痛くてかなわんかったが、もう大丈夫だ!

2005年事故に遭遇。一命は取り留めたが下半身麻痺。6年間は痛くて寝た切り。事実上、自宅軟禁状態。とても辛かった。幸い、薬の治療効果(但し、一時、薬物依存や副作用で糖尿病で入院)で7年目にして屋外に出れた。Freedom と心で叫んだ!身体障害は辛い。今でも苦痛には苛まされる。でも、身心の健康は維持している。家族や愛犬が喜びを運んでくれる。そして小さくても確実に幸せな事を、毎日探し生きている。

ブログを移動します。

「痛くてかなわんかったが、もう大丈夫だ!」 については
2015年の夏から、体調不要でブログの投稿にかなりの間が空いてしまいした。

そこで、心機一転、新しいブログを始めることにします。
2016年の春、このブログの続きは
「麻痺でひいひい、でも幸せだ」になります。

右下のリンク集から入れます。


どうぞよろしくお願い致します。

東京練馬の故郷に帰る その4

こんにちはフォーマルハウトです。

練馬に10年振りに帰省したのは、6月末の高校の同窓会に初出席した時(こちらは18歳で卒業して以来だから37年振り)だった。練馬の実家は広いが玄関に階段がある為、車椅子では入れない。呉の山の家の様にリフターを設置してくれれば良いだけなのだが、父にバリアフリーの理解が無いため膠着状態。私の意向を聞き入れてくれない。つまり実家は「両親専用の家」なのだ。だから6月末は新宿の身障者専用のホテル(そんなのがあるのだ)に連泊していました。宿泊料は安くて良かったけれど、手すりが片方しかないトイレは不便だったなぁ。


そんな折、ご近所に適当な中古物件が出たので、私は意を決して契約した。今年は行動の年と決めていたから行動は早い。と言うよりは土地勘が働く(実家のすぐそばだから)ので広島に居ても当該物件の事は手に取るように良く分かる。そして契約日は偶々5月29日(父の80歳の誕生日)となった。つまり其処を練馬の「私の部屋」にすれば良いと考えたのだ。バリフリの必要最低限なリフォームを予算ぎりぎりでして頂いた。とても良い業者さんだったので、予想以上に素晴らしいリフォームが出来た(実際にはまだ見ていないけれど進捗状況を画像確認)。


ところが、リフォームの動画を見ていたら、玄関ドアがボロボロなのに気がついた。先週、其れを直して頂いた。「木目を活かしてほしい」と無理を言った(傷みが激しいので木目どころじゃないのが実情だったらしい。頑張って表面をぎりぎりまで削って対応して頂いた)。ドアを良く見るとライオンさんがいる。

「ありゃ?昔の実家のドアと同じじゃないか!」


70年末から80年代の流行だったのだろう。玄関のタイルと言いドアといい、昔の実家と同じだ(笑) 


両親には文句ばかり言われるが(内容や理由は割愛)、あと10年しか親孝行は出来そうにない。そして私の脊髄損傷が神経再生治療で治るのにまだ10年はかかりそうでもある。10年単位で考えた行動だ。両親も分かっているのだが、我が家の血筋なのか素直じゃないんだよね(笑)


練馬の中古物件の購入とリフォームには莫大な費用がかかった。親に頼らず自分のお金だけでマネージするのは大変だったけれど、そんな事よりも、頑なな両親の気持ちを解くのに、心理的エネルギーが沢山必要だった。←というか現在進行中(笑)


でも、これからが本当の本番なのだ。
東京を離れ広島や海外で仕事をしていたのでブランクが長い。今や後期高齢者となった両親との絆を強くするのはこれからなのだ。断絶した時間を埋める必要もあるだろうし、埋まるものでもない。でも、まずは兎に角、時空を共にする努力をしよう。


取敢えず、明日は、宮島の大聖院へ行こう。
私の助命のお礼参りを兼ねて、新しい中古の家の安泰や、両親や家族の健康など諸々を祈願してこようと思っている。盛り沢山すぎるかな(笑)


私は信仰心はありませんが、救命救急病棟で生死をさまよっている時に大聖院の「夢」を見た。それは台風で石垣が崩れている場所がありそれを直す夢だった。妻が10年前に私の助命嘆願で大聖院へ行ったら、なんと石垣が崩れていた。寄進も当然した。


丁度、昨日の台風が襲来したので、明日行ってみるぜよ。
大聖院は空海が開基して1200年。高野山の方だったかな?私はそんな程度の関心レベルだけど、流石に、今年は司馬遼太郎の「空海の風景」を読んだので、知識として空海の偉業の数々を知っているつもりだ。


ざっくりと、端折って書いたのだが、長くなった。スイマセン。
玄関ドアの修理の写真を見ていたら、長くなってしまった。

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東京練馬の故郷に帰る その3

こんにちは フォーマルハウトです。

久しぶりの雨でしのぎ易くなりました。エアコンは昨日から使っていません。

さて、「そもそも」の話をしておきましょう。

私は大学を卒業して、何故に、広島のマツダに就職したのか? 
それは、いつかは故郷に帰り父の事業を継承するつもりが、ボンヤリとあったからです。いきなり父の会社に就職するのではなく、まずは武者修行がしたかった。縁もゆかりもない土地で一人で生計を立てる。経済的な自立と、精神的な自律をモットーに、自動車製造・販売の仕事を全般的を経験したかった。勿論、マツダの入社面接では、そんな内心は語らず、就職(=就社)のつもりでおりました。

1983年に入社した当時の世の中は55歳が定年。マツダで定年まで働いてから、練馬に帰り父の仕事をすれば良いと思っていました。と言うよりも、当時の父と一緒に同じ家で暮らすなんて御免でした。
それ故、30年以上は東京を離れ、父が老齢でパワーダウンした頃を見計らって練馬に帰れば良い、と決めたのです。

父は何でも自分の手柄にして、大きく見せようとするタイプ。私はそれが我慢ならなかったのでしょう。
でも、一から会社を興して事業を大きくするには自分を大きく見せてアッピールするしかなかった
のでしょう。わかっちゃいるけれど、話が大袈裟で調子のよい奴で好きになれません。

就職面接を自動車業界に絞り、私は日産とスズキの内定を貰いどちらにすべきか悩んでおりました。
巨大組織の日産だと会社全体が見える仕事は少ない。一方、スズキならば面白そうな仕事がやれそうだが軽自動車は日本市場ばかりでつまらない。やっぱり日産にしよう、と決意しかけた時の事だった。

父から「お前が日産に内定が取れたのは俺の会社が協力部品会社だからだ」とまるで、父のコネで私の入社が決まったかのような話をする始末。「購買本部長にゴルフ場で挨拶しておいてやる」などと、
余計な話をする。このまま、もしも日産に入社したら、自宅通勤だろうから、経済的自立も精神的自律もユルユルになってしまう。

俺の人生が父に弄ばれてしまう。そんな危機感から、東京から一番遠い会社で、父の顔を見なくて済むのならば良いだろう、と思い、私はマツダのOBに電話をかけました。「内定を頂けないならば日産に入社を決めます」と伝え、マツダの内定を半ば強引にもぎ取りました。大好きだった彼女とも別れなければならず(彼女も働いて自立するのが夢で、卒業してすぐ結婚は、奨学金の返済もあって無理。彼女は東京で就職。そして離別。)、辛い思いもしましたが、今は昔の物語です。

ここで教訓ですが・・・
自分自身が強い意志を持たずにいると、人生はあらぬ方向に流されてしまいます
私は中央大学の法学部を卒業しましたが、本当は自然科学系を専攻したかった。もっと強い意志があれば高校3年間塾通いでもして、その分野の大学を受験すれば良かった。これは私の人生の中で大きな後悔ですね。それ故、現在高校生の娘には色々な選択肢を持たせ、大学ではなく、学部を選び受験することを勧めております。

と言うのも、私は高校は都立に行くつもりでした。が、たまたま受験した中央大学杉並高校に合格。
親からはそ中大杉並への入学を強く勧められました。意志薄弱の私は、自分の適性や将来の事などは何も考えずに中大杉並に入学。

そして、たまたま、成績が良かったので、大学は看板学部の法学部法律学科でも推薦OKとなった。
私は中大には自然科学系がないけれど、理工学部の数学科であれば面白そうだと思っていましたが、
親の勧めで法学部法律学科に進学。意志薄弱だったからだ。

しかしながら法曹の道には興味が最後まで持てずにいた。それ故、真剣に学業に励んだ覚えが無い。
意志薄弱ながらも、与えられた課題はこなす真面目な性格で、テスト対策の勉強だけはしていいた。
結果、たまたま学業の成績は良かった。もしかしたら、自動車各社から私が内定を簡単に頂けたのは、
比較的偏差値の高い法学部で成績が良かったからかもしれない。

後に、マツダに入社して米国へ赴任する際、就労ビザを作成する必要があったが、大学の成績が優良だったので色々と都合よく申請理由が書けた。たまたま成績が良かっただけである。


話を元に戻しますが、学生時代は、意志薄弱で、たまたまの人生を生きていた私ですが、

 ①縁もゆかりもないマツダで武者修行。経済的自立と精神的自律を確立する
 ②そしてマツダの55歳の定年に合わせて、故郷に帰り父の事業を継ぐ

ということだけは、何となく決めておりました。


04高校1年の娘は県立の受験校に通う。
陸上部の部活と学校と塾の勉強の両立は大変だけど、自分の意思で決めさせている。大学選びの前に、自分の適性や将来像を持って学部を選び、大学受験のチャレンジをしてもらいたい。好きなポピュラー音楽の楽譜を購入し、気分転換にPianoを弾いている。まあ、何になるのかは分からないが、なるようになるだろう。



つづく













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