2016年の武蔵中の国語の問題は、有名なよくでる出典・井上ひさし「あくる朝の蝉」からでした。また出たのかと思って過去出題を調べたら、同一出典というだけでなく、2011年の麻布中の問題の読解文がもろにかぶっているという不具合。しかも麻布中の設問の傍線部も問いもほぼ同じようなものまであるのでした。同じ男子御三家の間で、5年前のよその問題と同じ部分を出題するってあまりにもうかつなんじゃないでしょうか。武蔵中の受験生の中には、一度やったことがある子もいたと思われます。


参考までに類似性の強い問題を紹介しましょう。

2016年武蔵
問四 「持ってきた本を机に並べて、座敷を自分の部屋らしくしようと思ったのだ」とあるが、「ぼく」がこのように思ったのはなぜですか。


2011年麻布
問七 「持ってきた本を机に並べて、座敷を自分の部屋らしくしようと思ったのだ」とありますが、「自分の部屋らしく」することは「ぼく」にとってどのような意味がありますか。説明しなさい。

 これは解答の方向もまったく同じですね。さらに、

2016年武蔵
問五 本文には三か所「蛍」が登場します。この「蛍」の、現れて消える描かれ方には、時間の経過を表すほかに、どのようなことが暗示されていると考えられますか。

2011年麻布
問十三 この作品では「蛍」や「蝉」が重要な意味を持っています。
(1)ーー線(124行目)では「蛍」が「蚊帳の上にとまっ」ていますが、ーー線(158行目)では「蚊帳に張り付いていた蛍はいつの間にか見えなくなって」います。作品の内容を考えたとき、「蛍」にはどのような意味があると考えられますか。説明しなさい。

 
考えさせる記述問題ですが麻布を解いた生徒にはラッキー問題になってしまいました。
 ほかの問いも、考えさせる内容は重複していると思うものがありました。