2018年01月19日
まかり通る中東問題の嘘を検証する
1月19日金曜日
先日京都で、中東問題の講演会がありました。
講演者は、国際政治学のジャンルで著名な学者でした。
内心楽しみにしていたのですが…。
内心楽しみにしていたのですが…。
講演内容があまりにも偏ったものであり、事実に立脚しているようには思いませんでしたので、私は内心苛立ちのようなものを感じていました。
こうして誤解がまた広がっていくことになるからです。
こうして誤解がまた広がっていくことになるからです。
講演の内容は、トランプ大統領によるエルサレム首都問題です。
歴代のアメリカ大統領は、政財界に隠然たる影響力を持っているユダヤロビーの支配に置かれていると言う前提での講演でした。
いわゆるユダヤ陰謀論です。
いまだにこんなことを信じ込んでいる人がいるのですから、やり切れません。
いまだにこんなことを信じ込んでいる人がいるのですから、やり切れません。
ジャーナリスト上がりのこの学者によると、そもそもイスラエル建国そのものがユダヤ勢力に支配されたアメリカによって策謀されたもので、中東のど真ん中にアメリカの最前線基地を作るためのものであったと言うのです。
イスラエルは、世界戦略上の理由からアメリカによって建国されたと言うのは本当なのでしょうか?
事実を調べてみましょう。
1948年5月14日、イスラエルが独立を宣言した時、アメリカはこれを国家として承認をしていません。
いち早く、イスラエルを国家として承認したのは意外なことにソ連でした。
アメリカは、ベングリオンを首班とする臨時政府を承認しただけで、国家としては認めなかったのです。これには理由があります。当時アメリカの政府内部には深刻な対立があったのです。
イスラエルは、世界戦略上の理由からアメリカによって建国されたと言うのは本当なのでしょうか?
事実を調べてみましょう。
1948年5月14日、イスラエルが独立を宣言した時、アメリカはこれを国家として承認をしていません。
いち早く、イスラエルを国家として承認したのは意外なことにソ連でした。
アメリカは、ベングリオンを首班とする臨時政府を承認しただけで、国家としては認めなかったのです。これには理由があります。当時アメリカの政府内部には深刻な対立があったのです。
大統領であったトルーマンは、イスラエル建国に積極的でしたが、国防省と国務省は大反対だったのです。
本来大統領の意向に逆らう事は、閣僚にはできなかったはずですが、トルーマンは立場が弱い大統領でした。というのは、選挙によって選ばれた大統領ではなかったからです。
前任者のルーズベルト大統領が急死したために、当時副大統領であったトルーマンがそのまま大統領に繰り上がったのです。
閣僚たちは皆、ルーズベルト大統領が集めた人材でした。彼らはルーズベルトに忠誠を誓っていたのです。
もちろん、憲法上の序列においては副大統領はナンバーツーです。
しかし、ルーズベルトはトルーマン副大統領を蚊帳の外に置いていました。
何しろ、マンハッタン計画で原子爆弾を密かに作っていることすら、トルーマン副大統領には伏せていたのです。
ルーズベルト大統領は、イスラエル建国については反対でした
死の一週間前にサウジアラビアの国王に送った手紙には、「パレスチナへの対応は、常にアラブと十分に協議した上で決定する」と約束しています。
ルーズベルト大統領は、イスラエル建国については反対でした
死の一週間前にサウジアラビアの国王に送った手紙には、「パレスチナへの対応は、常にアラブと十分に協議した上で決定する」と約束しています。
アラブの意向はイスラエル建国に反対することです。それはパレスチナ分割決議で、すべてのアラブ諸国が反対票を入れていることによって明らかです。そのアラブと十分に協議した上で初めてイスラエル建国問題について決定すると言うのですから、事実上の反対表明なのです。
ルーズベルトがそのように考えたのは、戦後の世界でアラブからの石油を確保するためです。 既に中東には、ソ連の南下戦略が働いていました。
ルーズベルトがそのように考えたのは、戦後の世界でアラブからの石油を確保するためです。 既に中東には、ソ連の南下戦略が働いていました。
石油大国のサウジアラビアを、アメリカ側につなぎ止めておくためには 、アラブ側の意向を汲まなければならなかったのです。わざわざアラブを怒らせるような選択をすることは、アメリカの国益に反する事でした。
中でもマーシャル国務長官は、イスラエル建国反対の最右翼でした。第二次世界大戦における陸軍参謀総長で、アメリカに偉大なる勝利をもたらしたマーシャルは、大統領へ凌駕するほどの絶大な人気を得ていました。
トルーマン大統領といえども、簡単に首を切ることができない相手だったのです。ある時トルーマン大統領が常時マーシャル国務長官に言いました。
「(ファーストネームの)ジョージと呼んでもいいかな?」
「いいえ。マーシャル将軍とお呼びください。」
このエピソードに彼らの人間関係がよく表れています。
マーシャルは、大統領が持て余すような人物でした。有能ではあるけれども、国民の絶大な支持の背景に言いなりにはならないタフな男だったのです 。大統領にとっては実にやりにくい部下だったのです。いや自分の部下と思っていない部下だったのです。
さて、国連でパレスチナ分割決議が採択された1947年11月29日。
アラブ世界はこぞって、この決議に反対し、ユダヤ人国家阻止に動くと宣言します。
そしてこの日のうちにパレスチナ全土で、テロが始まり、流血事件が拡大していくのです。イギリス軍がパレスチナに駐屯している時ですら、暴動と衝突が止みません。
イギリス軍が撤退した後は、アラブ側とユダヤ側に戦争が起こるのは目に見えています。
そこで両者とも、全力を尽くして武器と弾薬の確保に走り回ることになるのです。
アメリカの国務長官マーシャルは、建国前のイスラエル臨時政府に建国を断念させるために、中東に対する武器輸出禁止政策を実行しました。
アラブにもユダヤにも、アメリカは武器を売却しないと言うわけです。
一見両者に対して公平な扱いをしてるようですが、そこには裏がありました。
一見両者に対して公平な扱いをしてるようですが、そこには裏がありました。
アラブ側は、イギリスを始めとして多くの国々から武器の供給を受けることができたのに対し、ユダヤ側はアメリカだけが頼りだったのです。
アメリカから武器が得られないなら、ユダヤ側はなすすべもありません。
アメリカから武器が得られないなら、ユダヤ側はなすすべもありません。
こうしておけば、時間が経てば経つほどアラブは多くの武器を手に入れることになり、ユダヤは武器を手当てできなくなります。
その結果、ユダヤは自発的に建国をあきらめるしかなくなるだろうと踏んだのです。
実際にアメリカがイスラエルを国家として承認したのは、1949年1月31日です。
つまり第一次中東戦争でイスラエル側が勝利したのを見届けてから追認したのです。
要するに勝ち馬に乗ったのです。
イスラエルはアメリカの陰謀によって無理やりに作られた国なのか、事実を見ればそれが真っ赤な嘘であることが明らかになります。
イスラエルは、当時の超大国であったアメリカが反対しているにもかかわらず建国されたのです。
つまり第一次中東戦争でイスラエル側が勝利したのを見届けてから追認したのです。
要するに勝ち馬に乗ったのです。
イスラエルはアメリカの陰謀によって無理やりに作られた国なのか、事実を見ればそれが真っ赤な嘘であることが明らかになります。
イスラエルは、当時の超大国であったアメリカが反対しているにもかかわらず建国されたのです。
もう一つついでに申し上げておきたいことがあります。
「第一次中東戦争で、アラブ側の国々がイスラエルに攻め込んできたのは、分割決議の内容が最初からユダヤ側を不当に優遇する内容であったからだ。これもアメリカを初めとする大国の意向によって押し付けられたもので、アラブ側が激怒は当然のことである、」と言う意見です。
大抵のパレスチナ問題入門書には、割り当て面積の違いのことが取り上げられています。
大抵のパレスチナ問題入門書には、割り当て面積の違いのことが取り上げられています。
すなわち人口が少なかったりユダヤ側には58%もの土地を割り当て、人口が多かったアラブ側には42%しか土地を割り当てなかったのは不公平だと言うわけです。ここにもアメリカを筆頭とする大国の意向が反映されていると言うのです。事実でしょうか?
そもそも、パレスチナの分割領域を決めたのは、国連によって任命されたパレスチナ特別委員会です。全部で11の国が選ばれます。スウェーデン、インド、オーストラリア、カナダ、チェコスロバキア、イラン、オランダ、グアテマラ、ウルグアイ、ペルー、ユーゴスラビアです。
この中に大国はありません。
皆アラブ側にもユダヤ側にも特定の権益を持たない中立的第3国ばかりが選ばれたのです。
スエーデンを団長とする11カ国からの代表調査団たちは、3ヶ月にわたってパレスチナの土地をくまなく視察しました。
その結果割り当てられた比率が58対42になったのには理由があります。
ユダヤ川に割り当てられた58%の土地の7割は、ネゲヴ砂漠なのです。
イスラエルでは、南部地方に行けば行くほど、アフリカ大陸に近づくにつれて砂漠地帯になります。
砂漠と言うよりも、荒涼たる岩漠です。
年間降雨量が極端に少ないため、ほとんど植物が生息しない荒野なのです。
アラブ側に割り当てられた土地は、降水量が多い、肥沃な土地でした。
年間降雨量が極端に少ないため、ほとんど植物が生息しない荒野なのです。
アラブ側に割り当てられた土地は、降水量が多い、肥沃な土地でした。
そしてそこは、ユダヤ人の先祖たちが歩き回った聖書時代の町が数多くある場所でした。
現在、日本一値段の高い土地は銀座5丁目銀座中央通りです。
1平方メートルあたり4032万円です。
日本で1番値段の安い土地は、北海道 勇払郡厚真町です。
日本で1番値段の安い土地は、北海道 勇払郡厚真町です。
1平方メートルあたり580円です。同じ日本の土地でも、利便性が高い所と僻地では土地の持つ価値がまるで違います。
アラブ側に割り当てられた土地は、歴史的に見ても由緒のある、そして肥沃な土地でしたが、ユダヤ側に割り当てられた土地は未開拓の荒れ地だったのです。ただ広さだけを持って、不当であるとか不公正であるとかを決めつけることができません。
これらは11カ国の土地の専門家が熟慮に熟慮を重ねて出したものです。
陰謀に寄ったのではなく、科学的知見によって出した結論なのです。