
「オートミールは西洋風のおかゆのようなもので、戦後はコンフレークのこともありました。甘みを足して天皇好みの味に仕上げるのは皇后の役目です」
朝食は8時、昼食は12時、夕食は18時で1年中変わることがない。昼食が洋食であれば夕食は和食、昼食が和食なら夕食は洋食と決まっていた。
昭和の終わった日①
1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇が崩御し、街のあちこちに喪章を付けた国旗、謹告が貼り出された。写真は高松駅、百十四銀行本店、四国新聞社、高松東宝。 pic.twitter.com/HOuxl1Q4VT
— どーらく (@df5066) 2016, 1月 7
好き嫌いを言わなかった天皇が、ふと好みを口にしたことがある。昭和62年(1987年)10月3日、前月に十二指腸部の腺癌の手術を受けた天皇は、
昼食で出された平目のムニエルに全く食欲を示さなかった。そこで医師団が食べたいものを尋ねたところ、イワシやサンマだというではないか。
「戦時中に物資が手に入らず、天皇がヤミで物を買うのを禁じたために、献立の常連となったのです。天皇はそれらをとても気に入っていました」
チャーハン、餃子、春巻、酢豚、シューマイといったお馴染みの中華料理も食卓に並んだ。さらに米は市中の米屋さんから普通の米を買い、押し麦を混ぜ、水道水を使って炊いたというから、なんだか親しみがわくではないか・・・
詳細は (source: デイリー新潮 - 天皇陛下はどんなものを食べているのか? 「チャーハン」や「ふりかけご飯」)
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昭和天皇 戦後の全国巡幸

帝王学的に言って、上の人間が贅沢に暮らせば下の人間も贅沢に真似して暮らし国の財力が底をついてガタガタになるんだが、上が質素に暮らすと下も真似て質素に暮らし、国の財源にとってとてもいいんだな。
えースゲー日本