2018年10月

2018年10月24日

ビッグ・アイズ(ネタバレあり)

言わずと知れたティム・バートン監督が、実在の画家、マーガレット・キーンにまつわる実話を映画化。
主役のキーン夫妻、マーガレットにエイミー・アダムス、ウォルターをクリストフ・ヴァルツが演じてます。
音楽はもちろん、盟友ダニー・エルフマン。バートン映画はこの人じゃなきゃ始まりません。


私はティム・バートンの初期作品に強く惹かれたタイプですが、ここしばらくの作品は、正直、「う〜ん」と思うものが多かったので、この『ビッグ・アイズ』も、あまり見たいと思わず、保留してました。
『エド・ウッド』のように、ドラマ映画とはいえ、ベラ・ルゴシが出てくるのでたまんないとか、演じてるのがマーチン・ランドーなのでたまんないとかいうような、オタクが惹かれるオタク的な題材でもないですし、地味そうですから。


<あらすじ>
マーガレットは、娘を連れて夫と別居をはじめた。その別居先の町でバツ1の男性で画家のウォルターと出会う。出会ってまもなく、二人は結婚をした。1950年代にウォルター・キーンはマーケティングでアメリカ中の電機店やガソリンスタンドに大きな目を持つ子供の絵を大量に売る会社を設立した。そして、金持ちになったウォルターはアーティストを自称して、トークショーの常連となった。しかし実際には、妻のマーガレット・キーンが絵を一から描き、ウォルターはそれに署名するだけだった。そのため、マーガレットの画家としての能力は社会に知られることがなかった。そんな中、2人の結婚生活は破綻してしまう。これをきっかけにマーガレットは大きな目を持つ子供を描いたのは自分だと世間に公表しようとしたため、ウォルターから「気が狂っている」と罵られる。最終的に2人の争いは法廷に持ち込まれることとなった。
(Wikipediaより)



肝心のマーガレットが描く絵『ビッグ・アイズ』は実際に50年代のポップカルチャーシーンでヒットした作品で、バートン監督自身も大ファンだということです。

この目玉だけが異様にでっかい絵は、あたりまえに「女の子の記号が目のでっかい絵」だけになっている今の日本人にとっては、あまり異様に見えないかもしれません。
町中に、こんな絵ばかりが溢れ、世界名作ものの本の表紙までがオタク系美少女になってしまい、マネキンまでがデカ目になっている日本は、やっぱりかなりおかしいと私は思います。
現在の美少女絵のハシリ世代としては、美少女記号を否定するわけではないのですが、ああいうのは多種多様な中にあってこそ、魅力を発揮するものだと思うので、なんでもかんでも全部ソレ、マネキンもペコちゃんも美少女化、という今の日本は、かなり気持ち悪いです。
子供がいると、子供の本をたくさん見るのですが、どれもこれも表紙が美少女絵で個性がなくて一緒、というのは、かなり異様です。

劇中でも
こんな絵を大の大人の男が描いていて、小児性愛趣味じゃないと思われるにはどうすればいい?
てな台詞があるように、当時のアートシーンというか、割と今でも、欧米では大の大人の男がこんな絵描いてたらロリコンかと思われるのが普通です、変ですから。

というか、日本人から見ても、目がでっかいのには拒否感ないかもしれませんが、目以外がリアルなので、そこそこ異様だと思います。
まもなく公開予定の『銃夢』のアメリカ実写版で感じた、あの異様さです。

絵自体は、どこか影をおびていて、いかにも昔のバートンが好みそうなものですし、魅力的なので個人的にも好きですけれどね、飾ろうとは思いませんけど。


さて、初期のバートン作品に惹かれた人は、もれなく
性格がモロに表れたような、ひねくれた暗いトーン
に魅力を感じていたと思うのですが、近年のバートン作品は
スッキリ明るい
ので、初期のバートンが好きだった人には
期待するものはコレじゃない感
があって『う〜ん』となるのです。

バートンは、私生活が強く映画に出る作家で、鬱屈したフラストレーションをそのまま映画に反映するような人でした。
初期の作品では、モロに私生活の浮き沈みがそのまま映画に出ていたぐらいです。
なので、ファンはみんな
「バートンは不幸になると素晴らしい作品を作る。だからヘレナ・ボナム・カーター(奥さん)と早く破局しろ」
などと冗談半分、本気8割のことをのたまっていたものですが、本作の前に破局しているのですが、残念ながら本作は
ファンの期待するようなド根暗でどんよりした作品
にはなっておらず
しっかりと、スッキリ明るくポップな作品でした。

現在のバートンが確立した地位を考えると、もう、破局ぐらいでは、そう変化しないでしょう。

長編初監督作品の『ピ−ウィの大冒険』も、ひたすらポップな画面作りが魅力的な作品でしたが、あれはあくまでも、既存のコメディアンであるピ−ウィのキャラを壊すことができなかったからです。

確かに、ポップセンスはバートンの映画の重要にして大きな魅力の一部ではあります。
もうとことんまで頭がイカれたワヤクチャな『チャーリーとチョコレート工場』では、行きすぎた目がチカチカするようなバリバリのポップセンスが『頭のおかしい感を増幅する感覚を生み出していた』ので、ステキだったんですが、それ以外では、そこまで魅力的には感じません。

長編監督2作目の『ビートルジュース』や『バットマン』2作品のように、バートンのポップ感覚は、やはり彼独特の暗い感覚と組み合わせてこそ、その魅力が最大限に発揮されるのです。


そんなわけで、本作ですが、やはり、最初の画面から
そのポップな絵作り、画面の素晴らしさ
は充分に堪能できるぐらいに美しく、引き込まれます。

特に、バートンの好きな郊外型の新興住宅地、同じ家が左右にだーっと並ぶアレですね、あの毎度のポップ感は目を見張るほど美しいです。

元々、バートンのポップセンスは子供の頃に影響を受けたカルチャーによるところが大きいのでしょうが、本作は、そのまま、その影響を受けたポップカルチャー時代を描いているのですから、そりゃあ、はりきろうってもんですな。

ま、よくよく最近の映画を見回せば、この手のポップさを前面に出した作品というのは、ほとんどないので、これはこれで、これが撮れるのは貴重な才能なのかもしれませんが。

映画は、50年代の男尊女卑の雰囲気、ポップカルチャーの流行と、それを批判する古い芸術論との軋轢などをコミカルに入れつつ、『エド・ウッド』同様に、シンプルで力強く、テンポよく進んでいきます。
この種の、長めの時間枠に渡る物語は、ともすれば煩雑になったり、中だるみしたりするものですが、そこをシンプルにテンポ良くポンポンとうまい具合に進めていく構成のうまさは、バートンの実話系、現実系ドラマ映画の特徴で、良いところであります。

実在の人物であるウォルターは既に亡くなっているため(マーガレットは健在)、どうしても実在人物対決映画では、亡くなった人物が悪く描かれがちになるので不公平ですが、本作のウォルターは、間違いなく「クソ野郎」ではあるものの、「とても魅力的なクソ野郎」として描かれています。
だからこそ、マーガレットが惹かれる理由に納得がいくわけで、このあたりも
常に主人公よりも悪役に肩入れしてきたバートン映画らしい
といえば、言えなくもないかもしれません。
やっぱりフィクションの世界では、ただの「いい人」よりも、「クソ野郎」のほうが魅力的なものです。
バートン本人がインタビューで答えているように「彼はマーガレット作品のスポークスマン的存在だったため、ウォルターが居なかったら、おそらく彼女の作品は誰も見ることができなかっただろう」というのは、まぎれもない事実なのだろうと思います。
なお、監督は実在のマーガレットにも会っていて、本人も映画のほうも絶賛されています。
本物のマーガレットは劇中にカメオ出演もしてますよ。

最後はどちらが絵の作者かを争う裁判になりますが、このラストは痛快です。
普通の裁判なら負けることはあっても、本作の争点は絵ですから、答えは明快です。
裁判長は、二人に絵を描いてみせるように命じるのです。


普通の映画として見るなら、充分に楽しく、面白い映画で、お勧めできる作品です。
が、しかし、やはり、これらの魅力をもってしても、
これだけなら、何も監督がバートンでなくてもいい
とバートンファンは感じてしまうので、見終わった感想はやっぱり『う〜ん』でした(笑)
確かにバートンが監督でなければ、こんなに面白くはならないでしょうが、やはり、バートンファンが期待するものとは違うのです。

バートンファンは、とことん、なんぎなのですよ、馬鹿だから(笑)

ビッグ・アイズ [Blu-ray]
エイミー・アダムス
ギャガ
2016-07-02





grandmst2000 at 18:08|PermalinkComments(2) ドラマ 

2018年10月22日

アナベル 死霊館の人形(ネタバレあり)


頑張って、見た映画の感想全部書くぞシリーズ、まだ頑張ってますよ(笑)

「ソウ」シリーズのジェームズ・ワン監督が製作している、実話ベースの超常ホラー「死霊館」シリーズのアイコン的キャラクター??でもある、アナベル人形にまつわる物語。

2013年の『死霊館』の続編だけれど、時系列的には前日譚で2014年の作品。
こちらのシリーズには『死霊館』のメインキャストは声と話題以外では、出てきません。
『死霊館』に登場したアナベル人形にまつわる物語。

正史のシリーズでは、この後に、『死霊館』の続編の『死霊館 エンフィールド事件』が2016年に作られ、その後に『アナベル 死霊人形の誕生』が作られてます(2017年)。

どんどん作られる、大ヒットシリーズなんですな。
正直、このシリーズを今見ようと思うと、他にもスピンオフや製作中の作品もあり、時系列が把握しにくいんですが、現時点では
『死霊館のシスター』→『アナベル 死霊人形の誕生』→『アナベル 死霊館の人形』→アナベルシリーズ第3作(現在製作中)→『死霊館』→『死霊館 エンフィールド事件』
となります。

私の場合は、制作順とは違って先に『死霊館』と『死霊館 エンフィールド事件』の2つを見て、その後にコレを見ました。

監督は『モータル・コンバット2』や『バタフライ・エフェクト2』の監督で、カメラマン出身のジョン・R・レオネッティ。
前作では撮影を担当してます。
更にややこしいことに、主演女優の名はアナベルです、わざとか?



<あらすじ>
出産が近いミア(アナベル・ウォーリス)は、真っ白なウエディングドレスを着た美しいビンテージ人形を夫ジョン(ウォード・ホートン)からプレゼントされる。ある夜、二人はカルト集団の男女の襲撃を受け辛くも命は取り留めるが、人形に恐ろしい呪いがかけられてしまう。 やがて、待望の子供が生まれ二人は新生活をスタートさせるが、人形をめぐり次々と不可解な現象が起こり……。
(Yahoo映画より)

私はホラー好きですけど、超常現象ホラーものは、あんまり好きじゃないんですよ。

自分のことをホラーマニアというと、たぶん本物のマニアに怒られる
即物的にズバッ、グシャ! っていう、特殊メイクが楽しめる作品が好きなんで、まあ言うなれば、ジオラマ好きとか模型好きとかいう感覚で見てるんですな。


だから、特にこのシリーズには期待してるわけでもなく、なんとなく製作がジェームズ・ワンだから、ってだけで惰性で見てます。
結構、何か作業しながら流し見してるので、上の2作も、あんまり覚えてないんですわ。
まあ、流し見、ったって、面白かったら「おおっ?」って画面に食い入って他のことする手を止めて見ちゃうので、覚えてないってことは、大したことなかった、ってことです。
ま、コレも、正直、毎日、ご飯作ってるときに流し見してました(笑)

みなさん、この手の超常現象ホラーみたいなのが好きですねぇ。
おかげで、シリーズ大ヒットで延々と作られてますが、私はイマイチ、こういうの何がそこまで面白いのか分からないんですよねぇ。

実は殺戮描写が即物的でバンバン人が殺されてく『オーメン』ぐらいなら、表向きは「オカルト」でも、割と楽しめるんですけど、こっちはいわゆる「ジワジワ怖がらそう」っていうタイプで、あんまり人死なないんで、どうにもね。
私は、こういう「超常怖がらせ映画」の何が気に入らないって
お前、悪魔なんだったら、もうちょっと最初から凶悪そうなデザインで堂々と出てこいよ!!
ってことなんですよ。
まあ、しんきくさいんです、脅しばっかり、予兆ばっかりで、ちっとも本体が出てこないんで、見てるとかったるいんですよ。
悪魔とか幽霊とかって、もっと強力なもんでしょう?
なんでわざわざ、延々と予兆みたいなものだけ見せといて、ちょこちょこ活動して、最後にならないと姿を現さなかったりするのよ? 
そんな
地道な根回し活動をコツコツとするような地味で生真面目な悪魔は要らないってのよ(笑)
「ゴーストライダー」ぐらい堂々と出てきてくれよ。
みたいな感想です。


あとね、毎度、このシリーズが珍妙だと思うのは、あっちでは、現実的に「幽霊とか悪魔なんかいるはずないじゃん」みたいなノリだと思うと、こっちでは「悪魔の仕業だからね」みたいに平然と悪魔の存在を認めてしまうような、バランスが、かなりおかしいんですよ。
どっちの世界観なのか、ハッキリしろよ、みたいな。

で、今回のアナベル人形ちゃんですが
最初から不気味すぎんだろ、この人形のルックスと体型
なんですか、このおばあちゃんを子供にデフォルメしたみたいな顔は。
恐い、恐いよ最初から!!

これ、せめてさ、最初は割と普通のルックスの人形だけど、焼け焦げたらエライ恐い顔になった、ぐらいの流れが欲しいですよね。

アメリカの人形は日本人から見ると不気味なの多いですけど、たぶん、これはそういうヤツじゃなく、まず間違いなく、アメリカ人が見ても普通に不気味だと思いますよ。
こんな不気味な人形を喜んで置く奥さんは、最初から精神がどうかしてるとしか思えません。
いくらなんでも、人形のデザインに無理がありすぎると思いますなぁ。

それと、どう見てもこれ
ルックスがチャッキーとかぶっちゃうんですよね
もうね、芸達者なチャッキーを見慣れると、宙に浮かれるぐらいでは、なんとも芸がありませんな。
チャッキーのように「おう、ゴムつけてヤラねえと駄目だ。あ、俺、元々ゴム製だったわ」ぐらいのネタはカマして欲しいですよ。

これを見るとさ、チャッキーのデザインって良くできてたんだなぁ、ってあらためて思いますよ。
日本人から見て、アチラの人形が不気味なのはさておいて、チャッキーって、最初ギリギリ「かわいい」って言われたら「ああ、そうかもな。アメリカ人ならそう思うかもな」って顔してますもん。
それが人を襲いだすと、突然、めっちゃ凶悪な顔になる、まあ、表情変わるせいもありますけど、ライティングとかでもそう見えるようになってる、ありゃ、見事なもんですわ。


正直ですね、最初のほうに
チャールズ・マンソン・ファミリーのシャロン・テート惨殺事件のニュースが流れる
んですよ。
私、狂信物っつーか、まあ狂信者のイカレ野郎が人殺すみたいな映画好きですからね、ここを見て
おおっ? ひょっとして、面白そうか?
って、うっかり期待しちゃったんですけど、結局、劇中でのカルト教団話は、冒頭の事件を起こす隣人がカルト教団の信者、って程度で、直接関わってはきませんので、結構ガッカリでした。

やはり、私は、超常的な怖さ、ってのは、あまりわかんないんですよね、こう言うと怒られるかもしれないけど、超常的な怖さを娯楽として楽しめる人ってのは、平穏に生きてきたからこそ、楽しめるんじゃないかと思うんです。
超常的なものって、現実感なさすぎですからね。それが娯楽として楽しめるってのは、ある意味で精神がどっかピュアなんだと思うんですわ。
そんなものよりも、現実にいるイカレのほうが何千倍も遙かに恐いですから、娯楽としても、そっちのほうが
現実感がバリバリで、ヒシヒシと強烈に恐くて面白いんですよね。

まあ、私の、この手の映画好きじゃないってのを差し引いても、世間でも前作の『死霊館』ほど評価は高くなかった作品ですので、イマイチ感は強いと思います。


アナベル 死霊館の人形 [Blu-ray]
アナベル・ウォーリス
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2015-12-16





grandmst2000 at 22:40|PermalinkComments(0) ホラー・サスペンス 

ランペイジ 巨獣大乱闘(ネタバレあり)

今や、押しも押されぬ次世代アクション俳優の一翼を担うザ・ロック様こと、ドゥエイン・ジョンソン主演。
私の大好きな元プロレスラーの巨体アクション俳優であります。
監督は、「センター・オブ・ジ・アース2」や「カリフォルニア・ダウン」でもロックとコンビを組んでいる、ブラッド・ペイトン。

実はまだ期待していた「カリフォルニア・ダウン」を見てないのに、こっちを先に見ちゃった、てへ。

「ゴジラ」と「パシフィック・リム」の大ヒットで、ハリウッドでも巨大怪物映画がどんどん作られるようになった最近。

えっ、ロック様、とうとう地球上に敵う人間いなくなって、今度は凶悪な動物と戦うの?

え? 動物、でかいの?

えっ、怪獣映画なの!?

アメリカの大巨獣ロック VS 巨獣の大乱闘
って、たまんなくそそるじゃないですか!

まさに「怪獣大戦争」

脳みそ空っぽにして面白がる馬鹿映画のニオイがプンプン。

なんか、うっすらと聞き覚えがあるような気がするタイトルだなぁ、気のせいかな? とずっと思っていたら、昔のゲームを映画化したものだそうで。

<あらすじ>
ある遺伝子実験の失敗からゴリラやオオカミなどの動物が巨大化し、所構わず暴れだす。動物たちは、破壊活動を続けながら北米大陸を横断し、高層ビルが林立する街で大乱闘を繰り広げる。人々が逃げ惑う中、軍隊が出動し銃やミサイルで攻撃するが巨獣たちの暴走を抑えることはできず……。
(Yahoo映画より)



内容はというと
特にないよう・・・・。

ま、あらすじ、そのまんまです。
宇宙で遺伝子操作の実験してたら事故でサンプルが地球に落下しちゃって、それを地上の動物が摂取して巨大化、凶暴化しちゃった。そのうちの一匹が、自然保護の仕事をしてるロック様の友達のゴリラだったので、ロックが事態収拾に立ち上がる。
って、ま、それだけの話。


怪獣の大暴れを楽しめばいい、脳天気な映画です。
この映画のとても良いところは、この種の大破壊、特にビルの破壊などは、9.11以降、どうしても暗いテイストを持たされがちだし、悲惨さを感じさせたりするのですが
スッキリ脳天気
なところです。
人間食われるシーンもあるし、ビルの倒壊とかモロに9.11を彷彿とさせるので、表現的には割と露骨で悲惨な描写もあるんですが、それでもあまり陰惨さを感じないのは、ロック様のおおらかなキャラクターによるところが大きいのかもしれませんね。
まー、だからこの人、好きなんだけど。

まさに、アメリカッ! って感じの人ですよね、これぞ、アメリカ映画独自の楽しみ。
日本では逆立ちしても、こういう肉体馬鹿の脳天気映画はできないですもの。
大山倍達や力道山が生きてたら、日本でもこんな映画の可能性はあったかもなぁ(笑)


ところで、普通、プロレスラーをやめたり歳を食うと少しは肉が減ってくるものですが、ロックは見るたびにムキムキ度合いが上がってるように思えるのは、私の気のせいでしょうかね??
冒頭からロックとゴリラが仲良し、ってシーンですが、どっちがゴリラだかわかりゃしねえ。
お互いゴリラだから意思疎通できるんでしょうねきっと。
これの前に「猿の惑星」見てたから、なんだか脳みそが猿づくしだわ。

それにしても、アメリカ人ってのは、ゴリラ好きだよねぇ。
CG製作がWETAなので、キングコングや「猿の惑星」のゴリラとそっくり、データの使い回しかと思ったですよ。
でもキャプチャ俳優は、世界一のモーションキャプチャ名優、アンディ・サーキスじゃない、残念。
むろん、そこかしこに、「キングコング」のオマージュが登場してますよ。

他に登場するのは巨大狼ラルフ、巨大ワニのリジー。
怪獣じゃなく、ベースが動物なのが残念ですが、突然変異で見た目も凶悪化しててトゲとか飛ばす始末。
巨大ワニがビルをよじ登るシーン、「小さき勇者たち ガメラ」のジーダスじゃないですか? ワニなのに、わざわざシーダスと同じようなエリマキトカゲみたいなのついてるし。
で、狼が空飛ぶ(滑空する)とこは、どう見ても「バラン」ですよね。とげ飛ばすのはジャイガーですか?

なにせ、元のゲームが「街を破壊してなんぼのゲーム」ですから、ビル街でも存分に大暴れ、大破壊を繰り広げてくれるので、とっても脳天気に楽しい。
やっぱ怪獣は街を破壊しないとな。
これぞ、まさに「清く正しい怪獣映画」ではございませんか。

難を言うなら、この監督は、昔から、あんまり巨大物を描くのが上手じゃないというか、ヒキの絵を多用しすぎる癖があるんですが、なぜか、途中からそのへんのカメラアングルの使い方の傾向が変わっている気がするんですが、あまり気にならないようになりました。

あと、せっかく巨獣が3匹も出てるのに、かなり最後になるまでガチで戦わないのがちょっと残念です。
ずーっと乱闘を繰り返しながら移動していく、みたいなほうが良かったとは思うんですが、クライマックスはもう
きちんと怪獣大戦争でございますので、安心してください。

「パシフィックリム2」や「キングコング 髑髏島の巨神」を見るぐらいなら、こっち見たほうが全然いいぞ。


あ、それと、普通この手の映画だと、完全な「クソ野郎要員」で、最後は主人公かヒロインに殴られるのがお定まりの政府のエージェントが、実は案外いいヤツ、ってのは良かったです。
こういう「一見クソ野郎が、実は案外いい人で、主人公の味方になる」っていうノリは好きですね。
「じいちゃんに、クソ野郎はクソ野郎同士助け合え、って教えられたからな」っての良かったw


どうせ、これだけアホな映画なら、いっそのこと
注射で巨大化したロックがビル街で怪獣と戦う
と、もっと面白かったんだけどねぇ。
まあ、明らかにゴリラ自体が第二のロックというか、ロックの反映だとは思うんですけども。

あと
日本語版には「ワニゴン」とか「ゴリザラス」とか勝手につけて欲しかった。
こういう馬鹿映画では、イケてればそんな勝手な日本語化もアリアリ。

いやー、ええわコレ。

ランペイジ 巨獣大乱闘 ブルーレイ&DVDセット (2枚組) [Blu-ray]
ドウェイン・ジョンソン
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2018-09-19




grandmst2000 at 13:02|PermalinkComments(2) ディザスター・パニック | コミック・モンスター

2018年10月20日

保護猫猫猫猫愚連隊

しばらく、報告が滞っていたコイツ

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我が家のデッキにやってくるようになった子猫ですが、このまま放置しとくとどうなるか分からないので、保護目的で、まずは懐かせるために、寝どこを用意してやり、毎日餌を置いてやってた結果、この頃は、ほとんど、
我が家で寝て我が家で食って、たまに出かける
みたいに居着くようになりました。

猫好きのところには、なぜか、定期的に猫がやってくる
猫好きの間では有名な、猫さんたちの情報ネットワーク、通称
NNN(ネコネコネットワーク)
で「あそこんち行くと食い物がタダで貰えるぞ。保護してもらえるぞ」とか情報が回ってるんだという噂ですが、そんなわけで、なぜかウチには、一匹落ち着いた頃になると、次の子が来ます。

うちのお袋も猫好きなんですが、家に居着く猫が途絶えたことがありません。不思議なもんです。


そんなわけで、毎日、少しずつ、欠かさず慣らすアプローチをし続けた結果、最近は、自分から近づいてくるようになり、撫でられるようにもなってきたです。

とにかくガラス越しに見えるウチの猫たちが気になるらしく、お互いにガラスはさんで気にしあいしてるので、少し隙間をあけてやると、家の中に入ってきて、じゃれあうようになりました。

みなさん、賢いもんで、誰も喧嘩しません
犬も、猫との生活に慣れてるせいか、別に吼えて脅したりはしない、むしろ、普段は猫と遊んでるので、遊びたくてしょうがないけど、怖がらせるので、けなげに我慢してる感じです(笑)

毎日、だんだん大胆になってきて、平然と入ってくるし、犬の餌は勝手に食うしで、なかなか大物です。
時々、抱っこもできるようになりました。

ちなみに、最初は単なる見かけた猫だから、適当に即物的にチャトランと呼んでましたが、だんだんいついてくると、いくらなんでもその名前はあんまりだろう、ということで(我々の年代なら分かる)、しかし、チャと呼ぶのに慣れちゃってるので
とりあえずオス確認したので、茶々丸という名にしました。
だいたい、チャチャと呼んでます。


それはいいんだけど、ウチの長男のフミが、そのガラスの隙間に執着しまくりまして、とにかく外に出たい欲求が溜まってたんでしょうな
何千回注意しても、全く注意が頭に入らない娘が乱雑にドアを開けた隙に、逃げ出してしまいました。

元々外が好きで、ドアから出入りすると、外に出せ出せ要求をしてくるので、抱っこして外を見せてやる、というのが日課になってたぐらいで、以前も足下をすり抜けて脱走しそうになったことがあるんですが、このところ、ドアを開けても待つようになってたので、油断してました。

で、朝から夕方まで、それこそ延々と近所を歩き回り、車でも近所を回って捜索したんだけど見つからず。
なんせ、フミは感染症で片目が潰れたみたいになってて、副鼻腔炎を患ってる子です、たぶん外では悪化してすぐ駄目になる、外では生きていけない子です。
そのくせ、異様にアクティブなんです、あばれはっちゃけです
とうとう諦めかけて、以前の子供会の役員さんが猫保護に力入れておられる人だったので、まずその人に連絡して、見かけたらよろしく、みたいなことを言って、最後にもう一度だけ、と近所を捜索したら
ニャ〜、出てきました。

呼ぶと返事する猫でよかった。

ふ〜〜。

歩き回りすぎて、とうちゃん、疲れたよ・・。

無事出てきた後だから、あっさり書いてるけど、とうちゃん、泣きそうだったからねw


その後も、一度出ると味を占めたようで、ガラスに隙間をあけると、一瞬で自力で拡げて脱走するのです。
さりとて、チャチャもガラスの外でめっちゃ入りたそうにするので、開けてやんないと可哀想で・・・
困った状況なので、いいかげん、だいぶ慣れてきたし、そろそろ保護しちゃおうか、ということで
本日、捕獲しました。

以前、ドブ猫のハナを保護したときに使ったケージを、わざわざ屋根裏から引っ張り出してきて組んだんですが、いざ中に入れると、フミが興味をしめしまくって外からドアはゆするわ、天井は踏み抜くわで、餌は飛び散る水はまき散らす、もう、シャレにならない、入れてる方が被害甚大なので、結局、放し飼いにしてます。
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▲わざわざケージを組み直したのに、徒労に終わった(T.T)

最初は、少し警戒してましたけど、案外、すぐ慣れてきて、近づくとさすがに身は引くんですけど、逃げない。
そのうち、尻の後ろで寝るわ、抱っこされるわ、膝の上でゴロゴロ言うわで
初日から初ゴロゴロもGET!

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▲私の食卓椅子の上でちゃっかり寝る。どいてくれないと食事できないんですけど・・・

こいつ、結構、警戒心薄いというか、無神経だと思いますねw

というか、最初の頃は慣れてないから、メチャクチャ引っかかれたり噛まれるのを覚悟してアプローチしてたんですけど、結局
一度も引っかかれたことないんですよ!!
最初から、パンチも肉球パンチだったし!
エライ子なんだなぁ。
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▲保護初日から、ここまでOK。抱っこし放題。さすがNNN出身、どう媚びればいいのか、よくわきまえてるな(笑)






grandmst2000 at 23:22|PermalinkComments(0) ペット 

2018年10月18日

猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)(ネタバレあり)

てなわけで、リメイク版「猿の惑星」第三作にして完結編。
もっと続くと思ってた。



私は毛の生えたほ乳類はだいたい好きなんですが、猿はあまり好きではありません。
あまりに人間に似過ぎていて、気持ち悪い、というのがその理由です。

毎回書いてますが、そういうわけで、私個人は、このリメイクシリーズは失敗作だと思います。

最大の失敗は
猿をメイクした人間が演じるのではなく、リアルなCGにしたせい
だと思います。

オリジナルの、俳優が猿を演じるということは、リアルさ以上に、様々なメリットを生み出していました。
なぜなら、俳優がメイクしてれば、いかに外見が猿っぽくても観客が画面から受け取る感覚は「人間」なんですよね。
そうすると
・第一に、それだと感情移入が容易である、という点
・第二に、主題である「人種闘争」が感じられる点
・第三に、言語を喋っても、不自然な感じがしない点
です。

ところが、CGであまりに猿の外見をリアルにしすぎたせいで、
ただの猿じゃん!コレ!
ってことになっちゃう(笑)

リメイク版から受け取る感覚は、どう転んでも「猿」でしかないんですよ。
しかも、現存する猿と全く同じスタイルなので、ビジュアルから「進化した猿」という印象さえ受けない。

そうなると、まず、観客が感情を動かされても、それはあくまでも「猿に対するソレ」でしかない。
人間が動物に対するときの上から目線の感情でしかないんです。
ペットが可哀想だとか、猫の映画で感動するとか、犬の物語で泣くとかいう種類のソレになるわけです。

第二に、オリジナルは民族闘争の暗喩ですが、オリジナルでは猿も人間が演じているので民族を思い浮かべるのは容易、というより見てれば自然に浮かんできますが、リメイクではどう転んでも無理で、見たまんま「猿VS人間」でしかない。

第三に、ビジュアル的にシーザーが「超進化した猿」という印象がないために、あまりに賢く言語を喋るのが不自然っぽい。
しかも、シーザーだけが流ちょうな英語を喋って、他に数匹の猿が片言、あとは手話、みたいな時点で「猿軍団の意思疎通に共通言語がない」という、軍隊で一番やっちゃいけないはずのスゴイことになってます(笑)
これで唯一賢いシーザーが死んだら、全然、「知能の高い喋る猿の帝国ができる」とは思えないんですよな。
ま、実際、出来てないんですけども(笑)


結局、ティム・バートン監督がリ・イマジネーション版で俳優にこだわり続けたのは、CGのそこらへんの問題をよく分かってるからですよね。


私は、正直、三作見ても、全然シーザーに感情移入できませんでした。



そういえば、本作の悪役の「大佐」ですが、俳優がウッディ・ハレルソンである以上、きっとただの悪役じゃないと思ってたら、案の定、アレな過去を抱えたりしますが、その悪役の大佐から
お前は感情的すぎる!
とか諭される始末ですよ、シーザー。3作もやっといて成長してねぇ(笑)
そうそう、そうなんですよ、そーいうところが、シーザーに感情移入できない理由でもあるんです。

せっかくリアルな猿なんだからさ、オリジナルと違って、猿独自の価値観をもった文化を築けば、リメイクシリーズ独自の高評価ポイントになったと思うんですけど、猿たちが全くもって人間のモラルに基づいて動くんですよね。
それで、普段はなまじ理知的で物わかりいいくせに、時々妙に粗暴に豹変したりするから、「一見紳士だけど、時々いきなりブチ切れる恐い人」みたいになっちゃってんですよ。


結局、本作のハレルソンは、悪でもシーザーの「導き手」でもあるわけで、彼のおかげでシーザーが一歩精神的に進歩した、ということを描けるはずなのに、すぐシーザーを殺しちゃったから、結局意味ないまま終わっちゃってるんですよね。


あと、劇中、英語では「モンキー」が差別語、「エイプ」が通常という呼び分けがはっきりしてて、「ニガー」と「ブラックピープル」とか「インディアン」と「ネイティブアメリカン」とかいうのと同じような、はっきりした人種差別の略図です。
だから、たとえば初登場の人物が猿をどう呼ぶか、という呼び方ひとつで、猿に好意的かどうかすぐ分かるという具合なんですが、日本語訳だと、そのあたりがどうにも曖昧で分かりにくいんですよね。

あと、「聖戦記」ってタイトルはどうだろう。
「聖戦」って呼んでるのは、人間側だけなんだよね、これじゃ人間視点じゃん。

<あらすじ>
名作SF映画「猿の惑星」をリブートした「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」「猿の惑星:新世紀(ライジング)」に続くシリーズ第3弾。高度な知能を得た猿と人類が全面戦争に突入してから2年。猿たちを率いるシーザーは森の奥深くの砦に身を潜めていたが、ある晩、人間たちの奇襲を受けて妻と長男の命を奪われてしまう。敵の冷酷非道なリーダー、大佐への復讐を誓ったシーザーは仲間たちを新しい隠れ場所へ向かわせ、自らは3匹の仲間を連れて大佐を倒す旅に出る。道中で出会った口のきけない人間の少女ノバや動物園出身のチンパンジー、バッド・エイプも加わり、一行はついに大佐のいる人間たちの基地にたどり着くが……。「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのゴラム役で知られるアンディー・サーキスが前2作に続いて猿のシーザー役をパフォーマンスキャプチャーで演じる。大佐役は「ハンガー・ゲーム」シリーズのウッディ・ハレルソン。第2作に続き「クローバーフィールド HAKAISHA」のマット・リーブスが監督を務める。
(eiga.comより)



それで、これまでのシリーズ、旧作の基本設定やキャラだけ使って、ほぼ、オリジナル展開なのですが、本作に至っては、もう、完全に独自展開です。

オリジナルシリーズは最初から意図したわけではないですが、1作目が大ヒットしたおかげで、結果としてまず「猿の惑星」という着地点があり、どういう末路をたどって崩壊し、過去に遡って、その惑星がどう出来ていったのか、という輪廻のようなループの輪が完成していたわけで、後半に行くに従って雑になるとはいえ、トータルとして素晴らしかった。

ところが、本シリーズの失敗は、最初に「始まりから描いた」ことなんですよね。
「猿の惑星」というタイトルに偽りありで、「猿の惑星」というものが本シリーズ開始時には存在してない。
そこに向けていく話ですから、毎度「続く」みたいな終わりかたで「えっ? これで終わり???」って感じでした(笑)
このリメイクシリーズがそれでも成り立つのは、あくまでもオリジナルの「猿の惑星」が著名なために、漠然とでもそのイメージが観客の頭の中にあり、「そこに繋がるんだな」というイメージが出来るからに過ぎないんですよ。
もしもその概念が完全に我々になかったとしたら「猿の惑星」って聞いて、何を想像しますかね? ちょっと想像つかないんじゃないですか?
で、映画は中途半端で終わるし、「なんだよ、猿の惑星っていうから見に行ったのに、猿の惑星なんか出てこねえじゃん、サギじゃんこの映画」ってなっちゃうし
単なるタイトル詐欺ですよね(笑)

つまり、この時点で、
完全にオリジナルにおんぶに抱っこ
ですから、もう、最初からこのリメイクシリーズはオリジナルに軍配が上がってるんですけど、まあ、最初から、商売として成り立ちゃいい程度で
「SF映画の金字塔」とまで言われるオリジナルを「越えてやろう」などという高い志は微塵もないんだろうと思いますけど。


ところで、ストーリーですが本作は完結編ですので
最後の着地点として、絶対に「猿の惑星」に持って行かないといけない
はずですから、前作までの流れから言って、いよいよ
シーザーが民衆をまとめて、巨大な猿の帝国を作るような壮大な話なのか!
と思ったら
もうね、とにかく、ちっちゃいのよ! 話が。

最初、猿の集落が出てるので、これがどんどんでっかくなるのかと思ったら
大佐に息子と妻を殺されたんで、シーザー復讐に行きます〜!
んなら俺もついてくぜ〜(前作までの仲間)
みたいに、えらいちっちゃいところに着地しちゃうんですよ。
要するにね、前半
登場人物、もとい登場猿が4匹(だっけ?)の復讐ロードムービー
なんですよ、ええっ???
思わず、声に出して「えっ? ちっちゃっ!」って言っちゃったもん(笑)

あとさ、最初英語版で見てたんですけど、新しいキャラでコメディ・リリーフの「バッド・エイプ」って猿が出るんですが、コイツが
柳沢慎吾みたいだなぁ
って思ってて、途中から吹き替え版で見たら
声が柳沢慎吾でやんの(笑)
なんだよコレ・・・。
このバッド、なんというか、シリアスが必要な場面で、ことあるごとに脱力させる笑いを挟んでくる「猿の惑星のジャージャー・ビンクス」で、ただでさえ、笑いの入れ処が完全におかしいのに、更に
本編と違うツボで、日本版独自のギャグで笑かすとか要らないんだよ

とってつけたように出てくる人間の子供も、尺を取っている割に、全く存在意義がないし。

まあ、なんかうまい具合に、大佐に囚われて、そしたら収容所に仲間がいて、蜂起しちゃう、みたいなことになるわけですけどさ、もう、その
人間に虐げられて反逆、みたいな話は、これまでのシリーズで済ませてきた話でしょう??
今更、完結編でやるべき話じゃないだろうよ、元に戻ってんじゃん?

見てると、いつまで経ってもちっとも「猿の惑星」に向かって話が進まないんで、「ホントに完結編なのか?」って途中でネット検索しちゃったぐらいですが、いきなり最後に
ものすごい、とってつけたように、規模のでっかい出来事が起きて、都合良くあっさりと大規模な人間軍が全滅する
んです。
ホントに、とってつけたようなご都合主義です。

しかも、例のウイルスで「人間が喋れなくなった」ってことが
ご丁寧にも台詞だけで説明されますけど、雑だよ、あまりにも雑

まさかと思うんですが、作り手はこれで
地球の支配者の入れ替えが完了した、めでたし、あとは想像してね
とでも思ってるんですかね? 


最後、シーザーたちが、なんだか新天地みたいなところにたどりついて、シーザー死ぬんですけど
えっ? これで終わり????
我が目を疑いましたよ。



結局、旅して収容されて反逆、みたいなくだりが大半ですが、「猿の惑星が作られる物語」としては、一切、本筋では話は進展してないので
全部無くても、全然問題ないです。
ぶっちゃけ、ラストシーンだけ、前作のラストに付け足して「そしてシーザーたちは新天地にたどりついた」みたいなナレーションでも一発かぶせちゃえば、普通に成り立ちます。


せめて、最後に未来の「猿の惑星」で、シーザーの銅像が建ってて、その周りに子供猿を集めて「・・・というわけで、我々猿の世界が出来たのじゃ。エイプはエイプを殺すなかれ」とか教えてるシーンぐらい出てくるのかと思えば、そんなの一切なしですわ(オリジナルにはそんな風な場面がある)。



私は前作までにも批判的でしたけどね、コレはひどいです。
コレに比べたら、前作までは10倍はマシです、20倍は面白いと思いますね。

なんでスタッフが同じなのに、今回、こんなにひどいのか。

「望遠鏡逆さま」みたいなバッドのくだりとか、モロにパクリでしょう
この大佐って、まんまカーツ大佐じゃんな
監督たち、制作前に死ぬほど映画見まくって影響受けまくった、っていう話ですけど、それが悪かったんじゃないのかな? コレは。
こんな絵やりたい、こんなカット撮りたい、みたいなのばっかり先行して、話がグダグダになっちゃったんじゃないのかな、と思いますね。


唯一、かろうじて観客を引っ張るのが、アンディ・サーキス演じるシーザーの「演技のCGへの反映っぷり」ですね。
CGでここまで感情表現できるようになったか、というのは確かにスゴイです、技術面では。


で、えっ? 結局、「猿の惑星」は? どうなったん?? 出来てないじゃん? 
ということで
未完だろうよコレ(笑)

なんか10年ぐらいしたら、続編が出来そうな気がしないでもないですな。

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grandmst2000 at 09:34|PermalinkComments(0) SF・ファンタジー