主とともにあゆむー高原剛一郎

再婚により喪失から新しい地平に歩み出したキリスト伝道者の随想

聖書で聖書を解く

6月26日月曜日


今日は1日中、日本列島が藤井聡太四段の29連勝をめぐってフィーバーした1日でした。
私も、昔は将棋を良くしましたが、この2 、30年は駒にも触ったことがありません。 
それでもこの礼儀正しい、将棋の天才少年の立ち振る舞いに心奪われました。

ところで対局中、プロ棋士たちによる解説が行われました。
午前中10時から夜の9時過ぎまで、入れ代わり立ち代わり自らもプロの棋士たちが 、次はこう打つのではないか、いやいやこちらのほうに打つのではないかと初心者にもわかりやすく解説してくれるのです。
彼らは自分たちの予想をもとに、駒を縦横無尽に動かしてしまいます。
しかし解説を一通り終えると、何の苦もなく動かす前の配置に戻すことができるのです。
プロ棋士たちは、いちど見た棋譜を全て再現することができるのです。
それは凄い記憶力です。
ただしその記憶の仕方は、81マスのどこにどんな種類のコマがあるかを機械的に覚えているのではありません。

彼らは、戦法に基づいて駒の位置を把握しているのです。
彼らにとっては、将棋の駒のポジションは、まるで文章の中の単語のようなものです。
無意味に駒が散らばっているのではなく、意味合いの中で駒のポジションを覚えているのです。
いわば文法理解しているが故に、単語が意味から外れた場所に置かれる事は無いのと同じように、将棋の文法に基づいて駒の位置を理解しているようなのです。これは聖書の理解の仕方についても、言えることだと思います。
聖書には、神の人類救済計画が掲示されています。
この人類救済のマスタープランの究極的目的は、ズバリ神の栄光です。
この壮大なるストーリーこそは、聖書全体の意味を解くカギとなります。
そのストーリーは、聖書的神学と言うことができると思います。 私が1番納得できるのは、ディスペンセーションの考え方です。感謝なことに、私はとても聖書を重んずる集会の中で福音を聞きました。
創世記から黙示録までを、繰り返し繰り返し学ぶのです。
テーマ別、項目別の学び会もありますが、基本的には聖書全巻をディスペンスセーションの神学で学び続けてきました。 
わたしに与えられている賜物の一つは、難解な聖書の真理をわかりやすくお伝えすることだと考えています。その使命に忠実でありたいです。

藤井四段の快進撃には、大変刺激を受けました。
ひたすら将棋の世界にのめり込み、特別な景色が見えているように、私もまた神様の言葉である聖書の世界を、神の恵みによって極めたいのです。
中学時代はとっくに終わりましたが、今までの蓄積があります。何より心が燃えているのです。
携えている真理を、わかりやすくお伝えするために人生をかけます。

たくさんの皆様から、7月の公演予定のお問い合わせがありましたので、この場を借りてお知らせしておきます。

2 東住吉キリスト集会所にて、午後3時半から5時まで。ゴールシャロームのコンサートと聖書公園会の集い。テーマは世界情勢と聖書の預言です。 

 4-12  群馬キリストチャペルにて、約1週間の特別聖書講演会があります。詳細は群馬キリストチャペルのホームページをご覧ください。

 15-17  千葉キリスト集会主催で、三日間の講演会があります。一般公開できるものは、日曜日と月曜日のみです。土曜日は、学生限定です。
日曜日は、千葉キリスト集会にて、奇跡の民族ユダヤ人とイスラエル
月曜日は、 千葉文化センター五階セミナー室にて、中東新三国同盟がもたらす世界秩序、です。両日とも2時半から4時の予定です。会場が違うので、よくご確認ください。詳細につきましては、千葉キリスト集会ホームページをご覧ください。

 21 WWJD ホテルニューオータニ大阪にて、夜7時から8時15分。

23 東住吉キリスト集会にて。福音集会。
15:30-16:30 はじめての人のための福音入門メッセージ。


28 東住吉キリスト集会にて。レディスタイム。
10:30-12:00  女性限定のわかりやすい聖書メッセージの集会


31 長野県飯田キリスト集会 詳細案内は、近日中にお知らせします。

 
私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなた方に知らせておいたからです。使徒の働き20章27節
 
 

宮崎伝道旅行

6月21日水曜日

宮崎での伝道旅行は初めから終わりまで本当に祝福されました。
初日、空港から会場となる宮崎婦人会館に入りました。
 下は高校生から上は80代の方まで、皆さんノート持参で参加されました。
驚いたのは、九州全土から集まってくださったことです。
福岡からも大分からも熊本からも、何時間もかけて聖書講演を聞くために集まってくださったのです。
 90分の講演の後、質問者が集まり、結局会場借りていた5時までみっちりと続きを話すことになりました。
この講演会には、特に意識の高い優秀な高校生たちが集まっていました。
おそらく宮崎でトップクラスのエリートであり、金の卵たちです。
生まれて初めて聞く、聖書預言や国際情勢の話に、ついてこれるだけの予備知識が彼らにはありました。
本当に楽しい時間でした。
この若者達とのやりとりをじっと聞いていた方が、続きの話をしたいと強く願われましたので、私たちは場所を変えてお話をすることになりました。

大分県からやってこられたこの方は、クリスチャンでしたが、聖書の福音を正確に理解しておられない点がありました。
そしてこの点が、この方の平安を脅かしていたのです。
それは一言で言うと、人は救われた後でもその救いを失う可能性がある、という教理に悩まされていたのです。 
ヨハネの福音書10章27節から30節には「私は彼らに永遠の命を与えます。彼らは決して滅びることなく、また、誰も私の手から彼らを奪い去る様な事はありません。私に彼らをお与えになった父は、すべてに勝っていたいです。誰も私の父の御手から彼らを奪い去る事はできません。」と書いてあります。
一度キリストが永遠の命をお与えになった人を奪い去るためには、御子イエス・キリストの手をこじ開けた上に、御父の手をねじ伏せねばなりません。
そんなことができる被造物が、一体どこにいるのでしょう。
全知全能の神様を圧倒するような力を持つものなどどこにも存在しないのです。
聖書の中に、救いを失ってしまうような表現に見える箇所が確かにあります。
しかしそれは、前後の文脈を注意して正確に理解するならば、新しく生まれたクリスチャンに対して言われたものではなく、もともと新しく生まれてはいなかった背教者達への言葉だということがわかります。
特にヘブル人への手紙の中には、そのような箇所がたくさん出てきます。
しかしそれは、初代教会のユダヤ人信者コミュニティーの中から、少なからずユダヤ教に逆戻りしていく背教者達がいたからです。霊的に元気を失っている信者と、まだ救われていないノンクリスチャンと、福音を聞いていながら確信犯として背教者になった人たちを、区別して語られています。
ですから、ある節を取り上げて解釈するときには、誰のことを言っているのかについて明確にしておく必要があります。
福音理解の基礎の基礎が、必ずしもすべての教会で教えられていないことに驚きます。
とゆうか、まともな福音がない教会がこんなにもたくさんあることに愕然とするのです。 
日本宣教に力がない1つの理由は、福音を正確に理解し、味わい、堪能できていないところにあるのではないかと思わざるをえません。

翌日は集会が3回ありました。
午前中の聖餐式の礼拝の後、私はゼカリヤ書から学ばせていただきました。
前半にはゼカリヤが1晩のうちに見た8つの幻について記録されています。 一からエルサレムの街を立て直そうとする少数派のユダヤ人たちを励ますために、神が特別に授けたメッセージです。
そのメッセージはゼカリヤと言う名前の中に凝縮されています。
ゼカリヤとは、神様が覚えておられると言う意味なのです。参加者一同、涙、涙の学び会となりました。

午後からはAさんと言う宣教師夫妻のご自宅で、福音集会を持ちました。 数人集まれば良いと思っていましたが、実際には20名近い方が集まり、大盛況でした。
嬉しいのは前日の聖書預言の講演から続けて参加する方々がいらっしゃったことです。 
ご近所の方々が、深く頷き、涙し、笑、長時間残って命名に聖書について話の花が咲いた事は本当に美しい光景でした。たくさんの方々が誘い合わせてごくごく自然に集まってこられたのは、神様の祝福と言う以外にありません。
そしてその祝福は、やはりこの宣教師夫妻の人柄によるところが大きいように思うのです。
日本人に福音を伝えるために、日本人のようになっている宣教師たちでした。
謙遜で、柔和で、寛容で、忍耐ぶかく、それらは聖書が語る愛そのものです。
アメリカからやってこられたこの宣教師夫妻は、私よりも年長で、たくさんの経験を積み、学識豊かな方々ですがとにかく日本人の働き人たちを徹底的に立てます。
日本宣教には日本人のクリスチャンが最適任であることをわきまえています。
徹底的にアシストする事を心がけています。 何よりも、日本人と日本の文化を尊敬していることがよく伝わってきます。
そこには支配的なもの、上から目線の態度などは微塵もありません。なので、お花畑に蝶やミツバチが自然に集まってくるように、彼らのところに魂の蜜を求めるように日本人が集まるのです。

私のところに時折教会パワハラの被害に苦しむ方達から相談が寄せられます。
どういうわけか、 韓国系の大教会ばかりです。
すべての韓国系の教会が、権威主義的であると言ってるのではありません。
尊敬できる方々ももちろんおられます。
しかし相談が持ち込まれるケースは、どういうわけかほぼ韓国系の大教会ばかりです。
その中身を知ると、とてもクリスチャンとは思えません。
キリストのお名前を使ってはいるものの、牧師も救われているとは思えません。
背教者、偽牧師、偽教師とは、ズバリこういう人物たちを指すのではないかと思わざるをえません。
かわいそうなのは、純粋な気持ちでいた被害者たちです。
傷が癒されるためには、かなりの時間がかかりますが、神様は必ず回復させてくださる方です。
私も微力ながら、お手伝いをさせていただいています。
私ができる事は、まっとうな福音を正確にお伝えすることだけです。明日は夜の7時から聖書の真実シリーズの講演をします。
 
東住吉キリスト集会で行います。
特にノンクリスチャンの皆様に、聞いていただけたら感謝です。

「あなた方自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分の応援に引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、目を覚ましていなさい。私が3年の間、夜も昼も、涙とともにあなた方一人ひとりを公開し続けてきたことを、思い出してください。」使徒20:30-31




 

 
 
 


 

復活

6/15木曜日



毎週火曜日は、集会でルカの福音書を学んでいます。
今週はいよいよ24章からで、イエス・キリストの復活の箇所でした。週の初めの日付の事日曜日にイエス・キリストはよみがえられたのです。
この週の初めの日は、ただの日曜日ではありませんでした。
というのは過越の祭りが終わって最初の安息日の翌日にあたるからです。
これはレビ記23章によると、大麦の初穂の祭りの当日です。
イエス・キリストは、過越の祭りの当日に十字架に掛られ、初穂の祭りの当日に復活され、五旬節の当日に聖霊がくだったのです。 
すべては神様のスケジュール通りに、その分違わず起こるべくしてみわざが行われました。 

この事件の当日、でしたちの不信仰ぶりを見ると、私は不思議に喜びが湧いてくるのです。
キリストの弟子は、男も女も1部の例外を除いて、誰もキリストの復活を信じていませんでした。 
あるものは疑い、あるものは復活の証言を聞いても戯言だと聞き流したのです。
しかし、私はこの弟子たちの疑いっぷりに勇気づけられるのです。 
キリストの復活は、弟子たちが信じようが、信じまいが、そんなことに全く左右されずにおこったことに勇気づけられるのです。
神のみわざは、被造物たる人間に全く依存することなく、着実に、粛々と成し遂げられていくのです。

自分の信仰を拠り所に神を考えると、疑いは止みません。
神の言葉を拠り所に神を考えると、平安が降りて来ます。
いつの間にか、自分の信仰を自分の救い主にしないように気をつけたいと思います。

さて、明日は月に一度のWWJDです。
創世記7章を考えます。
夜7:00-8:15の予定です。
ホテルニューオータニ大阪の地下宴会場です。

土曜日は、九州の宮崎県にまいります。
午後2時から聖書預言の講演をします。
場所は、宮崎婦人会館です。
日曜日も、同じ時間にティータイム集会を持ちます。
福音のメッセージです。
場所は、宣教師ジュビさんのご家庭です。
わたしも場所がわかりません。土曜日にこられた方々には、ご紹介出来ます。
不確かですいません。どうしても知りたい方は、ご連絡くださると幸いです。

ここにはおられません。よみがえられたのです。ルカ24:6
 

 
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