guideandanteのblog

「仙台ツアーガイドあんだんて」ホームページ専用ブログです。

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これは何の骨でしょう?恐竜??
なんとマッコウクジラです。

我が宮城県牡鹿半島の捕鯨の歴史は100年以上。かつて国内有数の捕鯨基地として栄えた石巻市鮎川地区は、宮城県の牡鹿半島の先端部にあります。
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今年7月、約9年半年ぶりに、東日本大震災の津波で全壊した観光施設「おしかホエールランド」が、同地区に再建され開館しました。私の友人、前見文武氏が設計を手掛け、グッドデザイン賞を受賞しています。
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鮎川浜は、静かな漁村でしたが、明治39年(1906年)に山口県下関市から捕鯨文化が伝わり、全国屈指のクジラの町へと発展していきました。捕鯨産業に従事するため、他県から多くの働き手が移り住むようになり、1950年代半ばには住民4000人の記録が残っています。(現在740人)
当時、町が賑やかで活気に満ち、
500トン級の大型捕鯨船が何隻も港を出入りし、鮎川の海には何頭ものクジラが浮いていたと言います。

昔実際に使われていた捕鯨船。船に乗ってみることが可能。
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しかし1970年代に入ると、少しずつ陰りが見え始めます。高度経済背長による食の多様化などによって需要が衰えはじめ、またクジラの資源保護の観点から国際世論は反捕鯨へと向かい、その影響を鮎川も受け、捕鯨会社が相次いで撤退し、人口も減少の一途をたどりました。


2011年の震災では、牡鹿半島は壊滅的な被害を受け、100人を超す犠牲者が出ました。
以前の「おしかホエールランド」も津波で、展示品の大半が流失してしまったのです。
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しかし、新しい施設では、流失を免れた全長16・9メートルのマッコウクジラの骨格標本などを展示。昨年10月にオープンした観光物産交流施設「Cottu(こっつ)」や牡鹿半島の自然などを紹介するビジターセンターと「ホエールタウンおしか」を形成し、”
見て、知って、食べて、クジラ文化を楽しんでもらいたい”というコンセプトで展開しています。
マッコウクジラの骨格標本は圧巻です。学芸員さんが丁寧に説明してくださいますので、子供たちも楽しみながらクジラの生態を学べることができます。

パネルの説明も分かりやすい。クジラが大昔は下のような動物だったとは驚き!
捕鯨の歴史を紹介するビデオなども充実。

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捕鯨に使った道具
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またキャンプ場や離島の金華山など、牡鹿半島エリアは観光資源も多く、カヌー体験などの活動とも連携し、滞在型観光につなげていくことも考えているそうです。

昨年は31年ぶりに日本の商業捕鯨が再開しました。
捕鯨文化が遠ざかっている現代の日本に生きる私たちは、この機会に日本人とクジラの歴史を改めて知る必要があるように思います。
食堂Balenaバレーナ(イタリア語で「鯨」)の鯨のユッケ丼と鯨の竜田揚げ。
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鯨は高級食材になっています。私は宮城県の県南出身者なので、海沿いに住んでいると言っても(亘理町)、石巻鮎川周辺のように鯨を食する文化はないです。
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ホエールランドに隣接する施設には、いろんな種類の鯨肉や、部位ごとにも冷凍販売しています。一口に「くじら」と言っても、種類によって味わいが違うそうです。
部位ごとに売られているのを見ていると、部位ごとに適した調理法や食べ方があって、肉食が一般的でなかった時代、貴重なたんぱく源として、大切に食されていたかを感じました。
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国際世論から批判を受けることが多い捕鯨産業。私も外国人と話していて、議論することが何度かあります。食文化というのは風土、習慣などいろんな背景や要素が重なって誕生し、脈々と続いていくものです。

日本人は鯨肉を食するだけでなく、
歯は印鑑やアクセサリーに、髭はオブジェや道具の材料に利用するなど、いただく命に感謝して、太古から余すことなく、どこまでも丁寧に消費していたことがわかります。
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仙台に向かう帰り道、支倉常長が出発したといわれる月浦へ寄りました。夕方だったこともあり、メランコリックな雰囲気に感じたのは、現在サン・ファン・バウティスタ号が老巧化のため、惜しまれつつ解体され始めたことを知っていたからだと思います。

出発地を記念する石碑
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南蛮井戸」
出帆準備をする際、南蛮人と言われた外国人が船に持ち込む水をくみ上げたとする伝承がある井戸。

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宮城県は政宗の偉業に敬意を表し、1993年この復元船を建造しました。老朽化ばかりでなく、東日本大震災の被害にあい普及は困難になりました。解体を反対する人たちも多く議論がなされました。経費のことなど理由は色々あるでしょうが、本当に残念です。

サンファン館は2024年のリニューアルオープンに向けて、後継船と展示の政策準備が進められています。

在りし日のサン・ファン・バウティスタ号
20年前、ローマ県と宮城県の姉妹提携締結式もここで行われた。
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サンファン館の目玉であったサンファン・バウティスタ号解体は寂しいですが、政宗が派遣した慶長遣欧使節と支倉常長のことを知るのにとても興味深い施設です。リニューアルオープンもどのように生まれ変わるのかとても楽しみです。
サン・ファン館|慶長遣欧使節と支倉常長 (santjuan.or.jp)

仙台にいらっしゃいましたら、松島だけでなく、是非ホエールランドやサンファン館を訪れてみてください。両館とも充実した素晴らしい施設です!


(イタリア語担当・サトウ)

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