「蛇喰(じゃばみ)伝説の地」と山ユリ咲く平群の里を歩く

。。。天神社から、白蛇伝説が残る蛇喰集落を散策

山ユリの大群落は最近の冷え込みと雨不足で開花が遅れ、まだ蕾の状態だったが、別の場所での山ユリの豪華な花を見ることが出来た♪
築180年以上といわれる茅葺き古民家「ろくすけ」にて、地産地消の弁当を食べて休憩。

平久里下区に、『蛇喰(じゃばみ)』と呼ぶ集落があります。その蛇喰の中央にある小高い山の頂に、むかし、お城があって、そこには、たいそう美しく、しかも心優しいお姫様がおりました。
ある年の秋祭りのことですが、お城のお姫様が氏神様参りをしての帰り道、一匹の白蛇の無残な死骸に目をとめたのです。お姫様は、その白蛇の死を哀れみ城内の高台に蛇塚を立てると、お寺の僧にお経を上げてもらい、ねんごろに供養しました。そうしますと、お姫様の慈悲深い気持ちが通じたのか、お城のまわりにたくさんの蛇が棲みつき、お姫様を禍から守ったのです。
蛇喰の集落では、今も大小さまざまの蛇が、野山はもちろん農家の母屋や納屋にも棲みつき、冬でも暖かい日には、田畑や家の庭先で見ることができますが、不思議なことに、むかしから、蛇に噛まれた者は、一人も無いというのです。それは、お城のお姫様に供養された白蛇の霊が、恩返しとして、後の世の住民たちも守っているからですね。
~南房総市「市にまつわる民話」より引用


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宮本(旧五日市)の歴史探訪 ~ 真名井・茂侶神社

船橋大神宮の常盤神社(東照宮)→東光寺→了源寺→真名井→茂侶神社 

その4:真名井、茂侶神社
≪真名井≫
この辺りは画像のように高台ですが、窪地になっていてその所を「真名井」と呼んでいて、ここの湧水を飲用水として使用していた。
この湧水は「弘法大師がこの地を訪れ、錫杖で掘り下げた泉」との伝説があり、側に弘法大師を祀ってある。

≪茂侶神社≫
何故か、社号標(画像参照)が部首に「にんべん」の付かない「茂呂」神社になっている。
なんで?と探訪会の会員の人に聞きましたが、住民の誰も理由は説明できないと言ってました。
彫り間違えたんだろうと言うと、それなら後で「にんべん」を彫ればええやんかという意見があったが、私的にはそうするとバランスがすごく悪くなるので、仕方なくそのままにしたんやろうと思う。
多分、石屋に注文する時に「茂呂」と書いて持って行ったんやろなあ。

2017年5月27日


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宮本(旧五日市)の歴史探訪 ~ 了源寺

船橋大神宮の常盤神社(東照宮)→東光寺→了源寺→真名井→茂侶神社

その3:了源寺
浄土真宗本願寺派の寺院である。 天正8年(1580年)、伝翁により開基。
戊辰戦争の際、西本願寺派は倒幕運動に協力し、僧兵の出兵、朝廷への献金を行ったので、西本願寺派のこの寺だけ焼かれずに現在に至っている。

≪鐘楼堂≫
幕府から「時の鐘」として公許され、明治4年(1871)に廃止されるまで、船橋一帯に時を告げていた。
享保年間に大砲が据えられ試射が行われていた。射撃場が廃止されたあと、鐘楼堂が建てられた。

≪和時計≫
この「時」の基準となった時計

≪亀石≫
生家である了源寺に隠居した宝海は朝夕阿弥陀さまにお経を唱えていた。そうすると寺の池から亀が現れ、お経を唱えている間中、一緒にじっと居た。宝海が亡くなると亀は消えた。
お経を読んだり、それを聞くことで業が減る、または消えるとされている。そうすると次回は人間に生まれ変わると言われている。

≪徳川方の兵士の墓≫
脱走方徳川家臣菅野元資の墓(行年28歳)

2017年5月27日


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北米の横笛(G管)~霧の小次郎



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