2015年08月10日

このブログを引っ越します

長年livedoorで書き続けていたこのブログですが、
いろんなことがあり、
いろいろと整理するために
引っ越すことにしました。

新しいブログは
http://ameblo.jp/kgcblog/
こちらになります。

新しい記事を書き始めたら、
このブログは消そうと思っています。
長い間、ご覧いただいた皆様
本当にありがとうございました。

よろしければ新しいところで
またお付き合いいただければ幸いです。


graffiti2004 at 22:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年04月19日

昨日の新聞、デジタル機器の学校導入について

チラシやパンフレットに
AR機能をつけたものが出されている。
これはチラシやパンフの写真やアイコンに
スマホをかざすと動画が見られる
という機能で、例えばバスケ部の写真に
スマホをかざすとバスケ部の練習風景が
動画で見られる。

昨日の新聞を読んでいて、
読売新聞に「中学教科書デジタル対応」
という見出しで、来春改訂の教科書に
AR機能がついているという記事があった。
もう教科書にも使われるようになるのかと
進歩の速さに驚いている。
タブレット端末の導入も進み、
今や35000校に72600台と昨年比で倍増しているという。
デジタル教科書も全体の37.4%で
取り入れているという。
この37.4%という数字が、
全国の公立高校に対する数字なのか、
何に対する割合なのかが読んでいて
わかりにくかったのだが、
僕が中学校に通っていた頃とは
あきらかに違う文化の中で
学校の授業が進んでいる様子がわかる。

よく、タブレットや電子黒板などが
導入されて生徒の理解がしやすくなる
という記事を見かける。
僕は割と早くから(2000年ごろだっただろうか?)
プロジェクターを使ったり、パワーポイントを
使ったりしながら授業をしてきたので、
こうしたデジタル機器が
教えることにもたらす効用というのを
考える機会が多い。


理科や社会の授業ではすごい威力を発揮する。
社会の地理や歴史の授業は、
地図と写真資料を組み合わせて説明すると
生徒の暗記するスピードが格段に上がる。
歴史の授業はNHKのオンデマンドを
使うととても楽しくなる。
算数・数学の問題では平面図形や
立体図形など自分でイメージしにくい問題を、
違った向きから見させたり、注目する部分に
色付けしたりして、解きやすく、
理解しやすくするという方法は、
理解する助けになると思うが、
それは逆に、あまり頭を使わなくても
わかるようになるということ。
はたしてそれで賢くなるのだろうか?


ウチの塾はホワイトボードを加工したものを
用いて、プロジェクターも写せるし、
マーカーで普通の授業もできるようにしているが、
最近、黒板にチョークの授業を見直している。
黒板に3色ほどのチョークで、きれいな図を書き、
わかりやすく説明するのは芸術だと思う。
生徒も自分のノートにきれいに書き写し、
授業中に先生に言われたことを、できるだけ
たくさんノートに詰め込んで家で復習する。
美しい板書をする先生の授業を受けている
生徒のノートは美しい。そして賢くなる生徒が
多いと思う。そういう先生は、ノートを取るときの
注意事項も生徒にしっかりと伝えている。
ノートがきれいになるから、復習するのも楽しい。
これは賢くなる。


良い先生の授業というのは、授業中に
多くの生徒が賢くなっている様子が分かる。
板書の美しさや、聞き入ってしまうほどの
レベルの高い話術、生徒のレベルをしっかり
把握したうえで、頭を使わせる発問、
緩急のある授業の進め方など、
それこそ名人の域にある人の授業はすごい。
こういうのを教育チャンネルで
取り上げてもらいたいな。


電子機器を取り入れる際には、
授業や指導のどの部分をどのように
肩代わりさせるのか?
何のために導入するのか?を
しっかりと考えて試してからにしてもらいたい。
電子黒板を導入してもうまく使いこなせていない
学校もあり、使い方を聞きに来る学校もある。
まだ、活用しようとしているからいいとは思うが、
導入したまま放置されているところもある。
タブレットにしても、教材費として親に代金を
払わせているのに、設定が上手くいかないとかで
結局使えていないところもあるという。
そして↓こんなニュースが流れると、
http://hunter-investigate.jp/news/2015/04/post-676.html
導入ありきで、業者が儲けるために
やっているんじゃないかと思ってしまう。
残念なことだと思う。



graffiti2004 at 19:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)教育的 

2014年08月14日

切ない気持ちになった日

今日は墓参りの日。
 
朝ゆっくり起きて、家の掃除をして、
両親を迎えに実家に向かう。
そして一緒に昼飯を食べる。
そろって食事をとるのは正月以来。

毎年8月13日の過ごし方は決まっている。
両親を車に乗せて高安山霊園に向かう。
父は目が悪くなって車の運転を控えるようになり、
母はひどい外反母趾のために
あまり長い時間歩くのが辛い。
それでも足腰が衰えないようにと
最近は自転車によく乗っているようだ。

そのため二人とも仕事以外では
外出することが少なく家に引きこもりがち。
年に数回の僕との外出に
ちょっと気分が高まっている様子だ。

墓参りが済むと香芝のスタバに寄る。
白鳳短大のとなりにあるスタバ。
ウチの近所にはドライブスルーのスタバがない。
イオンやアリオの中にあるため、
そういうところに行かない両親は
スタバという名前を知らず、
「緑のコーヒー屋」または
「貴士が連れて行ってくれるコーヒー屋」という。

父も母も年を取ったんだなぁとしみじみ思う。
母には、もう仕事も辞めて欲しいと思っている。
けど、僕がこんなだから大した収入にも
ならない介護の仕事をしながら、
少しでも小遣いを渡したいのだそうだ。
貰わないけどね。

父は最近、携帯をiPhoneに替えた。
今までアンドロイドのスマホをiPhoneだと思って
使っていたのだが、前回会った時に、
「それiPhoneちゃうで。」
と告げると少しショックを受けていたみたいだ。
ようやく新しいiPhoneを手に入れたのだが、
目を患っているため、
小さい携帯の文字を見ていると
すぐに頭が痛くなるらしい。

そこで、スタバでコーヒーを飲みながら、
使い方を僕にいろいろと聞いてきたのだった。
便利なアプリがあるから、紹介して、
APPストアからダウンロードするんやで
と教えたものの、そういったことが
頭になかなか入らないらしい。
一緒に操作しながら、
「ここの無料と書いてあるところを押して、
次にインストールって表示が変わったら
そこをもう一度押して。」
なんて言いながら父は指がでかいから
(60歳手前ごろまではまだ少林寺をやっていて
指たてふせができていた)表示されるボタンを
うまく押すことが出来ない。
挙句の果てにパスワードを忘れているから
アプリを一つもダウンロードできないというシマツ。
そして、スマホ使い方講座は座礁した。

「ここのコーヒー、ほんとにおいしいなぁ。」
と来るたびに感心している。
先日、父と母の仕事の休みが重なった時、
「あのおいしいコーヒー屋に行こうか。」
となったらしいが、目を患っている父が
車庫から無理矢理車を出そうとして
フェンダーをこすってしまい
すっかり心が折れてしまい、
二人して今日まで待つことにしたらしい。

と、僕の豪快な父を知る人は、
この話をにわかには信じられないだろうな。
父はカメラアプリはよく使っているようで
自分を撮影するために右上の
カメラを反転させるボタンを得意そうに押しながら、
「そろそろ葬式用の写真を
撮りだめせなあかんねん。
最近の写真がホンマにないからなぁ。」
と言っていた。

スタバに寄ったら数年前までは外食して帰っていた。
しかし、母はめっきり少食になってしまったし、
父はコレステロール値の高いものが
だめだから、お店に行っても食べられるものが少ない。
去年は、デパ地下で買って帰って家で食べていた。
今日も
「何か食べたいものはない?」
と聞くと父は張り切って
「よっしゃ焼肉行くか!」
といったのだが、すかさず母が
「あかん!」
となってしまった。

実家のベランダには以前はなかった
プランターがあり、父がミニトマトや
ゴーヤ、枝豆などを栽培している。
先日作ってくれた弁当にそのトマトと
枝豆が入っていた。
帰宅してそのプランターに目をやりながら
たばこを吸い、曇り空に暮れていく
夕陽を見ながら切なくなり、
涙が落ちそうになった。

親孝行しないといけないね。

で、どっか行きたいところはないか?
とかマッサージチェアはいらないか?
とかいろいろと聞いてみたけど、
「早く孫を抱きたい」
と言われてしまった。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ネコ飼おうなんて考えていたことを
ちょっと後悔した一日の終わりだった。
実家のベランダにて
 


graffiti2004 at 01:12|PermalinkComments(1)TrackBack(0)日々 

2014年03月20日

最高の結果をありがとう

今日、3月19日は大阪府の
公立高校後期入試の合格発表の日。
今日で、ようやく2013年度が終わった。

結果の分析は春期講習会が終わってから
することにしているが、今年は
スタッフの頑張りが本当にすごかった。

特に河内長野は開校2年目。
この学年は僕の同級生の子供がいる。
ツイッターで僕を見つけてくれたことがきっかけで
ランチに行くことになり、
そこから話が広がって、
中学の同級生の子供ばかりを
ラブリーホールの会議室を借りて
僕の休みの日に教えたのがきっかけで、
その翌年には駅前のテナントを借りて
教室を作ったのだった。

河内長野の教室は、僕が得意な集団指導ではなく、
時代に合わせて個別指導の形態をとった。
生徒の個性に合わせて丁寧に指導できると思った。
そして授業料単価をかなり高めに設定した。
これは、講師に教えること以外の負担を
極力かけないために配慮したものだった。
そして、主力となって働いてくれる講師の配置にも
かなり頭を使った。結果、信じて任せて大正解だった。

今年の中3の受験生たちは本当によく頑張った。
僕が河内長野の校舎に行くことができるのは
いつも夕方ごろだが、わりと早い時間から
学校帰りに教室に勉強をしに来る。
5人の公立高校を受験するの生徒たちには
塾の中にそれぞれの定位置がある。

行くたびに同じような姿勢で、勉強していたり、
眠っていたり、携帯をいじっていたりしていたのが、
徐々に勉強する姿勢が身に付き、サマになってくる。
そういう成長していく姿勢を見るのが好きだった。

前期試験が終わって、良くない結果が出たときも
定位置で憔悴している様子を見て
こちらも同じように悲しくなっていた。

自習しているときはそんな素振りを見せないくせに、
授業になると不安を口にする。
みんなのいるところで言いにくいことを
安心して言えるというのは、
個別指導ならではなんだろう。

同級生の子供たちというだけで、
不思議と感情移入してしまうのも
初めての経験だった。
そして、何よりも講師たちが、
休みを厭わずに本当によく指導してくれた。
それに生徒たちは本当によく応えてくれた。
それが後期試験全員合格という結果になった。
僕自身は、指導にあたってくれた講師たちに比べると
ほとんど教えていないに等しいと思うくらいだ。

祝賀会にナガシマスパーランドに連れて行った。
正直、スケジュール的にはかなり過酷だったので、
自分自身の体調が一番気になったが、
後ろめたい自分自身の勝手な罪滅ぼしのつもりだった。
実際に行ってもほとんど一緒に行動できなかったが、
1日一緒にいて、やはりいい子たちだと再認識した。

言葉に表すのは難しいが、
そんなこんなで最高の結果を出してくれたことに
本当に感謝している。
まだ、幼くかわいかった中1の夏に出会い、
どんどん成長し、受験を乗り越えたことで
精神的にとても成熟した。
自信をもって高校生になってもらいたいし、
この頑張りをしっかりと継続してもらいたい。

新金岡の生徒も河内長野の生徒も
本当に、この子たちを指導できて、
幸せな3年間だったと思う。
ありがとう。

勢いに任せて書いたので
何を言いたい文なのかよくわからないけど、
ようやく終わった2013年度に
自分自身にもお疲れさまと言いたいぜ。

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graffiti2004 at 04:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ウチの塾 

2013年07月04日

共有できる思い出

7月3日を終えて夜更かしをしています

もう4日になっているのだけど
まだ起きて仕事をしているのだ。
その合間に思いつきで綴ってみる。

ザ・ボイスでの今日の勝谷氏の話。
脊椎動物の一生の心臓の拍動数は
15億回なんだそうだ。
ネズミは速く打つから2年〜3年、
ゾウはゆっくりだから70年まで心臓が動く。
その計算でいくと、人間は40年が相場らしい。
だから40歳を超えるあたりから
病気になる人が増えるのか?
また、40歳に向けていろんなところが
おかしくなっていくのかもしれない。

僕は去年、体重が81キロを超えていて、
脂肪肝だったり、肝臓の数値が悪かったり
いろんなところにダメ出しされていた。
30歳になったころに肝臓を壊してから
40歳に向けて着実に悪くなっていってたわけだ。

一念発起してダイエットを開始して、
1年後の健康診断で、目以外は
全部の数値が正常に戻った。
体重は71kgと、10キロの減量。
血液検査の数値もすべて基準内に収まった。
ただ、目の神経線維だけ、
去年よりも症状が進行していた。
ずっとPCに向かっているから仕方ないのかも。
これ以上悪くならないようにしっかりと通院したい。

先日、小学校の1,2年と、
高校の1年の時に同じクラスだった
古い友人と会う機会があった。
地元が一緒で、意外にも共通の話が多い。
実家に迎えに行く際に通った道も、
小学4年生頃までよく自転車で通った道だった。
一緒に食事している間に、
それまで完全に記憶から消えていたことが
たくさん蘇ってきた。話していて懐かしかった。

ちなみに、その子の親とは全くと言っていいほど
面識がないのだけど、僕のことはしっかり認知しているらしい。
そんなものかと思って、会った後にウチの母にも
聞いてみたら、驚いたことに僕がその子を含めた
数人に小学1年生のころに一生懸命にプレゼントを
作っていたことを覚えていた。
高1の時に同じクラスだったことや、
高3の時にウチに遊びに来たことも覚えていた。

思い出や記憶ってのは、自分だけのものではなく、
人と共有しているものなんだろう。
過去の自分の様子を人を通して
思い出すという楽しみ方ができる年齢になってきた
ということを思うと楽しい。

今、経験している様々なことのうち、
いいことがたくさん、記憶や思い出となり、
数年経ってから、楽しく懐かしめるように、
やはり一つ一つの物事に丁寧に取り組むのが
いいのだと思う。そして、自分が信じたことを
最後まで信じるようにしたいと思う。
せっかく僕のことを信じてくれている人がいるのだからね。

今日は7月3日。何も特別なことはなく、
あっという間に過ぎる1日ではあるけど、
百合の花をいただいた。
百合は7月の誕生花らしい。
残念ながら墓参りには行けなかったけど、
短い30年という人生を送った弟のことも
ずっと悔しい思いが強かったのが随分と昇華されてきた。

百合

同じような境遇にある人が言ってくれた、
彼のために良かったと思えるようになると。
最近は、支えになってくれている人たちのことを
一生懸命に考えて毎日過ごしたいと思う。

明日も誰もが普通に過ごせる1日でありますように。

ひまわり

▲写真は向丘小学校前のよくお世話になった駄菓子屋



graffiti2004 at 04:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2012年12月18日

日曜日が誕生日だった

昨日はベートーベンの誕生日で、
辺見えみりの誕生日で、
ボストン茶会事件が起こった日で、
総選挙の日。そして僕の誕生日だった。

ポスティングをしながら日付をまたぎ、
それが終わって携帯を見たら
数人からメッセージが来ている。
日付が変わった瞬間を狙ってくれていたらしい。

そういった人を喜ばせようとする気持ちは
大人になってからもいろんなところで
その人の大きな力になってくれると思う。
生徒が積極的にこうしたことをしてくれるのは嬉しいし、
自分が大切に考えていて、伝えようとしていることを
上手くキャッチしてくれていると思うとありがたくも思う。

昨日は体調が振るわないこともあり、
部屋を片付けてゆっくり過ごそうと思っていたが
結局ゴロゴロしていてあまり片付かなかった。
昼寝もしてしまったし。


夕方に生徒からメールや電話があったが、
残念にも食事に出かけてしまっていたため、
今日は塾に行けないということを伝えた。
誕生日を覚えてくれていた生徒たちが
何人か尋ねてきてくれたんだろう。

今朝、塾に着くとデスクの上が
こんな感じになっていた。

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生徒から、卒業生から、スタッフから
手紙やプレゼントが置いてあった。
めちゃくちゃうれしかった。

今日も卒業生3人が訪ねてくれた。
そのうちの一人は、
中3の時から今年まで
毎年欠かさずプレゼントを持って
当たり前のように突然やってくる。
「ひさしぶり」なんて声をかけたら
不自然じゃないかとこっちが感じてしまう。

さて、今年で37歳になった。
27歳で開業して10年目。
そんな節目の年だから
今年はこの10年間にやってきたことを
振り返る機会が多かった。

また、facebookのおかげで過去に
付き合いのあった人たちとの再会が
多かった年でもある。
年齢的にもそういう年になっているのかもしれないな。

数か月前に僕は新しい目標を作った。
あと10年以内に達成する年商と年収を設定した。

開業して今までの10年間で
いろいろと試行錯誤してわかってきたことがあり、
それをうまく表現できないんだけど、
開業したころに目標を設定したときは
全然現実感がなかった。
けど、今は実感を伴って実現できそうな気がする。

大切なのは常に難しいことにチャレンジし続けること。
たとえば、今の仕事で言うと、
年商を減らしても年収を上げる方法はある。
とあるコンサル会社のセミナーでは
あほな若いコンサルが
「今の時代は減収増益ですよ♪」
なんて言っちゃってる。

僕は年商は企業の創造性の総和。
年収は個人の価値だと思っているから、
個人の価値を高めて、
組織で動ける体制をちゃんと築きたい。
それは、一人でやっているよりも
気楽さからは遠のき、
経済的な余裕も見えにくくなったりするけど
形にできたときの喜びは大きいはずだ。

もっと厳しい環境に身を置きたい。
そして、それを必死で乗り越えて
「チョロいもんだ。」と
余裕の表情で笑い飛ばしたい。

人間、放っておいたら目先の快楽にルーズになり、
上手くいかないことがあると、周囲のせいにしたくなる。

さ、日付も変わったことだし、
また明日も早起きしてがんばろっと。
で、誕生日を覚えてくれて本当にありがとう。
また一つ、生きやすく感じることができて
本当に幸せです。

PS:果物が置いてある机の上を見た中3の女子が
   ひとこと「お供えみたい」と言っていたな。。。


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2012年11月28日

賢くなればズルくなり、強くなれば汚くなる

最近仕事でやりたいことがあったとき、
恥ずかしながら節操について考え、
天秤にかけてしまうことがある。
自分が節操のないやつだなと思うと嫌気がさす。
これは儲けたいという下心があるからで、
価値あることを提供しようと純粋に考えてないからだ。

上手にお金を使い、価値あるものを提供すれば
儲けは後からついてくるというのが最近感じていること。
今の会社の売り上げは
僕が創造した価値に対する対価だ。

会社の利益は、その経費が生み出したもの。
例えば、年商1億円で税引き前の純利益が1千万
経費が9千万だとすれば、
1千万を生み出すのに9千万円かけているということになる。
単純に倍の経費をかければ売り上げも倍、
またはそれ以上になるだろう。
今までもそんな感じだったと思う。

会社の価値を高めるってことは
同じ経費をかけて利益を倍にするってことだ。
1千万円の利益を出すために、
僕自身やスタッフの能力が高まれば、
無駄な時間は少なくなり、経費もかからなくなり、
良いものを生み出すことができるようになる。
これって会社だけでなく、人も同じだ。

豊かな人生を送っている人の多くは
たくさんの失敗から学び、たくさん読書をし、
行動する力が大きく量も多い。
また、真実に対して誠実で人を貴び恥を知る。

バイトの相談に来た高校生と話していて、
非常に考えさせられた。
どのステージにいる人間でも
抱えている問題に大きな差はない。
傲慢になってしまえばその問題の本質を捉えられない。

年齢を重ねて、キャリアを重ねて
尊大になってしまうと大切なことが
見えなくなってしまうもの。

人間は賢くなればズルくなり、強くなれば汚くなりやすい。
恥を忘れてしまえば、人はどんどん堕ちていく。

また気持ちを引き閉めて年末が聞こえ始めた
36歳の残りわずかを大切に過ごそう。



graffiti2004 at 03:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)教育的 | 日々

2012年11月26日

やれやれ、はぁ〜、おいおい

イロイロと煮詰まってきてる。
デットラインもいくつかあり、
気分転換が要るなって思ったので、
寄り道して帰ることに。

いつもの日曜の帰りは、
イズミヤに寄って、
弁当とスープの材料を買うのだけど、
この時間は必ずと言っていいほど
人参とキュウリが売り切れてる。

今日はオークワに寄って帰ることにした。
どうせ遠回りするなら、
少しでも車を走らせて気持ち良くなりたい。
で、ミナミまで足を伸ばした。

さっき王将で食べた中華丼があまりにも酷く、
ほぼ卵の味しかしなかったので、
口なおしにスタバに行った。

後ろにおミズっぽい4人組が並びながら
割と大きい声で盛り上がってる。
ストロベリーシフォンケーキを頼み、
トレーにケーキを載せて
ホワイトモカを待つカウンターへ移動しようとしたら
おミズの酔っ払いに不意にぶつかられて
ケーキが落ち、皿がみごとに割れた。

思わず「あっ!ゴメッ!」
っと誰に言ったのかわからんような
感じで落ちてるモノを拾おうと
してるウチにあっという間に
店員のナイスな機転でその場は収まり、
新しくひとついただけた。
ラス1だったから気が引けた。

ぶつかったおミズその1は
コートに着いた生クリーム?(白いやつ)
を拭き取りながら、ぶつかったことに
気がつかないかのような勢いで
サイヤク〜と嘆いている。

やれやれと思いつつ、
なんか、余計なおまけがついた感じの
ケーキを食べ終わった。

店を出ようと外を見れば雨が降っている。
はぁ〜〜。

外見たついでに視界に入ってきた
4人のおミズは一言も話さずに
各自必死に化粧を直してる。
おいおい。

よく見たら一人やけに卒業生に似てるな
と思ってたら、ニコッとして手を振ってきた。

たぶん気のせいで、知らないやつだろうと
意味もなく自分にいいきかせて、
スーパーに寄って帰ろう。

やれやれ、はぁ〜。
おいおいって感じだけど、
クリスマスソングと美味しいケーキのおかげで、
気分はわりといい。

真っ直ぐに家に帰るよりは
マシだったかな?

画像1


graffiti2004 at 01:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2012年11月21日

5年、10年間なんてあっという間

今日でもう5年も経つのか・・・

2003年に開業して2007年が5年目。
そして今年で10年目。


この10年間、塾の先生として
わりと一生懸命に働いてきたと思う。
社会人になった男の通知表はその年収だと
そんな話を聞いたことがあるが、
僕の通知表は残念ながら、
07年からそんなに変わってない。
スタッフの通知表は順調に伸びているけどね。


思えば、塾を経営したいと思って開業したのではなく、
前職からの成り行きで始めたようなものだった。

右も左も分からないまま勉強しながら
何とかここまでやってきたという感じだが、
数年前から塾の先生という能力だけでなく、
経営者としての能力を磨かなければいけなくなり、
そういう勉強もしながらなんとか10年目という節目を迎えた。


2005年に10年計画を作成し、
2007年に作り直し、小改訂を続けながら
一応今も10年計画というのが進行中だが、
当初の目標を下回る出来だということからも
僕は自己評価が高く、厳しい現実を受け入れられずに
相変わらず好き勝手やっているんだろうな。
しょっちゅう自己嫌悪に陥るし、
1日を満足して寝床につけることなんかなかなか無い。


小さいころから恵まれた環境で過ごしてきた。
高校生のころに父の会社が倒産し、
厳しい時期も味わっているだけに、
贅沢することに欲があまりない。
経験しておきたいことは一通り味わってみたいと思うが、
それ以上にどうしてもこのラインは譲れないという気持ちが少ない。
コンフォートゾーンが低いのだろう。


少し話は変わるが、僕の塾講師との原点は、
わずか1年半の韓国人オーナーの予備校に勤めていた時だろう。
その時は本当に酷い労働環境の中で、
月曜日は上新庄、火曜日と水曜日は貝塚、
木曜日に堺東で教えて金曜日と土曜日は金沢。
翌年には鶴橋の専属になったが、大学受験生を担当することに。
朝9時から授業をして、夜の11時に退社。
帰宅して風呂に入ってから夕食をとり、
そこからまた深夜の予備校に戻る。
1時ごろから6時ごろまで予習したり、
補助教材を作成し、8時までソファで寝てから
9時から授業という生活を1週間ほどしたこともあった。


ここにいた1年半、実に多くの予備校の先生や
職人としての塾講師の先生方と出会うことができた。
プロフェッショナルであるための心構えや
テクニックを競い合いながらすごい勢いで成長していた。
辛いことも多かったが、一生懸命に働くことで
得られる信頼関係や身につく技術をとても貴く感じていた。


金沢の予備校で金曜日・土曜日と授業をしていた時、
週末いつも一緒に帰ってくる1つ年上の同僚がいた。
弟と同じ「和行」という名前で、今でもめっちゃ仲がいい。
彼は現在私立高校の数学の教師をしている。


その当時、土曜日の夜の授業が終わったら
僕のインテグラ(DC2)で運転を交代しながら北陸道を南下した。
日曜日の朝に着くように深夜に飛ばして帰ってくる。
眠くならないように大声で歌を歌ったりする。
その時に、彼が留学中によく聞いていたらしい
Human Natureの曲に僕もハマり、
北陸道を走るときは景色とリンクして必ず思い出される。


それから10年ほど経った頃、とある塾長さんが
真っ赤なGT-Rを購入し、それで千里浜まで行ったことがある。
往復を僕が運転させてもらい、懐かしい武蔵への道や
香林坊などを車窓から眺め、近江町市場で昼食を摂り、
勤めていた当時はまだなかったスタバでお茶してから
帰路の車中でHuman Natureが流れたときは
北陸道がとても運命的な道だったように感じられた。


すごい偶然だったのだが、その塾長さんがGT-Rを手放すとき
僕に声をかけてくださり、格安で手に入れるチャンスがあった。
すごくいい買い物だと思ったが、
その時は残念ながら購入に至らずとても悔しい思いをした。

ただ単に420万円を用意できなかっただけというよりは、
大事だと思ったことを大事にしたいと思ったのに
「オマエにはそんな力はありません」という
現実を突きつけられてしまった。そんな感じだった。


受験でも就職活動でもそんな敗北感はなかったが、
大人になってこの年になると、
自分が納得するしないに関わらず、
現実と向き合わないと前に物事が進まなくなってくる。
でなければ、同じ失敗を繰り返す。


こんなはずじゃなかったと思うこともいくつもあったし、
どうしようもない現実の前に立ちつくし、
途方に暮れることだってあるし、
良く考えてみれば、今僕が憧れていたり、
尊敬している人たちはとっくにそんなことに気づいていて、
するべきことをきちんとして結果を残しているのだ。
それは真面目に自分と戦っている生徒たちを見ているとわかる。


僕は今まで大して戦ってこなかったのだ。
若さと自分の可能性を無防備に盲信して
ただ猛進してきただけだったのだと。
だから結果は散らかっていて
高所から俯瞰しないとよく見えない。

そう気づいてからはゆっくりと自分を見直し、
細部の結果にこだわり、
現実的に物事を捉えるようになり、
自分を整えるトレーニングを重ねている。


これからの10年を考えたとき、
今ある問題を乗り越えて同じ失敗を繰り返さないためにも
自分のステージをぐっと引き上げなければいけない。
もっと価値の高いことができるようになり、
多くの人のためになることができるようになりたいと思う。


今日は弟の命日だった。
朝から藤井寺で勉強会に参加して
堺を経由して河内長野で授業をした。
残念ながらこんな日だけど墓参りには行ってやれなった。
河内長野の校舎を出たのは夜中で、
堺との温度差に驚きながら車の中で
この記事に書いているようなことを考えていた。


とにかく自分の価値を高めよう。
僕が上手くいけば、僕が教える生徒も
一緒に働くスタッフも幸せになれるのだから。
今のままだとせいぜい年収2000万程度だが、
あと10年で1億を目指したいと思った。


アホみたいな話だが、弟がいるころに
父の年収が2500万だと知った時、
「二人してお互いオヤジの倍をかせいで1億の家を買ってやろうぜ。」
なんて言ってた。僕が二十歳の時だ。
それ以来数少ない弟との会話で冗談で
「1億賭けるか?」なんて言い合ってたことを思い出した。
今なら現実にできそうな気がする。


弟がいなくなって一人でするのは少し寂しいな。
つけ麺食べながら宇宙兄弟の19巻を読んでいたら
そんなことを思っていたけど、良く考えたら
「おいおいそこまで仲のいい兄弟じゃなかったやろ〜。」
とか思った。だからやっぱり
「めっちゃ楽しい!羨ましいやろっ♪」が正しいんだろうな。

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graffiti2004 at 03:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2012年10月28日

秋休み前の1週間はなかなかハードだった

今週はいろいろと外での勉強会が多い1週間だった。

月曜日は助成金関係で社労士と打ち合わせ。
12月ごろに助成金がもらえるはずだ。
今回は社労士にいろいろと教えてもらいながら
手続きをさせてもらったのだけど、
いくつかわかった点がある。


助成金ってもともとあげる気ないよね。
手続きは複雑だし、滅茶苦茶な量のエビデンスを求められる。
さらにものすごく時間がかかる。
けど、不正を確認するためには
こういう方法しかないのかと思えばしょうがないとも思う。
だから大企業しか申請しなくなるんだろうね。
制度に精通しようと思えば、年中ハローワークやらの
国の機関のHPをチェックしとかないといけないし。
社労士が優秀で助かった。


火曜日は塾ナビという会社が主催のWeb集客セミナー。
問い合わせが数倍に増えるというから
興味を持って行ってみたものの、
セミナーの内容自体は・・・・・・
けど、今後につながりそうな商材を紹介してもらったし、
3か月だけお試しができるそうなので、
さっそくお願いしてみようと思う。


水曜日はシステム会社の人と社内ネットワークの相談。
無線LANにするとか、バックアップをどうするとか
個人情報の話だとか。急いで対策しないといけないことも多いし、
今後のことを考えても放っておけないって思う。

ウチの塾はとにかく最先端を行く現場にしたかったから
社員一人ひとりにPCがあるのも、
プロジェクターを使ったPPTの授業も、
カラーの複合機を入れたのも、どこの塾よりも早かった。

2年半ほどそういった技術の開発ばかりを
個人塾で雇われていたの時にやっていたから、
自分自身で安価でそういうインフラを構築できたが、
HPをつくる技術にしても、動画を作る技術にしても
すごい勢いで進化しているし、それを勉強する時間が
ここ10年ほどまったくなかったので遅れ始めている。
だから最近は積極的に勉強している。


木曜日はその勉強も兼ねて、
幕張メッセのクラウドコンピューティングエキスポに行ってきた。
幕張は2007年のモーターショー以来かも。
ちょっとレベルが高すぎて、
今すぐ仕事に生かして利益を生み出せそうなものは
見当たらなかったけど、これくらいの規模の会社になれば
こういうことをこんなものを使ってするんだなというのはわかった。
今度はそれを如何に現状のインフラで効率よく実現させるか
頭を使わないといけないんだと思う。


夜には西麻布の鉄板焼き屋にお邪魔した。
facebookで知り合いになったずっと年上の高校の先輩。
これから東京に来たら毎回ここにお邪魔するだろうな。
僕の想像だけど、ここのオーナーも僕が持っている
目標をクリアした人なんだと思う。

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金曜日は船井総研で評価制度のセミナー。
コレに関しては去年半年ほどかけて、
人事のプロと、社労士とで勉強して作り上げた。
ウチの制度がどのレベルでできているのか?
という確認のために参加した。
いろんな意味で行って良かったと思うし、
もうこの手の売り込み目的のセミナーには行かない。

土曜日はファシリテーションのセミナー。
顧問会計事務所が主催のものだった。
この会計事務所とは僕の前職からのお付き合いで、
ここの所長さんは65歳の公認会計士の先生だけど、
前職のときに本当に世話になっている。
勉強会ではたまたま同じグループになった。


ワークショップの最初に自己紹介として、
1.名前は何と呼ばれたいか
2.会議で困っていること
 (「ファシリテーションで会議を有効に」というテーマだったため)
3.はまっていること
を一人ずつ言うのだけど、
その所長さんは、困っていることを言うのに、
会議のことではないのですがと前置きをして
「気軽に遊べる彼女が最近できません。」
「最近は仕事にはまっています。
 あっ、最近だけじゃないですよ。」
と言っていた。


この方の自己紹介から僕はずっと考えていた。
僕がこの方と同じ年齢になったころに
同じように仕事にはまっていると言えるだろうか?
趣味は仕事ですと堂々と言えるだろうか?
また、言ったところでそれを聞いた人は、
今の僕のように感心するんだろうか?


実は最近自分に新しい目標ができて、
自分自身の評価が変わってきた。
目標に到達することを考えて、
仕事のしかたなどをここ1か月ほど見直している。
この1週間を塾の業界以外の人とできるだけ
会うようにしてきたのはそのためでもあった。


僕の新しい目標のところにいる人たちには
共通点があり、僕もそうなりたいと思っている。
そうなるために何が必要なのか、正直に言うと
今のところ何もわからない。
ただ、今のままではせいぜい今の延長にしかならない。


たとえば、中学生からリトルリーグで
高校球児として甲子園に出場し、
ドラフトでプロ野球選手になる。
こういう目標がある人は、もれなく高校生で
野球をやっているはず。そして毎日は
キャッチボールや素振り、走り込みを
高いレベルでできるように努力しているんだろう。


僕の目標を実現するために
今やっていることをずっとし続けているだけでは、
かなり先の未来か、先に寿命が尽きてしまう。
もっと根本的な何かを変えなければいけない。
そう思いながら、自分自身をもっと成長させる視点を探している。


さて明日からも日々の仕事の中で自分を磨いていきながら、
目標につながる何かを探すことにしよう。
目標達成の期限は10年後に設定した。
47歳の誕生日を迎えるまでに。
そのころには
「今はまっていることは仕事です。」
と迷わずに言えるようになりたいし、
それがサマになっていたい。



graffiti2004 at 22:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2012年07月11日

子どもがいない独身塾講師

何時の頃からだろうか?
どこに行っても小さい子どもの存在が気になる。

ご両親と一緒にいてベビーカーや腕の中で
すやすや眠る子どもや、母親に抱かれていて
目線が近くなった子がじっとこちらを見ていたり、
駄々をこねている子や、泣いている子など、
僕は知らない間に目を細めている。

そして、そんなことを感じた後に塾生達と会うと、
コイツらもあんな時期が合ったんだろうな。と思う。

その保護者の方々とお会いして話していると
大変な思いをしてお育てになったんだろうなと思う。

数年前にウチが解雇にしたスタッフで、
女子高生を自宅に連れ込んだヤツがいた。
親の立場に立って考えるとあり得ない。
はらわた煮えくり返る思いだったろうと拝察する。

それでもそこの保護者は、僕の弟の誕生日には
毎年お花を贈ってくださるし、
僕の母を気遣って電話をしてくれたり、
下の二人の妹も変わらず面倒を見させていただいている。
本当に頭の下がる思いだ。

今日は昼間にとてもヘコむことがあった。
とある生徒の親から酷い電話がかかってきて、
しばらく他のスタッフと呆然としていた。

そしてすぐにその生徒のことが気にかかった。
だから、あの生徒はあんな様子だったのかもしれない。
憶測に過ぎない。そういう前提に立って考え、
二人でとてもいたたまれない気持ちになり、
僕はすっかり食欲を失ってしまっていた。

今日は仕事の後、PEN Osakaのとある先生の
退院快気祝いがあった。
その席で一緒のテーブルを囲んだ先生方と
お話をしていてとても感じ入ったことがある。

「塾の先生なら絶対に自分の子どもを育てなきゃダメだ。」
という趣旨の内容を、我が子や保護者の接し方などを
例に出して詳しくご説明いただいた。

塾講師じゃなくてもいい。
学校の先生にしても、医者の先生にしても
弁護士先生にしても、お子さんがいらっしゃるどうかで
相手に対して長期的視点で、きちんと認知し、承認し、
プラスのストロークが与えられ、ラポールを構築できるか?
その差がいろんなところに端的に現れていると思う。

もちろんそんな差が関係ないところで十分勝負できるとしても、
僕にはおそらく理解できず、経験できないことで
そのことを僕はもっと知りたいし感じたいと思っている。
それと関係あるかどうか、わからないけど、
最近やたらと小さい子どものことが気にかかる。

brother



graffiti2004 at 03:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ウチの塾 | 教育的

2012年07月03日

兄弟は3人がいいと思っている

少し前、もしも僕が結婚して家族ができたら、
姉と弟の二人の子が欲しいななんて思っていた。
けど最近はやっぱり3人欲しいと思い始めている。
もし、結婚できたらって話だけどね。

僕は今、中学2年生と3年生を1クラスずつ担当している。
どちらも小6のときに算数を教え、
中学に入ってからは英語を教えている。
中2はBクラスを指導している。
なかなか手ごわいヤツが多いクラスだ。
双子が2組いる。そのうち1組は男の双子だが、
一卵性だから通い始めのころはよく間違えた。


この男の双子は本当に勉強が苦手だ。
この子たちの姉がすでにウチの塾に通ってくれていて、
ひどい成績の双子に手を焼いているということで、
4年生になった時に連れてきてくれたのだが、
塾の入口に座り込んで弟のほうが泣き出してしまった。
そして兄だけでも行くように母が促すのだが、
「弟がしなくていいことをなんでオレだけ?」
ということで、結局一度は二人とも帰ってしまった。


1か月後に再び来てくれて、今度は入ってくれたのだが、
イヤイヤ来ているから当然成績なんて伸びるわけもなく、
ただ来るだけ。テストがクリアできないから、
補習に呼ばれたりするけど、なんとなく通っているだけだった。


僕が6年生で担当して、まず弟の性格に目をつけ、
補習をしてうまく成績が伸びた。
そしてその次に兄にも補習を始めるのだが、
6年生が終わるころには二人とも平均点くらいを
取れるほど成長してくれていた。


本人たちも少しずつ「やればできるんや」
「おれ、天才かもしれん」などと思い始めて、
呼び出されることがそれほど苦痛じゃなくなってきていた。


とある土曜日、1時に兄を呼び出して
分数の計算プリントを18枚(1枚に20問ほど)を渡して
1枚ずつ自分で答え合わせをさせながら、
僕はほかの補習やら面談があるので2時間以上放置していた。
そしたら、文句も言わずにモクモクとそれに取り組んでいてくれた。


とても集中力がついてて、しかも一生懸命する姿勢に
後ろから眺めていて、思わず涙が出そうになった。


今はこの双子は中2になっていて、反抗期の真っ盛りで
時々塾をサボったりしては、母親に叱られている。
そして、兄弟の仲はとても悪い。
どちらかが病気で休んだりしても
プリントや教材をことづけることはできない。
遊ぶ友達も全然違うし、塾の行き来もバラバラ。


僕はこの兄弟が大好きだ。
弟の苛立ちもわかるし、兄の意地悪さもわかる。
弟のほうが若干成長が早くていろんな話が通じる。
兄のほうが素直でお調子者で話すと僕も明るくなる。
弟は少し自己中で自分のコントロールに苦しんでいる時がある。
兄は本当は分かっているのに「しらん」が口癖。


よくこの二人には言っている。
「お前ら、仲良くしといたほうがいいぞ。」


最近、宇宙兄弟という漫画にはまっている。
大人買いしてイッキに読んだ。軽く2周はしている。
この兄弟は兄から見て弟のほうがナンか抜けている。
共通の目標を持っていてお互い刺激しあいながら成長するのが、
同級生とか、恋人同士とかではなく兄弟という設定なのが面白い。


兄弟は大人になるほどに他人になっていき、
ターニングポイントを迎えると
親友のようになるのだろうか?
だとしたら、僕は弟と他人にまではなったけど、
親友には明らかになり損ねているな。
そして残念なことにもう親友レベルの兄弟には
2度となることはできない。
だから仲の悪い男兄弟が好きなのかもしれないな。


そんな感じで、もし結婚することがあるなら
僕は姉と兄、弟の3人兄弟が欲しいと
最近思い始めている。
自分の子どもが兄弟げんかするところを見てみたいのだ。


今日は弟の35回目の誕生日。
もう5年も経とうとしているのに
今でもこの日を覚えていてくださる方々に
温かく支えられて朝からとても幸せな気持ちでいられる。
本当にありがたい。


どうか、みなさんも日々が穏やかで幸せでありますように。



graffiti2004 at 20:02|PermalinkComments(2)TrackBack(0)日々 

2012年05月04日

小さい頃のことを思い出した。

僕は幼稚園のころ、
「将来の夢はシャチョー」と言っていたらしい。

先日、僕が生まれてから小学生に
なるまで住んでいた家の前を通りかかった。
まだその家が残っていた。

僕が遊べるように父が作ってくれた砂場。
あっという間に猫のトイレになってしまったと
最近母が教えてくれたが、それも残っていた。


この家ではリビングの奥に部屋があり、
ここで親子全員が寝ていた。


ある夜、目が覚めると両親が喧嘩していた。
父がゴルフは遊びじゃないとか、
シャチョーだからどうだとか、そんな話をしてた。

母が包丁を食器乾燥機から抜き取り、
「もう刺してよ。刺してくれたらいから。」
と泣きながらか細い声で言い出したのを聞き、
驚いて泣き出したことがある。
父があわてて僕をあやしにきて、
「何で泣いてるねん?」と言ったのに対して
僕は「こわい」と言った。父は困っていたと思う。


おそらく父は精一杯優しく僕に話しかけたはずだ。
母親べったりだった僕に
いろいろと理解してもらうのは難しかっただろう。
ずっと忘れていたそんなことを思い出した。


家にほとんどいなかった父だが、
ときどき会社に連れて行ってもらえた。
会社のレクレーションで登山などにも連れて行ってもらった。
家族同然のような社員に囲まれている父は
子どもの僕から見ても一生懸命に働いていることは
なんとかくわかっていて、そんな父を誇らしく思っていた。

そして、僕は幼稚園のころから「シャチョー」になりたがっていた。
ただ、シャチョーって何なのかさっぱりわかってなかった。

中小企業の社長だった父は、家にほとんどいなかった。
朝早くから仕事に出かけ、深夜に帰ってくる。
母は父が帰ってくるまで待っているし、
朝はかならず朝食を作る。

「カズ(弟)が生まれた時とか大変やったんじゃない?」
と聞いたことがある。

「つらいことや、怖いことがあっても
 ちっちゃいあんたがすーすー寝息たててるのを見ると
 なんか知らんけど、頑張れるし強くなった気がするねん。
 何にもせーへんくせに、子どもって不思議やで。」


僕もそんなことを思える日が来るんだろうか?


小6の時の9月から半年弱、三国ヶ丘にあった
サツキ塾という塾に通っていた。
その塾の先生はとても一生懸命だったことや、
調理師の資格や大型バイクの資格を持っていたりなど
とにかく魅力的な人だった。そして中学生になるころには
将来は塾の先生になりたいと思っていた。


今、僕は「社長」にも「塾の先生」にもなっている。
レベルはどうあれ、そういう人になっている。
今日会った友人も小学生以来の夢が叶っている。

この塾の先生から受けた影響は大きいと思う。

今日、会った友人や塾長と話した内容は
とても興味深く、奥が深い話だった。

僕に限っての話で言うと、
目指すものは常に志を高く、
難しいことに挑戦しようということだ。

当たり前のことでみんな知っていることでも、
「わかっている」というレベルにまで、
能力を身につけるのはなかなかできないね。
だから「志を高く」は忘れたくない。



graffiti2004 at 02:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2012年04月29日

いい天気の土曜日にちょっと経営のことを考えた

昨日は4月最後の平日。
つまり月末の業務の日だった。
支払いの日はいろいろと思うことが多い。

ある塾長がお金もらうために働いているよりは、
支払うために働いているって言ってた。
すごく的を得た表現。

もらったお金はすぐに出て行く。
さらに入ってくるためには、
その分、吐き出さなければいけない。
売り上げは金で買うものだと言うのも納得。

入ってくるお金ー支払うお金=利益
とても簡単な話だが、この利益というのは
企業の創造性の総和。
つまりお客様の心地よさの度合なのだ。

入ってくるお金よりも支払うお金を少なくする方法は
主に2通り。1つ目は企業がレアで特別な
商品や技術を提供できるということ。
それができないなら、支払うお金を
めちゃくちゃ切り詰めることだ。

いろんな本を読んで、実業でも勉強して、
10年かかってやっといろんなことがわかってきた。
それが新校舎のプチヒットにつながっているのかも。
次はもう少し大きく展開したいな。

ありきたりな言葉だが、
本を読んで頭でわかっていることでも
実際に起こっている現象をそれだと捉えることは難しい。
労務管理や人事評価を学んでいて
マーケティングの勉強までできるとは思っていなかった。
また来年も教室を出せそうだな。



graffiti2004 at 02:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ウチの塾 | 日々

2012年04月06日

親のメンタリティは複雑に引き継がれるみたいだ

今日は広島県の三原市に行ってきた。
花見には少し早く桜は4分咲きくらいだったかな。

この町はどういう成り立ちなのか
わからないけどとにかくお寺が多い。
小早川隆景が築城した三原城がある
わりと歴史のある街でいろいろと調べてみると
面白い発見が多い。

ちょっとどうでもいい話だけど
忘れないように記録しておこうと思う。

僕の免許証の本籍は
三原市西町となっている。
ここは僕の親父が5歳ごろから
大学入学するまで過ごしたところだ。

松寿寺

今日は東町の松寿寺
に行ってきた。
大学生以来になるだろうか?
このお寺の周囲の家の多くの表札が
「楢原」だったが、そのうちの1つは
駐車場になっていた。

楢原家はこの寺の一番の檀家だったらしく、
寺の裏にある墓地にはどれがウチのものか
よくわからないくらい同じ名前の墓が多い。

僕の父方の祖父は戦争から無事に帰ってきて、
親父が5歳のころにバスに跳ねられて亡くなったらしい。
祖父がなくなった後、祖母は女手ひとつで
親父とその妹2人を育てることになるのだが、
株に失敗して財産がなくなり、
大阪に働きに出ることになった。

広島の地酒で「酔心」といのがあるのだが、
そこの株らしきモノもたくさんもっていて、
楢原家=酔心という感じだったらしい。
もう、小学生のころに聞いた話だから覚えていない。

祖母は3人を育てるのは大変だからと、
父を松寿寺に預けて大阪に出て来る。
一番の檀家だったものだから、
丁寧に育ててくれると思っていたらしいのだが、
丁稚奉公の小僧よろしく、それはそれは厳しい生活だった。

朝は毎日5時に起き、本堂、位牌堂、禅堂などを
雑巾がけをしてから学校に行く。
真冬でも井戸水を使って雑巾がけをする。
お湯なんてない。冬には井戸水も凍るが、
桶を落として氷を割って、雑巾を絞るから
しもやけどころの話じゃない。
年中一休さんが着ているような服装だから
学校ではいじめられる。
大学生になるまで身長が155cmだった。
育ち盛りの子に精進料理だから無理もない。

いじめられて大怪我をして帰ってきても
病院に連れて行ってもらえるわけでもなく、
赤チンとよばれる消毒液を塗られるだけ。
骨折しても赤チンだけ。
風邪を引いたりすると、妙な黒い玉を飲まされるのだが、
それを飲むと子どもは胃の中のものが全部出てしまうらしい。
気持ち悪いから飲めと言われても飲まずに
寺の中を追いかけあいになったとか。

学校に行く前に掃除をして出かけていき、
帰ってからも寺の雑務を手伝う。
小学生の母親に甘えたい時期を
そんなふうに過ごしてきたのだから、
いろんなところに歪みが出るのかもしれない。

僕は小さい頃から母親が僕に何かをしようとすると
「そんなことまでせんでいい。」とよく言っていた。
僕は僕でわりと自分で好き勝手やるタイプだったので、
親父が言うことには特に何も感じていなかったが、
母親に甘やかされて大きくなる僕を
気分よく思っていなかったことは確かだろう。

母も母で、幼い頃に祖母を病気で亡くして
男手ひとつで育てられた。
僕の母は過干渉で過保護だと思う。
その話を母としたときに、父も母も
「母親らしくということがどういうことか
 知らずに育った。」と言っていた。

親父の世話をしてくれていた松寿寺の
庫里の家族の方が僕が大学生の時
伺ったときに話してくれたことがある。

親父は『家族』っていうものの
理想を求めて高校卒業と同時に
祖母と妹たちと暮らし始めたが、
思っていたような生活がなかなかできなかったと。

この庫里のご家族もすでに引っ越してしまっていて、
僕が知る人はもういなくなってしまっていた。
免許証に書かれている本籍の
西町という住所のところにも歩いて行ってみた。

僕が今住んでいるところは大阪市のベッドタウンとして
昭和40年ごろから住宅街として開発されたところで
道幅や家並みなど閑静な感じで仕上がっている。

親父の大変な子ども時代をすごした三原と言う町。
ここは本当に昔からある町で、道の細さや城跡などから
城下町として栄えた様子がわかるし、
井戸の跡など昭和な感じがいたるところに
生々しく残っている。
饅頭屋のおばちゃんにも少し町の話を聞けた。

ちなみに祖母の旧姓は「三島」というが、
ここは12年ほど前に倒産した「駸々堂」
という書店の前進の「三島文豪堂」という
本屋をやっている家だった。

親父も祖母も商売が下手なんだ。
僕もその血を引きついているから
気をつけないとな。

何かの理由で免許証の本籍が三原のままで
そこには楢原家の墓がたくさんある。
そして見つかった祖父が出版していた本。
親父がいなくなるまえにもっとこのあたりの話を聞きたいし、
もういちど連れてきていろんな話をしたいなと思った。

松寿寺から駅を臨む



graffiti2004 at 03:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2012年03月24日

今日から本格的に2012年度

昨日は大阪府公立高校後期入試の発表日だった。
朝10時前にほぼ全員の講師が教室に集まり、
電話が鳴るのを待っている。
生徒達の喜ぶ声を聞きたい。
前期入試の時もそうだったが、
合格して、喜んで、泣きながら何言ってるか
わけのわからない電話もあるけど
とにかく喜んでいる様子を目の当たりにして、
この1年間がんばって良かったなって思いたい。

今年も去年も2年連続で全員合格だった。

不合格の生徒から連絡をもらう時は、
本当に残念で、申し訳なくて、
これはこれでまた次の1年間の指導で、
2度とこんな思いはさせたくないって思う。

ウチは2006年から毎年シュークリーム作戦をしていた。
3月23日の発表の日のうちに
1件ずつシュークリームを家庭に届け、
合格していれば喜んでいる姿を見せ、
不合格のご家庭には頭を下げるというもの。

2009年度の入試では
不合格にさせてはいけない生徒を2人も
不合格にしてしまった。
もちろんさせても良い生徒が今までいたことはない。
不合格のご家庭と話をするのは正直辛い。
けどその2人の生徒のところには
すぐに駆けつけ頭を下げた。

その年から中3生の人数が45人を超えていて、
夕方の4時ぐらいから各家庭を訪問し始めても
すべて終わるのが11時を過ぎるようになり、
また塾の様子が変わってきたのでやめてしまった。

自分の中では割り切ってやめたつもりだったけど、
来年はそれをやりたいと思えるような指導をしようと思う。
だから来年はきっとするだろう。
どうでもいい話だ。

ちなみに昨日は問い合わせが4件あった。
そしてそのうち3件は
「こういう生徒からの問い合わせが欲しい」
と狙い打ちしたものがヒットしたのでうれしかった。
個別指導専門の校舎だが、
集団指導と個別指導ではここまで集め方が違うのかと
自分でもびっくりした。

昼間は昼間で、採用面接した人が
実は12年前に一緒の会社で働いていた方だった。
僕はすっかり忘れていたが向こうが覚えていてくれた。
ウチの法人名を見て、以前の会社と何か関わりがあるのかと
気になって応募していただいたらしい。
また立ち上げからご協力いただける。
同じような志の塾で働けることを
とても喜んでいただいてた。
恥じないような塾作りや自分の働き方を
心がけないといけないと、身が引き締まる思いだ。

帰りがけには長く音沙汰がなく
連絡を取ろうとしてた人からの突然のメール。
元気そうで何よりだ。

思い切って行動を起こし、
ちょっと気分が楽になった。
何か詰まっていたものが
堰を切って流れ出したように
物事が動き始めている感じだ。

そして今日から本格的に2012年度の指導が始まった。
気候も随分と暖かくなってきている。
新しい季節がそこまで来ている。
ちょっとしんどい時期が続いてたけど
気を取り直してまた頑張ろう。
結局前に向かって進むしかないんだから。

明日は卒業生がウチに遊びに来るらしい、
家も片付けないとな♪



graffiti2004 at 23:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2012年01月18日

自転車通勤してみたものの

今日は晴れていたので自転車通勤した。
最近体重計に乗ったら80kgを超えていた。
半年前の健康診断で計ったときは74kgだった。
危機感を感じて、正月から極力自転車に
乗るように心がけている。

で、今日、教室に来て授業が始まる前に思い出した。
今日から始まる中1準備講座のテキストを
製本してもらうために本町にまで出していて、
それを昨日、焼肉を食べに行った帰りに
取りに行ったのが、自宅に置いてきた車のトランクに眠っている。


慣れないことはするもんじゃないな。。。
さて、今からチャリこいで帰ろっと。



graffiti2004 at 23:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2012年01月07日

いただいたiPhoneケース

投稿が遅くなってしまったが、
去年のクリスマスに、中2のお母様から
iPhoneケースをいただいた。
↓コレ

CIMG2101

革製品を手作りで作る職人さんらしく、
以前、ウチの塾でフリーマーケットをしたときも
何点か出品していただいた。

このケース、開くとこんな感じ。↓

CIMG2102

ちょうど今使っているケースが
エヴァのネルフのロゴが入ったものだったが、
端々が割れてしまっていたので、
新しいものを探そうとしてたところだった。

iPhoneを使う前から僕は携帯電話に
自分のIDタグとUSBのフラッシュメモリを
ストラップでぶら下げていた。

IDタグは以前、自転車通勤していた時に
バスにはねられたのがきっかけで
プレゼントでもらった。
名前、生年月日、血液型が書いてある。
USBのメモリは仕事関係の書類や
ちょっとしたソフトをインストールしておくと、
出張先や勉強会なのでパソコンに挿して使えるから便利だ。


ところが、iPhoneは携帯のストラップがつけられない。
だからハンズで金具を買ってきて、ドライバーで
ストラップをつけられるように改造したが、
家でステレオにつなぎたい時に金具が邪魔になるので困っていた。


今回いただいた革のケースでこれが解決する。
しかも、開けるとポケットがついている。

ここには車のキーを入れられる。
車のキーはスマートキーというやつで、
カードサイズのこんな感じのやつ。


CIMG2103

むき出しでポケットに入れておくと
何かと傷がつくから、
ちっちゃいビニール袋を買って入れておいた。

このキーがすっぽりと収まる。
あとは財布を持って出れば、
手ぶらで出かけられる。


CIMG2104

僕は整理が下手で、モノを捨てられない人だ。
だから、事務所の机の中や家の中にモノがたくさん残る。
生徒が何気なくくれたゴム風船やシャーペン、手鏡や
小物入れから始まって、旅行先で買ってきたお土産の
キーホルダーやショットグラス、相談事やお礼の手紙など
その子が僕のことを忘れただろうと思われる年齢になるまで
なかなか捨てられない。

今日はさすがに事務所の机を整理した。
人の思いが詰まったものや、愛着のあるものが
手元に増えていくのは嬉しい。
他人から見ればなんてことのないものだ。
ごみやガラクタに見えるものでも
僕だから大切にできる。


いただいたiPhoneケースは僕には贅沢すぎるくらい
とてもよくできたもので、なにをどうしたらこんな
素敵なものを作ることができるのか想像もつかない。
作るの、大変だったろうなって普通にわかる。
それが手元にあるのが嬉しい。


みんな毎日大変だ。それでも明日はちょっとでも
良くなるように、昨日の自分と戦っている。
1日の終わりに、満足して安らかに寝床に入れることなんて
なかなかないけど、ふとした時にそうした
愛着のあるモノに囲まれていることを確認して、
また、一息ついて仕事に向かいたい。
そんなことを思わせていただいた
保護者の方にとっても感謝している。


最後にオチにつかって悪いけど、
実優、片足だけ置いていった靴下、
臭わないうちに取りに来てくれよな。



graffiti2004 at 22:57|PermalinkComments(8)日々 | モノ好き

2011年12月21日

遅れてきた誕生日プレゼント

今年の誕生日はすごかった。
facebookの威力を再び感じることができたし、
「幸せな1日を過ごす」という意味が
36回目にして初めて経験したと思う。

今年特に面白かったのが、
高1の女子生徒からのプレゼント。
こいつは去年(中3のころ)からよく落書きで
フリーザを書いていた。
あのドラゴンボールのキャラね。


ところが美術を勉強しているわけではなく
特別絵が上手いわけではない。
書いているフリーザも↓こんな感じ。


坂本フリーザ

















しかも、プリントやノートにやたら書きまくる。
それが周囲から「かわいい」なんて評判になり、
調子に乗る。あるとき、模試の成績が悪かったので、
「オレがいいって言うまでフリーザ禁止な。」
と禁止令を出した。
塾ではしばらく書いている様子を見なくなったので、
安心していたら、別の女子生徒から
「先生、あの子学校で書きまくってるで。」
と言ったのでちょっときつく叱った。


上記のフリーザは、高校受験で合格して、
卒塾する際に書いた卒塾作文に挿絵してくれたもの。


その子は本当によく勉強を頑張った子だった。
個別指導塾からウチに中3になるころに移ってきて、
勉強を始めたのだけど、受験ギリギリになって
自分のなかなか伸びない成績を見て、情けなくて
トイレで声を出してワンワン泣いていた。
それでも第一志望の公立高校に合格し、
今は高校からはじめた剣道部の先鋒として
活躍しているらしい。


僕の誕生日は12月だから卒業してから
ずっと時間が経ってしまっている。
5月病どころじゃなくとっくに高校で
新しい生活を満喫していて中学時代に
通った塾のことなんかすっかり忘れていても
全然オッケーなのに、覚えていてくれた。
それだけでめちゃくちゃうれしい。


誕生日に渡せるようにとセッセと紙粘土で
フリーザを作ってくれた。
それが↓コレ。


フリーザ



正直、もらっても置き場所に困るんだけど、
気持ちがうれしい。

学校で美術の時間に作っているとかそういうわけじゃなく、
クラブ活動をして、塾にも勉強をしにきて
宿題なんかもこなしながらの忙しい中、
時間を見つけて「塾長喜ぶやろな〜。」と
本気で思ってセッセと作ってくれた
ほんのちょっとだけイタい子だ。


そして、フリーザだけでなく、首から上を
取り替えたら↓こうなる。


塾長



胴体がフリーザ用に色づけしてるから
やたら美白な中年男性になる。

折れないように作るのがやっとだったらしく、
細部へのこだわりは一切ないが、
ケツはきれいに割れていて
そこだけ若干リアルなのが面白い。


実はコレ、誕生日には間に合わずに
いただいたのは昨日だった。
それはそれは大変な盛り上がりようで、
授業後の事務所が騒然となったのは言うまでもない。

本当にびっくりした。

1つ心配なのは
おうちの人がこれを作っている本人を見て
心配にならなかったのだろうか?ということだ。
「家の人はお前がやっている様子を見て何か言わなかったか?」
と聞いたところ、
「コレやっているときはあんま絡んでけーへんかった。」
「なんか、見て見んフリされた。」
とやっぱり、変人扱いされている様子。
そりゃそーだろ。


けど、作っている時に「塾長喜ぶやろーな。」と
思いながら作っている時、彼女自身もニヤニヤして
嬉しそううに作っているんだろうと、
その様子が去年1年間の指導を通して
気持ち悪いほど僕に伝わってくる。
こういうときにコイツはこんな喜び方をするのだと。


持ってきた時、袋を差し出して、
「コレを開けて、次はコレを出して〜」
と満面の笑みで渡してくれた嬉しそうな様子を見ると
どっちが誕生日かわからないけど、
こっちも幸せな気分になる。


本当に嬉しかった ありがとう。
大事にする(と思う)よ。


実優、こんなもんで期待に添えているかな?
それからやっぱりちょっと可笑しいよ。
好きな人ができても同じことしたらあかんよ♪



graffiti2004 at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 | ウチの塾

2011年12月12日

日帰りモーターショー

2005年以来行けてなかったモーターショーに
金曜日に行ってきた。

僕は車をはじめとする「乗り物」が好きだ。
小さい頃から、自転車に乗っている頃からそうだった。
自分の力ではできないことを、「乗り物」という装置で
可能にできる。自分では時速6キロほどでしか
前進できないが、自転車に乗ると20キロで移動できる。
しかも、完全に自転車に頼り切るのではなく、
自分の力でそれをコントロールできる。

バイクや自動車などは自分の力をはるかに
超えるものだが、それを自分の手足のように
扱うことができると思うととても感動する。
1.5トンの魂と思想と技術のこもった鉄の塊を
アクセルのオン・オフやステアリングの
ちょっとした舵角で荷重を移動させて
自分の思い通りに向きを変えたりできると
とても気持ちがいい。

毎日、イグニッションキーをひねって
エンジンに火をいれクラッチを
ミートする瞬間に思わず笑顔になる。

アクセルを踏んで進んでいく道の先は
「未来」でバックミラーには「過去」が
映し出される。車は空間を運んで
移動できるから、ドアを空けた瞬間に
気持ちを切り替えてスタートさせることもできる。
これは電車やバスとはまた違った感覚だと思う。

僕の毎日は乗りものがあるおかげでとても豊かだ。

僕が最初にモーターショーに行ったのは
1997年。当時バイトしていた塾の
部長と次長、教室長二人、一般社員2人に
混ぜてもらって深夜に本町に集合。
夜通し走って幕張に着き、1日見物してから
深夜に帰宅し、次の日にはまた仕事をする
といったことをしていた。

40過ぎの人たちのバイタリティに感服したものだった。
現在、その部長は取締役に昇進し、次長は部長に。
会社を引っ張っていくエネルギーがその当時から
あったのだといまさらながらに感じる。

今回は幕張メッセではなく、東京ビッグサイトでの開催。
ということで初めて車ではなく、飛行機で行くことにした。
飛行機に乗るのも2005年ぶり。
羽田からの電車にSUICAを使うのも久しぶり。
久々尽くしになった。

驚いたのはANAのシート。
RECAROだった。
ANA RECARO

で、モーターショーはというと、
以前に比べて随分と規模が小さくなってしまっていた。
そして、F1やGTカーというような、僕らの年代や
そこから10〜15年ほどおっさん世代が
心躍るようなわくわくするスポーツカーは
ほとんど姿を見せず、唯一アウディが
ルマンのR18TDIを展示していたくらいだった。

フェラーリにもお目にかかれず。光岡にも会えず。
いつもなら昼食をはさんでほぼ1日がかりで
見るものなんだが、4時間ほどで全部見終わった。

とにかく「エコ」のオンパレードで、
これからこういう時代になっていくんだろうな
ということはなんとなく現在の流れの中で
予測できてもそれが、ワクワクするものかはわからない。
自動車が家電化していくような印象が気に入らない。

自動車は常に未来の乗り物だったはずだ。
僕なんかは子ども心に、免許を取って大人になって
自分が乗るだろう車を思い、ワクワクしていたし、
ドキドキしていた。まぁ、車をはじめとする乗り物が
好きだから特殊なんだろう。

印象的だったのはトヨタ。
「免許ととろう」というところから
自動車産業を支えているということや
これからも牽引し続けようという責任感のようなものが見えた。
すばらしい意識だと思う。
免許をとらない若者が増えているみたいだからね。

mortor show TOYOTA

車は「作る」や「持つ」というステージを
すでにクリアしたのかも知れない。
4サイクルの車に関しては「作れる」という次元では
どのメーカーも一定レベルはクリアしたのだろう。
だから、すごいスポーツカーが出てきても
「わかったわかった」という感じなのかもしれない。
あとは楕円ピストンくらいしかないかな?

今は環境や資源のことを考えながら
普通に「ある」という「在り方」が問われているのだろう。

HONDAだけはEVになってもスポーツの
スピリットは残り続けるんだろうという
コンセプトカーが展示されていた。

スポーツカーや高級車の性能を競っているころは
音楽も派手でコンパニオンが生地の少な目の
コスチュームで車やバイクと絡みながら
色気を競っていた感じだったが、
今やどこの国の人かわからないような人が
歌を歌ったりしている。僕敵にはあまり面白くない。
そんな中でスバルのブースの映像が気に入った。

自動車産業は日本に必要不可欠で
もっともっと成長しなければいけない。
内需ももっと豊かになったほうがいい。
塾なんかとは比べ物にならないくらい
いろんな人たちの生活を支えている。

これからの自動車文化が寂しくならないように
生徒たちにもしっかりと啓蒙していきたい。



graffiti2004 at 03:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)モノ好き | 日々

2011年11月20日

講師には生徒にとってのヒーローでいて欲しい

良い口コミと悪い口コミでは、
後者のほうが影響力が強いのは当然。

人のことを悪く言う人の中には、
「こいつよりはマシ」という優越感がある。
他人を低く見ることで自分を維持しようとする
卑しい気持ちが根底にあるのかもしれない。


生徒を見ていて思う。多くの生徒は
自分から積極的にプラスの行動を取ることはできない。
他人にやる気にさせてもらわなければいけない。
生徒に限らず、精神的に未熟な人は
そうした現実を理解できないことが多い。

自分が悪くないという位置に立ち文句を言う。
こういう人と話す場合、それに乗っかるほうが楽だ。
自分は適度な距離を置いて一緒に文句を言っている。
被害を被らない程度に距離をおいておけば
そいつが事故っても自分には被害はこない。
下手に関わると自分が巻き込まれてしまう。
何も知らずに調子の乗ると梯子を外されるんだ。


積極的にプラスの行動をとるにはエネルギーが必要だ。
自らを奮い立たせ、目標に向かって志を高く持ち、
毎日を丁寧に妥協なく過ごす。
時にはイヤなこともしなければならず、
時には妥協し、翻弄され、どうしようもない状況に
絶望することもあるかもしれない。


そんな時に周囲に自分を励ましてくれる人の存在が
どれほど有難いかを知っている人は
容易く人を批判したり、誹謗中傷したりしないものだ。


僕はときどき映画を見に行くのだけど、
好きな映画の中にスパイダーマンシリーズがある。
とても単純な理由だけど、「2」のこのシーンが好き。
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He knows a hero when he sees one.
Too few characters out there, flying around like that,
saving old girls like me. And Lord knows,
kids like Henry need a hero. Courageous, self-sacrificing people.
Setting examples for all of us. Everybody loves a hero.
People line up for them, cheer them, scream their names.
And years later, they'll tell how they stood in the rain for hours
just to get a glimpse of the one
who taught them how to hold on a second longer.
I believe there's a hero in all of us, that keeps us honest,
gives us strength, makes us noble,
and finally allows us to die with pride,
even though sometimes we have to be steady,
and give up the thing we want the most. Even our dreams.
-----------------------------------------------------------------


今、ウチの会社は就業規則を
変更しなければいけないタイミングにある。
せっかくだから人事・給与制度にも手を入れようということになっている。
働き甲斐のある職場を作りたい。
そのために何ができるか?ということを考えている。


KGC PRELUDE(教務マニュアル)には
「落としたペンを『拾って』と頼んではいけない。」
という項目がある。それを延長させると
友達の誕生日に「プレゼント何が欲しい?」と聞いてはいけなくて、
プレゼントを渡したい相手に誕生日を聞くことも憚られるようになる。

スタッフの一人ひとりがその意図を理解し、
実践できるようになればウチは強くなる。
「塾」という看板で名ばかりの教育サービスをしながら
利益のみ追求しなければ成り立たない仕組みになっている
様々な企業塾と大きく差別化できるだろう。


今日、生徒に「何を基準にどのように学校を選ぶのか?」
という相談を受け、説明している時に
ちょっとアツくなって語ってしまったことから思いついた。
こうした精神を大切にできるような制度を模索中だ。


最近の専任会議で新年度の募集に対して
「わくわく系」で行くぞ という話をした。
そのためにプラスの口コミを生み出す仕掛けを作っている。


最近、嬉しいことが多い。
自分にプラスのことが起これば思考もプラスになる。
自分に嬉しいことを起こそうと思うと、
自分から他人が喜ぶようなことを「自然に」「素直に」
できるようになることだ。
そのためには絶え間ない自己研鑽が必要だ。
わかりきっていることだが、コレも最近学んだ。


今日は弟の命日だ。
ウチにはこの日のことを覚えていてくれて、
休めるように気遣いをしてくれる
すばらしいスタッフがいる。

僕はきっと全力でこういう人たちを
これからも応援するだろう。
プラスの連鎖をこれからもどんどん広げていきたい。



graffiti2004 at 23:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)教育的 | 講師研修

2011年10月08日

わかりやすく授業をすることと生徒の点数を伸ばせることは別なのです

今日は朝9時ちょっと過ぎに出勤。
土曜日は朝から補習を入れ放題だ。

まず、小5の中学受験クラスの生徒。
授業中にやった内容を忘れてしまうため
塾に来て宿題をやってもらう。
宿題のやり方を最初から丁寧に教える。

ある程度丁寧にできるようになってきたら
自分でどんどん進めていくことができるが、
手放して大丈夫な状態にさせるまで時間がかかる。

どの生徒も同じ。
1.まず「やる気」にさせる。
2.「やり方」を教える。
3.やらせてみて「できる」という体験をさせ、
   「その気」にさせる。
4.2,3を繰り返しながら徐々に介入を減らす
5.高めの目標を設定し、上手くクリアさせてやる。
6.生徒自ら本気で勉強を始める。

1の「やる気にさせる」は基本的だけどとても大切。
解放された状態にさせないと生徒たちは
教えたことがきちんと脳に伝わらない。
できる講師はここの「訓話」が上手い。
これから教えたいことを、生徒がきちんと
キャッチできる状態にしてから教える。

2を可能な限り丁寧に教えること。
そのときに注意すべきは、
教え方が上手い講師ほど、
生徒は早く問題に取り組みたがる。
そこをできるかぎりじらして、もったいつけ、
なかなかやる機会を与えない。
しっかり話を聞かせる。

そして、演習時間を設ける。
堰を切って水が流れ出すように
どんどんと手が進む様子を見ていると
説明が上手くいった満足感に浸ることができる。

(中略)
最後は教えすぎないこと。
ベタな表現だが、自分で自分を成長させる
方法を身につけさせるのが一番いいのだから。

今日は夕方から河内長野の日だった。
新しい生徒たちなのでまだ真っ白な状態。
ウチの塾がどのように成績を伸ばすのか?
どの科目をどのように勉強したらいいのか?
初めてのテスト対策なので話すことが多い。
数名の生徒はかなり手ごたえがいい。

そして目標設定をして勉強を開始する。
明日は2時〜9時までの勉強会だ。
これほど長時間の勉強は
初めてだというメンバーばかり。

さて、いまから準備しよっと。



graffiti2004 at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)教育的 | 日々

2011年10月07日

商売とは日々イレギュラーと向き合うこと

今日は昼過ぎに某女子校の先生が来られた。
このブログを見てくれているらしい。
その女子校には保育の短大と4年制大学が併設されている。
近年の保育園、幼稚園の現状、将来幼稚園と保育園が
同じになるだろう政策の話や、統合された時の
保育園のコンテンツのことが話題になった。

普通は高校の先生が塾にきた時は、
入試時の基準の話や、イベントや
プレテストの話になるんだけどね。

その前後でちょっとしたトラブル。
昨日に続いてあれこれと問題が起きる。
商売とは、日々イレギュラーと向き合うことだ。

それが終わってから夕方から記帳のため
銀行をはしごする。近所の小・中学校や
高校の下校時間と重なる。
日が短くなっていて、すっかり秋の夕方の匂いがした。

11年前のこんな秋の日に僕は大きな失敗をした。
それはとても恥じるべきで、情けないことだった。
そのことに比べると35になって、
そうした失敗をしないような芯ができている感じがする。

臆病でもいいが卑怯にはならない。
人間は賢くなればズルくなり、
偉くなれば汚れてしまいやすくなる。
優しくなろうとして甘え、
自信がつくと少し傲慢になる。

今日ジョブズが亡くなったという
ニュースが世界を駆け巡った。
偉大な経営者の言葉には
突拍子もない斬新な言葉って意外に少なく、
誠心誠意であったり、正直さ、
謙虚さであったり、努力といった言葉が多い。

人として基本的なことが
それだけ難しいということなんだろう。

今日は中1の生徒に約束を守る
ということについて話をした。
こういう話は理屈ではなく心で聞くもの。
 大人になるにしたがって聞き取りにくなる。

「心で感じれば人は動く」と
木下晴弘先生の著書にもあるように
感じる心を育てる力をもっと身につけたい。



graffiti2004 at 13:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ウチの塾 | 日々

2011年10月06日

facebookのおかげで今年はいろんな人に会うことができる

今日は朝からウォーキングのついでに
昨日の石鹸屋の社長と話をした物件を下見に行く。
気づかないうちに知らない建物が建っている。
よく通る道なのに、アンテナを張っておかないと
引っかからないものだ。

生徒と話をするときにも感じる。
「CMで○○ってゆってるやつあるやんか?」
と投げかけても、そんなCM見たことない。
というような感じで、見識がなければ見過ごしてしまう。

だから、新しいことにチャレンジする
毎日新聞を読む、テレビを見る。
考え方をリフレッシュする。
何かがひっかかり、それがきっかけで
大きく物事が前進する感触が好きだ。

昼から河内長野でアポ。
某幼稚園の事務長さんと情報交換。
とても感じの良い方で、
こんな人がいても動かない組織は
やはり動かないものだと
帰りの車の中でうなってしまった。

僕は今年から和泉市にある
幼稚園の監事をさせていただいている。
今年から1つアンテナが増えたわけだが
そのおかげで今回の出会いが
とても有意義なものになったと思う。

ローカルビジネスのマーケティングについて
その商品ラインナップや広報手段を
根本的に考え直さないといけないのかもしれない。
僕は堺市という市場を「都会寄り」だと
考えていたのだが、地理的な要因と
住民の気質(好み?)、所得層などからすると
堺市は実は「田舎寄り」かもしれない。

石鹸屋の社長、社労士になったいとこ、
今日お会いした方の話を聞くとそう思う。

早めに塾に向かったのだが、
ものすごい車の混み具合で
塾に入るのがちょっと入るのが遅くなる。

1件のクレームに対応して授業に入る。

今日は中学受験の小5算数と
中3の社会の授業だった。
明後日からは中間テスト対策だ。
忙しくなりそうだが、
この期間中にしなければいけない
大きなことがいくつかある。

体調も良くなったことだし
明日も頑張って働こう♪



graffiti2004 at 03:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 

2011年10月05日

全快したかな

実はちょっと咳込んでしまうものの
昨日からタバコをすっている。
夜寝るときも、朝起きるときも
もうしんどくなくなった。
体調がほぼ全快した感じだ。

今日は朝から五箇荘中学校の運動会。
先週の金曜日に雨で中止になった振り替え。
涼しく、でも陽射しが強い体育大会日和だった。
朝10時前頃から学校へ伺い、
生徒達の様子を見させてもらう。
今年は保護者の席に用意されている
テントが去年よりも多かった。

12時前頃から石鹸屋の社長と会食。
お互いの近況を報告しあい、
情報交換を行う。
小学校の1年生から4年生まで
同じクラスだった、B型の彼は
かなりできる社長だと思う。

彼と話していて面白いのは
好き嫌いがはっきりしていることだ。
車の話をしていても、政治家や
近所のスーパーの話をしていても
気に入らないことがあれば、
必ず意見してくれる。

それから彼はB型だ。
僕の知っているその手のタイプの
人には珍しくわりと人の話を聞いてくれる。

思わぬ再開からもうすぐ1年だが、
これから長い付き合いになりそうだ。
同じ堺市で同じ年齢。
自分の会社も彼の会社と同じくらいの
年商にしようと思った。

塾に戻ってからは中学受験の算数、
中学生の英語、社会の授業をする。

授業後は高3生が進路の相談に来ていた。
久々に二人でゆっくり話しながら
日付が変わる前に塾を出る。

帰宅後は甘酢肉団子を作って夕食。
そして、何気なくtwilogで去年の今頃の
ツイートを確認していた。

何気なく広げたtwillogだったが、
おもしろい事に気づいた。
自分でも全く気づいていなかったから、
今日から、またちょっとずつブログを
書こうかという気になっている。

やっぱり、人というのはなかなか
変わらないものなんだなともう。
特に30代半ばやしね。
さ、明日もガンバロ♪



2011年09月12日

河内長野学習サークル


9月10日(土)から河内長野で
授業をすることになった。
ひょんなことから学校のテストの相談を受け、
そこからいろいろとやり取りをしていくうちに
指導させていただくという縁をいただいた。

地域の公共施設を利用して
小学6年生〜中学2年生の6人。
今回は教室を出すというわけではなく、
僕が空いている曜日に家庭教師のように
教えさせていただくという感じなので、
採算がどうとか、生徒数がどうとか
まったく気にせずに気楽にやっている。

生徒たちは長野小学校と
長野中学校と東中学校が中心。
実は2000年から2003年の2月まで
僕は千代田で同じように長野小学校や
長野中学校の生徒たちを教えていた。

懐かしさもあり、まったく新しい場所で
指導を開始するという新鮮さもあり、
どうやってこの生徒たちを育てていこうか、
塾としてどうやって展開していこうか
河内長野まで走らせる車の中で、
アレコレ考えるのが楽しかったりする。

今日は生徒たちと、
「もう少し人数が増えたら、アシスタントを雇おうな。」
「○○○人になったらこんな感じの塾を作るからな。」
「机はこんなのにしような。」
と、いっしょに塾を作ろうなって話をした。

10年前に河内長野にいたころとは違い、
僕にはいろんな技術が身についている。
以前いた塾も2000年にゼロから
一緒に作り上げていった塾だった。

今回はそのスピードをより加速させることができるはず。
この生徒たちにも卒塾証書を渡せるような
感動の祝賀会を開催してあげたい。

そう思ったことをここに記録しておこう。
明日はPEN Osakaの会合の日だ。

河内長野の生徒たち



graffiti2004 at 23:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ウチの塾 | 日々

2011年08月28日

夏期講習終了3日前

今日は夏休み最後の日曜日。
午前中はウォーキングに行く気だったのだが、
昨日の夜に夜更かしをしたのと、
夏期講習会での疲れが溜まってたので
10時ごろまで寝過ごしてしまった。

ベッドの上で5分ほど足を揉みほぐしてから
階段を下りる。降りるときは手摺が必要だ。
毎朝起きたら左足のかかとが痛いのだ。
近日中に整骨院に行こうと思うが、
そう思いながら2ヶ月ほどが過ぎている。
起き上がりシャワーを浴びる。
シャワーを浴びてゆっくりと湯船につかると
足の痛みも随分と和らぐ。

シャワーを出てから撮りだめしている
「24 season8」を1話観てから
朝昼まとめた食事に出かける。
住宅街なので上野芝周辺は昼も夜も
店が少ないのだが、ずっと気になっていた
「グラッチェ・ガーデンス」。
今日初めて行った。
ここ、すかいらーくグループだったのか。

スパゲッティはイマイチだったが、
ピザの食べ放題が良かった。
人気があるらしく、店を出る頃には
順番待ちの人で入り口が混んでいた。

そして塾に向かい、中1の生徒の補習。
希望者と一部の強制。それでもみんな
楽しそうにしている。

勉強が得意じゃない生徒だって、
勉強を頑張る意味はある。

高学歴なエリートの人たちや、
ブルーカラーの人たちからみると、
勉強が得意じゃないのに塾に通っている
子どもたちを見ると意味がわからないらしい。
「無駄やん」という意見をたくさん耳にしてきた。

そういった意見が多い中、偽善でも欺瞞でもなく
「自分自身を成長させる」ために
ウチの塾が必要だと
自信を持って言えるようになってきた。

将来何になりたいのか、何をしたいのか
まだまだ見えてこない生徒が
目的もなくただ「テストで良い点を取る」
ために通う塾なんてつまらない。

楽しい塾通いができて、将来のためになる。
生徒たちが自らそう感じられるようになる
カリキュラムとプログラムを考えているところ。

さて、課題図書を読み終わったのに、
レポートが書けないぞ〜っと悩んでいたら、
朝食のために米を炊いていたのを思い出した。
約12時間保温のままだ。
ということで今から帰ります。

今日は青椒肉絲をつくります。



graffiti2004 at 20:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 | 教育的

2011年08月15日

ぶどうサンミー

僕はサンミー愛好家である。

いろんなサンミーが出ている中で、
今回の「ぶどうサンミー」は、
僕の中では「オレンジヨンミー」以来のヒットとなった。
やっぱりサンミーとのコラボは
果実系がいいのかもしれない。

ぶどうサンミー

ぶどうのなかでも巨峰やらマスカットとは違い、
大阪では小粒な「デラウェア」という品種が多い。
ぶどうの生産は大阪府は全国7位なのだが、
デラウェアに限ると全国3位になる。
今回のサンミーはそのデラウェアを使っている。

袋に「大阪府包括協定記念商品」
と書いてある。それが何のことか
よくわからなかったのでちょっと調べてみた。

これはファミリーマートと大阪府が
「包括協定」なるものを結び、
大阪府が推している食材を使用した
商品を発売するといったもの。

コンビニでサンミー買うことができるのは
唯一ファミリーマートだけで、
ファミリーマートが包括協定を結んだので、
このぶどうサンミーを買うことができるのは
ファミリーマートだけ。レア度は高い。

本当においししかった。



graffiti2004 at 19:38|PermalinkComments(2)TrackBack(0)モノ好き | 日々

2011年07月04日

小学生の保護者は特に気をつけよう

先日、大阪府警の方と一緒に仕事をすることがあり、
そこでいろいろと聞かせていただいた。

大阪は犯罪の認知件数が全国でNo.1だそうだ。
その中でも強制わいせつが非常に多いのだとか。
手元にいただいた資料がある。

平成22年度の件数

大阪の強制わいせつ・・・・・・・・・・・・・1078件
東京の強制わいせつ・・・・・・・・・・・・・・891件
大阪の16歳未満の強制わいせつ・・・・323件
大阪の小学生以下の強制わいせつ・・・213件 
東京の小学生以下の強制わいせつ・・・90件

また、大阪は所轄が5方面に分かれていて、
第1方面が大淀、港、天満区などの市内
第2方面が大正、天王寺、なにわ、東成、西成など
第3方面が西淀、淀川、北摂、池田など
第4方面が松原、門真、羽曳野、河内長野など
第5方面は堺以南の泉州地域。

この中で15歳未満の強制わいせつが
特に多いのは第4、5方面だ。
ちなみに、犯罪が起こる時間帯は、
小学校から帰宅してから、
塾などに出かけるあたりらしい。
ちなみに、ウチの塾がある北堺では
平成22年度で9件あった。

「おかあさんいてる?何年生?」
と声をかけるらしい。そして、
「いる。」と答えると、近所の人目につかないところへ
手を引っ張って連れて行き、犯行におよぶ。
「いない。」と答えれば家の中に入り込んで犯行する。

実際に被害にあった子どもたちは、
とてもこわくて、声を出そうと思っても声が出ないらしい。
おそらく本当だろうと思う。

本当に卑怯なヤツがいるもんだ。
ウチの塾では、理科実験や読書感想文とは違って、
生徒募集などにはまったく結びつかないかもしれないけど、
CAPの体験プログラムをやってみようかと思っている。

警察の方が言っていた対策のひとつ
「安まちメール」は是非、登録してください。
これは小学校からも指導されていると思います。
是非、是非、気をつけてください。



graffiti2004 at 21:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)教育的 | 日々

2011年07月03日

雨が降っても楽しめると思う

今日は久々に京都に行ってきた。
京都の駅もけっこう変わっていたけど、
改札を出てからのわかりやすさはかなり良い。


今回の課外授業・京都研修会は8名の
中2生が参加してくれた。
前回も、今回も参加者には
共通したものがある。
この学年、きっと良く成長してくれる。


清水寺→扇の絵付け→昼食
→高台寺→円山公園→八坂神社

1日中よく歩いたと思う。

北花田に帰ってきた時にはヘトヘトだった。

帰りにスーパーに寄って晩御飯と弁当の
材料を買うためにカートを押しているとき、
何度もくじけて弁当に手を伸ばしそうになった。

けど、今日だからちょっと強がって頑張れたと思う。

今日は7月3日。弟の誕生日、本当なら34歳。
2007年に亡くなってから4回目の誕生日。
こんなに時間が経ったのがとても信じられないが、
4年経っても未だに忘れずに
命日ではなく、誕生日にお花を届けてくれる
教え子の保護者の方がいらっしゃる。
毎年この日は忘れずに
襟を正す思いで1日を始めるのだ。


僕はこの保護者の方にとても大切にされている。
そして、こうして大切にしてくださる人が
ここ数年でとても多くなったと思う。
僕自身も大切にしたいと思える人が随分増えた。


僕は今年36歳になる。
36歳までを3つにセグメントしてみる。

0歳から12歳までの僕は病弱で、
特に幼児期は喘息で入退院を繰り返し、
学校にもろくに通えていなかった。
そのことで常に自分は人よりも体力的に
劣っている存在だと感じていた。
だから勉強を頑張って中学受験をしたんだった。


13歳から24歳までは、少し体が強くなり、
人並み以上にスポーツができるようになった。
自分を過信し努力を怠り、他責的に生きていた。
だから愚かで馬鹿げた失敗ばかりしてた。
その失敗を地面に叩きつけて、唾を吐いて踏みにじり
「こんなのオレじゃない。」って思っていた。


25歳から今にかけては、社会に出て
思い通りにならないこともたくさんあった。
けど、この時期に出会った人々に
たくさん力を与えてもらい、人並みになりたい、
それ以上になりたいと思って、
悔やまれる時期を取り返すように
必死になって努力した。
なんとか自分自身の力で社会に立ちたいと
思い続けていた。


最近は、ガムシャラに頑張るには
体力的に限界が来ていることに気づき、
毎朝ウォーキングをしたりしている。


幼い時期には弟の存在が役に立った。
弟は未熟児で生まれ、幼稚園の頃に
髄膜炎を患い、勉強が苦手だった。
常に「コイツよりマシ」なんて思ってた。

後で気づくんだが、コイツのお陰で僕は
自分を維持できたところがあった。


劣等感の塊だった僕が
弟と一緒にスイミングに通い始め、
一緒に公文式を習い始め、
一緒に習字教室に通い、
学校から帰ったら友達よりも弟と遊んでいた。


留守番が寂しくてもコイツがいるお陰で
母を困らせなくても良かった。
コイツと一緒だったから、
番犬が怖い家にも回覧板を持って行けた。
どこにでもいるような仲のいい兄弟だった。
随分と助けてもらった。


なのに、僕は弟に何もしてやってなかった。
大人になって、いとこや友人や友人の兄弟に
してやれることも弟にはしてやれなかった。
それはとても悔やまれる。
大学進学や就職活動や、社会に出てからも
何一つしてやっていない。
だから、僕の生徒が兄弟や姉妹に
誕生日プレゼントを買ってやっているのを見ると
羨ましく思いながらみていたりする。

病んでいるときも積極的に関わってやれなかった。


毎朝、ウォーキングで歩くコースは、
隣町の小学生の頃から高校生まで家族で
過ごした家が残る上野芝向ヶ丘町。
守屋池の周りも歩く。
様子が随分変わってしまっているけど、
変わらないところもあって、幼い頃の
夏の夕方、母と弟と散歩した道を歩く。


以前住んでいた家の斜め向かいに、
同級生で石鹸屋の社長が住んでいる。
去年再開して、小学生当時はそんなに
仲良くなかったのに、今はかなり好意的に
お付き合いをさせてもらっている。
別に仕事で絡むことなんてない。
ただ、会って、食事して、会話して
毎日せっせと生活するためのちょっとした
ヒントをお互いに与え合ったりしている感じ。


近所のスーパーでキャベツが安かったりして
母もこんな感じでこのスーパーを使っていたなぁとか
西日の厳しいキッチンで夕食の準備をしていると、
西側の窓に簾をつけるのに四苦八苦している
母の様子を急に思い出したりしている。


きっと毎日に気持ち的に余裕が出てきたんだろう。
そして、体力的にも能力的にも、自分自身が
どれほどのものか、なんとなく見えてきている。
これからどこまで成長できるか?って考える。


個人塾のまま、今の規模を維持しながら
経営効率を上げる方向で工夫しようか?
拡大方針を貫こうか?
今までの自分だったら、これからこういう局面になると
こんな感じで手を打つだろうなって思う。
そしたら、もう若くないし失敗もしにくいから
すぐにダメになってしまうだろうなとか思う。


そして、ちょっと前にすでに決めている。
僕は僕らしく塾を成長させていこうと。

京都への遠足は思いついたときから、
「だから京都へ行くんだよな。」って納得してた。


昨日は、今日の準備をして
高校時代の同級生がやっている
居酒屋にお邪魔した。
とても感じよいお店で、
彼女らしい立ち居振る舞いで、
すごく立派にやっていて、
店の端っこに陣取りながら、
自分自身の後姿から店全体を
見渡すような気持ちで見とれていた。


そして、僕らしく成長させようと、
決意を固めたようなもんだった。


アホな父はおいといて、
老いた母にもしてやりたいことがある。
弟のお墓にもい今まで以上に行ってやりたい。
自分自身を労わることも考えて、
会社と自分自身を成長させる力を
身につけようと思う。

何をするべきかは分かっている。

もっと早くそれに気づいていれば、
救える命があったかもしれない。
もっと早くそれに気づいていれば、
合格させてあげられる学校のレベルが
1ランク上がったかもしれない。


今の僕の力があれば、あの当時の生徒達は・・・
そんなことを思いながら、手書き広告に力が入る。
そのときに、教え子が急に訪ねてくるなんてのは
単なる偶然じゃないよな。これもらしさだと思っている。


こうした後悔の仕方や人との関わり方も
周囲に納得行かない人がいたりするうんだろうけど、
そんなことに気を遣って胃を痛くするのも
そろそろやめにしたい。


僕らしくやって生きたいと思う。
そして、みんなが自分らしさと
幸せに出逢って享受してもらいたい。


母は今年の車検で弟の車を手放した。
「大事に乗ってやりたいんよ。」
なんて言ってたのに何かが変わったようだ。
でも、夢に出てきたって話をしてたら
やっぱり未だに涙している。
母らしいなって思う。


そうだ、来週は四条畷に行く用事がある。
僕はお酒が飲めないのだけど、
今日はスーパーでコーラが安かったので、
24本入りのダンボールを買った。
来週、それを持っていこう。
僕らしさだ。


辛いときも、嬉しいときも、腹立つときも
ずっとそれと付き合っていくのだ。
雨が降っても楽しめると思う。


あ、そうそう。
島先生、
お誕生日おめでとう。
それに、いつもありがとう。
とても感謝しています。



2011年06月06日

続・サンミー愛好家

昨日、高1の生徒がいきなり写メを送ってきてくれた。
「これ知ってる?」
写真の中身は見たことのないサンミー。
ということで、早速「知らん。買ってきて!」
とたのんだ。

10分もしないうちに事務所に現れて、
「はい。また感想聞かせてな。」
とサンミーを置いて、あっという間に去っていった。
↓それがコレ↓
塩キャラメルサンミー


昨日はいそがしくて食べられなかった。
今日もたぶん、食べられないと思う。
明日食べるよ。
僕がサンミーを好きだということ、
しっかり覚えていてくれてありがとう。

ちなみに、前回「サンミー愛好家」という
記事を書いて以降に発売されていて
購入済みのサンミーは以下の通り。

↓宇治茶サンミー↓
宇治茶サンミー


↓北海道チーズケーキサンミー↓
北海道チーズケーキサンミー

これからもいろんなサンミーに期待している。



graffiti2004 at 22:43|PermalinkComments(1)TrackBack(0)モノ好き | 日々

2011年05月21日

目をつぶっても眠れなくて思い出したこと

小学校の2年生のとき、
僕の弟が半年以上の入院生活を終えて
家族五人(祖母と父母)での生活が
再開し始めた頃だった。

弟と同じ部屋だった僕は
夜になると二人そろって布団を敷いて
同じ時間に同じように電気を消して寝る。
目をつぶって話をしながら、
時々、ウチの前を通る車を数えたりして
知らない間に眠ってしまっていた。

髄膜炎で入院中に記憶がなくなっていたと
母親に聞かされていたもんだから、
くだらないことを聞きたくなる。
「にゅういんちゅうって記おくあった?」から始まり、
「しぬと思った?」
「さびしかった?」とか。

だいたい弟は笑いながら
テキトーに答えていた。

話が盛り上がってくると
母親が部屋の引き戸を開けて
「早く寝なさい」と言いに来る。
兄弟が仲良く話しているのを
ほほえましく思っていたんだろう。
いつも笑顔だった気がする。
いや、笑顔しか思い出せないんだろう。

考えてみたら、このころ、
母親も弟も良い遊び相手だった。

友人の子ども、スタッフの子ども、
ウチの塾生を見ていて、
親の気持ちがなんとなくわかるような
そんな年齢になってきたんだろう。
親には心配かけさせたくないなって思う。

塾の授業が終わってから、
生徒が玄関から「さようなら」って言って帰る時、
「気ぃつけてな。」と言って送り出す。
車に跳ねられるなよ。
知らない人についていくなよ。
襲われたりしないでくれよ。
本気でそんな心配をしながら送り出す。

普段は生徒とは真剣勝負で、
ガンガンに攻めるモードで授業をする。
ふとしたときに、教室や廊下で
生徒たちが楽しそうにしていると
妙に嬉しくなることがある。
どうでもいい話で講師と盛り上がっている時も
嬉しくなって、来てくれてありがとうって思う。

さて、昨日健康診断の結果が返ってきた。
結果は3項目良くないところがあり、
その部分の説明と精密検査を勧めるという
内容の文書がついていて、紹介状もはさんであった。

「やれやれ、またか。」という気分だ。
ちょっと落ちこんだりしていた。
2005年にも「白血病の可能性あり。」
ということで、血液専門の病院を紹介された。
その時は肝臓が炎症をおこしていただけだった。

それでも、「白血病かも」と言われてから
検査結果が出るまでというもの、
いろんなことを考えた。
今回もいろんなことを考えるだろうか?

そして今日、偶然にも僕の保険の面倒を
見てくれている人と合うことがあった。
また、試験前ということもあり、
今年卒塾した高1の生徒たちが自習に来た。
授業が終わる頃には高3の生徒も来た。
メンツがメンツだっただけに偶然にしては
でき過ぎているよなって思った。

やっぱり、どうでもいいことを
いろいろと考えてしまうくらいなら、
毎日を精一杯生きないといけないね。

今、住んでいる家は、
当時の家とJRをはさんでちょうど
対称の位置にある。
今は弟もいないし、母も一緒には住んでいない。
入り組んでいる袋小路だから車の音すら聞こえない。

遅くに送られてくるメールに返信するとき
その子を気遣い、「はよ、寝ぇや。」と
添えて送るときがある。
そんなことをしているのを知ってか知らずか、
過保護な母親は今も離れたところで、
親不孝な我が子を思いながらも
「早く寝なさい。」って思ってるだろうな。

明日もがんばろう。
大好きな仕事が精一杯できるのだから。



2011年04月26日

いろんなことを考える

土曜日に夕方から「はせ川」に行ってきた。
石鹸屋の社長と、親友を会わせるためだ。
親友はここ10年間、大きな企業で総務、
人事の仕事をしていて、
人と会社を育てるプロフェッショナルだ。

石鹸屋の社長は僕の同級生。
小学校の1〜4年生まで同じクラスだった。
去年、二十数年ぶりに再開した。
八十数年の歴史ある会社の経営者だ。
売り上げがウチの50倍以上
社員数がウチの30倍
同い年なのにすごいと思う。

僕とその社長は親友から賃金テーブルの作り方、
法律問題、能力主義と実力主義の違いなど
細かいことを教えてもらった。
そして、そんなことよりもすべては会社の
経営理念が大切だということを聞かされる。

ここ数日、中3生と面談を行っている。
第一回目の志望校調査も含めて
いろんな話を聞いている。
以前ツイートしたが「志望校=行ける学校」
ではなく、ウチの塾で受験勉強するってことは、
「受験する頃には自分を最高の状態で、
 一番良い実力を発揮できるように
 自分自身を育てていくこと」だと伝えている。
その上で、志を高く持つことの大切さを
教えなくてはならない。
人は志の高さに向けて成長する。
会社も理念の高さで成長する。

手元に出展のわからないメモがある。
それによると、
売上げ〜2.5億円=理念がある47%
売上げ〜10億円=理念がある57%
売上げ〜30億円=理念がある70%
売上げ30億円〜=理念がある76%
となっている。

会社は理念と業績が繋がっていると言えるかもしれない。
では、人なら志と実力が繋がるのだろう。

毎年4月に「生徒・保護者の皆様の声」
という冊子を作っている。
今年度分ももうすぐ出来上がる。
この冊子は、受験が終わり結果を手にした
生徒・保護者の方に、卒塾にあたって
一言残してくださいって伝えて書いてもらっているもの。

手書きで書いてもらった原稿を、
冊子を作るためにパチパチと打ち込みながら
僕はこみ上げてくるものを抑えるのが大変だ。

「悔いの無い1年でした。」
「先生の気持ちが伝わってきました。」

こちらが期待したことを生徒たちは叶えようと
一生懸命にがんばってくれる。
それだけで僕たちは自分たちの存在意義を
確かなものにできるのだ。

もっと多くの生徒や保護者に貢献しよう。
それがスタッフ全員の喜びや幸せに結びつけたい。
同時に、成長しない生徒やスタッフにも
成長を促せるよう、僕自身が意識を持とう。
きっと出来るはずだ。

今年度が始まりもうすぐ1ヶ月。
運営方針会議でも言ったが、
今年は何としてでも変化をもたらしたい。
そんためにゴールデンウィークまでに
今やっていることを仕上げよう。
旗を立てることはできた。

さて、そろそろ寝るか。
お誕生日、おめでとう。
今年もいっぱい成長しようね。



graffiti2004 at 03:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ウチの塾 | 日々

2011年04月05日

塾がつくった卒塾証書

2010年度が3月24日の中3生の
合格発表を以って終わった。
そして、春期講習会が昨日終わった。
随分と疲れが溜まっているのか、
気候のせいか、ちょっと体調を崩しているようだ。
花粉症かな?

・・・卒業祝賀会が終わってから数日後
生徒3人がコレを持ってきてくれた。

メッセージボード

一生懸命に作ってくれたんだなぁと
しみじみと感動していた。

2005年度の卒業生は
全員が手紙を書いてくれた。
2006年度からは
色紙にメッセージを書いて残してくれた。
今年はどうしても、今までとは
違ったものを残したかったのだそうだ。

今年は僕自身確かに成長した部分があり、
また、出来ないことをしっかりと認識した年でもある。
また、大切にしたいものとしっかりと向き合えた年になった。
毎年、同じような時期に大きな失敗をしてしまうんだが、
今年はその失敗をしなかった。
このことだけでもかなりの収穫だと思っている。

今年は卒業祝賀会で
「卒塾証書」なるものを渡した。
塾を卒業したところで
何か資格が得られるわけではない。
言ってしまえば、ただの紙くずだ。
もらって嬉しいかどうかなんて冷静に考えたくない。
けど、渡したかった。

将来、この証書を持っていることを誇りに思って欲しい。
そのためには、塾がすばらしいものにならなければいけない。
KGCが大きく成長して、そこの卒業生が社会にでて活躍する。
「今、こうやって活躍できるのはKGCのおかげです。」
って心のどこかで思ってもらえるように指導したい。

塾がつぶれてしまえば、ただの思い出にしかならない。
この卒塾証書を価値あるものに出来るかどうかは、
今後の塾の成長次第だというわけだ。

中3の生徒に渡す卒塾証書。
その年齢までに出来るようになって欲しいことを
しっかりと伝えられる塾になりたい。

このメッセージボードを作ろうと思ってくれたこと、
そして、中心になって作ってくれた子達、
渡すタイミングを考えて、驚かせようと考えてくれたこと、
すべての心遣いが嬉しいよ。
その気持ちを忘れないで欲しい。
僕も見るたびに、君らとの心の通った
やり取りを思い出すだろう。

君たちの先生になれてよかった。
生徒でいてくれてありがとう。



graffiti2004 at 23:19|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ウチの塾 | 教育的

2011年04月01日

攻強皇國機甲

主なものをまとめてみた。

◆グレートありがとウサギ


◆ハイパーおはよウナギ


◆ソニックただいマンボウ


◆スーパーさよなライオン


◆真こんばんワニ


◆アルティメットおやすみなサイ


◆グレートこんばんワニ


◆キングさよなライオン


「攻強皇國機甲 AC戦隊ポポポンジャー 」
というらしい。

「攻強皇國機甲」という当て字もすばらしいね。
ちょっと右がかっていて、
しかも何かストーリーができそうだ。


graffiti2004 at 19:34|PermalinkComments(5)TrackBack(0)日々 

2011年03月23日

人との関係の集大成は別れの時に表現されるものだと思う。

19日(土)に2010年度の指導が終わり、
20日は1月3日ぶりの休み。
中3生対象の21日は卒業祝賀会だった。
祝賀会は今年初めてホテルを借りてのイベントをした。
企画担当で司会をしてくれた講師が、
今回の震災のことにも触れてくれた。
卒業の儀式に参加してくれた事務スタッフも
そのことに触れてくれた。
ほとんどのスタッフが、会の趣旨をよく理解してくれており、
最後の授業も授業らしく、学ぶところが多かったように思う。

ウチの祝賀会では「最後の授業」というのをやっていて、
簡単に言うと、「これが最後に君たちに伝えられることですよ。」
という話をする。最後だけにどの講師も一生懸命に考えてきてくれている。
僕から見て、「どの講師が一番生徒のことを考えてくれていたか?」
よくわかる機会でもある。それは話の内容もさることながら、
どれだけ共感して涙する生徒がいるかでわかる。

今までの祝賀会でも、生徒ではなく
僕のほうがこみ上げてくるものを抑えられなくて涙することがあった。
別れの儀式としては、本当にすばらしい機会だと思う。

人との関係の集大成は別れの時に表現されるものだと思う。
友達関係にしろ、師弟関係にしろ、恋愛関係にしろ
相手の幸せを考えて気持ちを注ぐことはとても難しい。
特に恋愛関係の別れは未熟な人ほど醜いものになる。

今日(21日)は春期講習会前最後のオフの日で、
そんな儀式の余韻に包まれながら
午前中はメールや読書をしてベッドの中で
まどろんで過ごしていた。
昼食を作り、掃除をして昼からは医者に見てもらいに行った。

友人に紹介してもらった医者だが、
実は院長の娘と幼稚園が一緒で、
当時はよくお互いのウチを行き来していたものだった。
姉のほうの名前を覚えていたけど、
妹のほうは思い出せなかった。
今、どんなにキレイになっているのかと
そう思えるくらい可愛らしい子だった。

久々にバイクを走らせてみた。
寒い時期に随分と乗っていなかったから
バッテリーが心配だったけど元気いっぱいで走ってきた。
買い物やらを済ませて日が暮れだすと
さすがにバイクはまだ寒い。
家に帰って、久々に近所の店で夕食を取ろうとするが、
なぜかお休みしていてアテが外れる。
そして、生徒の保護者がやっている店に行くことに。
「鰻巻き」がめちゃくちゃおいしいお店だ。

スタバでコーヒーを買ってから帰宅。
テレビを見ながらパソコンを見ていた。

プロ野球が開幕するらしい。
都知事選も行われるらしい。
プロ野球、セリーグはナイターを実施するらしい。
ACのテレビCMにクレームをつけたヤツがいるらしい。
何をしているんだろう?と思う。

統一地方選は延期するべきであろう。
プロ野球も「被災地の人たちを元気に」とか
思っているのかもしれないけど、
選手や監督がそう思うのならそれは良いだろう。
自分の生活のためだけじゃなく、夢を与え、
元気にするのはプロとしての仕事として納得できる。
選手たちが「試合をさせてくれ」
運営側が「今はそんな時期じゃない。」というならまだ良い。

先日、目の前のことを精一杯がんばろう。
それが被災された方たちのことを想うことにつながるように
しっかりとできることを考えようということを言った。
twitterを見ていても僕がフォローしている人たちは
常にそのことを考えているように思う。すばらしいと思う。

国が大洋に浮かぶ「日本丸」だとしたら、
政治家はしっかりと舵取りをする人たちだ。
そんなふうに公民の授業で教えている。
その日本丸の半分ほどが炎上している状態だ。
みんなでバケツリレーをしてでも、
とにかく火を消さないといけないのが今の日本だ。

みんなでバケツリレーに並んで、
少しでも水をこぼさずに、スピードを上げて
鎮火に取り組まないといけないときに、

「僕らがいるところは火が出ていません。
 安全なところでみんなを元気にするために応援しています。」

統一地方選をすることや、
今、節電するために輪番停電しているところで
ナイター中継をするのは、たとえば
こんな感じだろうか?誰が喜ぶんだ?

そんなこと思いながらテレビのニュースを見ながら
パソコンをいじっていると、facebookのリンクで
面白のを見つけた。
↓コレだ。



これを紹介していた人物は最近、
twitterやfacebookの記事が面白く、
個人的にはとても成長している様子が伺える
頼もしい塾長仲間なんだけど・・・

僕が気にするほどのことでもないが・・・
島先生、ちゃんと仕事してるんか?w



graffiti2004 at 03:27|PermalinkComments(6)TrackBack(0)日々 | 教育的

2011年03月14日

いつものようにひたむきに

今日、私立専願で受験が終わった生徒が一人自習に来た。

「おっ、どうしてん?」、

「テレビを見られへんから(番組が全部被災地の情報なので)
 塾来て勉強しようって思ってん。」

私立専願の生徒の多くはとっくに塾をやめて、
遊びまわっていいるらしい。
学校の授業も出てこずに、出てきてもおしゃべりをしてて
授業に参加しない(特にウチの塾の地元は荒れているらしいので)。
そんな環境で、公立高校の後期入試の生徒は
1ヶ月も勉強しなければいけない。
中学生にとっては過酷な環境だと思う。

まだ受験勉強を続けないといけない友達がいる横で
遊びに行く相談をしたり、約束をしたりすることを
不謹慎だと思う感覚はまだこの年齢には無いのかもしれない。
もちろん、どの生徒もバカじゃないから話せばわかる。

今日来た彼女は、学校のそんな雰囲気に馴染めず、
また、友達同士で遊びに行く気にもなれないので、
あまり遊びに出歩いていないらしい。

今日は塾に来て、高校から出されている宿題をしていた。
他の用事もあったらしいのだが、とにかく
受験勉強をしていたときのように
英語の質問をしながらカリカリとやっていた。

僕が自分のデスクで仕事をしていて、
その後ろの自習スペースで彼女がカリカリとやっている。
質問を受けやすいように僕のデスクの後ろは
人が一人通れるスペースを空けて、
75センチ四方の自習デスクが6席並んでいる。
自習生と僕は背を向けて座ることになる。
「先生ぃ〜。」と呼びかけて振り返る。
質問を受けた後で雑談をしている時に今回の地震の話になった。

「どうしたらいいかわからない。」
「何かできることがないか?」

いろんな人とこんなやり取りをした。
「かばんに懐中電灯と電池を詰めて
 群馬まで行って来ようか?」
と電話で話した塾長もいた。

でも、結局何もできない。
僕は昨日から生徒にこう言っている。

「自分の目の前にあることに、誠実に
 一生懸命に取り組むこと。それが一番だ。」

今は浮かれて遊びまわるのは不謹慎だ。
そんな話をしながら、
そもそも、ヒマだったら遊んで良いってことには
ならないじゃないかって聞いてみる。

自分に与えられたことを一生懸命するだけだ。
僕なら、あと3日後に控えた受験に向けて
一人の不合格者も出さないように指導に打ち込むことだ。
みんなそれぞれが「使命」を持っている。
「使命」とは命を使うと書く。

受験の前に自分を最高に高めようと
ひたすら目の前の問題をこなしていく。
わからないところを教えてもらいに質問に来る。
真剣な眼差しで質問を聞いてくれていたり、
できの悪さに落ち込んで涙を流したり、
わかったときの嬉しそうな表情など
そのひとつひとつの行動が、
周囲で支えている人たちを清々しい気持ちにさせてくれる。
受験の合否の結果を聞くときなどは、
自分のことのように嬉しくなるし、
自分のこと以上に悲しくて涙を流すこともある。

スポーツなんかで活躍できる、
ごく一部の人たちだけじゃなく、
毎日を丁寧に妥協せず、
一生懸命に努力の成果を
積み重ねていくことが周囲の人を
幸せにさせることができる。

そして、努力の過程で身につけた
優しさや謙虚さ、惻隠の情をもって
困っている人や悲しんでいる人に
思いを寄せることができればいいと思う。

僕たちは様々な人との関わりがあって、
生きていくことができる。
その関わりの延長には、
今、困っている人や、悲しんでいる人、
耐えている人や頑張っている人などが
たくさんいるってことを忘れてはいけない。

昨日の菅総理大臣の国民に向けたメッセージ、
僕にはとても力強く感じた。
これから復興に向けてみんな立ち上がらなければいけない。
それは、自分たちの目の前のことに
しっかりと向き合うことからしか始まらないはずだ。
だから、うかれることなく、自惚れることなく
自分に与えられたことに一生懸命に向き合えばいい。

マナミ、勉強しに来たことはナイスだよ。



2011年03月05日

卑怯な振舞をしてはなりませぬ

僕がフォローしているツイッターや
facebookでここ数日流れている話題は
専ら京大受験のカンニングだ。

ウチの塾ではカンニングは講師の責任であるとしている。
今回の件で照らし合わせるとしたら、
試験を実施してる大学とその試験監督に当たるだろう。

ただ、今回はカンニングをしたのはいい年をした学生。
話は次元を超えて無条件に本人が悪いのだ。
それだけに、後藤先生が言うように
メディアやらが思ったよりも擁護しているように見えるのが
不思議でしょうがない。笑える。

ウチの塾のことを少し書いてみたい。
ちなみに、ウチのテストはもちろん
プレイスメントと呼ばれるような実力判定のテストではなく、
授業中に行う、到達度を測り、
学習を促進させるという目的のテストだ。

ウチの塾で、カンニングが問題になるのは
主に中学生だ。仕事が巧妙になる。
そして、そもそもこの行為はテストで良い点を
取りたいというよりも、スリルを楽しんだり、
ダメだとわかっていることをやってみたいと
いう中学生特有の遊びの延長なのだ。

だからカンニングをして
合格できないように何重にも網を張る。
結局テストを受けて合格する生徒は
きちんと実力が身について合格する。

カンニングをさせるのは講師が悪い。
ウチの講師には授業を通してどの生徒に、
どれほどの実力が身についているかを
把握するように伝えている。
そして、未理解の部分がある生徒や
点数を取れていない生徒がいれば、
必ず、授業についていけるようになるよう
補習することを求めている。

生徒が悪い点を取るのは、講師が取らせているのだ。
例えば定期テスト。
対策授業を行い、予想問題まで作らせている。
予想問題で点数が取れなかった生徒は
きっと本番のテストでも良い点が取れないだろう。
そのことがわかっていながら、手を打たないのは
講師の怠慢だ。僕はそうやって良くない点をとってしまう
生徒を放置しておく講師を見ると保護者に申し訳なく思う。

ただ、たいていの生徒は予想問題の点数が悪かったとき、
生徒自身が「もう少しトレーニングするプリントを下さい。」
と言いにくる。みんな自分の点数を伸ばそうと一生懸命だ。

講師も自分の作ったテストを担当している生徒に
やらせる場合、頭の中では
「コイツは○○点くらいは取るだろう。」
「この生徒はこの問題で間違うだろう。」
と、問題を作るときにシュミレーションする。
それよりも点数が上回っていれば生徒は良くがんばっているだろうし、
問題が悪くなければ、概ねその講師は勤勉といえる。
点数が下回っていれば、講師は生徒を買いかぶりすぎている。

そして、そんなやり取りを生徒としていくうちに
信頼関係ができていく。テストで悪い点を取ってしまえば、
そうなることに気づいてやれなくてごめんって思う。
よく点を取ってきてくれたらすごいな、ありがとう。って思う。
授業中に、講義や、テスト、宿題を通して信頼関係を
温めあえるってこと、なかなか実感しにくい。
けど、そうやってウチの生徒はがんばる事の尊さや知ったり、
自分で自分を成長させる方法を身につけていくのだと思う。

僕は授業中(主に社会)に会津藩日新館の
「什の掟」を教える。その中の
「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」はとても大事だ。
惻隠の情というものがあり、社会に出るにあたって
この目線を忘れないで「力」を身につけていってもらいたいし、
身につけた「力」を発揮してもらいたいと思っている。

そして、什の掟の最後に締めくくられている
「ならぬことはならぬものです」という一言。
世の中理屈で割り切れることばかりではなく、
理不尽なこともたくさんある。
そのことに負けずに自分を磨き上げていって欲しいと思う。

カンニングをすることって技術も必要だし、
そのことにかけるエネルギーってなかなかのものだと思う。
ただ、卑怯なことをしているという点で全面的に
している本人が悪いし、同じ土俵で正々堂々と
戦おうとしている全受験生に対してその卑怯なことが
まかり通るような舞台を用意している側もとても悪い。
そのことに対する決着を警察や法律につけてもらおうとするのも
気に入らないし、擁護するような報道になっているのは笑える。
京大に入ろうとするようなヤツがしようとしたのも残念だな。

卑怯なことはしてはいけないのだ。



graffiti2004 at 10:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ウチの塾 | 教育的

2011年03月03日

踏み出す勇気 信じる力

久々の投稿の今日は、
大阪府公立高校前期入試の発表の日。

2時過ぎから発表の結果を知らせに
生徒から電話がかかってくる。
「おめでとう!」と喜べる生徒もいれば、
そうじゃない生徒もいる。

今日で入試が終わる生徒もいれば、
まだ、受験勉強を続ける生徒もいる。
これが人生初めての挫折になる生徒もいるだろう。

僕は毎年受験生を見ていて、
その一つ一つの喜びや悲しみが
しっかりと自分たちの糧になることを知っているから、
「大丈夫、これくらい大したことじゃない。」
心の中では思っている。
自信を持って今の時間を大切にしてもらいたい。
うれしいなら存分に喜んで欲しい。
悲しいならしっかりとその悲しみに浸って欲しい。

その悲しみは報われなかった努力に対してかもしれない。
真面目に取り組めなかった未熟さに対してかもしれない。

いずれにしても次につながる価値あることだ。
そのことを「価値あること」だと認識する能力も
享受する感性も、僕の授業を受けながら身につけてきたはず。
だから僕は生徒たちが卒業するときには
自信を持って「いってらっしゃい。」と
言ってあげられる。

大阪府公立高校後期入試まであと2週間。
どんなに悲しくても、苦しくても明日からは
また勉強するのだ。
立ち止まっているわけにlはいかない。

今、目の前のことに一生懸命に取り組むことが
自分自身の成長はもちろん、
多くの人の幸せにつながっている。
そのことをわからせるために時間をかけて語りかける。
一人ひとりに「大丈夫、信じてがんばろう」と。
それは、もっと伸びるんだという自分自身を信じる力。
僕をはじめとする講師を信じる力。

勇気と覚悟を持ってしっかりと駆け抜けよう。
残された時間はあとわずか。
「やらなければよかった」というより
「やっておけばよかった」という後悔のほうが何倍も辛いから。
明日も元気に塾においで。



2011年01月24日

PEN Osaka新年会と最後の対策授業

今日は朝からPEN Osakaの新年会。
心斎橋OPAの11階の「梅の花」
食べて、飲んで、親睦を深めるのだが、
さすがにこの時期に昼間から飲む先生はいない。
さすがにその辺りは皆プロだ。

僕の席の周囲の話題は主に、
最近終わった中学受験で盛り上がった。
第一志望が不合格で、
押さえの学校を受けていなくて、
行くところがなくなった場合、
一人だけ別日程で受験することができる
塾の力でそんなことも可能だ。

清風、明星、桃山、上宮の力関係、
来年度のランキングはどうなっているとか、
塾の先生の中でもレベルの認識が全然違う。

とある学校に特待生で合格したからと
喜んで行かせたら、その姉が通っていた
府下トップの女子校にかかった費用と
ほぼ同じだった。
何にそんなにお金がかかっているのか?

その学校は前期、後期で使用する
教材が家に送られてくる。
学校で買って帰るようにしないのは、
持って帰れる量じゃないから。
ダンボール2箱が半年ごとに届くらしい。
そんな話を沢山しながら
あっという間に時間が過ぎる。

会が終わってからアップ学習会の社長と
来週に食事に行くアポを取る。

その後は、6人の塾長とコーヒーを飲みに
日航ホテルに移動する。
ここでは労務管理の話が中心だったが、
両方の席で共通していたのが
iPadやfacebookなどの最先端のものを
いかに使いこなすか?という視点を
常に持ち続けていることだ。

去年の1年間は財務内容を良くすることを
第一に考えていたので、節約癖がしみつている。
いつもだったらiPadは出た瞬間に買っていただろう。
塾の講師には、学校の先生よりも
世間を先読みする能力が必要だ。

塾に戻ってからは、小学生の授業と
中3生の卒業テスト対策。
中3生にする定期テスト対策はコレが最後だ。

早い生徒は小4から通っている。
もうすぐこの学年との付き合いも
終わるんだろうとか考え始めたとき、
みんなの身長がとても伸びてることに
改めて驚かされる。

今日は仕上げテストを作ってみた。
まだまだできが悪い。
もっと成績を伸ばしてやれたんじゃないか?
って思う。この学年には、小6の時に
「トップ校を狙える実力があるよ」
と伝えた生徒がいる。

残念ながら彼女の受験校はトップ校ではない。
けど、実力的にはまちがいなく
トップ校に入れていただろう。
もしかしたら、僕以外の優秀な先生が
教えていたら、トップ校を受験できていたかしれない。
あの時、ああしていれば、こうしていれば・・・
たらればを言い出したらキリがないが、
自分自身としては悔やまれるところだ。

当の本人たちにとっては
割と大きな問題じゃなくて、
制服がかわいいとか、
誰がいる学校だとか
そんな事に心奪われたりするもんなんだけどね。

ただ、入試だけにはこうした後悔は
しないで済むように精一杯向き合いたいと思う。

graffiti2004 at 23:12|PermalinkComments(2)TrackBack(0)日々 | 塾の輪

2011年01月03日

Appleと任天堂

中3の英語の授業で
「日本の輸出品は自動車、アニメ、テレビゲームだ。」
という内容の長文を読んだ。

残念ながら最近はゲーム市場での
日本のシェアは30%程にまで
下がってきているらしい。
10年前に比べると市場自体は
二倍に広がっているらしい。

数年前にDSを購入した時、
何で今頃こんな物が売れるのか?
と不思議でしょうがなかった。
Wiiにしても新しい技術なんて
何も使っていない。
友人との会話の中で、
「材料代差し引いたら
めちゃくちゃ儲かってるぞ!」
という話をしていた。

その後の読んだ本に
「スペック至上主義に終止符」
などと書かれていて、
また、枯れた技術の水平思考という考え方を知って、
「なるほど、塾はこっちの発想だな」と思った。
Appleとはまるで発想が違うのだ。

DSは新しい物が発売されると
僕は購入するだろう。
今やDSのない家庭の生徒を探すのは
難しいだろう。

iPodやiPhone、iPadの普及率も
かなりすごい。
時代の波に乗り遅れないようにと
iPadを購入して、ここ数日いじり倒しているが、
ホントにすごいと思う。

昔映画で見たような生活がどんどん
実現していっている感じだ。
デジタルデバイドは確実に
所得格差を生む。

なぜなら、生活の中で感覚として
「こんな世の中になっていくだろうな」
というものが得られないのだから。
僕が中学生の頃、
ギターを一生懸命に練習していたとき、
「こういうコトがしたいんだけど
パソコンってこんなことできるんか?」
と、当時パソコンに詳しかったヤツに聞いたことがある。

そいつは「デジタルとアナログやからそのうち行き詰まる。」
と断言した。そいつは別にギターを弾けるわけじゃ無かった。

そいつの父親はソフト関係の会社を営んでいて
常に最新の何かがそいつの家にはあった。
いま、そいつも世界最先端のテクノロジーを
開発する会社に勤めている。



上は入力中の画面

今もiPadで打っているが
本体が全く熱くならない。すごいね。
もっといじり倒して、
ハイテクの恩恵を受けられるように
使い方を考えていきたい。

そうした姿勢は塾の講師には必要だ。
これから社会に出て行く生徒達に
こんな風になっていくんだろうなって
たくさん感じてもらって、
将来に向けてワクワクしてもらいたいからね。

graffiti2004 at 01:31|PermalinkComments(7)TrackBack(0)モノ好き 

2011年01月01日

A Happy New Year and Happy Birthday!

今日も誰かの誕生日♪
12月27日、30日、31日、そして1月1日の
それぞれの日が塾生誰かの誕生日だ。

そしてこのうちの3人はほぼ同時に
ウチの塾に入ってきていて、
一人は半年ほど遅れて入ってきた。
どの子もとても大切な生徒たちだ。

今年で塾講師を始めて17年目になる。
始めは自分の満足しか頭になかった。
自分がどれだけ教えられたか、
どれほどの給料を手にできるかなど。

それがある時期から「幸福」について考えるようになり、
「幸せになってほしい」と思うようになり、
「幸せにしたい」と思うようになる。今はと言うと、
「幸せになれるよう力をつけてさせたい。」
と思うようになっている。
微妙な違いだが、きっとこんな感じで
変わってきている。

自分の中の大きな転機は
弟が自殺したことだと思う。
あのときの生徒たちは、
僕のことを気遣い、一生懸命に慰め、
励まそうとしながらも、どうしていいかわからず、
わからないまま、事務所の僕のデスクの近くで
僕の代わりに涙を流していたんだった。

僕は弟の命日には必ずブログを書いていた。
今年は書いていないが、
それでも亡くなってから今日まで
一日でも弟のことについて想いを
起こさなかったことはない。
生きてるときは存在を疎ましく思い、
気にしたこともなかったのに不思議だ。

自分に起こる出来事を反芻し、
楽しかったことがあったり、苦しいとき、
悲しいとき、悔しいとき、嬉しいときなどは
「どうだ羨ましいだろ。」とか
「こんな気持ちになったことがあるだろうか?」など、
何かしら弟のことを思うのだ。

自分と同じように、同じ家で暮らしてきたはずが
まるで違う風に育ってしまう。
両親は同じように育てているつもりで、
もちろん、どの家庭の親も、自分の子どもには
幸せになってもらいたいと願いながら
一生懸命に育て、鍛え、慈しみ、
ぶつかり合いながらも愛情を注ぐのだ。

ただ、同じ家で同じように育てていても
年齢が違えば同じ環境とはいかなくなる。
「同じように育てているんですけど。」
と言うけれど実は全然違う。

弟が亡くなった夜、葬儀の連絡をするために
彼の携帯電話をいじってみた。
わずか十人ほどの名前しか登録されていなかった。
連絡は一瞬で終わった。

僕は生徒に言う。
自分の能力を高めようと。
そして、その能力で多くの人の役に立とうと。
そこにいるだけで、場に花が咲くような人になってほしい。
「あなたがいるから私は幸せです。」
と言ってくれる人が多ければ、
その人はとても勇気づけられ、
生きやすくなるだろう。

だから僕は、僕が大切だと思う人には
おもいっきり肩入れすることにしている。
周囲から見てすべてが上手くいっているように
見える人が必ずしも幸せだとは限らない。
そういう点で人が気づかない部分に
自分が力になってあげられるなら、
僕はその人を無条件で全力で応援する。

自分の力を高めて人の幸せに貢献できる。
そして、人が幸せだと思う気持ちを
共有できる人になれることを願っている。

今年も大切な人が、穏やかで幸せな日を
送ることができればいいと思う。
波風が立つような日は
僕が力になれるようにと願っている。

さあ、1年が始まるね。



2010年12月21日

やりたいようにやれるなら

今朝は酢豚に挑戦してみた。
結構上手くいったから、
今日の弁当はかなり満足♪

今日は事務所に行く前に
職安と社会保険事務所に立ち寄る。
そして、ハンコ屋によるなどの雑用を済まして
年末ジャンボ宝くじを買った。

宝くじ、早く当選しないかなぁっ?
だって、使い道は毎日のように
考えていて、あとは本当に当選を待つだけだから。

事務所についたらミーティング。
終わったら届いていたお歳暮のお礼状を書く。
冬期講習会のテキストの作成をしていると
3時前には生徒が自習に集まり始める。

採用面接を1件済まして、
授業の準備をする。
準備の途中で保護者からの電話2件に対応し、
メールの返事を2通書く。
あっという間に時間が過ぎる。

ここ数年は年月が過ぎるスピードが
とても早く、その流れから置いていかれている。
そんな感覚に耐えられず、焦っている自分がいる。

数日前の誕生日にもらったパズル色紙にも
日曜の夜にたずねてきた姉妹からもらった
メッセージにも共通して書かれていたのは
「もうそろそろですね。」ということ。
何のことだかわからないフリをしているけど、
頭の中では”チック・タック”と
時間を刻む時計の音がする。

自分自身では、まだまだ落ち着ける状態じゃない
と思っているから、焦らずに一つひとつ片付けたいと思う。
頭ではそう思っているくせに、
じゃあ、何で焦るんだろうか?
進歩、成長していないことがわかっているからだ。
まったく成長していないわけではない。
ただ、自分が思い描く世界とのギャップに疲れている。

授業が終わってから数人の生徒の相談に乗り、
話をしたかった生徒と少し話をして
生徒全員が帰ってからはテキストの作成をした。
今年のテキストは、もちろん去年よりも進化している。

明日は入塾面談が昼間に2件入っている。
怒涛のように毎日が過ぎる中で、
ちょっとした幸せを感じる瞬間がある。
自分がこうしたいなぁって思うことが
そのとおりになっていたり、
自分がこうなればいいなぁって思うことが
周りの人たちのお陰でうまく進んでいくときだ。

話したいなぁって思っている人と
話をしている時、僕はとても嬉しそうな
幸せな顔をしているらしい。
当たり前か。。。

おこがましいけど、
自分の力をもっと発揮して
より多くの人の力になりたい。
この「やりたいこと」を好きなだけすることが
迷惑にならずに誰かの何かにつながっていることを望んでいる。

パズル色紙



2010年12月20日

iPhoneは防水対応!?7

iPhoneが復活

12月16日、僕の誕生日だというめでたい日に
僕のiPhone 3Gは突然便器にダイブした。

この iPhone は2008年の夏に発売され、
遠く離れた幼馴染がすぐにゲットしたため、
僕も急いで手に入れたんだった。

ウィンドウズユーザーである僕は
ずっと iMacが発売されても
iBookが発売されてもまったく興味なく、
iPod などは「高いだけ」と決めつけ、
ずっと長瀬産業から発売された
3000円ほどのSDカードをさして使う
MP3プレーヤーを使っていた。

携帯は1998年ごろから
パイオニアがJ-PHONEから出していた
全面液晶のものを好んで使っており、
HTCからWindowsモバイルが搭載された
キーボードがスライドで使えるものを
使ってみたが、使い勝手がとても悪かった。

けど、iPhoneを使い始めてから
ちょっとアップル社を見直している。
正直言うと、何でこういう企業が日本にないのか?
と思っているくらいだ。

去年か一昨年だったか、「任天堂」についての
本を読んだことがきっかけで、任天堂とアップル社の
戦略の違いを勉強する機会が増えた。
僕の会社(塾)は任天堂のような想像力と
アップル社のような志の高さを求めていきたいと思っている。

そんな感じで、僕がiPhoneを使い始めてから
随分多くの塾長たちが僕のマネをして
どんどんiPhoneを使い始めた。

僕自身もそろそろ「4」に買い換えようかと思っていたが、
ひょんなことからiPadを購入することに決めたため、
まあ、コレもずっと使っているし、「4」にする必要も
ないかと思い、「3」をもうしばらく使うつもりでいた。

ところが、その「3」がトイレで用を足した後に
いきなり便器の中にダイブしてしまったのだ。
いそいで便器に手を突っ込み、
iPhoneを取り出して、電源を切ろうとした。
けど、画面を触っても全然効かない。
なんとか電源を消す方法はないかと
試行錯誤していたが、画面が次第に
蛍光灯が切れるときのように、
画面がチカチカし始め、とうとうショートして
息を引き取ってしまった。

その消えゆく様子を見ていて、
なんだか切なくなってしまった。

その2日後、どうせダメだろうとおもいつつ、
iPhoneをケーブルでPCにつないでみた。
すると、一瞬電源が入ったのだ。
同期を取り始めたが、途中で電源が落ち、
その日はその後、まったく動かなくなってしまった。

そして今日、ひょっとしてと思い、
PCにつないでいるケーブルを
直接コンセントに挿してみた。
すると、しばらくしてから白いアップルのマークが
浮き上がり、「考え中」マークがグルグル回り始めた。

かなり気になったものの、仕事にでかけるため
iPhoneは放置したまま家を後にした。
そして仕事が終わり、帰宅してすぐに
様子をみに行った。
するとまだ「考中」マークがグルグル回っていた。

「もう、しょうがないか。。。」と思いつつも
もう一度PCにつなげてみる。
するとiTunesが立ち上がり、
「iPhoneを検証中」という表示が出た。
しばらくPCの前でボーっとしていると
とうとうIPhoneは三日三晩のこん睡状態から
目覚めてくれたのだった。

もうお亡くなりになった思っていたため、
かなりうれしかった。

結局「4」は注文してしまったため、
切り替えはするが、しばらくまた
お世話になろうと思っている。
ちょっと前よりもずっとかわいくなってしまった。

ということで、まだチョッパーはやれないね。

 



graffiti2004 at 04:01|PermalinkComments(3)TrackBack(0)モノ好き | 日々

2010年12月16日

Living with LOVE

Living with LOVE

随分寒いな。
もうすぐ夜が明けて明るくなるだろう。
テレビによるとこの冬一番の寒さらしい。

そして今日は僕の誕生日だ。

レストランに入って食事中に
日付が変わった。
12時を過ぎた瞬間から続々と
「おめでとう」のメールが届く。
この人たちにとって、僕は少しでも
役に立てる存在なんだなぁって思う。

最近、仲良くしている人がいる。
お互いのことが気に入っていて、
一緒にいると楽しくて、
お互いがインスパイアされるから
知らない間に引き寄せられるように
自然に会うようになっていた。

学生の頃は、気に入ろうがいるまいが、
無差別に教室に集められる集団の中で
自然と付き合う相手を選んでいくことができる。
けど、社会人になると、自分で意識しなければ
出会いの範囲はかなり限定的になってしまう。

だから常にいろんな人ととのつながりに
感謝したいと思う。
幸い、僕の周囲には志が高く、
自分を高めることや社会に対して
何で貢献できるか?ということを
真面目に考えている人が多く、
素直に思っていることを伝えても
きちんとキャッチしてくれる人が多い。
これはとてもありがたい。

そして、僕自身が以前は自分よりもずっと立派で
尊敬できると思っていた人でも、
何だかわけのわからない負けん気と
根拠のない自信で相手を受け入れにかったのだが、
今は素直に、好きだと言える人が増えたと思う。
そういう意味では、意地を張ったり
駆け引きをするのは苦手なんだからと
自分を再認識しているんだと思う。

自分が自分らしくいるということ。
それを受け入れて欲しいと思うこと。
そんなことを求めて人と接する。
許されたとか、受け入れられたという
感触は心地良い。
正直、忘れかけている感情だ。
自分を再認識して、
「こんな自分だからしょうがないよね。」
「コイツと付き合っていかないといけないんだよね。」
と思うことは随分と生き易くなると思う。

以前なら、相手の感情や満足は関係なく、
自分がこうだと思ったことを相手にぶつけていた。
「好きなんだから付き合ってくれよ。」
「嫌いだから近づかないでくれよ。」
ってそんな感じだろうか。当たり前だけど、
いろんな失敗を繰り返して随分丸くなる。

毎日、小学生~高校生の生徒たちと接していると、
自分の中にさまざまな感情が生まれてくる。
その多くは、「すごい」とか「羨ましい」というもので、
自分の中学生時代や高校生時代をよく思い出す。
この眩しい季節を過ごす生徒たちの成長に
関われることで自分の不遇な時代を克服しようと
していた時期があった。ムリだったけどね。

僕は僕が大切だと思っている人たちに思いっきり
肩入れしたいと思っている。
そして、その人たちは絶対に幸せになってもらいたい。
そういう付き合いができるようになりたいと思う。
そしてそれができるだけの自信が少しずつ
身についてきている感触がある。

もっともっと多くの人に関われる力を持ちたいと思う。
そして、何度もブログで言ってきたことだけど、
そうやって過ごす毎日が、今はとても楽しい。
みんな楽しくなって欲しいと思う。

35歳かぁ、大人としての責任の重さに
ため息がでることもあるけど、
自分でも随分大人になったもんだ。
あと35年生きることにしよう。
そして、その35年はもっと楽しくなるはずだ。

今日もみんなが穏やかで楽しくて、
たくさんの祝福がありますように。



2010年11月11日

PEN Osakakara

今日は朝からPEN Osakaの会合だった。
八尾市にある塾にみんなで集まる。

冬期講習会に向けての取り組みやら
設計などを話し合いながら今後の
運営に対する意見を出し合う。
やはり、同じ地域での話し合いは、
セミナーや研修会に参加するよりも
役に立つものだったように思う。

また、後半はマクミラン・ランゲージハウスの
ELTコンサルタントの方が来られて
教材に対する聞き取りがあった。
大学や語学教室が使っている教材は
こんなのを選んでいるのかぁと
新しい情報を手に入れた。
僕が通っている英会話学院の教材も
取り扱いがあった。

PEN Osakaのメンバーは仲がいいと思う。
将来的にもこの仲良さはいろいろとためになると思う。

会合が終わってからは、
教室に向かって車を走らせる。
昼間に市内を車で走るのは苦手だ。
車が多すぎるしトラックが怖い。

教室に着くと、午前中の保護者面談の
報告を受ける。そして授業の準備。
5時から中1準備講座が始まる。
全6回の無料講座。
新しい生徒が4人いる。
大体全員の学力を把握できたと思うので、
明日から保護者にDTSを実施していきたい。

中1準備講座が終わると
小6の受験クラスと中3生の授業が4コマ。
授業が終わってから卒業生が遊びに来た。
夏休みの終わりごろから数回顔を出している。
留学と原付を買う相談のために時々
顔を出すようになったのだが、
彼女は結局自分で留学先を見つけ、
一人ですべての手続きをしてしまった。
大した子だと思う。

原付も当初はZOOMERを探していたのだが、
「ご近所物語」で意気投合し、
カブを探すようになっていった。
そして、ずっと探していた白のカブを
4万円で見つけてきた。
それを見せに来てくれたのだった。

12時近くに本校を出て北花田の校舎に移動。
そこの責任者と食事をしながら打ち合わせ。
最近は来年度に向けての話し合いが多い。
2時過ぎ帰宅してこうしてブログを書いている。

最近こうしてブログを書く
(といっても日記の域を出ないもので
 特に何かを表現しようとか
 発信しようとか思っているわけではないけど)
意欲が出てきた様に思う。
そのうち、また書きたいことを書けるようになってくると思う。

さて、そろそろ寝るか。
明日も朝から面談だ。



2010年11月10日

Hard worker's days

今日は朝から保護者面談を2件行う。
1件目と2件目の間に時間ができたので、
事務スタッフと久々に時間をかけて話をする。
そして昼食を買いに行くついでに
9月から払うのを忘れていた水道料金の
支払いに行く。

昼食を食べてから
会計事務所と決算の打ち合わせ。
今期の内容は前期よりも随分良くなりそうだ。
いろんなところで努力した甲斐があったと思う。
協力してくれたスタッフにはとても感謝している。
なんとか、賞与でお礼をしたいものだ。

打ち合わせが終わってからは再び保護者面談。
最後の保護者の方は姉を通わせ始めた時から
今年で8年目だ。ウチのどの社員よりも
長くウチの塾のことを知っていてくれる。
それだけに話が長くなる。
今回は本当にいろんな話をした。

面談が終われば北花田の校舎へ移動。
小学生を相手に個別の授業をしてから
高2相手に英文法の授業をする。
この生徒たちはそろそろ来年度の受験に向けて
受験勉強をスタートさせなければいけない。
授業が終わってから一人の生徒としばらく
話し込んでしまった。

みんな毎日楽しく過ごしてくれたらいいと思う。
生徒の人数が増えてくる中で、
指導が薄くなってしまっているかもしれないと
ずっとジレンマを抱えるようになっている。
そんなことで悩んでいる僕を笑い飛ばすかのように
たくましく日々をこなしている生徒たちは
よくやってくれているなぁと感心する。

そんな中でもやはり問題を抱えていて
しんどい生徒がいる。
すべてを把握して的確なアドバイスなんて
なかなかできないけど、それでも
何か力になれることがあるなら、
できることは極力してあげたい。
せっかく僕がいる塾にきているんだからって思う。

多くの人は、今置かれている状況が辛くなると、
目の前の現実を認めずに逃げ出したくなる。

中でも精神的に脆弱な人は
現実の状況から目を背け、
自分を正当化して生きるようになる。
そして、逃げる生き方は自分の心に
どんどん負い目を作っていく。
それを負い目と感じなくなり、いろんなことを
他人や仕組みのせいにして、成長することを止めてしまう。

今日、事務スタッフと話をしていて、
判官贔屓という言葉が出てきた。
中学1年生のとき、
何もしてあげられずに他の生徒たちと
同じように視線を向けていた頃を思い出した。

今は、「大丈夫か?しんどくないか?」
と声をかけてあげられる。
大切な人たちを、大切にする方法を
たくさん学んでいきたいと思う。

生徒との話が終わり、本校に帰って雑務をこなす。
明日から始まる、新中1準備講座のテキストを
昨日製本に出しに行ったので本町までとりに行く。
帰宅して、風呂に入ってひと段落して今にいたる。

さて、明日はPEN Osakaだ。



2010年11月01日

サンミー愛好家

最近ローソンのパンばかり買っている。

リラックマスープマグやら、

ミッフィー絵皿やらの販促品にまんまと乗せられている。

だから、サンミーを随分食べていなかった。

あるとき、グラアベ(マンションの略称)にポスティングに行った帰り、

ファミマに立ち寄ったらコレがあった。

和歌山みかんサンミー

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ、久しぶりやな。」とあいさつをするように

ニコニコしながらこれを手に取りカゴに入れる。

そして、缶コーヒーと一緒にレジに持っていって、

帰宅途中の車の中で味わったのだった。

味はというと、以前味わった

「オレンジヨンミー」と似ていたものの、

サンミーらしい存在感は残っていて、

満足できるものだった。

これからも時々はファミマに寄って、

新しいサンミーを探し続けたい。

ちなみに、↓こんなのもあった。

富良野メロンサンミー

 

 

 

 

 

 

ホワイトサンミー



2010年10月30日

生徒は一度見てほしい

2008年だったか、木下先生の本を買って
スタッフに配ったことがあった。

先日、高校2年生の生徒がアルバイト先で、
レジの仕事をするようになったと聞かせてくれた。
それで思いついた。

YouTubeで検索して見つけた。
懐かしい。




graffiti2004 at 03:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)講師研修 | 教育的

2010年10月03日

ちょっと疲れていて

テンションの上がる曲を
youtubeでさがしていたら、
こんなのが見つかった。



最近のヘヴィーローテーション。


graffiti2004 at 20:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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