ft666『新ルパン』に、宮崎駿が参加したのはシリーズ終盤の145話「死の翼アルバトロス」と最終回の第155話「さらば愛しきルパンよ」。2話とも制作は『カリオストロの城』同様テレコムで、『作画汗まみれ 改訂最新版』によれば「死の翼アルバトロス」は1980年1月から制作されて7月放送、「さらば愛しきルパンよ」は同年9月からの制作で10月の放送となっている。



・『ルパン三世』最終回で、宮崎駿がルパンを「ほぼ登場させなかった」深い理由



1981年を舞台にした「さらば愛しきルパンよ」で、本物のルパンをほとんど出さなかったのは、宮崎駿のせめてもの折り合いだろう。

『旧ルパン』から10年分、年齢を重ねたルパンが『新ルパン』のような活躍はできない。すでにルパンは面白いことに餓えている男ではなく、贅沢や刺激は味わいつくした枯れ気味の心優しい中年男なのだ。


・さらば愛しきルパンよ




 だから宮崎駿はルパンと決別しなければならなかった。ルパンがまだそのアイデンティティである泥棒でいられるうちに。可憐な少女の思いや世界平和の後、もはや宮崎駿のルパンが盗むものはなくなってしまったのだ。

 偽物を退治したルパンたちは、ジャケットこそ赤だが『旧ルパン』の後半と同様にフィアットに乗って、どこへともなく去っていく。『カリオストロの城』の最後でも追いかけていた銭形も、もうルパンを追わない。同時代を共に過ごしながら、別の道を行く者をただ見送るように。

 そう考えれば、この「さらば愛しきルパンよ」は、かつて情熱あふれる日々を共に過ごした者たちとの別れの話だ。筆者が爽快なはずのラストに、どこか清々しい寂しさを感じてしまうのは、こうした理由からだ。






・原作やファーストのようなクールなルパン、セカンドのコミカルなルパン、これとはまた一線を画す「義賊」の要素を取り入れたのが宮崎ルパンでした。山田康雄自身は「ルパンは義賊ではない」と言っていましたが、この宮崎ルパン、とりわけカリオストロは大のお気に入りだったようで、やはり見せ方や構成が天才的だったと言えると思います。

・まぁ原作はベッドシーンもある青年漫画、そのテイストのままアニメ化したファーストが元々のパンチ先生のイメージする大人の色気のあるルパンだったろうし、新ルパンは明らかに子供を意識してマイルドなドタバタになったがそれで子供たちにも受け入れられたんだから皮肉な話でもあるよね。

・批判覚悟で言うけど、宮崎駿が関わったルパン好きじゃない。ファースト初期のダーティーな感じのルパンの方が好き。自分の中でルパン作品の一位は「次元大介の墓標」。ルパンが悪党で、次元がひたすらカッコいい。あのキャラがまさかの登場のラストシーンまで全部が好き。音楽もめちゃくちゃカッコいい。思い切って地上波で流したら絶賛の嵐になると思うんだけどな。

・じつは「死の翼アルバトロス」の冒頭では、ルパンはまだ黄色いベンツSSKを使っているのです。で、それを不二子が盗んで逃げたあげく爆破され、愛車が無くなったルパンはフィアットに乗るようになり、それからモナコのカジノで偽札を掴まされ、カリオストロへと旅立つ時系列になっています。その後に日本で偽ルパンがロボットで暴れていることを知り、銭形に変装して帰国し「さらば愛しきルパン」となります。それで宮崎ルパンは完結します。完です。完。

・原作とは違う!ってのはそうだと思いますが、まあ、大衆化ってのはこんなもんですよね。
宮崎駿のルパン像がなければ、ここまでキャラとして生き残ろなかったんじゃないかな?
個人的にカリオストロのルパンは別物って思っちゃいますが、だがそれで良い、とも思っちゃう。
まあ、そもそも、ドラえもんの映画版だって、ジャイアンとか別キャラになるしね。

・Part2をLiveで観た世代なので、Part1を観た時には正直ビックリした。
2のような派手さは無いものの、渋くて何より、出ているキャラがみんなカッコイイ。
ある意味、新鮮だった。
そんな中で、カリオストロを劇場に見に行った時の衝撃は今でも忘れられない。
まるで、その世界に入り込んでしまったかのよう思えるほどの、作り込まれた背景と風景描写。単なるバック絵ではないクオリティ高さには本当に感動しました。
動き一つにとってもコミカルあり、ド派手なアクションあり、あの時代にあんな秀悦な作品を生み出した力は、本当に凄いと思う。

・第一シーズン世代なので、その後のシリーズは迷走していると感じていたが、Parrt5あたりから過去シリーズへのリスペクトだけでない新展開が好印象。
アニメ界全体が「宮崎駿」という巨大な存在というか呪いから解放されて、次世代の才能が次々と生まれていると感じるようになった。


・ルパン パイロットフィルム 銭形とルパン