2年ぶりのブログ更新だが、採点は今回からしばらく見送ることにした。もともと書きたい時しか書かないブログなので、あえて書く以上は満点のものだけにしようと、改めて決意したからである。
とにかく小澤指揮のベートーヴェン7番はもの凄い演奏であった。体ごと持っていかれる感じがした。私の同僚である大学教員に元ミスターコンサドーレ札幌の曽田氏がいるが、彼によれば芸術とスポーツの違いは、熱狂的に感情を爆発させ体で表現することがあるかどうかだとのことである。芸術と違ってスポーツにはそれがあるというのだが、今日の演奏に関しては、終演後の聴衆の熱狂は「ここはサッカーの競技場か」というほどであった。
団員と一緒に小澤がステージに現れると、拍手のボリュームが1段上がる。だが、指揮台はなく、寄りかかれるような椅子と休憩用の椅子が置かれ、チューニングが始まると小澤は椅子に座っている。 大丈夫なのか、という不安がどうしても頭をよぎる。
1楽章は精妙な音量バランスを保ってはいるが、どこか聴き慣れた小澤の音楽とは違う。時折見せる打ち込むようなアクセントが、バーンスタインを思わせる。これは私見だが、小澤という人は本来はバーンスタインのような本能的な熱情を爆発させるタイプの指揮者なのではないだろうか。しかし、対極的なカラヤンの影響を強く受け、流線形のスマートな音楽を生涯かけて目指すことになった。それが、ここにきて本来の一歩間違えば狂気に近いような熱情が、蘇ってきたように感じられるのである。
2楽章は遅めのテンポでじっくりと歌い上げる。フルトヴェングラーの演奏が思い浮かんだ。ここでの地に足の着いた表現が伏線となり、後半の熱狂を支えることになる。演奏を終えると小澤は腰掛ける。かなり消耗している様子がうかがえる。客席全員から「がんばれ」という「気」が送られる様子が見えた気がした。
そして、3、4楽章である。3楽章はリズムの張りがあり、フルートの工藤ほか名人揃いの楽団の贅沢極まりない技の競演が楽しめた。そして、小澤の大きな唸り声とともに4楽章が始まるとたちまち興奮の坩堝である。今まで何度聴いたかわからないこの曲だが、息をするのも忘れるぐらいの熱狂で、間違いなくベストと言い切れるだけの超絶的な演奏が目の前に繰り広げられるのを、固唾をのんで受け入れるのに精いっぱいであった。体の震えが止まらず、涙が流れるのにも気を遣う余裕はなかった。
私は多分、今日のこの演奏を一生忘れることはないだろう。