76パラオ諸島を含む南洋の島々には、今でも大日本帝国の統治下を知る人たちが存在している。彼らはその前にはドイツの支配下にあり、戦後はアメリカの強い影響下にあった。その経験を踏まえてもなお、大日本帝国時代を懐かしむ声は決して少なくない・・



たとえば、現地の老婦人、カズエさんはこう語る(名前は日本風だが、パラオ人。当時はこういう人が多かった)。

「日本時代は楽しい時代だったのよ。私は本当に感謝してますよ。私が生まれたのは日本時代の真っ盛りでしたからねえ。昔は楽な生活だったのよ。食べ物にも困らないしね。日本の時代は本当にいい時代だったのよ」

パラオ諸島を含むミクロネシアに一早く目を付けたのはスペインだった。彼らの目的はキリスト教の布教。スペイン政府は現地に学校を建てて、西洋の価値観を広めようとした。そこに狙いをつけたのがドイツだ。
スペインとの奪い合いの末、いろいろな経緯を経たうえで、武力と財力によってドイツは19世紀末にはミクロネシア全域を領土とする。

このドイツ時代の支配は、簡単にいえば強国が植民地に対して行なう悪い支配の典型のようなものだった。最初こそ教育にも力を入れたものの現地で鉱石が発見されるや、現地人に労働を強い、従わない者には鞭打ちなど厳しい刑を与えた。親から当時のことを聞いているパラオ人のフジオさんは、こう語っている。

「ポンペイ島では、強制労働への反発からドイツと戦争のような事態になりました。この件ではドイツ人の知事も殺されました。パラオの人も反乱を起こしました。あんまりひどい扱いを受けましたからね。ドイツ人はパラオの人を処刑する時はみんなが見ている前でやるんです。」


・日本とパラオの絆



「反乱を起こしたうちの3人のパラオ人が撃たれた。それをパラオ公園にある大きな木に吊るしたんです。日本人はそんなことしませんでした」

第1次大戦後、ミクロネシアは日本の委任統治領となる。これは植民地ほどの権限は持たず、物質面や精神面で現地住民が幸福な生活を送れるようにし、いずれ独立国家としてやっていけるように支援する政策にすべきだ、ということが戦勝国の間で決められた。こうした決定に日本は不満もあったものの、結果的には従っている。
こうして大日本帝国はミクロネシアを統治することとなる。その大方針として、「島民の福祉の増進」が掲げられた。もちろん、当時のこの種の統治なので、一種の同化政策が進められたのは事実で、現在の視点から見れば問題もあるだろう。
ただ、ドイツ時代と比べると島民の受け止め方ははるかに好意的だった。ドイツは2千もの島々が広がる中に、25人ほどの役人を配置しただけだったが、日本は1922年に「南洋庁」を設置すると、職員だけでも603人を配属した。

「ドイツの占領時代に来たドイツ人はたった1人ね。軍人だと思うわ。私たちを見張りに来てたのよ。日本になったらみんなここに生活に来たでしょ。それで日本時代が本当にすばらしい時代になったの。それがドイツと日本の違いなのよ」・・

・詳細は(source: デイリー新潮 - 「大日本帝国時代は本当にいい時代だった」 パラオの人はなぜ今も親日なのか


・パラオ人の証言



・この記事を読んで思い出したけど、以前韓国でも統治時代の方がマシだったなど言った老人が、若者に殺されたニュースがありましたよね?

・今の若い人だけではなく
戦後日教組教育で
洗脳された高齢者世代も
是非
読んでみる価値がありそうだね

・これこそ知らせない権利の発動だろうね。

・仮に政策上の計算があったのだとしても、その政策によって「幸せだった」と心から感じていたのであれば、当時を生きたパラオの人たちにとって、その政策は正しかったのだろう。

・日本は日本の都合でインフラ整備したって面もあるんだろうけど、実際に現地で住民と接する人たちは心から善意でないとここまで好意を抱かれることはないですよね。
パラオの人々は善人ばかりだったんでしょうね。

・パラオが親日であることがマスコミにとって
不都合なのか知らないが、我々はこういう人々の
存在をもっと知って大切にすべきなのだ。
ちなみにパラオは台湾と国交を持つ国でもある。

・戦争に正当化される理由は無いんだけどね。
でも、こういう証言はなんか嬉しいね

・何にでも言えることですが、全てが100か0ってことはめったに有りません。要は事実を客観的に見て評価すれば良いのですが、なかなかこれが難しい。

・反日を政権維持の矛盾隠しの道具にしたか、しなかったか。
パラオはしなかった。

・中国の進める一帯一路は、こういう状況を作り出せるでしょうか?


・「慰霊の旅」 両陛下がパラオ訪問