9108600小学校で仲間外れにされて中学で不良の道に走り、高校卒業後にとび職に就いた彼が、世界大学ランキングで常にトップ10に入るアメリカの名門校バークレー校の門を叩くことが現実になると、この時、誰が思っただろうか・・・



神奈川県川崎市で生まれた鈴木琢也さんは父・敏博さん、母・博子さん、3才年上の姉の4人家族。途中、両親には離婚危機もあった。

小学校の頃に浮いてしまった琢也さんが、ようやく自分の場所を見つけたのは中学時代。地元で知られるワル中学に入り、初めて仲間ができた。
ほとんど勉強などはしていなかった。そして地元の県立高校に辛うじて進学する。そこは、英語の授業がアルファベットの練習から始まる学校だった。

高校卒業後、琢也さんは「稼げそうだから」と先輩の紹介でとび職に就く。そんなある時、父が転機をもたらす。敏博さんが仕事(外資系生命保険会社営業マン)で大きな成果をあげ、ハワイで表彰式が開かれることになったのだった。

しぶしぶ参加した表彰式で、大勢の人から「きみのお父さんは本当にすごい人なんだよ」と声をかけられた。苦境に陥った父だが、コツコツと努力と勉強を重ね、仕事を通じて多くの人に称賛されるまでになっていたのだ。

「ぼくが“家族が冷たい”とグレている間に、父がどん底から這い上がり、母もそれをサポートしていたと知り、自分は何ひとつわかってないと思い知らされました。ぼくも父のように情熱を持って働きたいと思い、転職を決めました」・・・

詳細は(source: NEWSポストセブン - 元ヤンキー とび職経てUCバークレー進学するまでの道のり