ぺきん日記-中国/北京より- (live door版)

中国とのしがらみから逃れならないでいる管理人による"Other World CHINA"のご紹介....

CCTVのCM枠オークション結果から、2010年の中国経済を占ってみる。

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中国中央テレビ(CCTV)の2010年のゴールデンタイムCM枠のオークションが11月18日の行われました。来年の中国経済を占うものとして、その結果を概観してみます。
CCTVは原則として中国全土をカバーしています。富裕層の多い都市部を中心にテレビ広告を行うのであれば、北京や上海などの地方テレビ局で行ったほうが効率的になります。CCTVで、特にゴールデンタイムで広告を行うことは、内陸や農村部まで含めてカバーすることになりますから、富裕層だけではなくテレビを視ることもできない、いわゆる貧困層を除く中国の大多数の消費者に向けた企業戦略の傾向を、CCTVのCM枠オークションの結果が示してると言っても過言ではないと思います。

まず、落札総額は110億RMB(1,500億円)で前年(2009年)と比べて18.5%増加しました。金融危機の真っ只中に行われた前回のオークションとの比較とはなりますが、それでも前回もその前と比べて落札総額は伸びていたのです。来年も引き続き内陸部を中心に経済成長が続く、と落札した広告主企業はみているのでしょう。

業種別の落札金額ランキングでは、酒類がトップです。これは例年見られる傾向で、その多くは「白酒」と呼ばれる中国酒の広告主です。
2位は、例年上位の常連となっている家電、乳製品、医薬品を押さえて金融が入りました。その多くは銀行ですが、証券など金融商品を扱う"基金・投資"会社や生命保険会社も大量のCM枠を落札しました。生活にゆとりができて、マネーゲームに参加する中間層が増えてくる、ということでしょうか。
いっぽう日本では常に広告主上位になっている自動車は、トップ10に入っていません(12位でわずか3%程度のシェアです)。経済の底上げが進む中国といえども、年間1,000万台も売れている自動車はまだ中間層以上向けの"ぜいたく品"ということなのでしょう。

1位:酒類
2位:金融
3位:家電
4位:乳製品
5位:食品
6位:トイレタリー
7位:飲料
8位:通信
9位:IT
10位:アパレル

ちなみに、最も多額のCM枠を落札したのは「蒙牛」と言う乳製品の会社です。ことしは有害成分の検出でイメージダウンしましたので、来年は大量のCMで挽回を狙っていくのでしょうか。2位は「飛鶴」と言うやはり乳製品の会社です。こちらは牛乳やヨーグルトと言うより赤ちゃん向けの粉ミルクが主力製品です。ベイビー・マーケットは来年も続伸していくのでしょう。
トップ10の中で、いわゆる外国ブランドはP&Gとユニリーバの2社のみ。両者とも石鹸やシャンプーなどの日用品を内陸部の農村地帯にまで拡販していますから、もはや舶来の高級ブランドではなく中国に浸透しています。

1位:蒙牛(牛乳・ヨーグルト)
2位:飛鶴(粉ミルク)
3位:格力(GREE/白物家電)
4位:匯源(飲料/コカコーラによるM&Aが独禁法により頓挫)
5位:美的集団(MIDEA/白物家電)
6位:P&G
7位:波司登(ウール製品)
8位:双匯(ハム・食品)
9位:脳白金(健康食品)
10位:ユニリーバ

トップ100広告主の中で、外国ブランド企業を探してみると、以下の通りです。やはり自動車関連が強気です。日本企業ではトヨタのみという結果です。都市部の中間層や富裕層を主たるターゲットとしている日本ブランドは、CCTVへのCMはあまり使わないのです。

15位:フォルクスワーゲン(一汽大衆)
71位:NIKE
76位:ペプシ
77位:シェル(売牌統一)
79位:トヨタ(カローラ・クラウン・一汽豊田)
87位:コカコーラ
93位:トヨタ(カムリ・広汽豊田)

ウイグル人と漢民族の仲を取り持つ<コカ・コーラ>のような何か

中国からはYoutubeはもちろん、facebookもTwitterもアクセスしにくい状況が続いています。
この状態は、7月の新疆ウイグル族自治区で発生した主として漢民族とウイグル人との暴力沙汰以来、断続的に続いています。

ことの発端は、広東省に出稼ぎにやってきたウイグル人のせいで失業したと思い込んだ(実際にそうだったかもしれませんが)漢民族の工員が、「西北から来た男6人が、工場で漢民族の女性2人をレイプした」というデマをインターネットの掲示板に書き込んだこと。
6月26日、この掲示板をみた漢民族が"事件"の仕返しのため、出稼ぎウイグル人が多く働いている広東省の玩具工場の寮に押し寄せて、ウイグル人を叩きのめすと言う暴動に発展してしまいました。事件は中国国内でもある程度報道され、中国側メディアによると、8人が亡くなり160人が重傷を負ったとされています。

いっぽう、広東の工場寮で大勢の漢民族の攻撃に遭ったウイグル人の映像は、翌日にはYoutubeにアップロードされるとともに、中国の一部動画投稿サイトなどにも転載されます。
こうした動画は、facebookやTwitterを通じて、広東から遠く離れた新疆ウイグル族自治区に居住するウイグル人や、世界中に散らばるウイグル人のコミュニティにシェアされていきました。
そして、同じ民族の仲間が漢民族にボコボコされた映像を目の当たりにしたウイグル人は、やはりfacebookやTwitterを使って"復讐"を呼び掛けていったのでしょう。7月5日深夜、新疆ウイグル族自治区の中心都市ウルムチで、例の暴動が勃発するのです。

新疆ウイグル族自治区の中国帰属は、古く漢や唐の時代にまで遡る問題で、共産党政権以降の事象だけを取り沙汰すべきでは無いと思っています。資源、宗教、人権侵害など様々な問題が指摘されていますが、やはり民族間の対立が諸問題の根源ではないかと思います。

私の同年代の中国人実業家・Aさんが北京で過ごした大学時代のお話です。
1980年代半ばのこと、Aさんの通う映画系の大学には音楽やダンスの学科もあり、他の大学よりも多くのウイグル族学生がいましたが、普段はほとんど交流も無く、ウイグル族の学生はウイグル族だけでつるんでいました。いっぽう満州族、朝鮮族、ミャオ族など、漢民族以外の"少数民族"の学生は、Aさんたち漢民族としばしば行動を伴にしていました。
Aさんの友人が、当時としては非常に高価なステレオ・ラジカセ(ステレオ・カセットテープ・プレイヤー)を入手したとのことで、漢民族の仲間8人が、学生寮の友人の部屋に集まりました。
そして、マイケル・ジャクソンの『スリラー』の海賊版カセットテープを大音量で再生し、踊り始めました。ディスコなどなかなか通うことのできなかった当時の中国の地方出身の学生たちが、学生寮の一室をディスコ代わりにして大騒ぎを始めたわけです。
そのうち、階下のウイグル族の学生がクレームにやってきました。「うるさくて勉強できないので、止めてくれないか。」と言う、ごく常識的な要求でした。けれども、Aさんとその漢民族の友人たちは、音楽とダンスを続けました。
すると、階下のウイグル族の学生が仲間3人を連れてクレームにやってきました。漢民族の学生は「分かった、対応する。」と言いつつも、「ウイグル族の言うことなど聞いてたまるか」という雰囲気で、引き続きダンスで盛り上がっていました。
しばらくすると、今度は階下のウイグル族の学生が10人程のウイグル族の仲間を連れて、またクレームにやってきました。「何度言ったら静かにしてくれるんだ!!」。マイケル・ジャクソンに浮かれていた漢民族学生が「仲間を連れてくるなんて卑怯じゃないか!!」と筋の通らない言いがかりをつけたので、ウイグル族学生の一人が"実力行使"に出てしまいました。漢民族学生の当時たいへん貴重だったステレオ・ラジカセを取り上げ、部屋の外に放り投げてしまったのです。
これを合図に、ウイグル族10人対漢民族8人の乱闘が始まりました。双方とも"ヒカリモノ"までは用いませんでしたが、流血の事態となり、駆けつけた大学職員が止めに入りました。

乱闘の参加者全員が空き教室に集められ、主任教官から事情説明を求められました。
ウイグル族の学生は、寮でディスコの如く大音量の音楽とダンスを楽しんでいた漢民族の学生たちを責めました。いっぽう、漢民族の学生は、高価なステレオ・ラジカセを放り投げて壊してしまったウイグル族の暴力性を責めました。
お互いの言い分は平行線のままでしたが、主任教官は"喧嘩両成敗"ということで両者に和解を求め、その証として、双方の代表者(Aさんの友人が漢民族代表、その階下の学生がウイグル族代表)を前に出し、握手を促しました。ところが、双方とも右手を伸ばそうとはしません。
そこで、主任教官は左右に分かれた二民族代表者の間に立ち、一本の瓶入りコカ・コーラを取り出しました。
「それなら、コーラでも飲んで、冷静になりなさい。」と同時に左右から右手が伸びてきてコカ・コーラの瓶を掴み取ろうとしました。その瞬間、主任教官は各民族代表者の右手を掴み取り、強引に重ね合わせて握手に持ち込みました。
かくして、漢民族とウイグル族の争いは、解決を見ることとなったのです。

「当時は、ステレオ・ラジカセと同じくらい、コカ・コーラが希少だったのかなぁ...」とAさんは感慨深そうに思い出話を語り終えました。
ひと財産を築き、いい歳をしたオヤジになった、共産党一党支配には反対で、時には"民主化運動"の片棒を担ぐこともあるAさんではありますが、「ウイグル族はセコイから嫌い」と言っています。漢民族がウイグル地区を支配することこそ"セコイ"(ずるい)と、多くのウイグル人は思っているでしょう。
政治的な問題に深入りするよりもまず、この二民族の間を取り持つ機能こそ必要なんだと思えます。
Aさんのエピソードに登場する主任教官ように、双方の言い分を一応は聞いてあげつつも、最終的には有無を言わさず仲直りさせてしまうような解決方法を模索することこそ現実的なのではないでしょうか。
その主任教官が漢民族だったかどうかは差ほど重要ではなく、むしろ彼が差し出したコカ・コーラのような何か...。いや、誤解を怖れずに申しあげるのなら、双方がシェアできるような(公平なシェアを実現できるか別にしても、共通のインタレストとなり得る)経済の営み、こそ民族間の対立を和解に導くキーエッセンスになるのではないか、と私は思ってしまいました。

中国共産党のプロパガンダ映画にならなくて済んだ、陸川監督の『南京!南京!』

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2005年から準備を始めて、日本軍による南京攻略70周年にあたる2007年に公開されるだろうと言われていた陸川監督の映画『南京!南京!(City of Life and Death)』(中国共産党機関紙「人民日報」のニュースサイト人民網日本語版の特集ページ)は、中華人民共和国建国60周年にあたる2009年の4月にようやく中国で劇場上映が開始されました。
陸川監督が脚本に4年もの時間を費やしてしまったり、その脚本の中国当局(国家ラジオテレビ映画総局)による審査にも多くの時間を費やしてしまったり、撮影が始まってから陸川監督が盲腸炎にかかって3回も入院したりしたため、製作が大幅に遅延したためです。

南京南京


「ただ死者数の論争にはあまり意味を感じない。だから映画では死者数には触れない」とインタビュー(産経ニュースの福島記者のブログより)で語っていた陸川監督だったのに、いきなり冒頭の献辞で「30万人の犠牲者」の字幕が現われたときには、嫌な予感がしました。ただ映画を観終わったときに、これは中国当局のセンサーシップ(検閲)を通すための譲歩の一つだったのだろうな、と納得することができました。

前半部分は、1937年12月の日本軍南京入城、監督敢えて自分の姓を与えた<陸>という架空の兵士とその仲間たちの抵抗戦、そして大勢の中国人捕虜の焼殺・射殺など、静と動を巧みに織り交ぜることによってリアリティと迫力が浮き立つ戦争映画という印象。後半に入るにつれて、日本軍下士官<角川正雄>、南京安全区国際委員会委員長でドイツ人の<ジョン・ラーベ>、その中国人秘書である<唐氏>とその家族、安全区の中国人女性リーダー・姜先生、陸兵士とともに抗戦し日本軍の捕虜となったものの銃殺の中で生き残った少年<小豆>の精神的葛藤に焦点をあてたヒューマン・ストーリーへと変化していきます。
その中の中心人物は、日本人俳優・中泉英雄が演ずる日本軍下士官<角川正雄>と言って良いでしょう。繰り返される殺戮や非人間的な生存の継続に違和感を深めるようになった<角川>は、日本軍に連行されていく中国人女性<姜先生>の願いを聞き入れて射殺してあげます。これは恐らく自身の強い意志に基づいた最初で最後の殺人だったのでしょう。そして、やはり捕虜となった少年<小豆>をこっそりと逃がしてやり、自らは拳銃で命を絶ってしまいます。
日中戦争を描いた中国映画において、<角川>は「日本鬼子」とはかけ離れた異質な日本人登場人物です。多くの映画では人間としての心情を描くことを避けてきた日本軍兵士ですが、<角川>は田舎の母を想ったり、慰安所の日本人女性に恋をしたり、殺戮や生と死の意味に悩み苦しんだりするのです。血と埃とで満ちた映画の中で、<角川>が拳銃自殺するラスト・シーンでは白いたんぽぽの冠毛がモノクロ映像を引き立て美しい最期を飾っています。まるで、角川の死を美化しているかのように。

「鳥獣にも劣る日本兵の中にも、角川のような良い人間がいたものだ」
中国の映画レビューサイト・時光網にも、このような書き込みが多く寄せられていました。
<角川>の上官である伊田は中国における典型的な「日本鬼子」だったのかもしれませんが、<唐氏>を処刑するときの表情は、陸川監督が<伊田>をすら典型的な「日本鬼子」に仕立て上げることを躊躇っていた、と考えてしまいます。

「日本鬼子」を人間的に表現してしまったこの映画には、当然の如く中国の人たちから厳しい意見が寄せられました。ただし、批判は日本人兵士の描き方より、<ジョン・ラーベ>の描き方や映画のテーマそのものに関するもののほうが多かったようです。

陸川監督はかつてのインタビューで「『シンドラーのリスト』のような映画にはしたくない」と語ったらしいのですが、中国人(特に一部の南京周辺居住者)にとってジョン・ラーベはシンドラーのような存在と言えます。彼(彼女)らが信じる史実では、糖尿病悪化にもかかわらず私財まで投げ出しギリギリまで南京安全区の難民保護活動を行い、ドイツ帰国後は日本軍の"悪事"をナチスや国際社会に訴えた中国人民の救世主(それは彼自身の日記やそれに基づく中国・フランス・ドイツ合作映画『John Rabe』(フロリアン・ガレンバーガー監督)(レコードチャイナ・関連記事)に描かれたジョン・ラーベからもたらされたものであり、当時の彼のビジネス的利権などの背景を無視した評価であるのでしょうが)。
日本人兵士の横暴にただおろおろし、難民を取り残して南京を立ち去ってしまう『南京!南京!』での<ラーベ>の描かれ方が、納得できなかったのでしょう。
陸川監督は「第三国のラーベはシンドラーにはなれない」と言う趣旨の発言をしています。『南京!南京!』のシンドラーはラーベではなく、むしろ日本人兵士<角川>なのかも知れません

映画のテーマに関する陸川監督の言動は、時と場合によってころころ変わっているようです。
当局からの許可も出ず、クランクインもできていなかった、2007年初頭の産経新聞福島記者によるインタビューでは、「人知、人間性の真相」がテーマと語っています。いっぽう、2009年春の映画公開時には「この作品は屈辱ではなく中国人の栄光を語るものだ」と述べています(人民網・日本語版)。
確かに映画の前半は、<陸兵士>たちの勇敢な抗戦や「中国は永遠に不滅」と叫ぶ捕虜たちなど、"中国人の栄光"っぽいシーンが無いわけではありません。ところが、抵抗を試みた中国人は皆死んでしまう矛盾。「栄光がどこに描かれているのだ、描かれているのは中国人の屈辱だけではないか」などと言う罵りが、中国語のBBSに書き込まれています。

前半と後半でトーンもテーマも異なっているように思える『南京!南京!』。中国の作家・王朔 (ワン・シュオ)は陸川監督に「前半を半分カットすれば世界的な名作だ」と言ったそうです。ただ私自身は月並みながら、英語のタイトルにも示されているように「生と死」がこの映画の全編を通したテーマになっているのだろうと思います。
捕虜となり辱めを受けて"屈辱的な生"を持続させていくより、<角川>に"栄光の死"を求めた<姜先生>、生き続けることが苦悩の連続かも知れないと悟った<角川>が敢えて生き伸べさせようとした<小豆>。そして<角川>自身は死を選んぶことになる。死ぬことと生き続けること、殺されることと生き延びること、大勢の死、ほんの小さな命、一人の少年の解放、希望、命の軽さ、或いは重さ。いまもいき続けている小豆や唐夫人のお腹の中の新しい生命....。
前半の戦闘や殺戮のシーンにリアリティを感じさせるからこそ、後半が虚構性の高い"物語"に思えてしまうのでしょうが、ラストシーンの小豆の笑顔と「今も生きている」と言う字幕は、どの国籍の観衆であっても胸を熱くするようなヒューマニティに訴えかけています。
登場人物個々の内面まで精緻に表現仕切れていない印象を持った人でも、全編モノクロで記録映画のように観通した人でも、タンポポの綿毛が美しいラストシーンによって、人類に不変のヒューマニティを描いたフィクション映画であることを認識するのではないでしょうか。

少なくとも、『南京!南京!』は冒頭の献辞を除いて中国共産党のプロパガンダ映画にならずに済んでますし、少なくとも"反日映画"では無く"反戦映画"に属する作品です。前作の『ココリシ』(拙ブログ参照)の直線的な力強さと比較すると、陸川監督が欲張りすぎたのか、いろんなものを詰め込みすぎた印象はぬぐいきれませんが、決して失敗作に属するものではありません。
日本では配給元が見つからず公開の予定が無いと聞きますが、偏狭な政治的配慮など気にせず、ぜひメジャー公開して欲しいものです。こうした映画が中国で創られ、公開されている、ということによって、現代の中国社会への誤解がほんの少しだけ解けるかも知れません。

映画『高興』から中国都市部と農村部の「経済格差」を考えてみる

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高興映画『高興(Gao Xing)』(SINA映画=中国語)は西安のある陝西省出身の作家・賈平凹が自身の同級生の実話をモデルに書いた小説を原作に、テレビCF出身の映画監督・阿甘が映画化したもので、2009年の"お正月映画"として公開されました。

陝西省の貧しい農村から"一肌上げよう"と地方都市・西安に出稼ぎに出て来た農民と、大学の入学資金を稼ぐためにいかがわしいサウナでマッサージ嬢をしている女の子の恋愛ストーリーを中心に、地方都市の表舞台で無いところで気強く活きていく農村出身者たちの群像コメディに仕上がっています。(原作では、この二人の恋愛が成就することは無かったようですが。)張藝謀監督の『活きる』や寧浩監督の『Crazy Stone』などで様々な役どころをソツ無く演じてきた郭涛が出稼ぎ農民の劉高興を、著書『水の彼方 〜Double Mono〜』が最近日本でも翻訳出版された作家兼シンガーソングライター兼女優の田原がマッサージ嬢・孟夷純を演じています。

弟分・五富とともに、憧れの街・西安に出てきた劉高興は、同郷の仲間に勧められて、廃品回収の仕事を始めます。北京の中心ではすっかり見ることも無くなりましたが、自転車でリアカーを引っ張って、空きカンやペットボトルから、壊れた家具やテレビまで、何でも引き取って回るお仕事です。数年前の北京では、500ミリリットルの空きペットボトル10本を0.5RMB(7円)ほどで引き取ってくれました。家電やベッドなど多少"値のはる"廃品が集まったとしても、1日100RMB(1,400円)ほどの利益が出るか出ないかの商売なのだろうと思います。
それでも、劉高興は前向きに仕事に打ち込みます。同郷の仲間に借りたオンボロ倉庫の何一つ無い"自宅"の部屋も、次第に家財が増えていき、"お家"らしくなっていきます。
余華の小説『兄弟』(兄弟 上 《文革篇》兄弟 下 《開放経済篇》)の主人公・李光頭は、廃品回収業から身を興してチョー大金持ちになりました。劉高興はチョー大金持ちにはなりませんが、毎日を仲間とともに楽しく過ごし(「高興」は中国語で、"うれしい・楽しい"と言う意味です)、恋愛も成就させるのです。

ステレオタイプに「経済格差の拡大」と「それがもたらす社会の歪み」などと叫んでいる評論家の皆さまにも、ぜひご覧になっていただきたい映画だと思いました。

蓄えていた進学資金を盗まれて落胆していたマッサージ嬢・孟夷純に、劉高興がお金を援助する場面があります。百元札(1,400円)2〜3枚をプレゼントする劉高興に、孟夷純は「あなたが何日もかけて稼いだお金をいただくわけにはいかない」と言います(結局はもらっちゃうのですが)。いっぽうで200〜300RMB(3,000〜4,000円)というお金は、いかがわしいマッサージ嬢ならば地方都市であっても、一人のお客さんにサービスすれば稼げるお金でもあります。

飛行機好きの劉高興は、手作り飛行機で西安上空を飛ぶことによって、「多くの人の上に立つ」という弟分・五富の夢を叶えてやることになるのですが、ひょんなことからその飛行機のボディが広告メディアとして5,000RMB(7万円)で売れました。"広告主"であるIPOを間近に控えた地元の実業家にしてみれば、5,000RMB(7万円)は「一晩マージャンして負けるお金よりも安い」のですが、劉高興は警察に連行されたマッサージ嬢・孟夷純の"将来"を買い戻すことができました。

中国には明らかに経済格差が存在します。
汗と泥だらけになって一日中廃品回収をしても、せいぜい100〜200RMB(2,000〜3,000円)の収入にしかならないでしょう。けれども貧農地域で農業をしていたときより、10倍〜100倍の現金収入アップです。毎日働けば、北京や上海の大学新卒初任給くらいにはなります。運が良ければ、小説『兄弟』の主人公・李光頭のように億万長者になって宇宙旅行に出かけることもできるのです。
「格差の拡大」を統計的に証明している評論家は知りませんが、中国の"空気"として格差が固定化したり、拡大すると言う状況では無いと、私は感じています。

テレビも洗濯機も冷蔵庫も無いような農家に、家電製品を普及させたいと「家電下郷」(大和総研による解説)という政策がとられました。農家が指定家電製品を指定販売店から購入すると13%の補助金が出るという制度です。これはGDP8%成長を死守するための景気対策として始められたのでは無く、金融危機が顕在化する前の2007年12月から試験的に始めている政策です。2008年だけで、9,200億RMB(13兆円)の家電製品がこの制度を利用して購入された、とも言われています。
最近では、携帯電話やエアコン、バイク、パソコンなど、農村地域ではかなりの贅沢品と思われる製品への対象が拡大しており、結果として中国の"内需拡大"に貢献しています。

もちろん、この制度を利用できるほどの現金収入が無く、未だ家電製品を購入することのできない貧困農民も多くいるでしょう。また高年齢や病弱のため、出稼ぎに出たくともできない"弱者"もいるでしょう。
ただ私は現代中国の経済階層は、かなり流動性に富んでいると感じています。都市部のスピードには着いていけないかも知れませんが、農村部も総じて言えば豊かになってきています。そして、努力を惜しまなければ、運が良ければ、都市部でそれなりに豊かな暮らしをすることも可能でしょうし、事業を興してお金持ちになることもできます。

もちろん、経済的に裕福なことだけが人間の幸せでは無いと思いますが、ある程度の水準の暮らしぶりができてこそ精神的なゆとりも生まれてくるものです。
余華の小説『兄弟』の主人公・李光頭が、経済優先のため"弟"をはじめ精神的に大切なものを失ってしまったのに対し、映画『高興』の登場人物たちは、貧困からそこそこの暮らし向きができるようになって、友達や夢を大切にしながら活きようとしているのです。
こうした姿は、富裕層にも貧困層にも共感をもって受け容れられたのでしょうし、私自身、中国の「経済格差」は必ずしも中国崩壊の主要因にはなり得ないだろう、と言う想いを強くしました。

【書評】田原(Tian Yuan) 『水の彼方 〜Double Mono〜』

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田原(Tian Yuan)の『水の彼方 〜Double Mono〜 』は、私にとってある意味で難解な作品でした。

1985年生まれとは言え、16歳でHopscotch(跳房子)と言うバンドでデビューし、2年後には香港映画でメインキャストを演じ、著名な映画賞をも受賞した田原(Tian Yuan)を、「八〇后(中国の80年代生まれの若者)」の典型として語ることは無理があると思いますし、典型的な「八〇后」が田原(Tian Yuan)を支持しているか、というのも疑問です。

<女の子たちのおしゃべりの話題>といえば<テレビドラマ、新しいダイエット法、オープンしたばかりのレストラン、S.H.E.、心理テスト><男の子はもう少し単純で、バスケかサッカーかゲームのことだけ>。
『水の彼方 〜Double Mono〜 』の冒頭で語られる高校二年生の放課後の喧騒こそ、典型的なその時代の「八〇后」でしょう。
映画『タイタニック』のディカプリオとウィンスレットの真似をして、船先に立ち手を広げセリーヌ・ディオンの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』を歌うのも、私がイメージする典型的な「八〇后」です。「ニルヴァーナ」や岩井俊二の映画『スワロウテイル』ですら、私の理解している「八〇后」のイメージからみると少し尖っています。

私に言わせれば、田原(Tian Yuan)は八〇后のサブカルチャーそのものです。

冒頭の引用されている清代の怪奇小説『聊斎志異』の中の短編『水莽草』は田原(Tian Yuan)自身が「日本語版あとがき」で述べているとおり、同世代人にとってポピュラーなものではありません。
ビートジェネレーションのユダヤ系アメリカ人作家・アレン・ギンズバーグの作品『リアリティ・サンドウィッチズ』にしても「八〇后」のバイブルとは言えないでしょう。出典を理解してからでは無いと読み進められないかも知れません。

作品を更に難解にしている要因は、青春(心境)小説と幻想小説とのボーダレスな交錯と、突然の白昼夢、それに伴う時制や人称の転換にあると思います。もちろんこうした手法により、主人公・陳言の内面をよりデリケートでリッチに表現することができたのだと思います。
泉京鹿さんが翻訳に取り組み始めて、2年近い歳月を経て、ようやく日本語版として完成させた苦労が分かる気持ちがします。

原題『双生水莽』の一部となっている<水莽草>。
主人公・陳言が日記に挟んでいる一本の根から二本の葉が伸びている水草が<双生水莽(双子の水莽草)>です。武漢市内を貫く長江(揚子江)の河岸の湿地で摘んだものなのです。
田原自身は日本語あとがきで、前述の怪奇小説『聊斎志異』の短編『水莽草』の物語を田原自身の青春時代と結び付けています。小説の中でも、主人公・陳言が<周波数>の合う仲間にお気に入りの物語として『水莽草』を語って聞かせたています。水莽草を食べて水莽鬼(亡霊)になり、好いてくれたオトコを身代わりにしてでも現実世界に帰るべきか葛藤しているのが陳言なのか、『水の彼方』を書いている田原自身なのか、こうした二重性が『水の彼方』の中で、作者・田原と主人公・陳言との関係をより複雑なものにしています。
幸いにも田原本人にこの件について尋ねる機会がありましたが、「この作品は私自身のイメージから飛び出した言葉の物語」だとお答えいただきました。短編『水莽草』の美少女水莽鬼(亡霊)三娘のように、小悪魔的で小悪女的だったのは、 『水の彼方 〜Double Mono〜 』を書いた時の田原自身だったのでしょう。

<水莽草>をはじめ、<(赤い)恐竜の泡><象魚(ピラルクー)><月の中の小人>などのファンタジックな比喩的象徴が、『水の彼方』の文学性を強くするとともに、難解にもさせています。
こうしたメタファーは、作品に詩的な生臭さ(泉さんは訳者あとがきで<生物学的匂い>と述べています)を醸し出させ、作者のセクシャリティ(女性性)をいっそう強く引き出しています。
いっぽうで、主人公・陳言の従兄弟との初恋のエピソードは、まるで綿矢りさの『蹴りたい背中』のように甘酸っぱい思春期小説風でもあり、舞台が北京に移ってから結末までの展開はスピーディかつ残酷で、ゴダールの『気狂いピエロ』を彷彿させてくれたりと、作者・田原或いは主人公・陳言の複数のパーソナリティが一つの小説に封じ込められている感じがします。

『水の彼方』は、田原自身の<周波数>にシンクロした<重力ポテンシャルエネルギー>によって自動記述された、幻想的青春小説と言えるでしょう。
1950年代アメリカの若者がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(『水の彼方』では主人公・陳言自身中学2年生のときに読んでいる)を愛読し、大人の世界を自分自身の価値観で拒み通そうとする主人公の少年に共感したように、また村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が1970年代の日本のサブカルチャーから若者の普遍的な虚脱感(村上は中国語版の解説で<近代化の達成という大目標を成し遂げた後に残る「喪失感」と述べている>を書き記したように、『水の彼方 〜Double Mono〜』は生活も風景も価値観も目まぐるしく変わる現代の中国を舞台に大人になる一歩手前の少女のモラトリアム体験を幻想的に描いたものだ、と私は勝手に解釈しています。

第二次大戦後栄華を尽くした1950年代のアメリカ、GMのシボレー、ライ麦畑。高度経済成長期の日本、学生運動、オイルショック、限りなく透明に近いブルー。
そして、21世紀初頭の中国。WTO加盟、富裕層の拡大、GMもTOYOTAも中国頼り。そうした中、次代を先んじて捉えているように行動しているように見えても、実は置いてけぼりにされている、若者のこころの内側。
『水の彼方 〜Double Mono〜』は、若者のこころの中に突如現われる空隙を満たす液体の如く、世界中の若者に読み継がれていくことでしょう。新世紀エヴァンゲリオンのLC.Lみたいに、血生臭くけれと心地良く。

田原が音楽活動を本格的に再開するとのことで、たいへん楽しみにしています。
『水の彼方 〜Double Mono〜』の主人公・陳言と同様、ニルヴァーナが大好きだったという田原ですが、最近はまさに八〇后世代に人気のミュージシャン羽泉や李宇春を手掛ける音楽プロデューサー張亜東と組んで音作りをしているようです。張亜東作曲による『50 Seconds From Now』は、ヴェルベット・アンダーグラウンドのニコを彷彿させるアンニュイなヴォーカルで、冒頭に述べた八〇后サブカルチャー路線を証明してくれた感じです。
田原は、私が大好きなテレビヴィジョンも大好きだそうで、『50 Seconds From Now』の歌詞やヴォーカルは詩人ギタリスト・トム・ヴァーレインの影響も伺われます。
この秋にはアルバムが完成するとのことで、こちらのほうも大きな話題になって欲しいと願っています。



■関連リンク■
田原ブログ(新浪博客)
八〇后(中国新人類・八〇后(バーリンホゥ)が日本経済の救世主になる! (洋泉社Biz)=次代高消費層として捉えている点では普遍的な八〇后を確認できると思います
水莽草(青空文庫・田中貢太郎訳)
アレン・ギンズバーグ(ウィキペディア)
スワロウテイル [DVD](goo映画)
気狂いピエロ [DVD](ウィキペディア)
限りなく透明に近いブルー(ウィキペディア)
新世紀エヴァンゲリオンのLC.L(ウィキペディア)
張亜東(C-POP)
『50 Seconds From Now』音楽ファイル直接リンク)
ニコ(ウィキペディア)
テレビヴィジョン(ウィキペディア)
トム・ヴァーレイン(ウィキペディア)

ウイグル族+漢民族騒乱:中国当局が怯える"悪魔"

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7日のNHK NewsWatch9では、天安門事件の学生リーダーの一人でウイグル族のウーアルカイシさんの映像がカットされました。
8日午後のBSニュースでは、世界ウイグル会議議長ラビア・カーディルさんのインタビュー映像がカットされました。
8日深夜のBSニュースでは、ご丁寧に「中国でNHK Worldのウイグル関連の放映が突然カットされた」(上述のラビア・カーディルさんのインタビュー映像のカット)と言うニュースを、わざわざNHK World放映中のテレビ画面を撮影して伝えようとしていましたが、その途中でブラックアウトになってしまいました。

ちなみに北京からGoogle日本語でラビア・カーディルを検索すると、検索結果は表示されますが、検索結果のリンク先はすべてアクセス禁止状態です。
日本のニュースサイトでのウイグル族に関する事件の報道は、アクセスできます。

中国当局のセンサーシップの"基準"を私なりに考えて見ますと、"騒乱の指導者"の生のコメントは海外のテレビ局やウェブサイトであっても、中国にいる人たちには見せたくない、と言うことなのでしょう。
中国当局は、ラビア・カーディルさんやウーアルカイシさん、挙句の果てにダライ・ラマ14世までを、暴動の首謀者として"悪魔"扱いしようとしています。
海外のメディアが、こうした"悪魔"の生の囁きを、穢れ無き中国人民に伝達すると都合が悪いということでしょう。こうした指導者のコメントや意見が伝わるのがイヤなだけではなく、偶像崇拝すら怖れているんですね、きっと。

漢民族の愛国的ウェブサイトでは、ノーベル平和賞の受賞者と有力候補者であるお二人の写真が"悪魔のツーショット"として紹介されていました.....。
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ウイグル族抗議映像はOKでもウーアルカイシはNG、ビミョーなセンサーシップ。

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久々に北京からブログのエントリーです。
ウルムチのウイグル族によると云われる騒乱事件ですが、中国では『新疆七・五事件』として、テレビ・新聞・ニュースサイトなどで大きく報じられています。チベットに関わる事件の報道よりは、かなりオープンと言えるでしょう。
比較論にはなりますが、海外メディアに対しても中国のこの種の事件としては、オープンに取材を許可しているようです。

仕事仲間と新疆料理のレストランで夕食を食べようということになりました。
そのレストランのスタッフは、回族とウイグル族と漢民族です。
回族もウイグル族と同様に中国の少数民族の一つで、主にイスラムを信じ、今回事件のあった新疆ウイグル族自治区にもかなり居住しています。日本人の私の目では見分けがつかないので、「回族ですか、ウイグル族ですか?」と尋ねました。
回族の人にも、ウイグル族の人にも、ウルムチでの事件についてどう思うか聞いてみましたが、一様に「私には関係ないこと」と言う返事でした。
ちなみに、スパイスと焼き加減が絶妙の羊肉串(シシカバブー)とビールで「お疲れさん」をした、北京の漢民族仕事仲間(80年台生まれ)は、この事件のことを当然知ってはいるものの、やはり「私には関係ないこと」と言う感じで、学生時代に同学だった可愛いウイグル族の女の子の想い出話などで盛り上がっていました。
ここ北京の新疆料理レストランでは、回族にもウイグル族にも漢民族にもごくフツーの日常が流れていました。

ホテルに帰って、中国当局が受信を認めている海外衛星放送の一つであるNHKの海外向け放送・NHKワールドプレミアムで、日本のNHK総合テレビのニュース番組『News Watch 9』を視ました(日本より数秒ディレイしますが、デジタルデコーディングのせいでしょう)。
ウイグル族騒乱のニュースでは、NHKのスタッフが他の海外メディアとともに中国当局の許可を得て、ウルムチを取材した様子が放映されました。取材中の海外メディアのまわりに、ウイグル族が大勢集まってきて、「家族・知人が不当に連行された」「漢民族に暴力を振るわれた」などと訴え出ているところまで、キチンと放映されました。
これはちょっと驚きで、こうした事件を海外メディアが取材する場合、当然中国当局のガイド(良く言えば広報担当者、悪く言えば監視役)がそばにいるはずで、事件の加害者とされるウイグル族の生の主張などは撮影させないか、放映の自粛を求めるかするのが、フツーだったのですが....。ウイグル族が大勢集まってきて、警察が制止する光景まで、しっかり撮影OKだったようです。
そのバーター(見返り条件)だったのかもしれませんが、ウイグル族の群衆シーンの後には、漢民族によるデモ行進の映像も放映されていました。でも、その漢民族がスコップやヌンチャクなどで武装しているシーンまで、中国当局は許容したんですよ!!

現地からのレポートが終わると、「台湾在住・ウイグル人活動家・ウーアルカイシ」とテロップつきで、89年の天安門事件の学生側指導者の一人とされるウーアルカイシの貫禄ある姿が一瞬映されたかと思ったら、突然テレビはブラックアウトしてしまいました!!
中国に馴れていない方なら、ホテルのテレビが壊れたとしか思えないでしょう。
これは以前もブログでご紹介しましたが、中国当局によるセンサーシップ(検閲)によるものです。中国では海外衛星放送受信用のパラボナアンテナを無許可で設置できません。原則として、中国当局関連施設の大きなパラボナアンテナが受信したものをケーブルテレビなどで再送信したものを視聴することになります。各家庭でパラボラを設置して勝手に受信されると、センサーシップできないですから。
インターネットのご時世なのに、海外のテレビ放送に関しては、中国当局にとって都合が悪い情報はカットしてお届けしているわけです。インターネットでも同じように都合が悪い情報にアクセスできなくするよう頑張っていますが、隠されたモノは努力してでも見たいと思うわけで、実質的な効果は無いんですけど。テレビの場合も、隠しパラボラなど対策はいろいろありますが、さすがに中流以上のホテルのテレビとなると、公式版を放映せざるを得ないようで、偶然にも久々にブラックアウトを視てしまったわけです。

それにしても、ウイグル族がNHKのカメラに向かって「友人が不当に中国当局によって連行された」と主張しているシーンや、漢民族がウイグル族をやっつけようと武器を手に行進しているシーンが、センサーシップをくぐりぬけて放映されたのに、ウーアルカイシが出てきた途端にブラックアウト、というのは、どういう基準なんでしょうか?

少なくとも、今回の事件よりも中国当局が天安門事件の影響のほうを未だに深刻に受け止めている、と考えてしまいした。
既に、ウイグル族による事件に関しては、海外のテロリストグループが背景にあるような報道を、恐らく中国当局が率先して流しています。その背景がいわゆるイスラム教過激派であれば、国際社会の共感は得られやすいでしょう。チベットの場合と違って、扇動されたウイグル族が悪で、中国当局は被害者と言う構図が成り立ち易いと思っているのかもしれません。
いっぽう、ウーアルカイシはこの6月、天安門事件の20周年に際し中国への帰郷を求め、中国当局に拒否されるという騒ぎを起こしたばかり。20年前の亡霊に、中国当局は未だ怯えているということでしょうか?
台湾で事業を起こして恰幅の良くなったウーアルカイシは、少なくとも八〇后(80年台生まれの若者たち)に対して、何の影響力も持たないように思えますが、中国の政権が89年の天安門事件を再評価でもしない限り、中国当局の怯えは消えることが無いのだろうと思いました。

『北京陳情村』〜馮小剛〜葛優〜余華〜『兄弟』

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08年小学館ドキュメンタリー大賞優秀賞を受賞した田中奈美さんの『北京陳情村』は、著者が北京市南部にあるいわゆる「陳情村」を足掛け3年にわたって足繁く通い、地方行政の"腐敗"を中央政府に訴えるため住み着いているクレイマーたちの生き様を描いた秀作です。
"中国の光と影"の「影」の部分として陳情村(或いは直訴村)を取り上げるメディアやジャーナリストは数多くありました。その大半は、共産党独裁政権による行政の腐敗や経済格差の拡大の縮図としてステレオタイプに伝えています。中国当局による人権弾圧の象徴として、民主化を圧し付けるためのエビデンスとして、陳情村(或いは直訴村)が、海外の人たちに認識されるようになりました。
しかし、敢えて不謹慎な言い方をすれば、『北京陳情村』に登場するクレイマーたちは、貧困の底で震え独裁政権の弾圧に怯える弱者でもなければ、行政の腐敗を暴き民主化を叫ぶヒーローやヒロインでもありません。私が中国で接してきた中国のフツーの人たちと差ほどかけ離れている存在とも思えません。他人の足をひっぱったり、自己主張が強かったり、話が突然飛躍したり、そういう人たちが日本と比べると圧倒的に多いと、私自身感じています。
『北京陳情村』でも触れていますが、陳情をビジネスとして捉えている人たちもいるのでしょう。中央からの評価が悪くならないように地方政府がお金で解決している例もあり、身近なクレイマー仲間がそこそこの解決金を手に入れた、というような噂を聞きつけ、達成可能な目的のため陳情活動をしているケースもあるのでしょう。そのためには、当局の手下にボゴボゴになるまで殴られるリスクも覚悟の上で。
もちろん、そうではないケースもありますが、田中さんの『北京陳情村』は、既製メディアやジャーナリストが築き上げてきた陳情(直訴)=共産党支配の暗部という幻想を見事にぶち破ってくれた作品だと思います。

『北京陳情村』の中のクレイマーたちの会話は、馮小剛の映画を髣髴させます。映画化するなら馮小剛に監督をお願いしてほしいものです(中国では上映許可は下りないでしょうけど)。
馮小剛監督の最新作『非誠勿擾(If you are the one)(邦題は『誠実なおつきあいのできる方のみ』だそうです)は、中国ではハリウッド映画『赤壁』を凌ぎ、お正月映画のトップタイトルになりました。『天下無賊』『手機(Cell Phone)』など、彼の最近の作品は、中国の中国らしさ、或いは中国人の中国人らしさを、小気味良い会話で描いています。『北京陳情村』の登場人物で腐敗役人批判の替え歌集をCD化してビジネスにしようとした、プロデューサー・リー氏とシンガー・リュウさんのやり取りなんかは、馮小剛の社会派コメディーそのものという感じです。
『非誠勿擾(If you are the one)』は、いわゆる"婚活"の物語。40歳を過ぎた海外留学帰りの中年オヤジ・秦奮が、そろそろ生涯の伴侶を見つけようと、何人かの女性といわゆる"お見合い"をしていくお話です。前半の主人公・秦奮と投資家やお見合い相手の女性との会話がビミョーに噛み合わず、笑いを誘うのですが、私が知る中国人の多くはこんな感じです。

『非誠勿擾(If you are the one)』の主人公・秦奮を演じるのは、私が大好きな俳優・葛優。彼が演ずる中国人は、私がイメージする典型的な中国人と合致しています。お金持ちを演じようが、スリを演じようが、表層的で軽妙な言葉の連続とは裏腹の信念のようなものを感じさせ、それは私がこれまでに中国で出会った、例えばオフィスビルのトイレ掃除のオジサンだったり、タクシー運転手の兄ちゃんだったり、ネット企業のCEOだったり、タバコ屋のオヤジなどと何となく重なり合ってしまいます。

いまでは馮小剛映画に欠かせない俳優となった葛優ですが、私が最初に彼が演ずるのを観たのは張藝謀監督の『活きる(活著)』ででした。『活きる(活著)』は地主の放蕩息子・福貴(葛優演じる)が、40年代の内戦、50年代の大躍進、60年代の文化大革命という混乱の時代を活き抜くという長編の物語。中国当代きっての作家・余華の同名の小説が原作です。

その余華の最近の作品兄弟 上 《文革篇》』『兄弟 下 《開放経済篇》は泉京鹿さんの翻訳によって、日本語で楽しむことができます。
『兄弟』は、李光頭と宋鋼という血のつながりの無い、けれども少年期を過ごした文革時代の極限体験によって固い絆で結ばれた兄弟の生涯を描いた長編で、『活きる(活著)』の主人公・福貴と『兄弟』の主人公たちは1ジェネレーションくらい離れているので、70年代以降の改革開放による中国の社会変化を読みほどくことができます。
上巻『兄弟 上 《文革篇》』では、人を人として扱いもしないほどの惨い暴力シーンが幾度も繰り返されます。『北京陳情村』に登場するクレイマーたちも、時には地方政府が遣わした"陳情狩り"に遭い、拘束され、車椅子生活を余儀なくされるくらいの暴力を受けているわけです。文革時代より数の上では大幅に減っているとは思いますが、強者による暴力行為が未だ日常的に繰り返されているのも事実でしょう。
下巻『兄弟 下 《開放経済篇》』で李光頭は廃品回収業から身を興し、地方経済の担い手となるほどの大金持ちになるばかりか、少年時代から憧れを抱き続けていたマドンナ・林紅までを手に入れることになります。その林紅が、改革開放に浮かれること無く実直に生きてきた宋鋼の妻であったにも関わらず....。
自分のことしか考えない中国人のプロトタイプとも言える李光頭ではありましたが、それでも深層に苦を共にした兄弟・宋鋼への想いがあり、その噛み合わなさこそ、日本人がなかなか理解しにくい中国的なモノの一つなのだと納得しています。
翻訳の泉京華さんは、スラング満載で"噛み合わない"会話だらけの原作の魅力を、少しも損なうこと無くテンポ良い現代の日本語で楽しませることに成功しています。二巻で800ページを越える大作も、あっという間に楽しむことができるはずです。

中国関連の仕事をしている私にとって、李光頭のような人物は小説の中の創りモノではなく、何度も出くわしてしまうようなリアルな人物の典型例と言えます。李光頭は儲けた資産で宇宙に旅立つのですが、ビジネスで邪魔されて一文無しになっていたなら、北京の陳情村をうろつくような人物なのだと思います。
そして、それは『活きる(活著)』の主人公・福貴や『非誠勿擾(If you are the one)』に登場する何人かの人物(例えば冒頭に登場する投資家)にも重なり合います。
『兄弟』が映画化されるのなら、監督はやはり馮小剛で、葛優には李光頭を演じてもらいたいものです。

内輪話で恐縮ですが、私がボールド(スキンヘッド)にした最大の理由は、名優・葛優はボールドがお似合いだし、スキンヘッドの李光頭(光頭は禿げ頭のこと)も、いま仕事で頼りにせざるを得ない中国企業のスキンヘッドのCEOも、話が飛躍してかみ合わなく、自己主張や強くきっと自分本位なのだけども、心の深層のどこかに愛すべき何かを持っているから。

中国インターネット、"表向き"の公序良俗

かの国にも、インターネット違法及び不良情報告発センター(中国互聯網違法和不良信息挙報中心)なるものがあります。
ネット上の有害情報やウソの情報をユーザーから告発してもらって、改善・指導していく組織ですけど、強制力を持って、イケ無いサイトをクローズさせることもできます。
このセンターのウェブサイトには、強制的にクローズさせられたウェブサイトのリストが掲載されていますが、そのほとんどは詐欺とかエロとかによるものです。国家や共産党の悪口を伝えたなどと言う言うお咎めによって、クローズさせられたサイトは、"表向き"ありません。

それでは、どんなサイトを"表向き"に中国当局が公序良俗に反すると判断するのでしょうか?
01偉い人たち
こんな風に、中国各地から偉い人が集まって会議を開き、公序良俗に反する「低俗」ウェブサイトを選び出すのです!!
09年の年初に、輝かしく"表向きに"「低俗」だと判定されたサイト(サイト内コンテンツ)は、以下33です。

1.Google China イメージ検索の結果表示にリンクされている低俗画像
2.百度貼Ba(BBS)、空間(ユーザーページ)、及び検索結果にリンクされている低俗画像
3.SINA"相柵(Photo)"コーナー及びブログの大量の低俗画像
4.SOHU"相柵(Photo)"コーナー、ブログ、及び画像BBSの大量の低俗画像
5.TENCENT(QQ)"相柵(Photo)"及び個人空間(My Space)の大量の低俗画像
6.NetEase"相柵(Photo)"の大量の低俗画像
7.Chinaren(SOHU傘下のポータルサイト「中国人」)画像投稿コーナーの大量の低俗画像
8.中捜BBSの大量の低俗画像
9.MOP"漂亮MM(カワイイいもうと)"コーナーの大量の低俗画像
10.天線(OpenV)に投稿された大量の低俗ムービー
11.第1視頻(VOD One)スポーツコーナーの大量低俗ムービー
12.天涯社区(SNS)Photo内の大量の低俗画像
13.UUU9(オンラインゲーム情報サイト)"美眉(キレイなお姉さん)"コーナーの大量の低俗写真
14.Yesky(IT情報サイト)"美女"、"アイドル写真"、"ユーザーセルフフォト"、及び"美女風情"コーナーの大量の低俗写真
15.合肥オンライン(安徽省のローカル・ポータルサイト)"美女画像貼付け"コーナーの大量の低俗画像
16.鉄血ネット(軍事情報・ミリタリー・サイト)"美眉(キレイなお姉さん)"コーナーの大量の低俗写真
17.T131.com(オンラインゲーム情報サイト)"美眉(キレイなお姉さん)"コーナーの大量の低俗写真
18.Sogua(音楽情報サイト)写真、クレイジー投稿写真、アイドルデータベース、及び"漂亮MM(カワイイいもうと)"コーナーの大量の低俗画像
19.快車網(オンラインゲーム情報サイト)の大量の低俗画像
20.MSN中国映画及び"フォトセレクション"コーナーの大量の低俗画像
21.TOM.COM娯楽、スポーツ、及び自動車コーナーの大量の卑猥で低俗な画像
22.空中網(Kon.net)娯楽及び写真コーナーの大量の低俗画像
23.西部網(陝西省のローカル・ポータルサイト)スポーツ写真コーナーの大量の低俗画像
24.My Space(聚友網)画像BBSの大量の低俗画像
25.易車会(自動車情報サイト)写真及び自動車フォトコーナーの大量の低俗画像
26.Gamer Sky(オンラインゲーム情報サイト)"ゲーム・シスター"コーナーの大量の低俗画像
27.52PK(オンラインゲーム情報サイト)"美女写真"コーナーの大量の低俗画像
28.POCO(画像コミュニティサイト)の大量の低俗画像
29.1713(SOHU傘下のオンラインゲーム情報サイト)"美眉(キレイなお姉さん)"コーナーの大量の低俗写真
30.hezon(動画投稿サイト)"美女"コーナーの大量の低俗ムービー
31.小虎在線(携帯SNS)ムービー検索の大量の低俗ムービー
32.泡泡門戸(携帯サイト)娯楽コーナーの大量の低俗画像
33.動感網(携帯サイト)"ビューティフォト"コーナーの大量の低俗画像

Google、MSN、My Spaceといった国際的なサイト、中国4大ポータルといわれる、QQ、SINA、SOHU、NetNease、そして百度(BAIDU)。中国の名立たるサイトはみんな低俗だと判定されてしまったわけです。動画投稿サイトやオンラインゲーム情報サイトなどに、萌え系の画像が掲載されていそうなのは理解できますが、自動車やIT情報サイトにまで"低俗"画像が蔓延していたのですね....。

こうして指摘されたサイトは、速やかに低俗なコンテンツを削除しなければなりません。ですから、これらのサイトを覗いてみても、お宝画像や映像を確認することはできないでしょう。
02易車の告知
例えば、このように「ユーザーの皆さま、現在「易車会」の写真コーナーはメンテナンスを行っております。もし自動車の写真をご覧になりたい方は以下のリンクをお訪ねください」みたいなメッセージが出て来てしまいます。
それにしても、自動車情報サイトの写真コーナーは、自動車の写真ではなくて低俗で卑猥な写真で満ちていたのでしょうね。
唯一、26.のGamer Skyだけキャシュで対象画像をゲットできました。
03GamerSkyの画像
こんなものです。
一部の方が期待しそうな、低俗で卑猥な画像やムービー(例えば、日本の裏AVなど)は、ほぼ野放しのままになっていて(対応が追いつかないのでしょうけど)、中国のネットユーザーは気軽にアクセスできるのです。

もちろん、「08憲章(零八宪章)」(参考:msn産経ニュース)みたいなものは、"表向き"公序良俗を乱すものでないでしょうから、ネット上でも"表向き"は取締りの対象にもならないのです....。
百度(BAIDU)で検索してみても、"表向き"すっかり姿を消してしまいました....。
04百度の検索結果
(「08憲章」の検索結果。トップは「国連憲章」。「08憲章」に関するサイトは表示されず....。)

「今、再び、被災地へ..」モスケさんの『成都通信』より

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5月12日に四川省で大きな地震が発生して、5ヶ月近くになります。世界の目は一瞬四川へと注がれました。
けれどもその後、北京でオリンピックが開かれ、チベットや四川のことも引き続き注目していかなければならない、と気勢を張っていた"良心的な"メディアですら、オリンピックと言うお祭り報道の中で突出することはできなかったようです。
それから、日本の総理大臣の交代や、中国人初の宇宙遊泳のことや、75兆円にものぼる公的資金の投入をアメリカ議会が否決ことや、ニュースは次から次へと消費されていくわけです。福田康夫という、日本の一代前の首相のことが忘れ去られるように、四川での大災害も忘れられてしまう。でも特に、こうした災害には"つづき"があって、その"つづき"こそ、私たちが注視しなければならないものなのかもしれません。

モスケさんの『成都通信』は、所詮消費されてしまうだけのニュースや情報の脆さを補う一つの手段として、ご本人にはそのような意図が無かったかもしれないにせよ、私はインパクトを受けました。マグニチュードがいくつだった、死亡者は何万人だった...。でも、四川の大地震も含め、大災害の多くはその被害者にとって現在進行中の事象なのです。「あなたとは違います!!」いや、福田さんとは違うのです。
モスケさんのご了解をいただき、全文を転載させていただきます。

「今、再び、被災地へ..」


わが社は、創立10周年記念を
この秋に迎えます。

これを機会に、社会貢献活動を被災地向けにやろう、
ということまでは
GOサインが出たのですが
「じゃ、何しよう?」という段階で足踏み..

じゃ、再び、被災地へ行って、その「肉声」を聞いて来よう
ということで、先日、再び被災地へ行ってきました。

今日は、そんなお話です。


まず、従業員の親で被災しているお宅へ..

当日は、あいにくの雨...

で、その被災した家は、かろうじて雨をしのいでいるだけでした。
それもそのはず、被災後やった工事は
屋根の修復工事だけだったんです。

 <なぜ?>

もうこの家を修復しても、そこに住むことはないからです。

(もうちょっと正確に言うと)
この家には危ないので住んではいけないのです。
これは、政府のお達しです。

彼らは、今、仮設住宅に住んでいているのだけれど
昼は、畑が近いことと、やはり..

「ずっ~と、仮設住宅にいると、息が詰まってしまう」

という理由で、この倒壊しかかった旧家に来て
農作業の復興の準備をしているのです。

当日は、あいにくの雨でした。

で、私が思ったことは..

 <そうか、家というのは、雨をしのぐためのものだったのか?! >

これは、確かに大事な「機能」です。

家のもともとの「機能」は、雨風をしのぎ、
そこで居し、寝れるということなんですね。

でも、人間にとって、「家」の存在というのは、
とても重要なことなんだ、と改めて感じました。

人間が生きる基本が、きっと「家」と「生業」なんでしょうね。
(実は)この2つさえあれば、何とかやっていけます。

人間の幸せの根源を見る思いです。

農家をやっているお父さんの手は、爪の先まで真っ黒でした。
そんなところにも、彼の人生が凝縮されています。

でも、しっかりと握手してお礼をしましたよ。
お米と油をお土産に...

で、彼らの口から出たことばは、とても切実でした。


 「この家を建てるのに、8年前、3万元をかけました。
  もう、それを出す余力は、まったくないです。
  今、この地震で、お金はスッカラカンです。

  田畑は、土砂で埋まってしまいました。
  そのこの地で、また、農業が再開できるのか、決まっていません。」

 「どこまで、政府がやってくれるのか
  この家では、住めないことは、通達を受けているのですが..

  これから、いつ、新しい家を建ててもらえるのか
  その順番がいつ回ってくるのか
  まったく、見通しがついていません。」
 
 「今でも、時々地震の夢を見ます。

  いつまた、同じような地震が来るのかも
  って思うと、怖くて、つい起き出してしまいます」


悲しい現実が、そこにド~ンと腰を下ろしています。

かけてあげる言葉を、こころの中で探していましたが
適当な言葉を見つけることができません。


 「娘が、まだ、結婚もしてもいないだが
  福建省に住んでいて、四川省に戻したいのだが
  職業を斡旋してもらえないだろうか?」


家族と一緒に住みたい、でも働き口がない。
そんな現実が、垣間見えます。

このような大きな被災の後、傷心の時に
気心の知れた家族と一緒に住んで生きたい
これも至極、当たり前の感情(幸せの根源)
なんだと思いますよ。

そんなちょっと重い空気をひきづりながら、次ぎの慰問先へ..

ここは仮設住宅の中でのインタビュ~..

その婦人の旦那さんは、この地震で亡くなったそうです。

そのお宅には、訪問した時に
横になっていたご老人の方がいました。

先日、手術をしたばかりらしいです。

で、一通りのお話を聴いた後
ちょっとでも多くの方のお話を聴きたくて
近所の人たちにも、今度は別の家に集まってもらいました。

そうしたら、あることに気付きました。

老人と奥さんだけなんですね。
子どもさんたちは、そりゃ、学校へ行っている時間帯です。

で、旦那連中は、生計を立てるために
そばに働き口を見つけにくいので、「出稼ぎ」をしに行っています。

言わば「3ちゃん仮設生活」なんです。

そんな中、奥さん連中が、孤軍奮闘!
毎月180元(2500円ほど)で食費を済ませているわけです。

因みに、この180元というのは
(ちょっと不謹慎ですが)カラオケ屋さんの席料と同じなんです。

そんな額で、ひと月をやり繰りしているんです。

で、赤ちゃんのいる家族は、比較的住環境のよい
仮設に集められているということです。
それなりの配慮が施されているようです。

で、いろんな話を聞いてメモを取ってきたのですが
その取っていたメモの手が突然止まった瞬間がありました。

それは、その未亡人の奥さんに
高1の娘さんのことを、話してもらった時のことです。

 「娘がこんなことを言うんですよ~

  この地震で私は、成長したって..

  本当に、こころの底から勉強したいと思った。

  本当に、こころの底から、節約しなくちゃ、って思った。

  本当に、こころの底から、(お父さんがいなくなって)
  お母さんのことが心配になった..」


取っていた私のメモが、いつの間にか、涙で滲んでしまいました。


 <そ、そういうことなんだよな~

  死んじゃった人の分まで、しっかりと生きないと ..

  この地震から何を学ぶのか?

  それをしっかりと、こころに刻み込んで
  前を向いて、「今」をしっかりと生き抜かないと..>


この話を聴いた時、(実は、こころの中で)
先日、北京で行われたパラリンピックのある記事を思い出しました。


 「この障害のおかげで、私は強くなりました。

  今、ある障害は、それは本当は欲しくはなかったけれど
  そして、その障害を受け入れるのに時間もかかったけれど..

  そのおかげで、私は、以前より強くたくましくなった。

  そして、こうしてパラリンピックにも出れて
  自分は飛躍的に成長できた。

  だから、私は、この障害に感謝しています。
  ありがとう、って思っています」


実は、私は、この記事を目にした時も
目頭に熱いものを感じていました。


  <何という真実!何という前向きな生き方(考え方)!!>


話の根っこは、どれもこれも、みんな同じなんです。

で、翻って、私たち自分自身のことを考えてしまいます。


 <こんな健常者で、しかも地震の影響もそんなに受けていないのに
  一体、何やってんだろう?? >


もっと、もっと、幸せに近い距離にいながら

もっと、もっと、普通に頑張れる位置にいながら
全然、がんばっていない自分を見つけるのです。

毎日の日々の普通の生活の中にこそ、幸せがあるのに
それを幸せと思わず、当たり前だと思って
「ありがとう」のひとつも言っていない自分が
そこにあるのです。


彼ら、被災地の子どもたちは、今
地震の前よりも、ずっと一生懸命に勉強しているそうです。

くだんの少女は、将来、やりたいことがあるのだそうです。
四川省の復興のために貢献したいそうです。

それが、少女にとって
死んでいったお父さんに対する「弔い」であり
お母さんに対する「恩返し」であり
自分に対する「生き抜く支え」なんです。

で、義務教育を終えた高校以上の学費については
政府の援助も薄いのだそうです。

そんな彼らを応援してあげることこそ
本当の意味での社会貢献活動なんじゃないか
って、今、思っています。

この貢献は、今、すぐ、目に見えた効果を
出すものではないのかもしれません。

けれど、そういう次世代にバトンをつなぐような貢献が
あってもいい、と思っています。

そして、いつか、地震の前より
素晴らしい街をまた、そこに再現させて
もらいたいって思うのです。

そんな行為は、太平洋の中にポトンと落とす
一滴の「汗」のような
そんな貢献かもしれません。

でも、それを誰かが、そう誰かが始めなくては
何も始まりません、何も起こりません..

それは、モスケが生きている間では
完結できないかもしれません。

でも、それでも「お天道さん」が
しっかりと、見守ってくれているはずです。

そう信じたいです。

その未亡人の方が、時折見せる明るい笑顔に
私のこころは、(ちょっとだけ)救われました。

最後に帰ろうとしたら、「一緒に、写真を撮りませんか」
って、誘われました。


 「こうやって、来てくれてありがとうね~
  実は、これが、一番の我々の慰みなんですよ。

  関心も持たれなくなってしまった、と思うと
  それはそれは、ちょっと寂しくなるものなんです。

  私達だけ、置いてきぼりされたような感覚になるんです」

そんなことばを、最後にいただきました。

お安い御用ですよ、クルマで往復4時間揺られただけのことですから..

こうやって、今、一緒に、この大地に生きている「ご縁」
そして、そんな「ご縁」に生かし、生かされ..
これらも、一緒に、繋がっていきましょう。

だって、「今」、生きているのは、我々なんだから..


 <「愛」はたて糸、「信」はよこ糸>


かの有名な岡崎嘉平太さんのそんなコトバが
30数年の時空を越えて頭を過ぎりました。

果たして、この織物、どんな風に織られるのでしょうか?
(しっかり織らないと「お天道さん」に叱られそうです)


帰りのクルマの中で、9.11テロで作ったという
あの名曲「ハナミズキ♪」(徳永バ~ジョン)を聴きました。

 「君と好きな人が百年続きますように~♪」

そうそう、君のお父さんは、きっと天国で、君の勉強を
心強く思っているよ、暖かく見守っているよ。

だから、だから、しっかり、そう、その調子、今の調子で
勉強していってネ。

私もそんなあなたを
そんな真に学びたいと思っている人を
これからも(こころから)応援していきます。


 <百年のスパンで考えた時、この「汗」が
  大海を作っていってほしい..>


って、そんな希望の気持ちも込めて..

そんなことを、こころの中でお話しながら
また、一人、一筋の涙を、ポトリと垂らすモスケでした。
(「涙」は、こころの「汗」なんだぃ~)

いろんな「思い」を胸に抱いて
いろんな「出会い」を脳裏に焼き付け
いろんな「ご縁」に生かし、生かされ..
自分もまた、行動し、成長していきたいと思います。

PS)
 でも、なんで、ハナミズキの歌詞は..

  「空を押し上げて手を伸ばす君、5月のこと..♪」

 って、5.12四川大地震を予言していたような歌詞
 なんでしょうか? 運命を感じます。

 よかったら、また、「ハナミズキ♪」(徳永バ~ジョン)を
 聞きながら、(後段だけでも)読んでみてください。

 実は、私は、そうしながら、ず~っとこれを書いていました..
 そんなことで、もっと、皆さんとのこころの距離が
 縮まれるような気がしますもんで..
 

では、また..

2008.9.30
モスケ@成都

モスケさんは、かれこれ10年ほど前、私が北京で働いていた頃、知り合いました。その後、音信が途絶えていましたが、ふとしたキッカケから、成都でお仕事をしていることを知るとともに『モスケの(勝手に)成都通信』という不定期に発行されるメール通信の読者にもなったのでした。
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Writer's Profile
ぺきんのぐっち
広告会社の中国現地法人の社長として9年間北京に駐在後転職し、現在は日本と中国を行き来しながら、中国のインターネット・ビジネスと悪戦苦闘中。
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