5月24日水曜日


私の母は、認知症が少しずつ進んでいます。
曜日は集会のある日を起点にして、なんとか思い出すのですが、何月何日というのがよくわかりません。昨日、毎日飲む薬を持って母のところに行きました。
今日は5月23日だということを確認した上で、何の日だかわかる?と聞きました。
すると母は、「そうだ、あなたの誕生日だったわ」と言ったのでした。
さすが母親です。認知症が進む中でも、息子の生まれた日はしっかりと覚えていたのです。

また数日前に、遠くに離れて住んでいる娘から、パーカーのボールペンと手紙が届きました。
とてもとても慰められました。
人は皆、他の人からの慰めや励ましを必要としてるのです。

また家内からもプレゼントをもらいました。
最高のプレゼントは手紙でしたが、同時にギターのメンテナンス用具やアクセサリー一式がプレゼントされたのでした。
私のギターは、ハンドメイドギターです。
職人が手作りで作ったものです。ハンドメイドギターの中では安い方ですが、私にとっては高嶺の花だったギターです。
また他にも非常に高価なギターを貸与えられています。素晴らしい音色です。どれもこれも、非常に豪華なギターです。


ところで大変に高価なギターを持っていると、そのギターのコンディションに気を配ります。
弾くたびに弦を緩め、手の油を拭い取り、環境によって楽器がダメージを受けないように配慮します。
大切なものを大切に扱うのは当たり前のことです。何より大切に扱うと、良い音が出ます。そして寿命が伸びるのです。弾き手の言うことをちゃんと聞いてくれるようになるのです。

 
ところで神様が私に与えて下さった大切な賜物のうちの1つは、私自身です。
神は私に、私の体、私の人生、様々な能力を貸し与えてくださったのです。
ギタリストがギターを大切にするのは当たり前のことです。
それならば人が、自分自身を大切にするのはもっともっと当たり前の事だと言えそうです。人が自分自身を、壊れるほど酷使したり、限界を突き抜けて乱暴に扱うのは、褒められたことではありません。
そんなことをやり続けていたら、壊れてしまいます。
壊れた楽器は、弾き手の言うことを聞いてくれません。
却って弾き手を悩ませてしまうものとなるのです。

数年前ですが、私は元の妻を亡くした時、ある意味でこの喪失以上のダメージを立て続けに 2つ3つと被弾したのでした。
それは私をひどく消耗させました。いや消耗と言う言葉では表し切れないダメージが、私の中に起こりました。
以来良い意味でも悪い意味でも、私は人生の景色ら少し違って見えるようになりました。
人は、壊れやすい土の器なのです。
疲れた人は、イエス・キリストのところに行って休ませていただく必要があります。
イエス・キリストの言われる方で、安息を味わう必要があります。
人間をお作りになった神様は、人の成り立ちをよくご存じです。
人が、睡眠や栄養や休息を必要としていると言うことをよくよくご存知の方です。
疲れ果てている友にお伝えしたいのです。
今は大いに休み、 たっぷりと睡眠をとり、ほっとできることをやり、栄養と少しの運動を嗜み、同じようなところ通った人たちが自分以外にもいることを知ってほしいと思います。


彼はみた。すると彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子1つと水の入った壷があった。彼はそれを食べ、飲んで、また横になった。第一列19章6節