対岸へ

気に入った本の紹介や、アジアに関する話題を提供したいと思っています。

鳩山政権を支持する

 鳩山政権が追い詰められている。あるいは意図的に破たんに追いやられている。

 要因は二つ。一つは小沢金権問題。これは検察官僚を中核とするグループによるフレームアップ。戦前以来の彼らの得意技だ。

 二番目は普天間の移転問題。アメリカの犬になりきった外務・防衛の官僚が、沖縄県民の、従って日本国民の問題よりも、今まで自分たちが対米交渉で展開してきた論理を優先させるため、そしてそのことを通じてアメリカの利益を実現させるため、鳩山と岡田を追い込んでいる。

 本当はこの件に関しても外務省の機密文書は気同様、あるいはそれ以上の詐術があるはずだ。

 しかし新政権に代わって、政治は確かに変化しつつある。それもよい方向に向かってだ。

 子供手当など、それ自体の費用かはともかく、国民一人ひとりの生活を何とかはなければいけない、それが政治の基本だということが示されている。

 また外務省の機密文書問題は、官僚が国政を壟断してきた事実を示している。

 何としても鳩山政権には頑張ってもらいたい。

 この政権が倒れてもう一度安部がやるのか。

 よく考える必要がある。

「第9地区」はアメリカの姿・今の世界の形

 映画「第9地区」を見てきた。あれはアメリカが世界で、なかんずくイラクとアフガニスタンでやっていることの正確な描写である。

 設定はヨハネスブルク上空にやってきた宇宙船から、弱ったエイリアンが発見され、彼らを地上の居住地域に住まわせたところ、人口が増加。

 それが社会問題に発展して、政府から委託を受けた多国籍企業MNUが彼らを別の収容地域に立ち退かせる、という話である。

 その間、彼らが地上でどのように扱われているかは、まさに黒人たちが南アフリカでどのように扱われていたかのプレーバックである。

 そして狭い押し込められた居住地域での生活、暴力、腐敗は現在のガザやその他世界中の難民収容施設そのものである。

 政府から仕事を引き受けたMNUは実は軍需企業で、エイリアンたちの武器に関心があり、そしてエイリアンたちをつかまえては内部の秘密施設で人体実験を繰り返している。

 これなどかつて日本がやった731部隊や1644部隊そのもの。

 そして彼らを立ち退かせるプロパガンダ、屁理屈、暴力、強制は、今アメリカがイラク・アフガンでやっていることそのものである。

 主人公はMNUノ社員として、立ち退きの仕事をやっていたのであるが、その過程で特殊な液を浴びでエイリアンへの変身が始まる。

 するとMNUは彼の体、つまり人間とエイリアンの構造をともに持つ生体組織に関心を持ち、生体解剖を開始しようとするのである。その許可を出すのは、彼の義理の父親でもあるMNU幹部である。

 ここで思い出されるのは圧倒的興行収益を上げたアバターがハートロッカーにアカデミー賞で敗れた一件だ。

 アバターでは特殊な鉱石への経済的利権のために、大量虐殺をおこなうアメリカ海兵隊の姿が描かれた。

 ハートロッカーにアカデミーで敗れたのはおそらく、ハートロッカーが心やさしいアメリカ海兵隊員の両親を描いているのに対して、アバターが遠慮なく殺される現地人間の現実と、彼らを「木の上に住む不潔な野蛮人」と描いたそのリアリズムにあったのだろう。

 アメリカ人は、たとえリベラル派が多いといわれるハリウッド関係者でも、自分たちがやっていることを直視することはできない、ということが証明されたようなものだ。

 しかもアバターなど初戦仲間が作ったフィクションにすぎないにもかかわらずである。

 第九地区はもっとリアルだ。

 それはアメリカか今行い、南アフリカがつい先ごろまでやっていて、そしてわが日本もかつてどっぷり浸っていた世界をリアルに描いている。

 お勧めの一作である。

願ってもない保守新党

 元自民党の与謝野かおる氏や平沼氏らが集まって、保守新党を結成するという。

 自民党にとっては願ったりかなったりであろう。

 自民敗北の最大の問題は、年をとった硬直した政治家の吹き溜まりになっていたことである。

 かといってそれ以外に優れた政治家がいるわけでもなく、結果国民に見捨てられたのであるが、それでも再生を図る上で年寄だらけの党内構造が足かせであることは間違いない。

 今回の保守新党は、その連中が時分たちから自民党を出て行ってくれるというのである。

 自民党にとっては願ったりかなったりである。

若者の浪費

 高学歴で実家が金持ちなら、やっぱりそうでない人たちよりいい人生を送れる可能性は高いか?

 答えは間違いなく YES である。

 デリヘル経営の関係者に、実に限られた範囲でインタビューできたが−もともとは外国人労働者の実態調査の一環―そこからは低学歴、片親、父親が稼がない、低年齢での男性との付き合い、中絶、といった経歴が次々と上がってきた。

 個々の女性に直接インタビューできたのは数名で、あとは経営者からの伝聞である。

 それによれば最も早い性交渉経験年齢は12歳。現在元セールスマンの彼氏と同棲中だが、彼がひも状態。暴力をふるうようになってきてDVを懸念。一度中絶の経験あり。

 親が片親、というものも複数あり、高校中退、中卒、といった学歴である。一人は昼間の店員の仕事と掛け持ちしているという。

 風俗の仕事を選ぶのは稼げるから、に尽きる。低学歴の女性が稼げるところはほとんどない。

 中には経営者のアパートに住みこんでいるものもいる。経営者との関係は確認していないが、この世界から抜けることは困難であろう。

 暴力団との関係は聞かなかった。ただある女性はその手の組織に話は通してからこの仕事を始めるのが普通だと言っている。

 今この業界に流れ込んでくる女性は多いという。

 誰にも助けを求められず、何とか生きていかなければならないとなった時、風俗関係の仕事が残されている、というのが実態である。


 長時間のインタビューを通じて感じたこと。

 それは、若い世代を社会−というより金のある先行世代が−が文字通り浪費している、そう感じた。

韓国船の沈没

 韓国海軍の艦船「天安」が北朝鮮に近いペリョン島付近で沈没した。

 すでに一週間程度の日がたつが、いまだ事実関係が不明である。

 場所が場所だけに北朝鮮による攻撃説から、事故説に至るまで諸説紛々として混乱だけ拡大している。

 ちなみにGOOGLEで場所を探してみると嶋の写真が出てくる。映像では何があるのかはっきりとはしないが、韓国の艦船も随分と北側に出て活動するものだと驚かされた。

 北の立場なら、自らが認めていないラインを越えて韓国の艦船がこれだけ北側に出てくれば、何らかの対抗措置を取っても不思議ではないようにも思える。

 もっとも北側の攻撃-だとしたらの話であるが-が暴露された場合、その後の対外的な関係をどうするのかという問題が生じる。

 あるいは金正日が中国を訪問し、100億ドル規模の経済援助が得られそうだというのであれば(河氏の次のサイトを参照 http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute)、それほど気にする必要はないのかもしれない。

 訪米中の黄元書記は北とは戦争では勝てないと述べたようである(http://www.chosunonline.com/news/20100402000019)。

 彼はその必要はなく、大切なのは外交・思想線だとしているが、実際問題として、中国の後ろ盾のある、核兵器保有国を相手に戦争をするというのは非現実的な話である。

 今回の韓国船沈没は単なる事故かもしれないし、かつて韓国海軍が仕掛けたきらいに触雷したためかもしれないが、北の潜水艇や半潜水艇による攻撃、あるいは北が敷設していたきらいにふれたためかもしれない。

 もしそうだとした場合、韓国は軍事的にどう対応可能なのか、今後の朝鮮半島近海の制海権をめぐって、難しい問題になりそうであるし、この海域が日・中・韓・超の近接海域であり、国際的にも重要な航路が密集する海域であることを考えると、他人事とばかり言っていられない問題である。

中国人の権利拡張を主張する「光明日報」

 以下は光明日報の記事の翻訳である(http://www.worldtimes.co.jp/wtop/paper/html_fr10/sr100329.html より転載)。

 この記事が興味深いのは、中国の民衆の権利が極めて小さいことを明確に述べていることである。ミニブログがその代用をしている、そのために急速に普及しているのだと論じている。

 実際この記事だけ見ても、「両会」の代表が指摘しなかった地域の問題が、ミニブログで開かされたとしている。

 そして最後には「ミニブログの世界から、われわれは民衆に欠けているのは思想や意見ではなく、権利であることを見て取れる」とまで述べているのだ。

 光明日報が政府系の新聞の一つであることを考えると、中国政府自身、社会のあり方に変化をもたらそうと考えている、その兆しかもしれない。

「光明日報(中国) 2010年3月23日

中国民衆の声を代弁するミニブログ

 中国の「ミニブログ」は中国バージョンのツイッターと呼ばれるが、それが社会で果たす役割はツイッターの役割をはるかに超えている。
 人民代表大会(議会)と政治協商会議(助言機関)は人民の政治参加や人民の発言を代表する権限を付与された機関だが、中国公民は実際には対等の声(の代弁者)を欠いている。これこそなぜミニブログがネット世界で急速に人気を得たかという理由である。

 昨年誕生した中国のミニブログは今年の「両会」(全国人民代表大会と全国政治協商会議)で新たな高みに押し上げられた。(3月14日の)両会閉幕後から今日までの間に、山西省での異常ワクチン接種死亡事件、雲南、貴州両省の干ばつ持続・悪化、中国の社会を驚かせた地溝油(下水道の汚水や残飯から作られたリサイクル食用油)事件などが人々の注目を集めたが、それらはミニブログの迅速な情報伝達と無関係ではない。

 「両会」では山西や雲南の代表はそうした問題を提起しなかったが、ネット世界を通じて中国のメディアや公衆は広く知るに至った。これこそ、中国の公衆が自らの声を発するメカニズムが普遍的に欠けていることに対する一種の反応である。

 伝統的なジャーナリストやメディアは規制を受けるシステムやメディア・チャンネルの中でしか存在できず、ジャーナリストや公共知識人が声を発するチャンネルはみな「規制」を受けている。これとは反対に、ミニブログの世界では、多くのメディアやジャーナリストが流す情報の流動性と伝達はまれに見る自由と開放性を持っている。

 中国では特殊な国情下の特殊な体制メカニズムにより、中国公民が持つ発言チャンネルは極めて少ない。だがミニブログの出現で民衆は自らの声を伝達する民間チャンネル・システムの代替品を持つに至った。昨日のブログ、今日のミニブログは民衆の日増しに強まる人権擁護意識や政治参加意識の向上を体現したものにすぎない。たとえ、ブログやミニブログがある時点で消失するか失効するとしても、中国の民衆は依然として新しい代替品を探し出すことができるであろう。

 ミニブログの世界から、われわれは民衆に欠けているのは思想や意見ではなく、権利であることを見て取れる。民権を持たない中国公民はネット世界においてのみ本来持つべき民権を体現しているのだ。ミニブログは中国社会構造のアンバランスを映すもうひとつの鏡となっている。」

上杉隆『ジャーナリズム崩壊』を推薦する

 上杉隆氏の『ジャーナリズム崩壊』は日本の報道がいかにゆがんでいるか、その原因を明確にした点で画期的な著作である。

 論点の一つは記者会の存在である。ことに1978年に規約を変えてそれまでの単なる親睦団体から、取材規制を仲間のジャーナリストに対して行い、官僚や政治家の情報を独占する体制に移行したことが問題だと指摘している。

 また新聞社が、経営権と編集権が完全に分離せず、記者がその後経営者になって行く構造になっているため、ジャーナリストがジャーナリストとして自立することが妨げられ、社員として会社内の権力闘争に勝ち上がっていくことを目指すようになるとしている。

 そして政治部などは自民党の歴代派閥領袖と特定の記者が結び付き、それが一方では世論誘導的政治報道を生みつつ、結果的に首相になった政治家の担当記者が社内で出世するという、誠に不明朗な関係が生まれたとしている。

 NYタイムズ記者としての経歴もある同氏の見解は、今鳩山たたきに精を出している連中が、独立のジャーナリストというより、今まで慣例的に自民党・官僚べったりできた政治部「報道屋」の、民主党政権つぶしの、半ば生理的反応にすぎないことを教えてくれるように思う。

中井国家公安委員長は解任すべし

 中井国家公安委員長が自分の議員宿舎のカードキーを愛人のホステスに渡し、部屋を利用させていたことが判明した。

 本人はプライベートであり、自分は独身だから構わないと言っているようだが、国内治安の責任者として落第である。

 この愛人のホステスが海外情報機関のエージェントでないときちんと調べたのか。

 私が海外の諜報機関なら、孤独な高齢の政治家に接近する方法として、必ず愛人を用意するだろう。本人が銀座その他の常連ならなおのことである。

 あの界隈なら、金を出してこの手の仕事をたずさわってきた先輩達も少なくないはずである。

 また議員宿舎に勝手に入れるとなれば、彼女のキーを利用してだれでも勝手に侵入し、命も狙えれば、情報も取れるということである。

 国家公安委員長というのはこのような問題に最も敏感で、なおかつこの手の問題を取り締まる責任者ではないか。

 ただちに解任更迭すべきである。

民主党生方議員は裏切り者の卑怯者

 民主党生方議員がテレビで公然と小沢幹事長を論難し、その結果解任されると今度はテレビで大騒ぎし、結局もとのさやにおさまった。

 この男はいったい何者なのか。

 自民党のスパイか。

 小沢にくしの検察・官僚グループの手のものか。

 いずれにせよろくでなしであることは間違いない。

 だれのおかげで選挙に勝てたのか。

 だれのおかげで副幹事長になれたのか。

 今までだれも注目しなかったコモの政治家が、自分の恩人を裏切って一躍有名人・時の人である。

 こういうのを卑怯者・小物・ろくでなしというのである。



 小沢氏がいろいろ問題があるのか否か、私は知らない。

 しかし日本の政治家に清廉潔白の人物がいるなどと信じているものはいないだろう。

 問題はそれでも日本を良い方向に変えていく志と力があるか否かである。

 私は小沢氏にはあると思う。

 民主党はぜひとも千載一遇のチャンスを生かして、公務員の政治任命を実現し、法制局長官も政治任命にし、法律を作る力、公務員を動かす力を政治に戻し、そして国民の将来を開く政治を実行してほしい。

 生方事務所は秘書も実にいやな奴だというのが大方の評判のようであるが、国民の皆さん、くれぐれも信用しないように。

マグロとクジラ

 大西洋クロマグロの全面禁輸を求めるモナコの提案が否決された。日本の関係者は喜んでいるようだが、いろいろと考えさせられる問題である。

 その一つは多くの発展途上国の支持はだれの力によるものか、ということである。日本政府も努力はしたのであろうが、おそらくは中国がアフリカ・中東の票の取りまとめに当たったことが大きいのではなかろうか。

 韓国の新聞の中には、日本はマグロを、中国はふかひれを守る、と書いていたところもあった。その通りかどうかは不明だが、そのようなこともあったかもしれない。

 このようなことがあると、なんというか、日本の食文化を守れとか、日本の伝統を否定するとか、西洋中心主義の押し付けだとか、あたかもマグロに日本の威信と国益のすべてがのっかっているかのごとき議論が出回りがちである。

 本当にそうだろうか。

 それが特に顕著なのが日本の孤立が目立つクジラの問題である。

 捕鯨反対派の連中が言うことには首肯できないものも大変多い。

 いわく「クジラは知能が高い」。「感情を持っている」云々、である。

 それなら無理やり餌を押し込んでフォアグラを作っているのは動物虐待ではないのかなどなど、いろいろ反論出来そうな気もするのだが、大体凝り固まっている連中は聞く耳を持たない人たちが多い-限られた経験の範囲ですが。

 他方日本側の捕鯨支持派のことを考えてもどうかと思うことがある。

 例えば捕鯨やクジラ肉の食用はそれほど日本全体の伝統、などと言えることだろうか。

 民俗学者の宮本常一によれば、日本人は地元でとれるものを食べてきたのだ、ということになる。とくに江戸時代まで、あるいは明治に入ってもかなりの期間、そうだったのではないか。

 新潟の文人鈴木牧之は、秋山郷という山間地域の風俗を絵と文章で残しているが、19世紀前半のその地域ではコメが取れず、雑穀や木の実で生活していたことを書き残している。

 だからと言って今日新潟でドングリなどを食することが伝統の食文化だと言っている話は聞いたことがない。

 クジラ肉にしても、大洋に面した一部地域で行われた捕鯨の経験が江戸まであり、それが全国的になったのは、明治以降それが産業化され、安価な蛋白源として広まったということに尽きるのではないか。

 だとすればそれは何より産業の問題であり、食糧確保の問題である。

 クジラが絶滅の危機にあるか否かについては専門家ではないので何とも言えないが、少なくとも目くじら立てて日本の名誉や国益がかかっているかのごとく論じるのはいかがなものか。

 少なくともこの件で日本の国益や対外的環境を悪化させる必要はないように思われる。

 もう少し実際的に考えたほうがいいと思われるのである。
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