32東京都内にある病院の前で、酸素ボンベの入ったバッグを右手に持ち、車から降りてきたのは俳優・渡哲也(77)だった。本誌が渡を目撃したのは4月上旬。実はその直前に驚きの証言をキャッチしていた・・





「渡哲也さんが、ついに俳優引退と、石原プロモーションの幕引きを決断したのです」

そう語ったのは石原プロの関係者だった。石原プロは、故・石原裕次郎さんにより'63年1月に設立された。

「'71年には渡哲也が副社長に就任。舘ひろし(69)や神田正輝(68)など人気俳優を擁し、その結束の固さから所属俳優たちは“石原軍団”と呼ばれたのです。'87年に社長の裕次郎さんが逝去した後は、渡が24年間にもわたり二代目社長を務めました」(芸能関係者)


・渡哲也さん



社長辞任後も、専属俳優や“相談取締役”として石原プロを支え続けてきた渡。なぜいま“石原軍団解散”を決断したのだろうか? 前出の石原プロ関係者は次のように語る。

「以前から“高齢化”は問題視されていました。現在、代表取締役会長を務めている石原まき子さん(※石原裕次郎夫人)が85歳、そして渡さんが77歳。渡さんが辞任してから8年になりますが、社長職は空席のまま。それは、まき子さんの『後継者が決まるまでは、社長の席は空けたままにしましょう』というご意向があったからです。しかし結局、裕次郎さん、渡さんの跡を継いで“三代目社長”に名乗りを挙げる人材は現れなかったのです」

渡の体調の問題もあるという。渡は'91年に直腸がん、'15年に急性心筋梗塞と2度の大手術を受け、さらに肺気腫やぜんそくといった持病もある。


・石原軍団





「実はこの4月に幕引きを発表する予定だったのですが、移籍先がまだ決まっていない若手の所属タレントたちもおり、資産の整理もまだめどが立っておらず、公式発表はとりあえず延期することになりました」(前出・石原プロ関係者)

設立から57年目、そして裕次郎さんから受け継いで32年で迎えた終幕について渡自身はどのような感慨を抱いているのだろうか。自宅付近で本人に取材を試みた。

「渡さん、石原プロを閉めることを決断されたそうですが、いまのお気持ちをお聞かせください」と記者が問いかけると渡は目をつぶり、なんと語るべきか真剣な表情で黙考しているようだった。だが付き添っていた運転手に「事務所に連絡するように伝えなさい」と静かに言い残すと、自宅のなかに入っていった・・

・詳細は(source: 女性自身 - 渡哲也 石原軍団解散へ…決断の背景に俳優の高齢化と体調問題



・渡さん自身、体調がすぐれないのに、弟(渡瀬さん)に先立たれメンタル的にもここ数年は厳しいというか苦しい状態が続かれていると思う。
特ダネで儲けたいかもしれないが、マスコミは下手に囲んで取材をするより、会見の機会を待つべきだと思う。

・一番危惧するのは、版権管理をする者すら決まらない、もしくは管理する資質のないものが「後継者」になったがために版権や作品そのものが散逸してしまうこと。
数年前には、長らくソフト化もされなかった「黒部の太陽」をはじめとする映画作品が再公開されたのち、ようやくソフト化されて多くの人に観てもらえるようになったばかり。
優れた映像作品や一世を風靡した作品でも、作った会社が無くなったことで改めて観る機会が失われた事例は少なくない。

・これほど責任感のある渡さんのことを裕次郎さんも凄く信頼していたと思うので、渡さんが考えていることをきっとそれでいいと思ってくれるように思った。

・軍団を閉める事に裕次郎さんも理解されてると思います。
寧ろ、此処まで引き継いで来たことに感謝されてると思います。
ご自分でも病魔を抱え、色々な複雑の中インタビューにも対応されて、渡さんの心の寛容さを感じられますが、今は渡さんの体調を考えて静観すべきだと思います。

・高齢化か。。。あの大門軍団が。。。世の倣えとは言え少し寂しい気もしますね。あれほど彼らの番組を楽しみに見てきた物にとっては時代の終わりと簡単に思いたくはないですね。しかしどうしようもないんでしょうね。

・西部警察からかなりの年数だし、今ああゆうドラマは、スポンサーから直接営業をし、お金を得ても厳しいというか、無理な時代だろう。かと言って若手も徳重聡以外の目立った活躍が少ない現実。
だから、週刊誌記者に撮られるのも分かっていて、ボスを良く知る渡哲也さんだけに、慎重に、ボスの権利関係を含め、円満に、信頼性がある引き継ぎ先を探しているのだろうか。終活なんだろうな。


・石原裕次郎記念館 26年の歴史に幕