主とともにあゆむー高原剛一郎

再婚により喪失から新しい地平に歩み出したキリスト伝道者の随想

天満橋バイブルクラブ再開のお知らせ

6月27日土曜日


明日の日曜日午後3時30分から私はYouTube動画で聖書メッセージを配信します。
その冒頭に、映画のご紹介をしています。
タイトルは「ゆるしの力」です。
2ヶ月前に、試写会に行ってとても感動しました。今年イチオシの映画です。
福音メッセージをそのままに伝えていますが、少しも宗教臭くなく、押し付けがましくなく、ノンクリスチャンの友人を誘ってみるのが最適の映画です。
福音の真理を伝えるのにふさわしいエピソードがいくつも登場するのですが、ネタバレになるので映画は終わるまでは封印しています。
 
ところで今週の水曜日、私は久しぶりに梅田にあるキリスト教書籍専門店を覗いてみました。
そこで久しぶりに、少し歳の離れた若い友らにばったりあったのです。 
かつて何かと相談に乗ってきた有望な人たちです。 
私は嬉しくなって声をかけたのですが、なんだか様子が変です。
よそよそしい。 
そして、なんとなく思い詰めた表情しているのです。
彼と彼女が持っていた書物は、「異言」に関するものでした。
挨拶もそこそこに、彼らは店から出てきました。
私は自分の買い物を済ませて見せると、なんと3人は柱の影で私を待っているではありませんか。
こんなところで10年ぶりにばったり会うのは、神様のお導きに違いないと言うのです。

カフェに入って話を聞きました。
もともと福音的な教会に集っていたのですが、指導者がある時から異言で祈るようになり、預言で語るようになり、インスピレーションで賛美をするようになったと言うのです。
やがて個人的に「異言」の練習をさせられるようになり、ろれつが回らなくなると聖霊が下ったと言われる始末… . 
それでも褒められると嬉しいのでついそんなことをやっていたけれども、コロナで教会に行くことができなくなり、自宅で冷静になって考えてみると自分の心を偽っていることに気がついたと言うのです。
そろそろ教会が再開するにあたって、何とかついていこうと思ってこんな本を買いましたが、今では何の喜びもなく、途方に暮れていると言うではありませんか。
いったいどうなってしまったのでしょう。
なぜバイブルに立ち返らないのでしょう。
その指導者に会いに行って、どやしつけてやりたい気持ちになりました。
そしてますます聖書の言葉を正確に解き明かしていくことが大切だと痛感したのでした。
 
新型コロナウィルスによる感染拡大を抑えるために、この4カ月間全国各地への伝道旅行は表向きほとんどすべてキャンセルになりました。
しかしながら、今まで以上に多忙になってるような気がします。
大阪にとどまることができるため、たっぷりと個人的な面談をすることができますし、何よりYouTube動画収録が格段に増えたのです。
今週だけで4本分を収録しました。先日嬉しいニュースがはいってきました。
ある大学の比較宗教学の授業で、私のYouTube動画がテキストとして採用されたと言うのです。
 ナンバー88「世界3大宗教は何が違うのか」です。
実に嬉しいことです。と言うのはご覧くださる方は大学生、つまり若い方々であるからです。
 
このようにゆっくりですが、聞いてくださる方がじわじわと増加傾向にある事は何より嬉しいことです。
しかし、やりすぎてしまう自分に戻らないように自らを戒めております。

ところで、表向きキャンセルになったと言うのは、非公開で講演旅行していたからです。
大勢の方に集まっていただきたい気持ちが強くありますが、それでは3密になってしまうので、非公開でごくごく少数の方々にのみお話ししてきました。
そしてこの傾向は今年いっぱい続く可能性があります。
来年に計画していたアメリカ大陸横断講演旅行も1年先延ばしすることにしました。 
世界的スケールで人類が集団免疫力を獲得するのに、2年かかると言われています。
収まるまでの間はじっと我慢の子です。
しかしながら、東住吉キリスト集会では対策を講じて徐々に集会を再開しております。
7月22日の水曜日には、5ヶ月ぶりに「天満橋バイブルクラブ」を行ないます。
会場の収容人数は100人余りなので、今回は50人限定で受け付けます。
また会場整備の都合で、1500円の入場料をいただきます。
申込者の中から抽選で50名の皆様に通知をいたします。
当日は、マスクを着用していただきます。
話をする私もマスクをつけます。
体調の悪い方はご遠慮願います。

詳しくは東住吉キリスト集会ホームページにご案内を掲載しておりますので、ご覧ください。

"あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。"
テモテへの手紙 第二 2章15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

メロディーは音符と休符でできている

6月2日火曜日


昨日の月曜日は、終日沈黙し、聖書の言葉で自分の人生を思い返し、見落としていた多くの恵みに気づいて自分自身を取り戻しました。
私にとっては、活動のない人生には虚しさを感じますが、活動しかない人生にも同じ位に虚しさを感じます。


ある時イエス・キリストの一行がベタニア村に入りました。
そこにはイエスがこの地上でくつろぐことができる数少ない家族がいたのです。
マルタとマリアとラザロの三人姉弟家族です。 
数ある家庭の中でメシアに選ばれたことは、実に誇らしくも光栄なことであったことでしょう。
姉のマルタは、この栄誉に応えようとして最高のおもてなしでお迎えしようと決めていました。
てんてこまいの中で、いつもチームを組んでいる妹のマリアが見当たりません。
なんと彼女は、イエスキリストの足元に座って話に聞き入っているではありませんか!
自分1人にもてなしの重労働押し付けて、イエス・キリストの話にのめり込んでいる妹を見たとき、怒りはイエス・キリストに向かってしまいました。
あなたからも、妹が手伝いをするように言ってやってください!

 "主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」"
ルカの福音書 10章41~42節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

イエス・キリストが1人でこの家に訪問したのではなく、12人の弟子を引き連れてやってきたことでしょう。
考えてみてください。
大人13人のお腹を満たすために、どれだけたくさんの料理を出さなければならないか。
イエスの話を切るのは確かに大事でしょう。
しかしだからといって、全員がイエスの話を聞いて料理を作らないなら、空腹の十三人にはどうなるのですか。 
誰かが作らなければならないのです。
そしてそれは良いことです。
しかも自発的に始めた良いことです。
ところが自分で好きで始めたことであるのに、マリアはここで怒りを爆発させているのです。 いったいどこから間違ったのでしょう。
 
イエス・キリストの言葉の中にヒントがあります。
彼女はいろいろなことを思い煩って 、心を乱していたのです。

いろいろなことを英語のバイブルでは、Much serviceとかso many thingsと翻訳されています。
つまり彼女は、やりすぎたのです。
自分で抱えきれないほどの仕事を自発的に背負いこんだのです。
体力と気力の限界まで挑戦するおもてなしに走りまわったのです。
そのようにしようと思った動機は、ただただイエス・キリストを喜ばせたいと言うことです。
しかし、 この自分の能力を超える過剰な活動は、彼女から余裕を奪い本来楽しんでできたであろう準備の活動を腹立たしいものに変えてしまったのです。

もしこの時彼女が出そうとしていたメニューを半分に減らしたらどうでしょう。
彼女の負担は間違いなく半分になっていました。
3分の1にしていたらどうなったでしょう。
今彼女が背負っている負担の3分の2が消滅したのです。
良いものを良くないものに変えてしまった最大の理由は、忙しさです。
良いと思われることを全部やってみようとして自滅したのです。

キリストの足元に座って、彼の言葉に生きることをデボーションといいます。マリアがそのようにしたのは、彼女がせがんだからと言うよりも、キリストがそうしてほしいと願ったからだと思われます。

奉仕活動は良いものです。
しかしデボーションは最も大切なものです。
良いもののために最も良いものを犠牲にするなら、その良いものは良さを失っています。 私は自分自身の働きのクオリティーを落とさないために、数年前から1つ決めていることがあります。
お招きをいただいても、メッセージを取り次ぐのは1日2回までです。
以前は3回、4回、5回と言うこともありました。
そういうことができることに、満足感を覚えていました。
ある意味訓練にもなりましたし、その時の経験が今になって生きていることもあります。

しかし60歳になったんです。
今の私は、10人前の餃子を無理矢理完食することよりも、二人前を舌鼓しながら味わいたいのです。
過密スケジュールは人をせっかちにします。
妙な例えになりました。大好物なので。
 
せっかちな人は、今を生きることができません。
今生きてるつもりが、少しの隙間時間があればすぐに次にすることに頭が行ってしまい、そこにいる景色や目の前にいる人との交わりをかみしめることができないのです。
これではモーレツビジネスマンの生き方と変わりません。
このような生き方に私は魅力を感じません。

なのでこれからも、お招きを受けてもメッセージを取り次ぐのは1日2回までです。
できれば1日一回が良いかもしれませんが、そういうわけにはいかんでしょう。
メッセージよりも、その時間を共にする人たちとの交わりを楽しみたいのです。

新たなる挑戦です。
やることを厳選して、1日のスケジュールを詰め込みすぎないようにすることです。
すぐに効果が出てきます。
自分自身を取り戻すからです。
最近デボーションが楽しくてたまりません。 
コロナ禍で余裕が与えられたからです。
これは手放してはならない私の命綱であることを再発見しました。

 
 

ごうちゃんねる開設のお知らせ!

5月16日土曜日

先日、兼ねてからお招きを受けていたキリスト集会で、終末論の学び会を4本、二日間にわたってお話ししてきました。
お話ししてきた、といってもライブではありません。
広い会場にはカメラが二台、YouTube配信の為の収録だったのです。
集会のメンバーが自宅で聖書を学ぶためのメッセージを、録画するために会場に入ったのでした。
ところで、インターネットを通してメッセージを聞くと言うのであれば、わざわざ片道1時間かけてその会場に赴く必要はなかったのです。
自宅で収録したものを、データとして送るだけで事足りるのです。
それにもかかわらず、わざわざ会場にまで出かけていたのには理由があります。
実は自分の中に、伝道旅行に出かけることをめんどくさいと感じていることに気が付いたからです。

人が集まる催し物の自粛を要請されたばかりの時、大変な不便を感じました。
ところが、突然集会ができなくなったのです。 
つまり、日常が突然非日常になったのです。
しかしそれであるが故に、様々な気づきを与えられました。
一緒に集うことの素晴らしさや今までの神様の守りについて、たくさん感謝することが見つかりました。
都度お願いと言う異常事態が、新鮮であるが故に、たくさんのことを教えられました。 
ところが、集会中止も2ヶ月を超えると、非日常が日常になってしまうのです。
ともに都度案内と言うことが日常になったのです。 
そして人間は日常に慣れてしまうのです。
慣れてしまうと教えられることもあまりありません。
そして一旦慣れてしまうと、慣れていることをやめることに億劫さを感じるようになります。 

1日を大好きな聖書研究のために時間を使い、週に1階YouTube動画の収録のために集会に行くことだけで完結してしまうと、だんだん人と関わることがめんどくさくなるのです。
恐るべきことに、懐かしいはずの兄弟姉妹と再会することすらも、そこに行くまでの準備や段取りを考えるとめんどくさくなるのです。
そういう自分自身に気づいたので、私はわざと往復2時間かけて会場に赴いたのでした。

実際に行ってみた結果、実に素晴らしかった。
数名のスタッフとの交わりが、懐かしく、暖かで、驚くほど新鮮だったのです。
実際に会いに行くまでは、あんなにめんどくさかったにもかかわらず、そんなことなど吹き飛んでしまいました。

今はリモートコミニケーションの技術が発達し、画像も音響も実に鮮明になりましたが、どんなに解像度やサウンドのクオリティーが上がっても、決してコンサートは廃れる事はありません。
なぜならライブに勝るものはないからです。

もし私と同じようにさびついた刀のようになっている方がいらっしゃるなら、さびついたままで結構ですので、自主解除の暁にはぜひ集会に参加なさることをお勧めします。
 
アフターコロナ時代は、今までのライフスタイルと変わったものになるでしょう。
また変わるべきです。
満員電車に片道2時間もかけて事務所に行ってやる仕事が、実は自宅でも充分できるということがわかったから、満員電車の解消にもなるでしょう。
無駄はどんどんなくしていけばよいのです。 
遠距離にいるため、様々な集会をあきらめるしかなかった方々は、リモートコミニケーションがどんなに大きな助けとなることでしょう。 
効率的なこともどんどん取り入れていけばよいのです。
しかし同じ場所同じ時間を共有すると言うことの価値は、決して廃れるものでは無いのです。
これらは対立するものではなく、補い合うものだと思います。

さて、明日5月17日日曜日午後3時30分から「ざっくり黙示録シリーズ11」を配信します。
できるだけ1時間以内に収めたいのですが、やはり1時間15分ほどかかってしまいました。
ノンクリスチャンの方にも聞いてほしいので、できるだけ優しくお話ししようと心がけているつもりなのですが、まだまだです。

実は皆様にお知らせがあります。
来週5月23日土曜日、私はYouTubeの個人チャンネルを開設します。
その名も「ごうちゃんねる」です。
ごうちゃんは、少年時代の私のニックネームです。
同時に旧約聖書の大好きな言葉「あなたは…私が示す地へ行きなさい」をも意識しました。
生きなさいと言うヘブライ語は、レフ・レハーです。あなた自身に向かっていきなさいと言う意味です。

創造主なる神様が意図した私は、未来に既に存在しています。
私はその時間に会いに行きたいと思います。
そのようなわけで、私は自分の誕生日にこの新しいことに挑戦します。 
すでに集会でメッセージ動画を配信し、なおかつラジオ番組「聖書と福音」のYouTube番組も配信しているにもかかわらず、その上個人チャンネルを始めるのには理由があります。
実は福音を語りながら、少し不親切な部分を感じていたからです。
興味があり、またある程度の予備知識を持ってる方が多いため、いきなり返品の核心に切り込んでいく話になってしまいます。
しかしながら日本人の多くは、福音のずっとずっと手前にいるのです。
そもそも神様と言った時、創造主なる神様が頭に浮かばないのです。
自分たちだってかつてはそうであったのに、クリスチャンのキャリアを長く住んでいるとノンクリスチャンの気持ちを忘れてしまうのです。
なのでワンポイントに絞って、日本人がつまずきやすいところに絞り込んだ話をしてみたいのです。
まずなんといっても創造主なる神様の存在です。
それからなんといっても短く話をすることです。
YouTubeのコンテンツとして90分のメッセージはあまりにも長すぎるのです。
それはわかってるのですが、わかっていただくための説明をするとついつい長くなってしまうのです。
だからできるだけ短い話を心がけます。
さらに、聖書の世界観で育まれたマイワールドを皆様と分かち合ってみたいと言う気持ちがあります。
つまり聖書メッセージだけではなく、歴史や文学、芸術、映画、時事問題、サブカルチャー、生い立ちや趣味、その他諸々を分かち合い、世代を超えて共鳴できる誰かと出会いたいのです。

そんなことを考えていた本日、ラジオスタジオに1通の手紙が届いていました。
それは島根県に住む中学3年生の男の子からの手紙でした。
ひょんな事からYouTube動画で私のメッセージをするようになり、今では190本全部聞いて、
上がるのを今か今かと待ち構えていると言うのです。
そして、今自分がいかに生きるべきか、どのように来たる先生に備えたら良いのかについて真剣な問いかけをしてきたのでした。
うれしかったです。実に嬉しかった。

私のYouTube動画は、どちらかと言うと50代以上の方がご覧になっているのです。
しかし私としては、意識の高い若者たちには何とか福音を届けたいのです。そんなことを考えていた矢先に、抜群のタイミングが届いた手紙に、神様のゴーサインを見たような気がしました。
集会でのメッセージ動画とは別の曜日に、できるだけ週1回か2回アップしたいと考えています。
慣れるまでは週一回になると思います。

それを泣けて、このブログを愛読してくださる皆様、ぜひ「ごうちゃんねる」にアクセスしてみてください。
そしてチャンネル登録よろしくお願いします!


"私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。
ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。"
ローマ人への手紙 1章14~15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 
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