小学一年の時の担任の先生が変わった人だった。

何が変わっているって、
喋る時の語尾が「ざます」だったのだ。
80年代後半のことである。

「ざます」は一般には、アニメの中で、『ドラえもん』のスネ夫のママや『キテレツ大百科』のトンガリのママのような、嫌味ったらしい金持ちマダムが使用していそうな印象が強い。

私は最近まで、「ざます」が特定の地域の方言なのか、ある年代や社会階層で使用されていた言葉なのかよく知らなかった。調べてみたら、東京の山の手の上品な女性言葉らしい。元は吉原など遊郭発祥の言葉のようだ。決してアニメ用に創作された言葉ではない。

私の半生で出会った中で、「ざます」使いはこの小1の担任だけである。
あれ以来遭遇していないということは、もはやイリオモテヤマネコのような絶滅危惧種かもしれない。

だが実体験を基にこれだけは言える。語尾が「ざます」の人は実在する。


本名で書いてしまうが、その津原(つはら)先生、女性で見た目は和田アキ子似である。当時おそらく40代半ばぐらいだったと思われる。
その言葉使いのせいなのか、あるいは何に関してもピシャッと断じるような物の言い方のせいか分からないが、私はこの先生に1年間慣れることがなく常にビビっていた。


彼女の語尾は徹頭徹尾「ざます」だった。(「ざんす」の時もある)
この「ざます」はなかなか柔軟性があるというか、名詞にも形容詞にも動詞にも付け放題であることに気づく。

「読むざます」
「良いざますね」
「言ってたざますよ」
「ダメざます」

千葉県北西部の小学校の1年5組の教室で放たれていた「ざます」は、自由自在に様々なフレーズの語尾となっていた。


そんな先生が、私の心に傷を残したことがあった。

私は一年生の頃、昼休みは絵を描いて過ごすのが好きだった。
まだ体格も小さくて気が弱く、ドッヂボールの楽しさにも目覚めていなかったのも理由だろう。
だが何より、私はどの科目よりも図工が得意で絵を描くのが好きだった。

細かいチマチマとしたオリジナルの絵を、まっさらなノートである「じゆうちょう」に描いていた。


ある日の昼休みに津原先生が私の机にところへやってきて言った。

「昼休みは外で元気に遊ぶざます」

大いに恥じ入った私は、幾日か外で無理やり遊んだだろうか。
それでもまた絵を描く日常を取り戻した私のところにやってきた津原先生。

今度はまた別のことを私に言った。

「絵はもっと大きくのびのび描くざます」


こういうちょっとした言葉が子供を傷つけるものである。

私は、自分がみっともないことをしている、弱々しいことをしている、と何か劣等感のようなものを感じてしまい、学校で絵を描くのをやめた。
今でも覚えているぐらいだから、相当ショックだったのではないかと思う。

このような時、子供を相手にする世の先生方や親御さんには「うまいねー、かっこいいねー、いいのが描けたら見せてよ」と、嘘でもいいからポジティブな言葉を掛けることを勧めたい。
(もちろん津原先生の場合は同じフレーズの語尾が「ざます」となるのだが)

子供は褒めときゃいい、と私は思う。
大人になったら人から褒められることなんか滅多にないのだし。



ある日、忘れられない事件が起きた。

クラスメイトの女子とともに、職員室にプリントか何かを受け取りに行くおつかいを先生に頼まれた。

廊下を歩きながら、明石家さんまがCMで歌っていた「幸せ〜ってなんだっけなんだっけ、ポン酢醤油のあるうちさ」を口ずさんでいたのを覚えている。



そして私は一緒に歩いていた女子に軽い冗談をかました。

ドラえもんの声をやっているのは僕、と。
どっからどう見ても嘘でしかない、ピュアで純真なウソである。
それを聞いた女子は「うそ〜」だの何だのと反応していたが、やがて「ほんと?」のようなシリアスな疑い方に変わっていく。
面白くなってきて、本当だと言い張り続ける私。


教室に戻って、席につく。
女子が教卓の津原先生に何か話している。

突然津原先生が「ほんとざますかっ!」と大きな声を出しながら立ち上がった。

私の方を見ている。女子が津原先生に伝えていたのだ、さっきの話を。
ドラえもんの声を私がやっている、という話を。

そして津原先生は私のところへやって来て、
「大変ざます!おうちの人に確認してくるざます!」
とまた大きな声で言って教室を嵐のような勢いで出て行った。


私は焦りに焦った。
どうしよう、母に電話するのだろうか。学校から電話がかかってくるなんて、怒られるに決まってる。
6歳児だった私は、まずいことをしてしまった、とオロオロするばかり。


数分後、教室に戻って来た津原先生。
「おうちの人、いなかったざます」と私に向かって言った。
そして帰りの会が始まった。

泣きそうになりながらホッとする私。


あれは一体何だったのだろう。

ある6歳児のウソを別の6歳児が信じ、それを40代のおばさんが信じたという、奇跡の連鎖だったのだろうか。
それとも、からかわれていただけだったのだろうか。

小学生相手に「ざます」を頑なに使い続けるシーラカンスのような人である。6歳児と同じく、冗談と真実の境目がよく分からなくても不思議ではないような気もする。あの人であれば。


今となっては、津原先生の「ざます」含めた言葉遣いが、正当な山の手の言葉使いなのかどうかも分からない。もしかしたら、ふざけた語尾を使って小学生をからかうのが好きな稀代のトリックスターだったのかもしれない。

ふざけにふざけまくっていた教員生活の一時期に、私がたまたま事故のように接触して、その真髄を垣間見てしまっただけなのかもしれない。


いずれにせよ、職員室で若い先生たちが津原先生を、陰で「ザマス」とあだ名で呼んでいたことは間違いない。