6/13 月曜日


今日までの4日間、豊川市国府キリスト集会で、さまざまな働きがありました。

三人の方が信仰告白に導かれました。
事前に、ラジオやYouTubeでたくさんのメッセージを聴いていた方々でした。
今日も月曜日で、午前中、しかも雨が降るというのに、会場は満員でした。
近隣の集会からも、兄弟姉妹が友人たちを連れて参加されたからです。
初日から皆勤賞の男性と、じっくり話しました。
知識欲の旺盛な方で、聖書関連の本を漁り読みされていましたが、全く答えが見つからないと言われます。
それもそのはず、神も聖書の霊感も全く信じていない著者による書籍だからです。
信じていない人々の中から、聖書を怪しげに解説する人、持論を発信する人が続々と出てくるのに、真っ当なクリスチャンの中からフルタイムワーカーが少ししか出てこないのは、どうしたことでしょう。

国府から豊橋駅に向かう途中、戦国時代の足軽、鳥居強右ェ門(とりいすねえもん)生誕の地の史跡を案内していただきました。

今から450年前、徳川家康に任された長篠城をたった500人で任されていた奥平氏に、武田軍勢15000人が攻撃を仕掛けます。
奥平氏の足軽、鳥居強ェ門は幾重にもしかれた警戒態勢をくぐり抜けて徳川家康のところにまで援軍を求め、聞き入れられます。
しかし、朗報を届けるために、長篠城に向かう途中、武田軍に捕らえられます。

武田は、もしも寝返ったら武田の重臣に取り立てるという破格の待遇を約束します。
ただし、「援軍は来ない」とさけぶならば。

強右ェ門は承知したと言って、川向こうの奥平氏に「援軍はまもなく来る!それまでの辛抱だ」と告げました。
だまされた武田は怒り狂って、彼を張り付けの刑にしました。
しかし、援軍を確信した奥平軍勢は、見違えるようによみがえって猛攻撃を何とか凌いだのです。

日本中に潜伏している信仰者の中から、日本の霊的戦いに参入する援軍が出ることを求めるのは、贅沢な願いでしょうか?
決してそんなことはないでしょう。
真の援軍の将が天から来られる前に、必ず駆けつけるであろう聖徒の援軍を、地平線に探すような心境で帰宅しました。

「日に日に、人々がダビデを助けるため彼の元に来て、ついに神の陣営のような大陣営となった」第一歴代12:22