?

「うーん」

 

――昨年私は、ふたりの独立リーグの指導者にお話を伺いました。そのうちのお一人は、基本的に独立リーグからNPBに進むなんて簡単にはできない、無理なんだから、それを前提に指導する。つまりは、ある意味、引導を渡すのも自分の役割なんだというスタンスです。もうお一方は、NPBを目指す選手を預かったからには、ドラフトに全員を送るつもりで指導している。指導者が最初から、無理だと思うべきでないという考え方でした。

「なるほど。僕はみんなNPBのドラフトにかかってほしいと思って指導していますね。でも、その前にみんな社会人なんで、野球だけやっていてもいけないので、社会人として、こういうときはこうだよああだよ。そのために今野球をやっているんだよって思ってします。厳しい環境ですが、目標がある以上、それを目指して一生懸命やるのは当たり前なんで」

 

――では、独立リーグを「夢を叶える場」としてとらえるか、「夢をあきらめる場」ととらえるかということなんですけれども、岡田さんはどちらの考え方に近いですか?

「難しいな。僕は、あきらめる場だと思います。ここがゴールではないので。野球後の人生の方が長いですから。1年、もう1年ってやっていても歳をとるだけなので。うちの生きのいい若い選手をNPBも欲しいだろうし、そういった意味では、とにかく選手は結果を出し続けるしかないです。そこでスカウトの目に留まったらもう最高ですけどね」

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(8.15, 佐野市民球場)

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