2012年03月

MLB開幕シリーズの雑感。
試合の詳細については、テレビやその他マスメディアで伝えられているからいいだろう。
第1戦しか見ていないが、目の肥えたファンならウーンと言わざるを得ないだろう。
確かに内野手のギリギリのタイミングでのスローイングに関しては、日本ではなかなかお目にかかれない代物だったが、そのほかは正直高いチケットを買ってまで見る価値は?という感じだった。
試合終盤でのアスレチックスの8番アレンのバント失敗は、単なる失敗というより、「バントができない」というポテンシャルの問題だったし、マリナーズのレフトの守備は見ていられないほどだった。終盤にフェンス際の球を好捕したように見えたが、あれもスタートが良ければゆうゆう捕れる打球だ。
 テレビの解説は、どうだったんだろう。おもねったメジャー礼賛の声ばかりでなく、地に足ついた、声も聴きたいのだが…
 この数日、マスコミを中心に、野球関係者にもこのシリーズの感想を聞いたが、どれも今回の両チームの戦力のなさを嘆くこのばかりだった。
 明日からはNPBの開幕、。正直、このシリーズよりよほどハイレベルの戦いが期待できる。




観客動員の見込めないカードを、巨額のスポンサー付きで日本人選手に絡めて来日される、なかなかビジネスとしてはグッドアイデアだが…





まあ、観ている分にはそれなりに楽しみましたが…

イースタン、ヤクルト戸田球場の試合。
先発はロッテ・グライシンガー、ヤクルト・館山。開幕を前にした最後の調整だろうが、豪華な顔ぶれとなった。但しともに、出来は今一つ。開幕を目の前に少々不安が残る出来だった。
館山は4回2失点。ボールが指にかかりすぎるのか、ストレート、変化球とも、自分のボールを自分でコントロールできていない印象だった。



グライシンガーも細かいコントロールが今一つ。但し、回を重ねるにつれ、コースに球が決まり出し、5回1失点のまずまずの出来。正直この二人くらいなら、イースタンのメンバー相手なら、これぞ一軍というピッチングを見せてもらいたかった。

ヤクルト2番手は、台湾プロ野球から移籍したロマン。来日当初は、低い評価だったものの、オープン戦での好投が光り、ローテーション入りが期待される。球に関してはこの日投げたどの投手より力があった。重そうな速球は一軍でも十分に通じる感じ。但し、細かいコントロールはないようなので、球をじっくり見ていかれると苦しいだろう。結局、ロマンは6回2アウトからレフトオーバーの二塁打を打たれ2失点、さらに次の打者には頭部死球を出して、危険球退場となって降板した。
試合後のコメント


「今日は本調子じゃなかったのか?」という質問に対して
「調子が悪いと言うのではなく、今日はストレートとツーシームを試すためにこれを中心に組み立てた。結果はたまたま、気にはしていない。」
と言うことだったが、果たして本番ではどうなのか。
試合は結局4対1でロッテの勝利。

球場の様子。アニメ「侍ジャイアンツ」を彷彿とさせる河川敷の球場。客席は、バックスタンドの上に6段の桟敷のみ。あとは、土手の上での観戦。のどかでいい。



しかし、ベースボールビジネスという視点からはいかがなものかとも思う。駅からの交通機関もろくにないここでの観戦は無論のこと無料。現在、NPBの二軍は、イースタンが楽天、巨人、横浜、日本ハム、ウェスタンが中日、オリックスの半数の球団しか二軍戦でチケットを販売していない。NPB二軍の下位プロリーグとして、独立リーグが展開されるようになった今、プロ野球界は、ゲームの商品価値を高まるためにも二軍戦もきちんと球場料を取るべきなのだが、そのあたりの企業努力は全く見えないと言わざるを得ない。これレベルの球場は、アメリカのマイナーリーグにはざらにある。それでも向こうだと、仮設の桟敷を設けて、興業としてのプロ野球という姿勢を崩さない。プロスポーツを取り巻く状況が年々厳しくなる中、二軍でもある程度の収益を上げる努力をしなければ、プロ野球の持続的発展は見込めないのではないか。


 阪神戦に関してコメントをいただきました。ありがとうございます。まずは、そのレスポンスから。
 大阪で試合をすれば、もっと客が入ったというご意見でしたが、確かにそれは一理あります。関西在住の私の友人も、大阪で試合があるならぜひ行きたいといっていました。そもそも、なぜこの手の試合は、東京ばかりでするのかには大いに疑問を感じます。一極集中の日本をある意味象徴しています。
 個人的には、イチローのマリナーズなのだからアメリカにも自慢できる神戸のスタジアムで1試合はしてほしいと思います。しかし、現実的には、メジャーリーガーの手当ても高騰している中、雨天中止のリスクのある屋外球場を使用することは不可能でしょう。今回は、当初、仙台での試合も企画されていたようですが、これが実現しなかったのも、同じ理由だと思います。彼らへの報酬を支払うためには、確実に試合興業を実施する必要があるのでしょう。
 ただ、大阪で、例えば、京セラドームで阪神対メジャーの試合をしたとしても、大いり満員になったかは疑問です。阪神ファンという極めてローカル色が強く、こと巨人戦と聖地・甲子園にこだわるファン気質からすれば、メジャー球団との試合だからと、そんなに盛り上がるとも思えません。甲子園は高校野球で使っていますしね。個人的にはマリナーズ対オリックスの神戸での試合を期待しますが、これだって球場を満員にするかどうかは疑問です。
 また、地方では阪神対メジャーの試合を中継していなかったそうですが、これは、メジャーとは言え、もはや全国規模のテレビコンテンツとしての魅力は失ってしまったと考えるのが妥当なところでしょう。


で、夜は巨人対マリナーズ。さすがおひざ元、ほぼ満員。


岩隈が先発、川崎もスタメンに名を連ねていました。



岩隈は、大乱調。日本でもこんなピッチングはめったにお目にかかれないほどの出来、これでは中継ぎ降格どころか、開幕ロースターも危ないのでは、という感じだった。

 試合は、昼間の試合と同様のワンサイドゲーム。スタンドの子供には、「マリナーズ、弱いじゃん」と酷評される始末。正直オープン戦とはいえ、メジャーでも下位に甘んじるマ軍や、「マネーボール」の方針のもと、主力を軒並み放出したア軍では、金満の巨人・阪神と比べて、どっちが格上がわからない印象。この日の試合を見る限りでは、どっちがメジャーかわからない。
 たしかに、ひとつ間違えは、スタンドに放り込むパワーや内野手の矢のような送球や動きの速さには感心するが、刺せもしないのに、ホームにダイレクト送球をして、バッターランナーをことごとく2進させる外野手のつたなさや、控え内野手のまずい守備には、失望する。正直、メジャーのレベルはふた昔前に比べれば随分と落ちている。
 結局、この日の2試合は序盤に勝負が決まるという、見応えに欠けるものだった。このプレシーズンゲームは通して、メジャー勢の1勝3敗。これで、メジャー開幕戦と言われてもな、という内容だった。せめて、これぞメジャーというのを見せてから公式戦に臨んでほしかった。


MLB開幕戦に先立って行われる「プレシーズンゲーム」。要するに日米球団によるオープン戦だ。向こうでは、公式戦以外のゲームは、全て「エキシビジョン・ゲーム」と言うが、日本では、入場料を取る「オープン戦」、その他の「練習試合」に、今回の「プレシーズンゲーム」など、シーズン前のゲームにいろいろ名前がついている。まったくもってややこしい。おまけにこの春、高知で県の招待によって行われた日韓4球団による非公式試合は「プレシーズン・マッチ」と名乗っていた。さらには、「練習試合」のうち、日韓球団によるものには、「アジア・スプリング・ベースボール」なるネーミングがなされていた。そう言えば、昔は巨人・日本ハムのオープン戦のチケットには、堂々と「Open Game」という和製英語が印刷されていた。
これら全ての非公式試合で入場料を取ってプロの試合の商品価値を高める努力をNPBはすべきなのだが、このあたりのビジネス感覚のなさが、こういう煩雑なネーミングに現れているのだろう。こういう状態で、○○選手のオープン戦打率は××。などと言ったところで、この数字には何の意味もなさないだろう。選手個々は、どのネーミングの試合にも、各々に合わせた姿勢で臨んでいるのだから。

 かつて「日米野球」は、シーズン後の花相撲という形で行われた。1980年代半ばまでは、単独チームが物見遊山気分で来日し、主に読売を中心とする単独チームや、選抜チームを相手に圧勝して帰って行った。
やがて、日本のレベルが上がり、単独チームではなかなか楽勝できなくなると、日米野球は両国チームのオールスターの激突となった。1987年のシリーズでは、日本チームは全く歯が立たなかった記憶がある。
それでも、この勝負もだんだんと「ガチ」っぽくなり、日本チームが勝ち越すことも出てきたが、この頃、1990年代後半になると、日米野球の経済格差が目立つようになり(ちなみに、この前までは、日本のプロ野球のチケット代の方が、MLBのそれよりはるかに高額だった)、メジャーリーガーの報酬が、天井知らずに上がったため、日米野球のチケット代もべらぼうに高くなった。1990年代前半までは、主催する新聞社がばらまく招待券も多数出回っていたのだが、1998年のサミー・ソーサ来日あたりになると、高額なチケットにも関わらず、球場は連日満員となり、招待券など一般にはほとんど出回らなくなった。2000年代初めのシリーズでは、8000円のチケットを買って入ったら、2階席だったということもあった。この頃になると、シリーズは冠大会になり、スポンサーなしには開催できなくなった。要するにメジャーリーガーたちのギャラが高騰したのだ。一説によると、日米野球のための来日だけで、1000万円単位の報酬を各選手は手にするようになったという
これに怒ったのが、NPBの選手会。彼らはオフシーズンのこのシリーズに出場しても数十万円の手当しかもらえなかったのだ。日米野球が開催される11月は本来的には、彼らプロ野球選手は「勤務」しなければならない。しかし、自分たちより二桁上のギャラをもらう相手の「残業」に声を上げたため、2006年のシリーズ限りで、秋の日米野球はなくなってしまった。ファンにとっては、花相撲とは言え、メジャーを生で見ることのできる貴重な機会ではあったのだが、上記の経緯や、オールスター戦になったため、かつての単独チーム時代のように、各球団(主に読売だが)の伸び盛りの若手が、「本物」を実感できる修練の場という意味がなくなったこと、また、MLBが衛星中継でいつでも観ることができるようになり、気軽にアメリカへ行けるようになった時代背景も考えると、ある意味仕方がないことかもしれない。
そういうわけで、日本のファンがMLBを生で観ることのできる機会は、数年に一度行われる春の開幕戦シリーズとその直前の「プレシーズンゲーム」に変わっていった。MLBの「ガチ」が日本で目にすることができるということもあって、このシリーズは大盛況をもって迎え入れられた。
2000年に行われたメッツ対カブスのシリーズは、チケットは即完売。その後のシリーズも、松井秀喜(ヤンキース、2004年)、松坂大輔(レッドソックス、2008年)という「目玉」もあって、開幕シリーズのチケットは、文字通りプラチナチケットとなった。
そして今回、幻に終わった2003年シリーズから9年、満を持して「真打」イチロー擁するマリナーズが来日したが、正直今回は「不人気」シリーズと言わざるを得ない。
今日の阪神戦のスタンド。いくら「脇役」のアスレチックス戦とは言え、相手は今や日本一の人気球団、阪神だ。このチームのファンにいくら海外志向がないとは言え、あまりにもひどすぎる。東京ドームのこんなスタンドは、かつての日本ハム戦でもめったに目にすることはなかった。個人的には、アジアシリーズの韓国台湾戦、あるいはWBCの中国戦くらいしか記憶にない。
実際、マ軍対ア軍の公式戦も一応は完売しているものの、ネットオークションでは余ったチケットが投げ売りされている。
これが、バカ高いチケットのせいなのか、不景気のせいなのか、メジャーという商品の賞味期限が近付いてきているのか、はたまた日本における野球人気そのものが下降してきている表れなのかは、不明だが、検証する必要はあるだろう。
それにしても…阪神は、メジャー球団相手には、実に強い。





そうこうしているうちに、例の日本でプレーしていたというカスティージョが声をかけてきた。東洋人に親近感をもってくれているのか、向こうから近づいてきた。話してみると、同じライオンズでも、日本ではなく、台湾の統一ライオンズにいたと言う。
この男、フアン・カスティージョは、ドミニカ出身の内野手。1980年にミルウォーキー・ブリューワーズと契約、アドバンス・ルーキー級のビュートでプロデビューを果たし、1986年にはメジャー昇格を果たした。しかし、メジャーでは4シーズン、199試合しかプレーできず、1989年を最後にマイナーでしかプレーできなくなった。アメリカに見切りをつけた彼は、1991年シーズン途中に台湾に渡り、94年つまりこの前年まで統一ライオンズでプレーしていた。毎年コンスタントに3割をマークし、94年にも3割2分5厘をマークしていたのにも関わらず、統一を退団している。彼は、1997年にも台湾でプレーし、和信ホエールズで3割1厘をマークし、台湾生活5年で351安打、通算打率3割1分5厘を残した。

 球場内には、食べ物関係の売店はあったが、まだこの当時は、球団のマーチャンダイズなどはメキシコにはなく、グッズをあつかう店は、球場外の露店だけだった。スタッフはグッズを探している旨を告げると快くスタンドの外に出してくれた。
 ゲートを出たところに帽子を路上のシーツの上に並べて売っている親父さんがいた。しかし、品はアメリカのMLB、NBAのものばかりで地元チームのものはなかった。おまけに彼は自分が売っている品物の詳細には興味がないようで、私が帽子を指さしてどこのチームのものか尋ねると、周りにいる子どもたちに聞いている始末。この辺りいかにもメキシコらしいのどかな風景だった。結局、リエレロスの帽子はなく、「マニャーナ(明日だ)」という本当かウソかわからない親父さんの返事を聞きながら球場に戻った。
 
 辺りも暗くなり、照明の灯が鮮やかになった頃、いよいよ試合が開始された。テキーラとビール、そしてタコスを手に観戦となった。
 カスティージョは、本人が言っていたとおり、2番セカンドで先発していた。いつも1,2番を打っているという割には、この試合、彼は初球からポンポンフライを上げていた。ここの頃のメキシコ野球は万事こういう調子だった。投手はこれでもかとばかりに高めに速球を投げ、打者も小細工など全くせず振り回していた。一応バントという作戦も存在していたようだが1,2番でも下位バッターでも、これが実に下手だった。この年、私はメキシカンリーグの試合を6試合ばかり目にしたが、バントがすんなり決まった場面にはついぞ出会うことがなかった。
 この試合でも、試合の終盤8回にバントを命じられたスルタネスのトップバッター、ガルシアは、指示どおりバントは決めたものの、その作戦に納得がいかなかったのか、ベンチに戻るとき、怒り狂ってヘルメットをたたきつけていた。


フアン・カスティージョ(台湾・和信ホエールズ時代)




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