主とともにあゆむー高原剛一郎

再婚により喪失から新しい地平に歩み出したキリスト伝道者の随想

高槻伝道旅行

 11月12日月曜日

土曜日、日曜日と高槻キリスト集会で聖書講演会を行いました。
土曜日は、クリスチャン向けに「携挙が艱難時代の前に起こる理由」、「艱難時代の 3つの目的」について分かち合いました。
質問会も活気に満ち、私たちの心は互いに沸き立ちました。
日曜日は、午前中の学び会の後、午後から聖書時事講演会と題して 90分の集会を持ちました。
集会の後で、1人の紳士と個人的に語り合いました。
今年の3月からずっと集会にこられて、学び続けている方です。
会話の中で神様が導いてくださり、ごく自然にイエス・キリストを救い主として受け入れるか、と言う決断の場面になりました。
彼はかなり躊躇されました。
というのは、あまりにも自分が罪深いからだとおっしゃるのです。
しかし罪深いものであるからこそ、イエス・キリストが必要なのではありませんか?と言う問いに対して、静かに頷かれたのです。
私たちは祈りました。信仰告白の祈りです。
そのあとで、しばらくキリストを受け入れた瞬間に身の上に起こった立場の変化について語りました。
何とも言えない穏やかな表情に変わっておられました。
見ていたみんなも、深い感動に包まれたのでした。 

パスカルがパンセの中で次のように書いているのを思い出しました。

「自分が惨めであることを知らないで神を知ると、人は高慢になる。
神を知らないで自分のみじめさがわかると、人は絶望する。
イエス・キリストを知る事は中間の道を行くものだ。
なぜなら、キリストにあって私たちは自分のみじめさと神と2つながらに見いだすからだ。」

福音においてイエス・キリストを知ることこそ、人が健康的なバランスを保って生かされていく道です。
ドラマチックな絶望の主人公を英雄視するこの世の中で、当事者が不幸のどん底にいるということを知らなければなりません。  本当の幸せは、キリストによって人間が神の意図する姿に回復していくところにあるのです。
それを可能にする恵みの福音を、命ある限り証させていただきたいものです。

今週の金曜日は、ホテルニューオータニ大阪にてWWJDがあります。午後7時からです。現在のところ、創世記をじゅんじゅんに学んでいます。次回は創世記21章を学びます。前もって一読していただくとよりいっそう理解が深まることでしょう。

「恐れることはない。私は初めであり、終わりであり、生きているものである。私は死んだが、見よ、代々限りなく生きている。また死とよみの鍵を持っている。」黙示録1章17から18節

神の御声に聴き入る

11月8日 木曜日

先日小学1年生の書いた詩を読みました。

「お母さんが気をつけて行きなさいよ、と言った。
僕ははい、行ってきまーす、と言った。
お母さんの声は僕についてきた。
学校までついてきた。」

この男の子は、まるでお母さんの声に背中を押されるように、あるいはお母さんの言葉に運ばれるようにして学校まで行ったのでした。彼の心の中には、1日ずっとお母さんの優しい声が響き渡っていたことでしょう。

 連日のさまざまな働きの中で、ヘトヘトになった私は、メッセージのためではなくただ自分自身のために、キリストの声を聞くために聖書を開きました。
その時私の内面で起こった変化に、あまりにもぴったりだったので、この詩が目に止まったのでしょう。

今私が渇望しているのは、あわれみぶかいキリストの声です。
恵深いキリストの御言葉です。
すぐ手が届くところに、自分の聖書があると言う幸せは特権以外の何者でもありません。

キリストをもっと知りたいと思わない人は、結局まだキリストを知ってはいないのです。
味をしめたら止められない食べ物のように、人柄を知ってしまったら離れられなくなるよき友達のように、キリストは近づく者たちをいっそう渇きを植え付けて共に歩む人生を経験させてくださる方だと思います。


本日は、東住吉キリスト集会で聖書の真実シリーズの講演会です。
ダニエル書9章から、70週の預言を考えます。ノンクリスチャンの方にも興味深くお話しするのは、本当に難しいことです。
と言うのは、バイブルはつくづく信じている者たちへの言葉だと思うからです。
学びとしてではなく、初めての方々にどう伝えたらいいのか頭を抱えながら、神様にお祈りしております。午後7時からです。ご都合が良い方はいらしてください。

「 それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻の預言を確証し、至聖所に油を注ぐためである。」ダニエル書9章24節



 

奈良伝道旅行

11月2日金曜日


日曜日まで、世田谷区の経堂キリスト集会で7回のメッセージをしました。
月曜日の朝、上越新幹線で新潟に移動しました。
新潟県の聖籠町で、聖書の講演をするためです。
私のメッセージを喜んで聞いている89歳の村の長老が、40枚の案内状を一軒一軒、配り歩いてくださったのです。
 小さな町の公民館が会場です。
公園少し前に到着すると、駐車場には車が二台だけ止まっていました。
キリスト教会など一見もない、仏教の強い強いこの田舎町で、初めてキリストの福音を語るのですから、
大勢の人々を期待する方が間違っています。
 私はどの会場に入る時でも、人数の大小は度外視します。
たとえ1人でも、ノンクリスチャンの方がいるならば喜んで参ります。
だから今回も2人から3人であっても全く問題ありません。
ところが玄関を開けてみると、20名近い方々の靴が並んでるではありませんか。

会場に入ると集落の方々が14名、すでに車座になって座っておられました。
生まれて初めて聖書の話を聞く方ばかりです。
最初に村の長老が、挨拶してくれました。
それから村の長老の娘婿が、私の紹介をしてくれました。
「聖書」や「キリスト伝道者」などと言う言葉は、聞くだけで周囲から浮いてしまうような言葉なのです。
そんな雰囲気の中、キリスト伝道者高原剛一郎として紹介されました。 
ガチガチになった空気の中で、私は話出しました。  
この日のために祈ってきた、この町出身の兄弟姉妹が、ゴクリとつばを飲み込む音が聞こえてきそうなほどの緊張感です。
しかし話だすにつれて、聞いてる方々がどんどん前のめりになっていくのがよくわかりました。
途中からうなずいたり、笑ったり、驚いたりと大忙しでした。
私はヨハネの福音書9章から、生まれつき盲人の物乞いをしていた人の話をしました。
一体誰のせいで盲目に生まれついたのか、と言う弟子の問いに対するキリストの答えが記録されているところです。  
一見不幸に見える事柄は、前世の因縁ではなく、先祖の祟りでもなく、宿命でもなく、神のわざが現れるためです!というポイントを強力にお話ししました。

反応が気になりましたが、終わってみるとみんな顔を紅潮させておられるではありませんか。
その後交わりの時間になりましたが、1時間を超えても誰も席を立ちません。
あちらこちらで個人的に伝道の花が咲き、聖書を開くもの、スマートフォンで「聖書と福音」やYouTubeでの私の動画紹介をするもの、メッセージについて感想を分かち合うものなどすっかりいつもの特別伝道集会風景に様変わりでした。 神様は本当に素晴らしい方です。
  聖書の福音は、とにかく聞いてみないことには偏見が拭えません。
もちろん、聞いたからといって偏見がなくなるわけではありません。
聖霊の働きによらなければ、人は誰も救われる事はできないのです。
だからこそ大いに期待しています。
精霊が働いて下さるならば、不可能は無いと言うことなのですか拭えません。
もちろん、聞いたからといって偏見がなくなるわけではありません。
聖霊の働きによらなければ、人は誰も救われることができないのです。
だからこそ大いに期待しています。
聖霊が働いて下さるならば、不可能はないと言うことなのですから。

というわけで本日と明日、聖書の御言葉を述べ伝えるために奈良に参ります。
  11月2日金曜日午前10時30分から12時0
レディースアワー「秋の特別集会」

11月3日土曜日午後2時30分から4時。
王寺町地域交流センター(リーベル王子東館5階)フリールーム1-2
「聖書の影響受けた維新の志士たち」
両日とも入場無料です。献金など一切ありません。お気軽にお越しください。詳細は大和王寺キリスト集会のホームページをご覧ください。

「信仰は聞くことから始まる」ローマ人手紙10章17節。
  
  
  
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