dfs4米野智人氏(37)は北海道小樽市の北照高を経て2000年にドラフト3位でヤクルトに入団。「名捕手・古田の後継者」に指名された・・





06年に古田が選手兼監督になると、生捕手の座を託され、監督から野球だけでなく私生活のさまざまな振る舞いについても指導されたという。

ところが「後継者」の立場が、米野氏には重圧だった。番組のインタビューで米野氏は「試合に出るのが怖くなって、自分をどんどん追い込んでいった」と振り返る。キャッチなどでミスを連発するようになり、重圧に耐え切れず暴飲暴食を繰り返した。

07年には2番手捕手となり、監督から「おまえの、その態度は何だ。捕手をやる資格はない」と告げられて2軍落ち。それ以来、古田氏とは一度も会っておらず「お世話になったのに申し訳ない」と米野氏は気にし続けてきた。




ヤクルトから西武、日本ハムを経て17年に現役を引退した米野氏は現在、妻・貴美さん(32)とともに自然食レストランを経営中。12年ぶりの再会は古田氏のアポなし、サプライズ訪問の形をとった。

店に現れた古田氏に「聞いてないっす。びっくりです」と恐縮しっぱなしの米野氏だったが、落ち着くと、心残りだったことを話し始め「すごいチャンスをいただいたのに、力不足で…。引退したときもご連絡できなくて、本当に大変失礼いたしました」と、言えずにいた謝罪の言葉を述べた。

古田氏は「正直なこと言うと僕の後継者は彼しかいないと思っていた。肩も強いし体もいいし、当時のヤクルトのキャッチャーは7~8人いたと思いますが、その中でも一番すぐれていました」と、米野の才能を認めていたことを打ち明けた・・

(source: スポーツ報知 - 古田敦也氏“裏切りの後継者”と12年ぶりに再会「彼しかいないと思っていた」





・当時の古田には彼の気持ちに気付くだけの余裕が無かったんだろうな。
その余裕の無さが更に彼を追い込んでしまった。
日本球界は選手は育成しても指導者を育成するっていう発想が無いよね。

・でも西武や日ハムであがいた印象があるなぁ。第二の人生が成功しているようでよかったなと思う。
ちゃんとその経験も無駄にしてなくてすごいなと思う。

・よく覚えている。いい意味でゴリラみたいに大きくてゴツくて、今でいう打てる捕手のニオイが漂っていた。
ただ、蓋をあければ1割くらいしか打てなくて、打撃不振の原因もあったと思うね。

・米野は1年間試合に出たのは2006年だけだったけど、西武や日ハムに行って外野や一塁に挑戦しながらプロで16年飯食ってたんだから立派だと思う。16年プロで出来る選手は中々いない。

・米野はいかにも真面目そうな選手だった。実力もメンタルも足りなかったと思うけど、それでも長く現役を続けられたのは人間性が良かったからだろう。


・米野智人9回逆転満塁ホームランにむせび泣く斉藤一美