主とともにあゆむー高原剛一郎

再婚により喪失から新しい地平に歩み出したキリスト伝道者の随想

無理な注文をしてみよ!

1/15 日曜日


昨日の笠岡市は、天候が大荒れとなりました。
雪が振り出し、突風が吹き荒れ、さむいのなんの。
それで会場の事務局から主催者に問い合わせの連絡がありました。
「こんな天気でもやりますか?」
要するにキャンセルがないかどうか確認が入ったのです。

ところが、会場に入ると、口コミで集まった方々が約30名。
岡山県、広島県各地からだけでなく、四国の愛媛や香川からも参加者がありました。

大変熱気を帯びた集会となりました。
集うことの困難さがスパイスになって、却ってみんなが燃やされたかのようです。

メッセージの後、初対面の男性に声をおかけしました。
みことばが入ってゆく様子が見えたからです。
彼は、聖霊によって、十分に整えられた方でした。
単純な福音の説明の一つ一つに対して、自分なりの考えを述べられたので、よく理解されていることがわかりました。
主がそば近くにいて、私たちの肩を抱いていてくださっているように思いました。
こうして、彼はキリストを心の中に迎え入れたのでした。
彼は、岡山県の北部から来た方でしたが、そこは今から20年前に、今はなき三原の伝道者O兄が、定期的に伝道していた場所でした。
そして、彼も彼の家族もO兄から福音を聴いていたと言うのです。

20年以上前に蒔かれていたみことばの種と伝道の働きが、期が熟して実を結んでこの日を迎えたのです。
既にクリスチャンになっていたご両親の喜びようは、たとえようがありませんでした。
今年初めの伝道旅行は、こうして刈り入れから始まりました。

今日は、朝から雪が舞い散る中を、広島に向かいました。
三原集会では、午前中の学びで、万人祭司について学びました。
学びながら、この真理の持つ意味の大きさに、感動しました。
神が人間にお与えになった最大級の特権でありながら、最小限にしか実施されていない真理です。

午後からは、尾道市立大学から、初めて福音を聞くと言う女子大生が来てくれました。
なんと大阪出身というではありませんか。
我が家の近くにある、大阪市立工芸高校
の卒業生でした。
クリムトが好きだというので、エゴンシーレを知っていますかときくと、作品集を持っているとのこと。
話は大いに盛り上がり、ごくごく自然に創造主を伝えることができました。
話しながら、つくづくこの世界に断片的に散らばった真・善・美はことごとくキリストご自身の中にあることに気づくのです。
キリストを伝える者にとって、キリストご自身を深く知ること以上に大切なことはないと思いました。
ところが、クリスチャン自身が、いや私自身がキリストを知らないのです。
キリストご自身の魅力を知らないので、福音の本質とは離れたもので「釣ろう」とするのです。
余興や付録やオマケを付けて、世の人々の関心を得ようと苦労します。
しかし、苦労のしどころが、少し違っています。
福音そのものの凄みを追求したい、みことばそのものの深みを追求したい、本物の福音そのものの本質を追求したい。これは、今年の大テーマというより、私の一生のテーマです。

ノンクリスチャンが教会に来ないのも、クリスチャンがマンネリになったり、離れたりするのも、息が止まるようなキリストご自身の底知れなさを知らないからです。
ああ、キリストを知ってもっとびっくりさせられたい!
永遠という時間をもってしても味わい尽くすことが無いキリストご自身に、とことんのめり込みたい!
主よ。極み切れないキリストご自身を極みまで味わいつかせてください。


「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように」エペソ3:19

一月の伝道旅行スケジュール

1/13 金曜日


今日は、女性限定の聖書メッセージの集いで、福音を取り次ぎました。
毎回ベストを尽くしますが、毎回劇的な変化を見るわけではありません。
期待しながら、神様のタイミングをお待ちします。

最近、地方の方々から、こちらで講演する機会があれば知らせて欲しいという連絡を良くいただきます。
どういうわけか、北海道から東北、北陸地方からのお問い合わせが多いのです。
多くは、YouTube動画とラジオ放送で知ってくださった方々です。感謝なことです。

今年のスケジュールは、ほぼ年末まで決まっております。
9月に青森に参ります。
北海道と北陸地方への予定はありません。
その他のスケジュールについては、このブログでお知らせします。

早速ですが、明日は岡山県笠岡市のサンライフ笠岡で、夕方6:30から聖書メッセージを語ります。
ただし、国際情勢と聖書預言ではありません。
福音メッセージを語ります。
明後日の日曜日は、広島県三原市の三原キリスト集会で、 午後2時から福音集会を持ちます。

1/20金曜日は、午後7時からWWJDです。大阪のホテルニューオオタニです。
22日は、東住吉集会で、午後3時半から福音メッセージを語ります。
29日は、京都西京極キリスト集会で、午後から福音メッセージがあります。詳しくは、各集会にお問い合わせください。
 

主無しの安楽よりも主とともに泣こう

 1月12日水曜日

久しぶりのブログ更新となりました。
実は今週の月曜日、兵庫県尼崎市のオクトホールで、聖書の学びのメッセージをするまでは気が落ち着かなかったのでした。
約650名の兄弟姉妹たちの前で、年頭にふさわしく神の言葉を取り次ぐため、主の前に準備していたのでした。集会は全部で4回ありました。
私はそのうちの1回のみを担当したのですが、 すべてのメッセージが今の私にとって本当に必要なものであり、祝福されました。
ズシンと、胸にこたえました。 
私の尊敬する2人のクリスチャンが渾身のメッセージを取り付いてくださったからです。
特に、ご夫婦だけで福島県に開拓伝道に行ってるN兄弟の証のメッセージは、心揺さぶられずにはおれませんでした。
全くよそ者として、親戚や知り合いが誰1人いない私に、主からの使命に押し出されて出向いていかれたのですが、先に待ち受けていたのは全く予想外の恵みに次ぐ恵みだったのです。

またY兄の学びでは、東住吉の1人の姉妹の証が紹介されていました。
その姉妹はイスラム圏某国に宣教に出ている姉妹です。
次々と降りかかってくる試練の中で、もうダメだと思ったところから本当の信仰が始まるという学びでした。
話は変わりますが、昨年ハワイからの帰りの飛行機の中で、私は機内上映の映画をオンデマンドで鑑賞しました。私は、日本映画の傑作中の傑作と言われている、7人の侍を見たのです。
全編白黒で、所々セリフを聞き取りにくく、はじめは名作の意味がわかりませんでした。
しかし、しばらく見ているうちに、ぐいぐいと惹きつけられていたのです。
野武士集団に収穫の全てを収奪される哀れな百姓たちが、対抗手段として侍に救済を依頼するのです。
しかしながら、あまりにも貧しい村であるので、金品による謝礼を一切払うことはできません。
報いはただ、白いご飯だけなのです。
割りに合わない戦いに応じようとする侍は、なかなか見つかりません。 

ところがとうとう1人の侍、島田官兵衛と言う人格者の侍が、立ち上がります。
腕はたつけれども、生涯負け戦ばかりと言う不遇な武士です。 
官兵衛は、野武士集団と対抗するために、どうしても7人の侍が必要だと、同志を募ります。
しかし、侍たちは誰も応じようとしませんでした。


そんなある日のこと、宿場町で官兵衛はばったり、昔の家来と出会います。
彼は七郎次と言って、今は武士を引退し町人になっているのです。
前の戦で、散々な目にあい、主人ともはぐれてしまい、今は平和な生活を望んで町人なっていたのです。
その七郎次に、官兵衛は声をかけます。
 
「もう合戦はいやか」
七郎次は官兵衛を見ます。
「実は、金にも出世にもならん大変難しい戦があるんだが、私についてくるか」
七郎次は、間髪を入れずに「はい!」と答えます。
「今度こそ死ぬかもしれないぞ」
七郎次は、黙ってニッコリ笑う…と言うシーンがあるのです。
私は、ここを巻き戻して、何回も見ました。
何度見ても、無性に泣けてくるのです。
キリストと弟子たちの姿が、オーバーラップしてならなくなったからです。 

一度は戦に懲りて武士をやめた男なのに、主人から声をかけられた時に喜び勇んで答えることで、彼がどれほど主人を敬愛しているかが分かります。
危険を承知で主人について行くのは、なぜなのでしょうか。
この官兵衛というリーダーは、追い詰められれば追い詰められるほど、本領を発揮することを知っているからです。
七郎次は、この世離れしたこの主人の力量を、すぐそばで見ていたいのです。
要するに七郎事は、主人のことが好きで好きでたまらないのです。
大好きな主人から、声をかけられたことが嬉しくて嬉しくてたまらないのです。
一緒に命をかけて同じ戦を戦えるチャンスを見逃すには、この主人は余りに魅力的すぎたのでした。

どうして、凍える福島に出て行くのでしょう。
どうして、危険なイスラム圏に出て行くのでしょう。
主イエスとともに生きる人生に勝る価値を、この世のどこにも見出せないからです。
簡潔に言えば、主イエスが好きで好きでたまらないからです。
 
今日は、2年ぶりに一時帰国し、今またイスラム圏宣教に舞い戻る姉妹を見送りに、関空まで行きました。
駆けつけた兄弟姉妹一人一人が、短く激励のことばを送りました。

最後に彼女が挨拶しました。
「現地では、いろんなことがありますが、こんなに兄弟姉妹たちに愛され、祈られ、良くして戴ける私は、本当の幸せ者です。こんな幸せな人生は無いと思います」
こんなことを挨拶する彼女と同じ信仰生活を歩める私自身は、何という恵まれた人生かと思います。
主の使命に応える信仰者たちを、主が大胆に用いてくださいますように!

イエスはもう一度彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」ヨハネ20:21



 

 

 
 


 
 
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