2008年03月26日
ぬかびら温泉今昔物語(スキー場編:其の弐,)
キンコーン
、カンコーン
それでは、今日は糠平温泉スキー場の歴史のつづきを始めます。


ロープトウを昭和35年に設置した後、スキー場は順調に来場者数を増やしました。スキー場は、昭和43年にロープトウを廃止し899メートルのリフトを設置しました。この頃からスキー大会や練成会などが開かれるようになりました。聞いた話によると、この頃のロープトウがまだ某スキー場で現役だとか…
スキー場の利用者は昭和35年は3万人だったのが、昭和40年には8万8千人になり、41年には14万人にまで膨れ上がりました。これかなり凄いですね。近年には想像できないくらいの人が糠平に訪れていたっちゅうことですね〜ッ。
その後、昭和47年には253メートルのシングルリフト、昭和53年には573メートルのシングルリフト、さらに今のスキーセンターを昭和57年に建設し計3本のリフトで営業を行いました。
この頃になると富良野、サホロ、トマム、日勝、メムロなどのスキー場ができ交通アクセスもよく近代化されたスキー場へお客が流れ出し来場者が減少し始めました。これは上士幌町全体における深刻な問題へと発展していきました。
「これじゃダメだべやぁ〜ッ」と昭和57年11月に町では上士幌町開発基本計画を策定し温泉山地区(今の第3高速付近)に新設で長い距離を滑走できるスキー場の開発プロジェクトを始動させました。環境庁には、この拡張はできないと言われていたのもあり、この折衝はかなり難航したそうですが、コース幅を半分にしたり糠平の実情(来客者の減少)を訴え調整が進み成案にいたりました。
ここで、この巨大開発にともなう事業体の誘致に国土計画株式会社があがりました。ガッ、一度拒絶されたのですが、堤義明社長が地元の熱意に打たれ昭和60年12月に糠平温泉リフト�蠅惻勸�を派遣し、資金融資を決定し事実上このプロジェクトが動きだしました。同年12月には、待ちに待った温泉山の調査が始まったのですが、一難去ってまた一難ってな感じで、某自然団体より「糠平の上水道枯渇、温泉の湯量減衰の恐れあり、解除すべきでない」との異議意見書が農林水産大臣に対し提出され許認可が大幅に遅れ誰もが当初のオープンまでに開業するのは不可能だと思われました。


この時歴史は動いた。チャラ〜ン。町議会では特別委員会を設置し、意見書提出側と深夜まで協議し円満に解決をはかり予定通り開発プロジェクトが進められることになりました。
いよいよ昭和63年の8月から営林署により1万5千本に及ぶエゾマツ、トドマツなどが伐採され、西武建設によりコース造成が行われ、日本ケーブルは国内初のフード付高速4人乗りリフト2基と4人乗り高速リフトの設置が行われました。わずか4ヶ月という超短期間の同年12月に完成し、21日にはめでたく竣工式が行われました。


ちなみに、この開発プロジェクトで投入された資金は総額で35億円に達しました。
スキー場も名前を一新し糠平スキー場から、今の「糠平温泉スキー場」に改められましたとさッ。
キンコーン
、カンコーン
起立、
気を付け、
長文になりましたが、これで糠平温泉スキー場の歴史の時間を終わります。
礼、
着席
、カンコーン
それでは、今日は糠平温泉スキー場の歴史のつづきを始めます。

ロープトウを昭和35年に設置した後、スキー場は順調に来場者数を増やしました。スキー場は、昭和43年にロープトウを廃止し899メートルのリフトを設置しました。この頃からスキー大会や練成会などが開かれるようになりました。聞いた話によると、この頃のロープトウがまだ某スキー場で現役だとか…
スキー場の利用者は昭和35年は3万人だったのが、昭和40年には8万8千人になり、41年には14万人にまで膨れ上がりました。これかなり凄いですね。近年には想像できないくらいの人が糠平に訪れていたっちゅうことですね〜ッ。
その後、昭和47年には253メートルのシングルリフト、昭和53年には573メートルのシングルリフト、さらに今のスキーセンターを昭和57年に建設し計3本のリフトで営業を行いました。
この頃になると富良野、サホロ、トマム、日勝、メムロなどのスキー場ができ交通アクセスもよく近代化されたスキー場へお客が流れ出し来場者が減少し始めました。これは上士幌町全体における深刻な問題へと発展していきました。
「これじゃダメだべやぁ〜ッ」と昭和57年11月に町では上士幌町開発基本計画を策定し温泉山地区(今の第3高速付近)に新設で長い距離を滑走できるスキー場の開発プロジェクトを始動させました。環境庁には、この拡張はできないと言われていたのもあり、この折衝はかなり難航したそうですが、コース幅を半分にしたり糠平の実情(来客者の減少)を訴え調整が進み成案にいたりました。
ここで、この巨大開発にともなう事業体の誘致に国土計画株式会社があがりました。ガッ、一度拒絶されたのですが、堤義明社長が地元の熱意に打たれ昭和60年12月に糠平温泉リフト�蠅惻勸�を派遣し、資金融資を決定し事実上このプロジェクトが動きだしました。同年12月には、待ちに待った温泉山の調査が始まったのですが、一難去ってまた一難ってな感じで、某自然団体より「糠平の上水道枯渇、温泉の湯量減衰の恐れあり、解除すべきでない」との異議意見書が農林水産大臣に対し提出され許認可が大幅に遅れ誰もが当初のオープンまでに開業するのは不可能だと思われました。

この時歴史は動いた。チャラ〜ン。町議会では特別委員会を設置し、意見書提出側と深夜まで協議し円満に解決をはかり予定通り開発プロジェクトが進められることになりました。
いよいよ昭和63年の8月から営林署により1万5千本に及ぶエゾマツ、トドマツなどが伐採され、西武建設によりコース造成が行われ、日本ケーブルは国内初のフード付高速4人乗りリフト2基と4人乗り高速リフトの設置が行われました。わずか4ヶ月という超短期間の同年12月に完成し、21日にはめでたく竣工式が行われました。

ちなみに、この開発プロジェクトで投入された資金は総額で35億円に達しました。
スキー場も名前を一新し糠平スキー場から、今の「糠平温泉スキー場」に改められましたとさッ。
キンコーン
、カンコーン
起立、
気を付け、
長文になりましたが、これで糠平温泉スキー場の歴史の時間を終わります。
礼、
着席
