映画『高興(Gao Xing)』(SINA映画=中国語)は西安のある陝西省出身の作家・賈平凹が自身の同級生の実話をモデルに書いた小説を原作に、テレビCF出身の映画監督・阿甘が映画化したもので、2009年の"お正月映画"として公開されました。
陝西省の貧しい農村から"一肌上げよう"と地方都市・西安に出稼ぎに出て来た農民と、大学の入学資金を稼ぐためにいかがわしいサウナでマッサージ嬢をしている女の子の恋愛ストーリーを中心に、地方都市の表舞台で無いところで気強く活きていく農村出身者たちの群像コメディに仕上がっています。(原作では、この二人の恋愛が成就することは無かったようですが。)張藝謀監督の『活きる』や寧浩監督の『Crazy Stone』などで様々な役どころをソツ無く演じてきた郭涛が出稼ぎ農民の劉高興を、著書『水の彼方 〜Double Mono〜』が最近日本でも翻訳出版された作家兼シンガーソングライター兼女優の田原がマッサージ嬢・孟夷純を演じています。
弟分・五富とともに、憧れの街・西安に出てきた劉高興は、同郷の仲間に勧められて、廃品回収の仕事を始めます。北京の中心ではすっかり見ることも無くなりましたが、自転車でリアカーを引っ張って、空きカンやペットボトルから、壊れた家具やテレビまで、何でも引き取って回るお仕事です。数年前の北京では、500ミリリットルの空きペットボトル10本を0.5RMB(7円)ほどで引き取ってくれました。家電やベッドなど多少"値のはる"廃品が集まったとしても、1日100RMB(1,400円)ほどの利益が出るか出ないかの商売なのだろうと思います。
それでも、劉高興は前向きに仕事に打ち込みます。同郷の仲間に借りたオンボロ倉庫の何一つ無い"自宅"の部屋も、次第に家財が増えていき、"お家"らしくなっていきます。
余華の小説『兄弟』(兄弟 上 《文革篇》・兄弟 下 《開放経済篇》)の主人公・李光頭は、廃品回収業から身を興してチョー大金持ちになりました。劉高興はチョー大金持ちにはなりませんが、毎日を仲間とともに楽しく過ごし(「高興」は中国語で、"うれしい・楽しい"と言う意味です)、恋愛も成就させるのです。
ステレオタイプに「経済格差の拡大」と「それがもたらす社会の歪み」などと叫んでいる評論家の皆さまにも、ぜひご覧になっていただきたい映画だと思いました。
蓄えていた進学資金を盗まれて落胆していたマッサージ嬢・孟夷純に、劉高興がお金を援助する場面があります。百元札(1,400円)2〜3枚をプレゼントする劉高興に、孟夷純は「あなたが何日もかけて稼いだお金をいただくわけにはいかない」と言います(結局はもらっちゃうのですが)。いっぽうで200〜300RMB(3,000〜4,000円)というお金は、いかがわしいマッサージ嬢ならば地方都市であっても、一人のお客さんにサービスすれば稼げるお金でもあります。
飛行機好きの劉高興は、手作り飛行機で西安上空を飛ぶことによって、「多くの人の上に立つ」という弟分・五富の夢を叶えてやることになるのですが、ひょんなことからその飛行機のボディが広告メディアとして5,000RMB(7万円)で売れました。"広告主"であるIPOを間近に控えた地元の実業家にしてみれば、5,000RMB(7万円)は「一晩マージャンして負けるお金よりも安い」のですが、劉高興は警察に連行されたマッサージ嬢・孟夷純の"将来"を買い戻すことができました。
中国には明らかに経済格差が存在します。
汗と泥だらけになって一日中廃品回収をしても、せいぜい100〜200RMB(2,000〜3,000円)の収入にしかならないでしょう。けれども貧農地域で農業をしていたときより、10倍〜100倍の現金収入アップです。毎日働けば、北京や上海の大学新卒初任給くらいにはなります。運が良ければ、小説『兄弟』の主人公・李光頭のように億万長者になって宇宙旅行に出かけることもできるのです。
「格差の拡大」を統計的に証明している評論家は知りませんが、中国の"空気"として格差が固定化したり、拡大すると言う状況では無いと、私は感じています。
テレビも洗濯機も冷蔵庫も無いような農家に、家電製品を普及させたいと「家電下郷」(大和総研による解説)という政策がとられました。農家が指定家電製品を指定販売店から購入すると13%の補助金が出るという制度です。これはGDP8%成長を死守するための景気対策として始められたのでは無く、金融危機が顕在化する前の2007年12月から試験的に始めている政策です。2008年だけで、9,200億RMB(13兆円)の家電製品がこの制度を利用して購入された、とも言われています。
最近では、携帯電話やエアコン、バイク、パソコンなど、農村地域ではかなりの贅沢品と思われる製品への対象が拡大しており、結果として中国の"内需拡大"に貢献しています。
もちろん、この制度を利用できるほどの現金収入が無く、未だ家電製品を購入することのできない貧困農民も多くいるでしょう。また高年齢や病弱のため、出稼ぎに出たくともできない"弱者"もいるでしょう。
ただ私は現代中国の経済階層は、かなり流動性に富んでいると感じています。都市部のスピードには着いていけないかも知れませんが、農村部も総じて言えば豊かになってきています。そして、努力を惜しまなければ、運が良ければ、都市部でそれなりに豊かな暮らしをすることも可能でしょうし、事業を興してお金持ちになることもできます。
もちろん、経済的に裕福なことだけが人間の幸せでは無いと思いますが、ある程度の水準の暮らしぶりができてこそ精神的なゆとりも生まれてくるものです。
余華の小説『兄弟』の主人公・李光頭が、経済優先のため"弟"をはじめ精神的に大切なものを失ってしまったのに対し、映画『高興』の登場人物たちは、貧困からそこそこの暮らし向きができるようになって、友達や夢を大切にしながら活きようとしているのです。
こうした姿は、富裕層にも貧困層にも共感をもって受け容れられたのでしょうし、私自身、中国の「経済格差」は必ずしも中国崩壊の主要因にはなり得ないだろう、と言う想いを強くしました。
陝西省の貧しい農村から"一肌上げよう"と地方都市・西安に出稼ぎに出て来た農民と、大学の入学資金を稼ぐためにいかがわしいサウナでマッサージ嬢をしている女の子の恋愛ストーリーを中心に、地方都市の表舞台で無いところで気強く活きていく農村出身者たちの群像コメディに仕上がっています。(原作では、この二人の恋愛が成就することは無かったようですが。)張藝謀監督の『活きる』や寧浩監督の『Crazy Stone』などで様々な役どころをソツ無く演じてきた郭涛が出稼ぎ農民の劉高興を、著書『水の彼方 〜Double Mono〜』が最近日本でも翻訳出版された作家兼シンガーソングライター兼女優の田原がマッサージ嬢・孟夷純を演じています。
弟分・五富とともに、憧れの街・西安に出てきた劉高興は、同郷の仲間に勧められて、廃品回収の仕事を始めます。北京の中心ではすっかり見ることも無くなりましたが、自転車でリアカーを引っ張って、空きカンやペットボトルから、壊れた家具やテレビまで、何でも引き取って回るお仕事です。数年前の北京では、500ミリリットルの空きペットボトル10本を0.5RMB(7円)ほどで引き取ってくれました。家電やベッドなど多少"値のはる"廃品が集まったとしても、1日100RMB(1,400円)ほどの利益が出るか出ないかの商売なのだろうと思います。
それでも、劉高興は前向きに仕事に打ち込みます。同郷の仲間に借りたオンボロ倉庫の何一つ無い"自宅"の部屋も、次第に家財が増えていき、"お家"らしくなっていきます。
余華の小説『兄弟』(兄弟 上 《文革篇》・兄弟 下 《開放経済篇》)の主人公・李光頭は、廃品回収業から身を興してチョー大金持ちになりました。劉高興はチョー大金持ちにはなりませんが、毎日を仲間とともに楽しく過ごし(「高興」は中国語で、"うれしい・楽しい"と言う意味です)、恋愛も成就させるのです。
ステレオタイプに「経済格差の拡大」と「それがもたらす社会の歪み」などと叫んでいる評論家の皆さまにも、ぜひご覧になっていただきたい映画だと思いました。
蓄えていた進学資金を盗まれて落胆していたマッサージ嬢・孟夷純に、劉高興がお金を援助する場面があります。百元札(1,400円)2〜3枚をプレゼントする劉高興に、孟夷純は「あなたが何日もかけて稼いだお金をいただくわけにはいかない」と言います(結局はもらっちゃうのですが)。いっぽうで200〜300RMB(3,000〜4,000円)というお金は、いかがわしいマッサージ嬢ならば地方都市であっても、一人のお客さんにサービスすれば稼げるお金でもあります。
飛行機好きの劉高興は、手作り飛行機で西安上空を飛ぶことによって、「多くの人の上に立つ」という弟分・五富の夢を叶えてやることになるのですが、ひょんなことからその飛行機のボディが広告メディアとして5,000RMB(7万円)で売れました。"広告主"であるIPOを間近に控えた地元の実業家にしてみれば、5,000RMB(7万円)は「一晩マージャンして負けるお金よりも安い」のですが、劉高興は警察に連行されたマッサージ嬢・孟夷純の"将来"を買い戻すことができました。
中国には明らかに経済格差が存在します。
汗と泥だらけになって一日中廃品回収をしても、せいぜい100〜200RMB(2,000〜3,000円)の収入にしかならないでしょう。けれども貧農地域で農業をしていたときより、10倍〜100倍の現金収入アップです。毎日働けば、北京や上海の大学新卒初任給くらいにはなります。運が良ければ、小説『兄弟』の主人公・李光頭のように億万長者になって宇宙旅行に出かけることもできるのです。
「格差の拡大」を統計的に証明している評論家は知りませんが、中国の"空気"として格差が固定化したり、拡大すると言う状況では無いと、私は感じています。
テレビも洗濯機も冷蔵庫も無いような農家に、家電製品を普及させたいと「家電下郷」(大和総研による解説)という政策がとられました。農家が指定家電製品を指定販売店から購入すると13%の補助金が出るという制度です。これはGDP8%成長を死守するための景気対策として始められたのでは無く、金融危機が顕在化する前の2007年12月から試験的に始めている政策です。2008年だけで、9,200億RMB(13兆円)の家電製品がこの制度を利用して購入された、とも言われています。
最近では、携帯電話やエアコン、バイク、パソコンなど、農村地域ではかなりの贅沢品と思われる製品への対象が拡大しており、結果として中国の"内需拡大"に貢献しています。
もちろん、この制度を利用できるほどの現金収入が無く、未だ家電製品を購入することのできない貧困農民も多くいるでしょう。また高年齢や病弱のため、出稼ぎに出たくともできない"弱者"もいるでしょう。
ただ私は現代中国の経済階層は、かなり流動性に富んでいると感じています。都市部のスピードには着いていけないかも知れませんが、農村部も総じて言えば豊かになってきています。そして、努力を惜しまなければ、運が良ければ、都市部でそれなりに豊かな暮らしをすることも可能でしょうし、事業を興してお金持ちになることもできます。
もちろん、経済的に裕福なことだけが人間の幸せでは無いと思いますが、ある程度の水準の暮らしぶりができてこそ精神的なゆとりも生まれてくるものです。
余華の小説『兄弟』の主人公・李光頭が、経済優先のため"弟"をはじめ精神的に大切なものを失ってしまったのに対し、映画『高興』の登場人物たちは、貧困からそこそこの暮らし向きができるようになって、友達や夢を大切にしながら活きようとしているのです。
こうした姿は、富裕層にも貧困層にも共感をもって受け容れられたのでしょうし、私自身、中国の「経済格差」は必ずしも中国崩壊の主要因にはなり得ないだろう、と言う想いを強くしました。