国際協力
2017年06月20日
母が語ったGACKTの話
この前、相手の立場に立つことの難しさについて書きました。(本記事最後に補足あり)
「初めて学校で泣いた日~独りよがりの他者理解~」
思った以上に共感してくださる方がいて、なんだか元気が出ました!
ありがとうございました!!
今日はある日の母親との会話を紹介します。
↑ 出国前夜の我が家での最後の晩餐
ちょうどあの出来事が起きた数日後、母の日も兼ねて母親に電話したときのこと。
あの出来事について話すと、母がこう言いました。
「日本人てNoて言われると困っちゃうんだってGACKTが言ってた。」
いや、なんでGACKT!??笑
GACKTに引っ張られすぎて話の内容が全く入って来ない、、、
「どゆこと?」 と聞き返す広瀬。
すると母、
「「
いや、GACKTって今海外に住んでるらしいんだけど、ある日ジムに行ったんだって。
そしたら、自分が使いたい懸垂かなんかをやるための機械があったんだけど、他の人が居たらしいの。でもその人はその機械をもう使ってなくてストレッチとかしてたんだって。
だからGACKTが
『その機械つかってもいいかい?』って聞いたら、
その人は
『いいや。俺はここでやる。俺が先にいたんだから。』って言ったんだって。
こういう状況に出くわしたら、結構「なんだこの人は、非常識だな。」とか「ケチで心の狭い人だな。」とか思ってちょっとイライラしちゃうじゃん?
でも海外だとこういうのってよくあるらしくて、「そっか、じゃあしょうがないか」って思うらしいのよ。
これって日本人の特徴でもあるらしく、
自分が提案したこととかお願いしたことに対して、常に「Yes」の返事がくると想定してるんだって。
だから「No」って言われるとどうしたらいいかわかんなくなったり、イライラしちゃうんだって。
だからGACKTもそれがわかってからは「No」って言われても、さらっと「OK」って返せるようになったんだって。 」」
なるほど、、、
日本人だからなのかはわからないが、自分の行動を振り返ってみると確かにその通りな気もした。
提案した方法を、それは難しいから無理だと言われた時、
勧めた教科書が児童に合ってないんだと言われた時、
イライラした自分がいた。
確かに自分が言ったことに対して「うんうん」って肯定して素直に聞いてくれることを勝手に想定していた部分があったような気がした。
断られることもあるって思ってたら確かにちょっと気持ちに余裕ができるかもな、、、
まさかGACKTからこんなヒントをもらうなんて、、
そんな話をいきなりしてくる母は偉大です。
―――――――――――――――――――
*この前の補足*
相手の立場に立つことと並んで重要な点は、
自分は「JICAボランティアとして働いている」ということ。
ボランティアは、職種は様々にせよ何かをより良くするため・改善するためにそれぞれの任地で働いている。
つまり、何かしらの変化をもたらす為に活動しているということ。
だから、相手の立場から考えてみることは大事だけど、
完全にそこに立ってしまったら、自分の、よそ者としての良さもなくなってしまう。
ブログにコメントを下さった方は、「相手の立場に寄り添う」という言葉を提案してくださいました。
まさにその通りですね!!
寄り添う、いい言葉!!
これからは、相手にできるだけ寄り添いつつ、
相手の文脈も自分の文脈も合わせて、より良い方向を目指していきたいと思います!!
―――――――――――――――――――
ではHasta luego!!
2017年06月16日
初めて学校で泣いた日 ~独りよがりの他者理解~
久しぶりの更新!!
今回は自分に起きたプチ変化について、、語ります。
現在働いているパイロット校5校のうち、どうしても働くor訪問するモチベーションの上がらない学校が一つありました。
学校まで遠いとかではなく、、
むしろこの学校、どちらかと言うと”できる”先生が多い学校。
本当だったら働きやすいはずなのに。
働きにくさを感じていた理由はおそらく、
言ったことをやってくれない、文句が多い、コソコソ話が目につく、、
などの対人関係的なものでした。
「板書計画を一週間に一回、自分が学校を訪れる木曜日だけでいいから作ってきてくれ」と頼んでるのに全5名の先生が作ってきたことは一度もありませんでした。
イライラが募り、こちら口調も強くなってきていたし、しっかりとやってもらおう!
と決め事も増やしていこうとしていました。
そんなある日、朝学校に着き、校長先生と少し話した時でした。
校長は自分のスタイルはあまり変えない、でも聞き上手でうまいこと話をつけられる器用なタイプで、以前に他の先生についての相談もしたりしていました。
日ごろ溜まったものもあり、
「板書計画を朝、校長室に持ってきてもらうようにしたい。いちいち作ってきたか全教室まわるのは時間がもったいない。そもそもこの学校は板書計画を作ってくる先生が少ない。一週間に一回だけだし、他の学校はやってるのに。」
というようなだいぶ文句が混ざったお願いをした。
すると、
―校長
「わかった、でも来週からね。そもそもルール途中から変えたよね?最初は授業観察するクラスだけ板書計画チェックしてたのに、全員作ってこなきゃいけないっていつ決まったの?おかしいよね?」
―イラっとした広瀬
「違う!それは違う。最初に配った説明の紙にちゃんと”最低週一回(太智が学校に来る日)”って書いたよ。」
―校長
「とにかくいきなりやり方変えられても困る。それに今日太智だって今月の予定表持ってきてないじゃん。お互い様だよ。」
―イライラ広瀬
「それはまた別の話じゃない?」
とイライラを抑えられず少し言い合いに。
すると校長が改めて話し始めました。
「最近、同僚(先生たち)からの授業観察に関する愚痴や文句が多いんだ。やることが多いとか、ここがダメだったあそこがダメだったって言うばっかりで、具体的な解決法も提示しないとか。
それで太智からの要求も増えてきてて、俺は板挟みになってるんだ(正確には “刃と壁の間だよ”と言ってた)。同僚たちは太智の前ではOKOKって言ってるかもしれないけど後になって俺に言ってくる。でも、教室で太智が何て言ってるのかもちろん知らないし、解決の仕様もない。
でもお互い嫌がりながら働いてるのもおかしな話だろ?
だから、一回しっかり面と向かって話さないか?」
―――まず、自分は唖然とした。
校長の言ってることはごもっともだし最終的には納得できたのだが、前半の下線部分にショックを受けすぎて、何とも言えない感情が押し寄せていた。
自分が一番気をつけていたこと。それは相手の立場に立つこと。
大学で国際協力や人類学を学んだ際、ゼミの先生に口を酸っぱくして言われていた。
「現地には現地の文脈がある。私たちはその文脈の中で語らなければ、考えなければならない。」
間違っても「助けてあげる」とか「自分たちの方が優れている」とは考えてはいけないと胸に刻んでいた。
活動をするにあたって、
・「板書計画、本当は毎日作ってほしいけど、大変だろうから一週間に一回にしておこう。」
・「授業観察のでは、どんなにひどい授業でもまずは2点以上褒めよう。それから改善点だ。」
・「悪い、失敗って言葉は使わない。あくまで改善点って言おう。」
・「改善点だから、必ず改善のためにどうしたらいいかを添えて書こう。」
など、
自分なりに考え、なるべく「やれやれ」にならないように、負担がかかりすぎないように心掛けていた、「つもりだった」。
それが今すべて真正面から打ち崩され、自分の支柱とも言える部分が音をたてて崩れ去っていくのを感じた。
結局はやっている”つもり”だったのだ。
つもりだったけども、相手がそう感じていない、むしろ真反対に感じていたのなら、それはつまりそういうことだ。
自分はただただ、自分が勝手に作った”相手の立場”に自分を置いて、その気になっていただけで、その”相手の立場”は”本当の相手”とはかけ離れていたということだ。
そもそも、少し前の校長との言い合いもそうだ。
「そもそもルール途中から変えたよね?― 違う!」
確かに説明の紙では言ってあったが、思い返してみれば授業観察を始めたころ、いまいちリズムがまだつかめておらず、観察するクラスの板書計画しかチェックできなかった時もあった。向こうからしたらこれは立派なルール変えだ。
「予定表」も、指定された紙を持ってきていないという点では先生が板書計画を作ってこなかったのと同じかもしれない、、、―――
と、まあ色んな事がぐるぐる頭を駆け巡り、思考回路はショート寸前だったわけです。
イライラ→崩壊→自省
という過程を経て、もう一度校長と話し、先生たちとも話すことに。
先生たちが集まり、校長が経緯・現状を話してくれました。
そして、「太智、なんか言いたいことある?」と振ってくれました。
上で長々と綴ったようなことを言おうとして言葉を発した瞬間、同時に涙がこぼれました。
もう、一度出てしまったら抑えようとしても止まらない。
涙がこぼれないように上を向いたってもうダダ流れ。
きっとどうしようもないほどに自分に非があり、それを自分で痛いほどわかってるとき、それを認めるのってとっても大変なことなんだなあ、涙が出ちゃうんだなあと知りました。
この前泣いちゃった2年生の子の気持ちがわかった気がします。
ふざけてて近くにいた友達にぶつかって、その子の食べ物を落としてしまって、、、
「わざとじゃないのはわかってるけど、ぶつかっちゃったから謝ろうね。」
って言ったら、泣いちゃったあの子。
きっと悪かったなあって自分でわかってたんだろうなあ。
結局、
「今までごめんなさい。知らず知らずのうちに嫌な思いさせてしまって。これからは僕も思ってること素直に言うので、皆さんも素直に言ってください。」
みたいなことを言って終わりました。
それからというもの、
この学校に行くのも苦じゃなくなり、先生とも前より気軽に話せるようになった気がします。
そして面白いことに、その日以来徐々に板書計画提出率が上がり、ここ2週間はなんと全員提出してくれました。不思議なもんですね笑
一回崩壊したけど、これからもめげずに相手の立場になって考えることに挑戦し続けていこうと思います!
自分を省みる機会を与えてくれた先生方に感謝!
ありがとうございました!!☀